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双黒のアルケミスト ~転生錬金術師の異世界クラフトライフ~  作者: エージ/多部 栄次
第一部四章 錬金術師の波瀾万丈録 王国侵略編
162/214

4-11-6.エリシアのわがまま

R15的なセンシティブ描写・純愛的描写が見受けられますので、苦手な方はご注意ください。

 それからすぐのことだ。

 濡れた石を裸足で踏む水の音。まさか、と思って振り返ると、意識が飛びそうになった。


 その姿はまさに女神。白い布を胸へ抑え、前を隠してはいるも、水気で張り付いており、体の曲線美や豊満な母性の象徴、引き締まったくびれ、鼠径(そけい)部がはっきりとわかる。すらっと伸びる白く細い脚だが、健康的な太さがあり、伝う水滴がその弾力さを醸し出している。

 これまで水着姿やトラブルで何度か彼女の裸体を見たことはあったが、時間をかけて見続けたことはこれが初めてだった。


 眉目秀麗、美しい、綺麗、かわいい、エロい、ムリ尊い。段々と脳内の語彙力が低下し陳腐どころか低俗な感想も溢れ、思わず声に出そうになったそれを呑み込んだ。


 息を呑むような、独特の間が流れる。体も硬直し、思考停止しかけたが、せめて何かまともな一言を言わねばと辛うじて絞りだした。


「え、女神?」

「へ?」

「え? あっ、えーその……本当に来るあたり、エリシアさんらしいなって」


 無自覚で言ってしまった一言をすぐに訂正し、そう加えた。聞き取れなかったエリシアは、挙動不審に視線をうろつかせながらぽろぽろ話す。


「えっと……メディに説得されまして、その、結論的に……メルストさんならいいかな、と思いまして」

(それってつまり俺のことを男としてみてないってことじゃ……?)


 変なネガティブ思考に陥る交際経験ゼロの彼は、自身の体を一瞥する。足りないのは筋肉なのかそれとも中身か。そういえば彼女のタイプってなんだっけ、と気を落としながら思考を巡らせているうちにエリシアが呼びかけた。


「あの、せっかくですので、あちらにいきませんか……?」


 そう見上げた先は石階段。その先にも湯気が立ち昇っており、五角屋根が建てられている。

「は、はい」と思わず敬語になってしまった彼は、腰に巻いたタオルを確認しながら立ち上がった。露わになった男の肉体に、思わず目を逸らした彼女は、こちらです、と告げては背を向けて案内する。


 薄暗くも緑と岩、湯気と妖精の光に囲まれた中、メルストはエリシアの背を追う。

 彼女がタオルで隠しているのは前だけで、背面は一切の無防備であった。

 普段は腰まで届く蒼い長髪が流れているのだが、今は一つ結いに後頭部にまとめられてあり、結ったそれは前肩の方に降ろしている。そのため、引き上がったヒップも、女性らしい腰回りも、背中のくびれも丸見えではあった。白妙のような太ももと内股を擦らせるたび、腰が艶めかしく振り、艶やかな臀部が揺れる様は葉に伝う朝露のようだ。


(神様……ありがとうございます。なんでか知らんけど転生させてくれてありがとうございます)


 天に召されるような顔で、鼻血をぼたぼた出しながら彼は両手を合わせた。今なら死んでもいいと思ってしまうほどに、彼の幸福度は絶頂を迎えていた。

 愉悦に浸ったため息。それに気づいたエリシアはくるりと振り返る。まさに見返り美人。その挙動だけでもメルストの心は射貫かれてしまう。

 同時、鼻血という醜態をさらすわけにはいかないと、鼻腔内で血液凝固因子を創成し繊維タンパク質(フィブリン)の生成速度を劇的に早めては止血した。


「あ、あの、どうかなさいました?」

「いや、そういう髪型もいいなって……」


 変な奇声を発さなかった自分を褒めたかっただろう。精一杯の平常心を振る舞って応えた回答は正解だったようで、エリシアは顔を赤らめ、


「へっ? いぇ、その、あぅ……ありがとう、ございます……」

 と言ってはそそくさと先を急いだ。


(え、俺死ぬん?)

