2-2-2.対敵、一撃
「え、ちょ、メル君!?」
この世界は前世の社会よりも命は軽い。前世では大袈裟なほどまでに騒いでいたいじめや事件事故。しかしここでは死体など、騒ぎが起き、法が動けど珍しくはない。とはいえ、この国はかなり治安が良いらしいが、それでも犯罪率は高い方だった。
そう、目の前の典型的な存在によって治安が乱れているのが何よりの理由。
「あの、すいません。楽しんでるところ悪いんですけど、これ以上はやめてくれませんか。お客さんもだし、そちらの方も困ってますし」
息を飲み、そう声をかけた途端、十数人ほぼ全員がひとりの少年を見てくる。睨むというよりは、侮蔑したような目つき。酔っても酔わなくても印象悪い対応をするのは、一種の才能だろうだろうと心の中でメルストは皮肉を思う。
「おーおー、出たよ稀に見る良い子ちゃん。悪いって思ってんならとっとと失せろ。馬鹿かテメェ」
薄汚い笑いがちらほらと聴こえてくる。ここまで漫画のような対応をしてくる彼らには、むしろ同情してしまうほどだった。
しかし同時に、怖い気持ちもこみ上がり、口からこぼれそうになる。それでも彼は、弱気を口から吐かなかった。小柄な獣人メイドの泣きそうな顔が目に入ったからだ。
盗賊の数人はこちらに気を留めることなく、今も尚抱くようにメイドを触っている。集団の中に入れられそうになり、焦りを覚えた。キッとにらみつけるようにまっすぐ見る。歯切れの悪い反応を見せれば、一気に食われてしまう。
「ええ、その通りです。困ってる人を放っておけないので失せるわけにはいかないんですよ」
一瞬の間。そして盗賊らの哄笑ともいえる笑いが酒場に響いた。
「こいつぁそうとう頭イってやがる! そんな偽善振りかざして恥ずかしくねぇのか」
「……いい歳した大人が店で馬鹿みたいに酒とよだれ撒き散らしながら騒いで、寄って集って従業員にセクハラしてる方が恥ずかしいと、僕は思いますけど」
強めの声。途端、爆笑の渦が止む。感情豊かな彼らの中、ガン! と酒瓶をテーブルに叩きつける音が響く。さらに沈黙と化す空間で、ひとりが鼻で笑った。
「フン、ちっとはいい度胸してんじゃねぇか。けどよ、注意されてハイわかりました申し訳ありませんとすんなり出ていく人間に見えるか?」
ひとりの巨漢が立ち上がる。灰地の簡素な服に金銀の装飾が多く身につけられているも、袖のない両腕は樹木のようにがっしりしている。他の盗賊とは群を抜き、背は優に2mは越えていた。
周囲がざわつき始めるが、立ち向かっている彼の心が一番ざわざわしてるのが正直なところ。彼自身、やっちまった感で後悔に潰されそうになる。一回りも二回りも大きい男と対面し、いまにも食われそうな状況に、瞳孔が開く。
(いや、言ってみせる。いざとなれば能力もあるし、ここで勇気を出さないでいつ出すんだ)
悟る言葉で通用しない相手なら、けしかけてみるまで。このタイプなら簡単に食いついてくると読んで、メルストははっきりと述べた。
「救いようない人間だとは自覚してるんですね」
「……! このクソガキっ――!」
店内中に響く鈍い音。人間の拳にしては随分と重く、固い。それもそのはず、大男の拳には鋼のメリケンが装着してあった。メイドが絶句し、他の盗賊はにやにや笑い続ける。
だが、砕けたのは黒髪の少年の顔面骨ではない。メリケンの方だった。ひび割れ、カランカランと床に落ちる。遅れながらに物質分解の能力が発動していた。
(ほ、ほほ本気で殺す気じゃねーかこいつ! いや分かってはいたけど! 思ったより全然避けれねぇ、早すぎんだろ!)
