4-11-5.やさしい香りに包まれて
R15的なセンシティブ描写が見受けられますので、苦手な方はご注意ください。
*
「メルスト、私の方がいいに決まってるでしょ? 私なしでは満足できない身体にしてあげられるわよ?」
「わ、私だってメルストさんを気持ちよくさせたいです! お、お姉ちゃんに敗けないぐらいっ、とりこにしてみせますから!」
どうしてこんなことになったのだろうか。
多感な時期を迎えている男であるならば意味を捉え違いそうな姉妹ふたりの会話。そして、湯椅子に座るよう命じられたメルストの体をごしごしと一生懸命洗っている。自分ごとメルストを加工海綿で泡まみれにしては背、腕をその小さな手で力いっぱい綺麗にしてくれていた。
ふたりともルミアより背が低く、ちょこんとした子どもの体格、とはいえぷっくりと膨らみ始めている女性らしさと、小さいながらも曲線美が描かれており、発育中であることは確かだ。
ぴょこぴょこ揺れる頭部の獣耳と濡れて楊梅色に染まる尻尾に目がいく。メルストの中では狐に近い分類をしているが、獣人種の何に属するのかは実のところ知らない。
奉仕こそが仕事だと言わんばかりに、メイドをやっている経験が生かされている。しかしそれ以上に、娘をもったとき、こんなひと時もあるんだろうかとバルクを少し羨ましく感じた気持ちが強い。きっと普段は三人で楽しく背中を洗いっこしているのだろう。
「…………気持ちは嬉しい。嬉しいんだけど、強く擦りすぎて皮膚が削り取られてるような気がするからやさしくお願いします」
おそらく緊張で力んでいるのだろう。柔らかい海綿体もこれでは爪で引っかいているのと変わりない。
「あーら、メルストは激しいのよりやさしく攻められる方が、こ、ここ、好みなのかしら」
父親が言っていた、あるいは酒場の噂の通り、ふたりはメルストに対して好意的だとこのときようやく当の本人は気付いた。ただ、その表現方法がきわどいような気もするが。間違って覚えてしまったのなら、それを教えた人間に小一時間問い詰めたいところだ。
顔を赤くしながら、口ごもってはサディズム的なセリフを煽るエレナ。慣れていない口ぶりに、思わずほころんでしまう。
「恥ずかしいなら無理して言わなくていいんじゃないかな」
「ぜ、全然恥ずかしくないし! なんならいやらしい大人ワードじゃんじゃん言えるし私! これを聞けば心も体も悩殺待ったなしよ!」
「そうっすか」と流す。
「テキトーに返すんじゃないわよ! この○○○!」
「ちょ、アウト! びっくりしたわ、それ別の意味で口外禁止用語だから! 女の子が口にしてはいけません!」
ツンツンと小生意気だが可愛げある少女から出るはずのないスラング用語が出てきたことに不意を突かれ、思わず立ち上がって振り返りそうになった。
「あの、メルストさん」
「ん?」と右腕を洗っているセレナに目を向ける。くりんとした上目遣いはメルストの背が大きいからか。恐る恐る、彼女は尋ねる。
「……その、きもちいい、ですか……?」
「…………」
少しのタイムラグ。無の表情のまま、吐血でもしたかのように彼の鼻からブッと鼻血が噴き出す。ペットのようだと思っていても、かつ年の離れた子どもだろうと女の子であることに変わりない。辛うじて保っていた理性が崩れかけたのだろう。
「なっ、鼻血出してんじゃないわよ変態! 何? 妹の方が良かったってわけ? わたしより色気があったってわけ?」
「め、メルストさん! 大丈夫ですか!?」
「セレナ……その言い方は反則……っ」
手で鼻を抑え、流血を防ぐ。心配とはいえ、それ以上近寄られてはまずいと、もう片方の手を前に出し、接近を断るジェスチャーを取る。
「……くっ」
自分では軽く流されたのに妹はいいのか。そこに一種の悔しさを感じたのか、エレナは咄嗟にメルストの前に立つ。手に持ったスポンジを彼の胸筋に当てた。
「えっ、お姉ちゃん!?」
「ほ、ほら! 前の方洗えるわよ! メルストの間近な視線浴びながらたくましい胸筋触ってるわよ! セレナ、あなたにこんな高度な技できるかしら?」
「わっ、私だって……やればできるもん!」と抱き着くように脚部に手を回す。
「なっ!? 太ももだなんてあなた本気!? なんてハレンチな!」
「メルストさんの脚……内側もすごくがっしりしてる……!」
「う、うらやま……じゃない、セレナがその気なら私はこの割れた腹筋を――」
「君たち俺の身体でチキンレースしないで」
紅潮しながら男の裸体を洗う光景は彼自身、戸惑うばかりだった。気をそらすために冷静な対応を取っているが、時間の問題だろう。