 ここまで照れる彼女の表情を独り占めしているこの状況。心臓が爆音を発していたが、限度を超えたのか聞こえなくなり、まさか止まったんじゃないかと思うほどだ。


(にしても……あの背中の紋様はなんだ?)


 純白ともいえる彼女の裸体。しかし、そこに唯一気になるものがあるとすれば、そこに刻まれた魔術的な蒼の印であった。

 翼と炎、そして幾何学模様を交えたような、神聖さを感じつつもどこか不気味にも感じられる。


(刺青にしてはどことなく現実的に見えない。魔法によるものなのかな。でも、なんでだろう――)


 彼女自身の魅力とは別に、心が吸い込まれてしまいそうな、底の無さ。その不可思議な模様はやはり魔術由来か、と考える以上に不思議に感じ取ったことが彼にはあった。


(どこかで見たことあるような)


 そう考えているうちに頂上にたどり着きそうなことに気付く。

 石の階段を登った先、そこはまさに絶景のスポットだっただろう。


「すげ……」

 満天の星空がふたりを迎える。前を見ればはるか先まで続く白銀の山峰の連なりとそこに輝く無数の発光石。それが大地の星座を描いていた。振り返ると、照葉樹の樹海が広がっており、妖精の足跡による魔法生物的な幽玄な光が動的に彩りを与えている。

 星空に囲まれたような空間に、ほんのりただようお酒と精油の芳香。湯けむりの先には柱一本で支えられた五角屋根と、数人しか入れない程度の木目の湯舟。酒百神(シュビャクシン)の針樹で作られたそれは、ここからでも気分を落ち着かせるような香りを放っており、これが精油のような香りの正体だと気づく。


(木風呂という 個別にして隠れスポット、さらに意図的に置かれてる升とお酒という完全に大人のムード漂うダブルエキサイティング展開じゃないですか!)


 心の中で興奮するが、精油の香りで心を辛うじて沈めた。同時、これから天国に召されるんだなと一種の覚悟を決めてはいた。どちらかといえば、女湯に入った時点で地獄に落ちかねないが。


「ここは私がまだ幼くて……お兄様もいて、お母様もご存命だったころ、家族4人で一緒に入ったのですよね」

「思い出の場所だったんだね」

「ええ。……どうぞ、こちらに」


「いや、先にいいよ」と譲り返しては、エリシアを先に湯に浸からせる。足からゆっくりと入るだけでも一枚の絵になるような。風呂の入り方コンテストがあるならば優勝待ったなしだろう。

 メルストも後に続き、彼女と一歩分距離を離れる形で入った。これ以上近づけば浄化される。そう思っての社会的(ソーシャル)距離(ディスタンス)を取った。


(熱っつ。タンパク質が熱変性しちゃうくらい熱いんですけど)

 とはいえ、肩まで浸かれば体の芯から温まるような心地の良さへと変わる。骨ごと筋肉が緩むように、全身が伸びきる。気の抜けた声が漏れてしまい、それに微笑したエリシアに、メルストは照れ笑いでごまかした。


「やっぱり温泉に絶景は最高だよな」

 そして、隣に想い人がいること。それが何よりの最高に幸せであった。


「でも、家族の思い出の場所なんだろ? 俺みたいな部外者が入って良かったのか?」

 申し訳なさが口に出る。しかし返ってきたのは鈴を転がしたような小さな笑い声だった。それには彼も首を傾げた。


「最初の頃、メルストさんといっしょに夜を過ごしたことを思い出しまして。そのときも、ご自分を卑下されて、ここにいていいのかと仰っていたなって」

 途端、ボッとメルストの顔が蒸されたように赤くなる。湯の熱さだと言い訳したい。十字団の拠点で目覚めたあと、エリシアの部屋でふたりきり――とはいえ、彼女はベッドに、メルストはその横で床に座っていたが。


「あ、あー懐かしいな。あのときいろいろお互いのこと話したっけ」

「ええ。あのときの時間は本当に楽しいものでした。それと、メルストさんは部外者ではありません。私の命を救ってくださりましたし、知らないことをたくさん教わりましたし、幾度も国民をお救いになられてます。十字団のみなさんも、私も、メルストさんを必要としていますし、本当に大切な存在です」