内心パニックに陥りつつあるも、事実として、殴られたメルストはふらりとよろめいただけ。
「は?」と周りが戸惑うも、殴った本人は対応が早かったようで、空いていた片手で懐からナイフを抜く。刃の銀光を目にし、メルストは反射的に避けたが、首筋が切っ先を掠り――。
「ぁ痛っ」
「のがっ!?」
一瞬のプラズマ光が、手より生じる。
ナイフを持った方の腕を払ったつもりが、まるで肩ごと列車に衝突したかのように腕が捻じれ、巨体がその場で宙に弧を舞った。1回か2回転しただろうか、打ち付けられたかの如く、勢いよく頭から床に衝突する。巨漢の意識はなくなっていた。
「あっ、あれっ? ……えっ!?」
何が起きたと周りが騒ぎはじめる。「うわ、やばっ」と後ろから聞こえるルミアの声。目を丸くした盗賊たち。しかし何よりもメルスト自身がその現状に驚いていた。
(おかしいってこれ、人間業じゃないってこれ。反射的だったけど思い切りやってねーぞ今の!)
まるで、運動エネルギーそのものが巨漢の身体を吹き飛ばしたような。そのような考えをメルスト本人がするはずもなく、ただ内心おろおろするばかりだった。
(どどど、どうしよ、手を出しちゃったし、まず謝る――いや、むしろ強気でいこう。もう貫いてやる)
「親分! しっかり!」
「まさかの主将かい」と心の中で顔を引きつる彼が呟く。子分ふたりがのびた親分を後ろへ引張り退場させる。
「テメッ、わかってんのか! 俺らはあのリーデット家の貴族に雇われて――」
「かっ、買われた犬ってことですよね。ただでさえ盗賊なのに自分から成り下がっておいてよく偉そうになれると思いますよ」
(というかもう言い返してる俺自身涙目だよ。めちゃくちゃ怖いよこの人らの目)
「テメェ、さっきから調子乗ってんじゃねぇよ!」
(仰る通りなんだけどさ!)
残りの数人から罵詈雑言を浴びせられるが、今倒れている男のようにはなりたくないのか、誰も手を出してこない。恐れていることを把握したメルストはもう一息だと、強気に出る。
「……さっき思わず手を出してしまったのは謝ります」
勇気を出して一歩前に出る。さすがに盗賊も一歩引き下がるような情けないことはしなかった。
「けど、これ以上暴れられるのも困るし、最悪……俺もそれ相応の対応は取らせてもらいますよ」
睨みを利かせ、静かにそう言い放った。一切動じず、視線も外さずに、盗賊たちを見続ける。
「ひっ」
「あ、ああ……っ」
急に彼らの様子がおかしくなった。脅えているのか、産まれたての子鹿のようにガクガクと震え始めている。
「うわぁあああぁああ!」
イスやテーブルを所構わず荒々しく倒しながら必死にメルストから逃げ、一人残らず店から出ていった。皿の割れた音が耳に響く。
(え……?)