まだ理性保ってくれと願うばかり。突破口を見つけるべく、メルストはふと彼女らのぶんぶん振ってる尻尾に目がいった。
(ちょっとだけ、もふってもいいかな)
それで気が紛れるのならば。わらにしがみつく思いだった。
「なぁ、尻尾って、人間でいうどのあたりなんだ?」
「えっ? あ、尻尾はですね、人間さんの髪とそう――」
「おしりよ」
セレナが答える途中、遮るように冷たい声が届いた。
「え?」
「だから触ったりなんかしたら死ぬわよ。社会的に。ね、セレナ」
「え、ええと……そうだったかな。でもお姉ちゃんがいうならそうみたいですよ」
「……肝に銘じておくよ」と言いながら、頭部のとがった獣耳に目がいく。
「じゃあ頭は?」
「そこもおしりよ」
「無理があんだろ」
銅像かの如くされるがままのメルストであったが、10分の念入りな体洗いを経てなんとかその場をやり過ごすことができたメルスト。
湯を浴び、泡を流す。両手を覆い、濡れた顔をふき取り、髪をかきあげる。
「これで満足? 変態」とエレナ。
「いやそれこっちのセリフ」とメルスト。その視線はタオルを巻いた彼女らを観てはいるが、慣れも手伝って、そこにいやらしさなどなかったのだろう。双子の警戒も解けてはいた。
「ど、どうでした……? きもち、よかったですか?」
「うん、とても上手だったよ。ありがとうな、セレナ」と妹には笑顔で返す。まるでいとこの子どもを見るかのような優しい目に、彼女は顔を赤くしながらも「ふへへ」と顔を緩ませる。
「ねぇ、私は?」と不満そうな姉。
「エレナも上手かったよ。人に洗ってもらうのは子どもの時以来だったけど、やっぱり気持ちがいいし、嬉しいもんだな」
最後に感謝を述べては、軽く笑う。
「なによ偉そうに。恋人いないくせにいっぱしのこと言うんじゃないわよ。もっとおどおどするかと思ってたからあんなやりたくもないことやってたのに」
腕を組み、目を逸らすも満更でもない様子。
「そういうことなら次はもっと頑張らなきゃな」とからかうと「バッカじゃないの!?」と電撃魔法を喰らわされた。
妹の制止もあり、その場は治まる。ふたりは温泉を後にした。セレナの丁寧な挨拶に起き上がっては苦笑交じり手を振るメルスト。それを最後に彼女らは湯煙に消えていった。
そしてため息。痺れた手をさする。
「やっと解放された……もう正気保つので精一杯だ」
余裕の振舞いをしてはいたが、心臓は落ち着いてはいない。とはいえ、男としての獣の部分がここまで出てこない自分の理性に自画自賛をする。男気がないとも言えるが。
周囲に誰かいるような感じはしない。ルミアもいない、とは限らないが女性の声は聞こえてこない。今なら男湯に戻ることもできるが、少しばかりためらってしまう。危険であることは承知の上だが、彼なりの心の隅に潜んでいる邪な理由が、行動を妨げていた。
(ひとりにならないとやばい。ちょっと心臓がもたない。てかリアルで女湯いると嬉しさより不安と恐怖が勝る。勝るんだけど……エリシアさん見当たらないな)
せめて彼女を一目でも。そう思っている時点であのスケベ野郎二人とそう変わらないことに、またも息をついた。
(にしても、こっちもこっちで温泉の種類違うのか。みんなも上がってるみたいだし、ちょっと入ったら戻ろう)
せめてもの抗いとして、傍にあった温泉に浸かる。中央に蓮の花のようなものが自然に育っており、それ由来の香りが湯からほんのりただよってくる。
「はぁー……いい香りだな」
「そうね。いい香りね」
びくぅ! と右から聞こえてきた声にひっくり返りそうになる。目を凝らすと湯気越しに白い髪を下ろしたサファイアの瞳があった。
「メディさん!? す、すいません! 今すぐ出ていきます!」
先ほどはルミアに拉致されたという免罪符があったため、居場所はあるにはあったが、いまは自由の身だ。その上でここに居るということは自分の意思があるといってもいい。
背を向け、あわあわと上がろうとしたが、
「構わないわ」
信じられないような一言が聞こえ、「え?」と思わず返してしまう。
「せっかくの王城の秘湯だもの。一緒に満喫しましょ」
「い、いいんですか」
「ええ。それとも、混浴はお嫌い?」
「いえ、嫌いも何もしたことないので何とも言えませんが、その、ここにいたらまずいというかリスクとか」
成人年齢越えてるとはいえ、外見女児に踊らされている青年の姿は滑稽だっただろう。くすくすと少女とは思えない笑い方をしては、
「ふふ、訴えたりしないわよ。あなたのような若者がいたところで気にしないわ」
「そうなんですか……?」