「そういわれると、なんだか照れるな。俺だって、エリシアさんと出会えてなかったら、今もあの黒い砂漠で彷徨っていたよ。俺も命を救われている。お互い救われた同士だな」


 そういっては笑う。

「恐縮です」と恥ずかしそうに言っては、前に出て夜のキャンパスに描かれた天空の芸術を見上げる。

 その時に見えた、くびれた背中に描かれた蒼の紋様。腰から肩甲骨あたりまでかけて刻まれたそれに、メルストはやはり気になって仕方ない様子だった。


「エリシアさん、その背中って――」


 バシャン! と飛沫の音。それは、咄嗟に振り返ったエリシアの挙動。彼女の目は、不意を突かれたような、驚愕と焦燥、そして怯臆(きょうおく)を映し出していた。


「エリシアさん……?」

 不審な顔を浮かべるメルストにハッとしたエリシアは半ば苦笑と安心を交えては、早口で述べる。


「あ、い、いえ! これはその、蒼炎の神紋でして、蒼炎魔法のような特殊な魔法を扱うようになると体に浮き出てくるんです」

(……? あまり触れちゃいけないことだったか?)

 彼女の意図を読めないなりにそう解釈したメルストは、気を遣ってこれ以上詮索しないことにした。


「あの、よければおひとついかがですか」と気を紛らわすように、(ます)をメルストに手渡した。これには意外な顔を彼は浮かべる。


「珍しいね、エリシアさんから勧めるなんて」

「今日は特別ですよ。先ほどメディと一杯いただきましたので、興に乗っちゃったのかもしれませんね」

「それ大丈夫? 確かに温泉にお酒は絶品だけどのぼせやすくなるし」

「そのあたりは気をつけます。さ、メルストさん。乾杯いたしましょう」


 既に注いだのだろうか、ふたつの升には波々と透き通った酒が揺れている。

 コン、と小さく当て、口をつける。ふんわりと口内と鼻腔を満たす甘味。木の香りが微かに漂うも、すっきりとした爽やかな味が喉を通したときに感じる。後から来る酔いが、包み込むようでなんとも心地が良い。


「おいしい、ですね」

「そうだね。すっごくおいしい」


 これまで飲んだお酒の中で最も美味だと舌が喜んでいる。ますます、体がほぐれてのぼせそうになる。


「これ何のお酒なんだろ。それにこの器もこの国のものじゃないだろうし」

「この湯舟と同じ木から作られた"(ます)"というものらしいです。水を注げばお酒になる特性を持っているのですが、温泉においておけば、より一層おいしくなるらしいです。長い時間をかけて湯気を凝縮させることで、芳醇な濃度になるのでしょうね」

「じゃあこの湯舟は酒風呂ってことか」

「薄いですけど、そうですね。とてもリラックスできますし、疲労も美容にも効果があるらしいですよ」


 嬉しそうに語る。彼女の人口は小さいのだろう、再び升酒を口につけた。それをメルストはぽーっと見惚れている。

 湯面から顔を出す大きな双丘に思わず引き込まれるように目が向かう。しかし咄嗟に、いやダメだ、と首をブンブン振った。見るならせめて彼女自身を、とエリシアの横顔を見つめる。


 改めて、湯の露に煌く蒼の髪は絹糸のようにきめ細かく、細く、そして柔い。うっとりとお酒の味を嗜むその紅い目はどんな宝石よりも美しく、長いまつげは、そこにさらに女性らしさを加えている。すっとした鼻に、ぷるんとした唇。それは升に口づけをしており、火照っているのもあってか紅葉のように赤い。