「……あれ、なんかあっさり……ってうおお!?」
脅しでどうにかなる相手じゃないとは分かっていたが、予想以上の展開に唖然とした。自身の両腕や脚部から稲妻状のプラズマが走っていることに気づくまでは。
勝手に漏れていたエネルギーらしきものはそれにとどまらず、蒸発の音がわずかに聞こえるほどの高熱をまとい、それによるものか否か、周囲の空間が歪んでいるように見えた。
すぐさま治まるよう祈ったところですぐに発生した熱やプラズマは引っ込んだ。力の抜けた息をついたときにハッとし、すぐさま周囲を見渡す。
「なんだあいつ……」
「なんか出てたよな今」
「雷のような、炎のような……よくわからねぇけど」
「魔法にしたってなんか、あんなの初めて見たな」
「あの周りだけ歪んでた気がしたの俺だけか?」
「いやぁビビったな」
「あの兄ちゃんすげぇな。さっきのもヤバかったけど、今のって幻覚魔法か?」
「いんや、あれは威圧だな、俺はちゃんと分かってるぜ」
「はははっ、それはないだろ」
「けどよ、あの竜も威圧だけで幻覚を見させるほどの強大な力を持ってるっていうし、前例はあるぜ?」
「だからって、人にそれができるか普通」
「……」
どこもかしこも、視線。なにかしら行動した以上、注目を浴びることはわかっていたが、思いのほか今の空気に対処できない自分に焦りを覚える。ひそひそと聞こえる声は疎外感を覚え、盗賊と一緒にここから出ていけばよかったと考えたりする。
自分から発していたものを悍ましいオーラか魔法として見られており、それが自分が思う以上に、相手の精神に影響を及ぼした。そう悟ったメルストは、改めて自分はただの人間ではないと思い知らされる。
このままさらに悪い方向に行かなければいいが、と冷や汗をダラダラとかきながら、逃げるようにルミアの元へ戻ろうとする。眉をひそめ首をひねっていた彼女もなにかしらの疑念を抱いているようで、メルストは一歩だけ踏みとどまった。
「……すいません、やらかしました。身も弁えずイキッてすいませんでした」と弱弱しく謝った。
「う~ん……まぁとにかくグッジョブ! その積極性はすごいよメル君」
結果的に脅えることも警戒することもなく、グッドサインを出し、ただ感心してくれた彼女に、ひとまずの安堵。しかし周りをどうするか。
「あ」と思い出したように踵を返し、その場で震えている狐耳とふわふわな尻尾を生やした小柄なメイドに声をかけた。
「あの、大丈夫でしたか?」
「ひぇっ、や、えっと……っ、だっ! だだだだいじょうぶです! ありがとうございます……!」
挙動不審を越えた対応をされ、本当に大丈夫かとメルストは思った。ふにゃりとへたれた獣の耳にうるうると目に涙を浮かばせている。こんな弄り倒したくなりそうな華奢な容姿とキャラをしているのもどうかと思う彼だったが、だからこそどう声をかければいいのか慎重になる。先ほどの一撃や変な魔法のような現象が勝手に発されていたのを見て怯えていることは十分にあり得る。
「ごっ、ご迷惑おかけして、すす、すいませんでしたぁーっ!」
そう言われ、ぴゅーっと厨房の中へと走り去っていく。やっぱり怖がられたよなぁ、と複雑な気持ちになったところで、静まった空気をぶち壊す大声が酒場に響き渡った。
「いやぁ~待たせたなテメェら! 酒入荷してきたぜー、どんどん飲んでけよ! だっはははは!」
先程の盗賊大将よりも一回り体格の大きい、ブロンズの短髪と鋭い狐耳が生えた壮年の大男。巨大な酒樽をいくつも肩に担いでいる。
その巨眼赭髯を前に、どこの緑鬼ですかと訊けば自分の胴体並のその太い腕でミンチにされるだろうなと彼は見上げつつ唾をのむ。
「はははは! ……ん? なんだこの空気。どうしたおまえら、揃いも揃ってハニワみたいな顔しやがって」
さきほどの出来事を知らない巨漢は首を傾げる。らしくねぇなと巨大な酒樽をカウンターの傍にドカンと置く。
「おっはー、バルク店長」
「おいおいルミア、この酒場に不釣り合いなしんみり空気はどうしたんだ。やっぱりムードメーカーの俺がいねぇと盛り上がらないか?」と冗談交じりに大笑いする。
あっはは、とルミアは笑う。若干企んだような笑みに見えないこともなかった。
「いや~、それがね、落ち着いて聞いてね店長」
※改稿しました。ちょっとした伏線のつもりでこれまで描写していましたが、インパクトに欠ける、また回収先がはるか先になるため、変更いたしました。