4-12-2.交渉
石柱が並ぶ回廊を駆けるにはあまりにも距離がある。すぐさまエリシアはその場で蒼炎魔法を展開し、来賓室から王の玉座へと転移した。
炎を潜り抜けた先は凄惨だった。
散らばった武器、そして数々の兵。神聖な空間と床を血と己の肉体で汚しており、いずれも虫の息だ。悲痛が聞こえてきそうな重苦しさ。だが、ひどく静かで、冷めきった空気。
玉座には、見たことない黒い影。それはマントにも似た外套であり、そこから覗かせるは黒銀の鎧と金の装飾、そしてダーク調の軍服。軍王にも並ぶ筋骨隆々とした軍人体格。
その男が伸ばした腕にはこの場の兵士の生き血を啜ったように紅く染まった巨剣――その切っ先に膝をついたラザード王の首が突き付けられていた。
「お父様!」
「ッ、エリシア!?」
頭部から血を流す王の悲痛な叫び。その思いを、代わりに近侍が息も切れるように叫ぶ。
「王女っ、来てはなりません!」
うつぶせに倒れる彼は深手を負っており首だけしか向けられないも、眼鏡越しの鋭い目からは訴えを与えた。冷静沈着な彼がこれだけの強い意思を向けてきたことに、思わず進む足を止めてしまう。
「なんだこれ、全滅って……?」
「こいつら聖騎士団の奴らだろ。やられてんぞ」とジェイク。
護衛兵だけでない。万一の事態に備えた最強の騎士であるはずの聖騎士団員数名も、意識を失っている。おそらく、王にとどめを刺そうとしている男がやったのだろう。
ゆっくりと振り返った顔は、とても人間と思えないような白灰の色に濁っており、その目は呪いの宝石のように不気味に紅く輝いている。白銀のかきあげた長髪と顎髭を整えた――だがその顔立ちは初老であるも精巧な石膏像であるかのように力強い男だと分からせた。
「蒼炎の大賢者……貴女もそこで聞いているが良い」
骨がきしみそうなひどく重い声に、不思議と身動きが取れない。体が恐怖で硬直でもしているのだろうか。
「さて、少しばかり粗相がありご挨拶が遅れ、失礼を致しました。改め、お初にお目にかかります、クレイシス国王。私はオルク帝國軍元帥を務めるベネスス・ハンガリと申します。以後、お見知りおきを」
このときどよめきが聞こえてくる。何も知らないメルスト以外の全員だ。
「ベネススって、あの……!?」
「なんで軍の最高権力者がいきなり来てんのよ……っ」
ルミアでさえも余裕に構ってられない様子に、メルストもただごとではないと再認識させられる。
「帝國の大幹部がわざわざ何の用だ。軍規模の不法入国に続き王城を襲撃して……"戦争"でも始める気か」
突き立てられた刃に恐れず、口を開くラザード。王に対し敬意を示しているようであるが、その見下す目はとても人を人として見ているとは思えない。
「何もここで戦うつもりはありません。正面から入ってきた私を侵入者扱いして問答無用で襲ってきたのはそちらの方でありましょう」
「手を出したのは貴様らが先だ。国境全域に魔王軍を配置させたのは主力をおびき出すためか。各区域にパラビオスが再発生したのも……」
「アコード騎士団――特に四星天王軍と聖騎士団は我々にとって厄介な相手です。ですがご安心を。あの大規模な進軍はただの幻影魔法である故、お互い血を流すことはありません。ただ、少しばかりの間、帰還できぬよう大人しくさせていただきますが」
「貴様……ッ」
剣幕の目を向け、歯を食いしばる。要は魔族の掌に踊らされている状態に、無事のまま返すはずなどないだろう。
動こうにも動けなさそうな王の挙動。束縛的な魔法でもかけられているのか。
「失礼、本題を述べましょう。今この王都は我々の大結界魔法によって他の区域から出入りできないよう隔離されております。国境全域にも同様のものを張っておりますが、流石の聖騎士団も簡単には壊せないでしょう。無論、英雄も」
「……つまり、どういうことだ」
「我々の――"アルステラ陛下"の意に従わぬ場合、この王都が死地と化します」
瞬間、三撃の衝撃波が生じた。閃光が走ったかというほど、目にもとまらぬ速さの光線と爆撃と、刃。
だが、いずれも一振りに見えた剣によって散り散りになった。剣ごと吹き飛ばされたジェイクは石柱を折り、瓦礫に埋もれた。
「うごぁ!」
「ジェイク! 大丈夫か!」
瞬きをした間に起きた出来事。仕掛けた3人の十字団に対し、冷たい目を向けた。
「……血の気の多い奴らだ」
「だよねー、全然効いてない」
爆撃銃を向けたまま、ルミアも苦笑するばかり。
「……やっぱり、手ごわい」とフェミルも槍を構えたままつぶやく。
「今、クレイシス国王と交渉中だ。これ以上敵意を向けるならば、王都以外の区域も滅ぶことになるぞ」
途端、ズンと重くなるような感覚に陥る。何かに掴まれた。そう視線を変えると、白く分厚い骨質の鎧をまとった人型の何かがメルストらを取り押さえていた。その肌は、否、筋繊維がむき出しになったそれは漆色を照らしている。
まさか、と顔のない白のフェイスマスクへと顔を向けると、掴んだ白い外骨格の腕からツタのような黒い繊維が伸びはじめ――全身へと瞬く間にいきわたっては強い拘束感を覚えた。膝をつかざるを得ず、抵抗しようにも万力で抑えられる。
「いったぁ!? 何するにゃ変態!」
「あ? なんだこいつらはよォ!」
「パラビオスか……?」
(まさか兵士として利用できる段階にまで……!?)