 そして白磁のような、しかし硝子のように透明感のある肌。柔くも張りがあるそれは、頬のみならず全身も同様だろう。


「どうかされましたか?」

「……へ? あぁいや! なんでもない!」

 ふと瞳を向けたエリシア。我に返ったメルストはバシャ、と慌てた音を立て、前方の山脈と星空を眺める。


「その、すっごい綺麗だよな」

「ええ……私も子どものころからお気に入りの場所でしたので。お気に召したのでしたら嬉しいです。特に月が見える日は特に幻想的で、ずっとここに居られるくらいです」

「今日はないんだね」

「おそらく魔法現象の"ヴィレブロルト歪曲効果"が働いているかと。龍脈の濃淡の差でたまに起きるようでして、占星術師の方々を困らせていますね。ルビウスさんもそれには嘆いていましたっけ」


「その方って?」

「十字団結成時に参入された方です。ルミアやジェイクが入る前にお隠れになりましたが、大変優秀な占星術師でして、私が占星術で星空を観たり魔術への応用的な展開にそれを取り込んでいるのはルビウスさんに教わったからなんですよ」

「そうだったんですね……」


「メルストさんも占星術にご関心を抱いてくれた時は嬉しかったです。なかなか理解されるのが難しいようですので」

「全然知らない世界だったから。ただの好奇心だよ」

(まぁ、ここの世界の星座って前の世界と全然違うから、そういう意味で面白く感じたけど)


「だから、天体観測のときもメルストさんがいたらいつも以上に楽しく思えて……メルストさんが好奇心を抱いたおかげでルミアもフェミルもいっしょに見るようになって。研究とは別に、心から学問を学ぶ楽しさを改めて気付かせてくれました」


 いつもは物静かな彼女が嬉々として話し続ける様子は、いつまでも聴いていられるし、見ていられる。自然と笑みがこぼれていた。

 飲み終えたエリシアに合わせて、メルストも飲み干す。升を縁に置いて、背をもたれる。


「最高だな……」と空を仰いで呟く。それに見惚れるエリシアには気付かなかった。

「メルストさん、その」

 歯切れの悪い言葉が気になり、顔を向ける。


「どうした?」

「隣、よろしい、ですか……?」

「ほぇ?」


 とうとう声に出てしまったことを激しく後悔する。しかし無理もない、もじもじしながら上目遣いで言われようものなら戸惑うだろう。特に交際経験ゼロの未経験者なら猶更だ。


「す、すみません、少し気が緩んでいたみたいですね。今のはお忘れに」

「いや! いいよ! 全然オッケー! むしろ俺も隣いいかなって聞こうとしてたとこだし! 同じこと思っててびっくりしちゃっただけで!」

 咄嗟のヘタクソな誤魔化しだが、エリシアは簡単に信じた。


「で、ではお言葉に甘えて」と隣に寄り添う。今にも互いの肩とふとももがぶつかりそうな距離に神経がひりつきそうになる。活発化しすぎて神経から静電気が発しそうなほどだ。

 聞こえる彼女の呼吸。ふわりと漂う石鹸の香りにくらりと目眩を起こしそうになる。


 触れたい。抱きしめたい。

 だが、それをして嫌な気分にさせたらどうする。純粋だからこそ受け入れてくれるか、純粋だからこそ拒まれるか。そんな葛藤が鼓動とともに大きくなる。心臓の音が聞こえないことを強く願った。


「前からこうやって、メルストさんとふたりでお話したかったんです」

 絶景を眺めながら、エリシアはつぶやくように言った。

 食卓やちょっとした休日で話すことはあっても、隔絶されたような、まさに二人っきりの場はなかった。そう思うと、心臓が痛くなり、気が狂いそうになる。


「あのときの夜みたいに、また昔を懐かしんで、夢を語り合いたいなって……メルストさんの落ち着いた声で眠っちゃいましたけど、それがとても心地よかったんです」

「そ、そりゃよかった」としか答えられない彼は、未だに硬直したままだ。


 唾を飲んでは、

「俺も楽しかったし、なんなら毎日したいくらいだしな。まぁ、ふたりで風呂に入るなんてこと、もう今後ないだろうと思うけど」


 あせあせと話している最中だった。彼の左肩に感じだ重さ。石鹸の香りが強くなったと同時、視界に蒼が映り込んだ。

 全身にしびれ渡るような、強い刺激。偶然ではない、エリシアがメルストの方に身を寄せ、肩に頭を乗せている。

「え、エリシアさん?」


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