「こんな体で意識するわけでもないでしょう」
「そ、そうですね。あ、いえ、そういうことではなくて! メディさんもお綺麗ですよ! 雰囲気だけで緊張しているのは確かですし、その、子どもにはない可憐さと美麗さがあるというか」
「だって実年齢は子どもじゃないもの」
「あ、そうですよね……すいません」
言い訳臭く言ったのもあり、見事に揚げ足を取られる。
「いいわ。こちらこそからかってごめんなさいね」
さ、入って。そう言われ、メルストは肩まで浸かる。距離が空いており、気まずい静寂が時間とともに流れる。
「一杯いかがかしら」
「あ、どうも」
とっくりを手に持ち、おちょこを渡すメディ。前世の社会人の習慣が沁みついているのもあり、条件反射で手に取ってしまった。
とくとくと注がれる芳香。同じくメルストもメディのおちょこに注いでは、乾杯する。鼻腔が芳醇な香りに満たされ、熱くもぞくりと染み渡るようなアルコールが程よく強い。
「意外と飲みやすいですねこれ、すっと喉を通るというか。ちょっぴり辛みがありますけど、くどくないというか」
「あら、お酒の味が分かる人でよかったわ。もうひとりは苦手で、一杯だけでもころりと酔っちゃうから」
それが誰のことだかすぐに察したメルストはフォローを入れる。
「まぁ仕方ないですよ、体質もありますし。なんなら僕も嗜む程度しか飲めませんから」
「あらそうなの? あなたが酔ったところなんて見たことないとうわさされてるのを聞いたことあるけれど」
「体質的に酔いにくいだけで、酒場の皆さんみたいにがぶ飲みするのが好きではないんですよね。量や度数で楽しむより、味で楽しみたいので」
そう言いながら、おかわりをいただく。心なしか嬉しそうな彼女に、貴重な一面を観れた気がした。ここにいてよかったなと彼は思う。
「そういえば、メディさんは学生時代、エリシアさんと同期だったんですよね」
「ええ、アコード王立フリーデル学園もそうだし、王立クラフツ学院にもね」
「そこって両方とも王国内でトップの学府ですよね……」
恐れ多く感じる学歴の高さ。特にエリシアは首席だというのだから改めて彼女らの優秀さに尊敬の念を覚える。しかし、エリシアに次ぐ秀才を誇るメディは、本質を見ていないと言わんばかりにふっと息だけで笑い返した。
「場所なんて関係ないわ。学びたいことを学んだだけ。目指した先にいくための通過点に過ぎない。それでも、エリシアがいたことが一番の理由かもしれないけど」
思い出すように、うっとりするサファイアの瞳。酔いも回っているのだろう。それを肴に、メルストはおちょこに口をつける。
「それだけ、大切な存在なんですね」
「ええ、愛しているくらい」
ふとこぼれた一言。飲もうとした酒が口に入らず、そのままおちょこを湯面の前に戻した。
「……へ?」
「冗談よ。純粋ね、あなた」
頓狂な声と顔にくすりと笑い返される。
「でも、愛情を感じるくらいには親しいかしら」
「あ、あー、そういうこと」
またからかわれたな、とメルストは苦笑する。それに乗じて笑うメディも上機嫌だ。お酒でほんのりと頬を赤く染めており、どこか妖艶さを感じさせる。お酒の芳香もあるのだろう、どこか魅力的であった。
「この"体"になったのも、それが理由みたいなものだしね」
凍結した時間。それはメルストの中でだけの話かもしれない。しかし、先ほどまでの冗談めいた声色とは異なり、その仮面の奥を覗かせた気がした。思い出を語るようなそれだが、どこか暗さを感じさせる。
「……いまの、どういう」
「なんでもないわ。せっかくだし、エリシア呼んでくるわね」
「えっ! それはちょっと!」
ちゃぷ、と少女は静かに上がる。タオルを巻いているとはいえ、若干透けてなくもない裸体に、反射的に目を逸らすメルスト。踵を返したメディは、
「大丈夫よ、彼女も別にあなたを訴えはしないわ」
「それ大丈夫と言っていいんですか」
「エリシアも羨ましいわ。あなたみたいな男性に好意を寄せられるなんて」
「え、今のどういう……っ、えなんで知ってるんすか!?」
「あら、気づいてないと思ってたの? ふふ、やっぱりかわいいわねメルスト君って」
その言葉を最後に、奥へと消えてしまった。唖然とした彼は、途端に心臓が跳ね上がった。大きな期待と、そんなはずはないという想定が葛藤するが、いずれもこの場から退散しないことに変わりはない。
(というか呼ばれて来るもんじゃないでしょ)
そう思いながら、蓮のような爽やかな香りに包まれた湯に浸かっていた。降ろした腰は、浮つくも離れようとはしなかった。