玉座に列を為して歩く歪な白鎧兵に生気が感じられない。兵士に模られた黒い設計生命体は、ベネススの意思一つで動いているようにも見える。
(でも"物質分解"すればすぐにこの状況を――)
刹那、この身が吹き飛びかねないほどの大きな揺れがメルストらの抵抗を防いだ。何かを掘り進めるような、岩がえぐれる音。
壁が砕け、玉座に降り注ぐ瓦礫とともに出てきたのは巨大な竜の咢。しかしすぐに天井の天画を食らっては金属質の鱗で覆われた胴体しか見えなくなった。衝撃で崩れ、光が漏れた先、巨大な竜の――否、電気的な駆動音を唸らすパイプのような環状多関節が伸縮していた。
「今度は何だァ!?」
「……おおきい」とフェミルは見上げる。
「うっそ、あれ機龍じゃないのよさ!」
山のような巨大な城にくまなく巻き付き、内部まで食い荒らすは鋼の巨龍。獲物はなにも王城だけではない。広大な王都の各所で地面が盛り上がり、うねり、回る機体の一部が露出しては民家を崩していく。
ついに、王城のてっぺんに掲げられた国旗を食らう。赤い目を点滅させ、削岩機のような龍の口は天へ向け大きく開いた。
遠く――外から狂ったような笑い声が激しい地鳴りとともに空を轟かせる。重低音と雑音に交じった、人ならざる声。それは地獄の底から哄笑しているかのような。まさに悪魔のような嗤いに、エリシアは背筋を凍らせ、つぶやく。
「いえ、まさか……"悪魔種"」
「てことは、あいつ契約者か!」
そう言い、ベネススを見る。その声に対し一瞥した元帥だが、次の行動を遮らせたのはラザードだ。
「ベネススよ、貴様らオルク帝国の要求は何だ。何が目的だ」
視線を王に戻し、息をつく。憐れんだような目に、またも怒りが込みあがりそうになる。
「要求……それはご自身の心に訊いてみると良いのでは?」
「げほっ、遠回しに言うんじゃねぇよ堅物野郎。そいつもジジイだから何のことかさっぱりかもしれねーだろ」
余計な一言に反応したのか、パラビオス兵によって地面に頭部を抑えられる。だが、一瞬たりとも元帥から目を離さない。それに何か思うところがあったのか否か、ベネススはジェイクをしばらく見つめた。
「……その男の言う通りかもしれんな。万一、勘違いされてもこちらが困る」
ゆっくりと再び、国王を見る。王の首に巨剣をさらに深く突き付け、
「"国王を辞めろ"」
「――っ!?」
「"国王の座から降り、その老体を護る権力、武力、財力すべてを捨てろ"。――それが我々、オルク帝國の要望です」
静まり返る。その中で最初に口を開いたのはエリシアだ。
「なんてことを……どうしてそんな――」
「"どうして"? むしろこれだけで国は無事で済むのです。簡単なことでしょう、蒼炎の大賢者殿」
そう簡単に辞められる話ではなかった。
ラザードという存在がどれだけこの国を大きくさせたか。どれだけの争いを鎮め、人々を救ったか。彼の国政は順調に進んでおり、その支持も高い。これからの時代にはなくてはならない存在だということは国民の誰もが思っているだろう。
王の統治がなくなれば、王国がどうなるか。その不安定な未来を想定したエリシアをはじめ、誰一人口を開かなくなる。
そのことを予想していたのか、ベネススは小さなため息をつく。
「ですが、唐突にそれを申し出てすぐにこの場で決断を下すのも難しいでしょう。そこで別の要求もご用意しました」
カツン、とブーツの音を鳴らす。翻す外套。その目は、手首と足を抑えられ、膝をつく十字団の方へと紅眼を向けた。
「――ヴィスペル大陸から回収した高エネルギー生命体を、こちらにお渡しください」
誤字等のミスが目立ってたので一部修正しました。疲れてんのかな(推敲してないだけ)