4-10-3.エリシアとのひと時。
勇気を出して誘ったはいいが、何を話せばいいのか。メルストは話題探しにあちこちを見渡す。外も心の内も忙しない。聴こえてくるアイリッシュフルートやバグパイプ、フィドルの音色は心地よくも、それを楽しむ余裕はなかった。
にぎやかな人だかりに呑まれても、まるで空間が切り取られたかのように、ふたりの間はとても静かに感じた。強い磁石に引き寄せられるかのように、意識はエリシアを向いたままだ。
(なんだかデートみたいだな)
そう思うと、さらに意識してしまい、心がむずがゆくなる。逸らすようにエリシアを視界に入れないようにする。しかし、それでも気になって彼女の横顔を見てしまう。
ここまで精巧な顔立ちなど、絵画や彫像どころかゲノム編集でも再現は不可能だろうと思ってしまうほど、彼女の横顔は黄金比率で成り立っている。歩とともに流れゆく銀蒼の髪は柔らかな香り。民族調の術衣は露出が少なくとも、女性特有の曲線美が強調され、目を引き付けた。
美人は三日で飽きるというが、ここ何ヶ月も共に暮らしてそのような感情は一切抱いたことがない。むしろもっと傍にいたい気分だ。
本当に、きれいな人だ。
「あの、メルストさん」
「ひゃいなんでしょう!」
見惚れていたメルストは不意を突かれ、頓狂な声を出す。それに少し驚いた目を向けた後、くすりと笑ったエリシアは、穏やかな声色で問いかけた。
「メルストさんは以前にこのようなお祭りにご参加されたことはありましたか?」
「え? あぁ……うん、なくはない、かも」
前世――子どもの頃から学生の時期に至るまで。毎年行われていた最寄りのお寺の前で行われた小さなお祭りから、花火大会に乗じたお祭り。
両親と妹と一緒にわたあめと林檎飴を食べたんだっけ。意地張って片手にわたあめ持ったまま金魚すくいなんてしたからすぐ破けちゃって。それで駄々こねたら綿あめも割りばしから取れちゃってたまたま妹に踏まれて、それで喧嘩になったんだっけ。
機嫌直すために親父が射的でクマとウサギのぬいぐるみを落として、それぞれプレゼントしてもらったんだったか。金魚すくいも得意だったから、親父は器用なんだとそのときから尊敬し始めたような。
夏休み、友達だけと遊んだときも、馬が合わなくなって、仲間外れになっては一人で訪れたときも。大学の時、バイト先か研究室から音だけを聴いていたときもあったか。
ひとつひとつ、思い出すメルストは苦笑しそうになる。
「でも、そんな好きな印象はなかったかな」
「それはどうしてですか?」
「どうしてだろうな。ただなんとなく、ひとりぼっちになったときみたいな、空しい気持ちが今は思い出すよ。……まぁー俺は友達とかほぼいないし、恋人もいた記憶はないからな!」
と自虐を交えて笑う。つられて笑うような声は聞こえなかったので、「あはは……」と白けるような笑いに変わり、話を戻す。
「祭りって、友達や恋人とか家族とかと一緒に楽しむものって思ってたから、ひとりだとそれができなくて、なんか嫌だなって偏見もってるだけってのもあるだろうけど」
エリシアを一瞥する。そのときにちょうど、目が合った。やっぱり見つめ合うことはできず、正面の下り坂の先に広がる街を一望した。
「でも、隣にみんながいたり、こうやってエリシアさんがいて、楽しそうにしてるなら……祭も悪くないかなって思うよ」
最後に苦笑交じりに照れ隠す。それにはエリシアも頬が緩んだ。
「よかったです。そう仰っていただけて、なんだか私が嬉しくなっちゃいました」
でも、と付け足す。
「少し驚きました。実は私も、本当は苦手でしたので」
「そうなの?」
「でも、こうして皆様が楽しんでいただいていることは私も嬉しいですし、好きですよ。ただ、私も身分の関係で、誰かと遊べる機会がありませんでしたから。寂しかったんです」
町の遠くを見た――気がした。それは何かを思い出しているようだったが、楽しいことを思い浮かべているわけではないのは、内向的なメルストなら猶更、すぐに分かった。
「そう、なんだね」
「あ、メルストさん! シシュケバブが売ってありますよ、メルストさんお好きでしたよね、お肉類――ほら、パティバンズもありますよ! いただきましょう!」
肉が焼ける芳ばしさが漂い、ころっとエリシアは目を輝かせた。振り返っては狭い歩幅で頑張って走っていく彼女についていった。
「俺よりエリシアさんの方が楽しそうだね」
「……ハッ!? すみません、私だけが浮かれてしまってもよろしくありませんものね……!」
踵を返すが、うずうずしているのは目に見えている。使命感と欲望がせめぎ合っているようだが、今すぐ行きたいようだ。
「ああいや、俺はエリシアさんが笑顔ってだけで十分だから」とはいえず、軽く笑っては大丈夫だよとしか返せなかった。
「そ、そうですか……? でも、メルストさんは初めてですので、私がエスコートしなきゃですもの。ここはルマーノの町の復興に務めさせていただいた者として、収穫祭の創始者として、そして十字団の先輩としてしっかり――あっ、メルストさん! あれってもしかして収穫祭用のガラス細工ですか!? あっ、あっちには――」
忙しなく目移りしていく。手か首輪を繋げないと迷子になってしまいそうだ。
「まぁ、ひとつずつ見ていこうか」
「はい! ……あっ、いえ、ここは私がエスコートを――あぁっ! メルストさん! あちらのもくもくしたものってもしやあの"わたがし"というものですか!? 以前にメルストさんが発案されたお菓子なのですよね! ど、どうしましょう、行きたいところが多すぎて目が回ります」
「そうだね、エリシアさんの案内に従うよ」とやさしく返した。
「おまかせあれです!」と大きな胸をぽんと張った途端。
「あ、あちらのペンダントもきれいですね……!」
「じゃあまずそこから寄ってみるか」と装飾店に足を運ぶ。
アレキサンドライト色やイエローゴールド色などの鉱石やドライプラント、あるいは金属を用いた手製のそれは、占い師がつけるようなそれが多いが、同時にお祭りならではのお土産にはぴったりだろう。六芒星や金鴉のシンボルが描かれたメダルまで、デザインは様々だ。
目をきらきらさせて物色するエリシアに、メルストは勿論、店主の老婦も微笑を向けた。店主の勧めを聴きつつ、メルストもひと通りの品を見極めた。
その中で、右端に吊り下がった目に付くものがあった。他の大きく派手なそれらとは異なり、小さく、シンプルな丸いブルートパーズのネックレス。中の模様はまるで夜にさざめく波のよう。特別、それを選んだ深い意味はない。とはいえ、それは目立たずとも、彼の心を引き付ける強い力を感じた。単に無駄のない装飾品が好きなだけというのもあるが。
「これ、ひとつください」と言っては購入する。あら、と意外そうなエリシアの声。
「メルストさんも欲しかったのですね」
「え? あぁいや、そういうわけじゃないんだけど……その、プレゼントのつもりで」とエリシアを見た。
「あっ、そうなのですね! どちらにプレゼントするのですか?」
純粋な一言だろう。人のことは言えないが、鈍感だとメルストは感じた。
「いや、その。えーと。エリシアさんに」
「……えっ、私にですか?」
こくりとうなずく。
「そんな、私にお気遣いなどされなくても」
「いやいや、俺ってこういうこと全然しなかったし、今日くらいは日ごろの感謝を伝えたいなって思って」
「そうなのですね……それなら、お言葉に甘えましょうか」
「よかったら着けるし、その、ええと、い、いいかな? 後ろ」
傍の民家の壁にあるベンチに座る。
彼のぎこちない話し方に微笑んだエリシアはくるりと後ろを向き、長い後髪をかきあげ、肩の上へと流す。露わになったきれいな首筋とうなじにドキッとしながらも、息を殺してはネックレスを首に回した。
(あ、あれぇ、思ったより難しい)
息を止めているし、緊張もあるだろう。指が震え、うまくネックレスの留具が留まらない。不器用だと思われているだろうか、遅いと思っているだろうか。
そう焦るメルストの一方、少し俯いているエリシアは嬉しそうな表情を静かに浮かべていた。苦戦している間を潰すように、エリシアから声をかけた。
「メルストさんがお考えになっている以上に、私はメルストさんからいろんなものをいただいていますよ」
「え? そうなの?」
「ええ、数えきれないくらい。でも……仰る通り、このようにメルストさんが意図した上で直接、いただいたことは初めてかもしれませんね。だからでしょうか。いまはとっても、心があたたかいです」
「……」
手が止まり、思考も止まり、ただ紅潮したメルスト。思わず手に持っていたネックレスを落としそうになった。
「あの、難しければ私がしましょうか?」
「いや! 俺がやる! やらせてください!」
そこから2分、ようやくつけることができ、「これでよし」と呟いた。
髪を下ろし、胸元に乗った銀のネックレスに彼女は触れる。愛おしそうに手に乗せたそれを見つめる。くるっとメルストの方へと向いては、
「ありがとうございます。……えへへ」
喜びを思わず漏らし、恥ずかしそうに頬を緩ませた。
彼女はこの国の王女にして、国を護る大賢者。しかし、いまはひとりの女の子として、メルストに笑顔を向けた。これまでの微笑とは違う、彼女の心の奥を覗けたような気がし、胸が苦しくなり、また息が詰まりそうになった。
「喜んでくれてよかった」とか細い声で呟く。とうとう目を合わせることすらできなくなっていた。
「大切にしますね。ずっと」
そのとき、教会の鐘が近くで4度、町に時を知らせた。正午を迎えたようだ。
「そろそろお時間ですね、南区の"会場"に向かいましょう」
「あ、あぁ」
彼女の髪に似合うペンダントを揺らし、先へ向かおうとしたエリシアは立ち尽くしているメルストの方へ踵を返す。「こっちですよ」と呼びかける彼女は、無垢な少女のようにはしゃいでいた。
次回「ハーベスト・フィナーレのはじまり」




