4-10-2.ルマーノ収穫祭
※詩的な唄の描写が出てきますので苦手な方がいましたら注意ください。
3日後。
日の昇りとともに開祭の儀は行われた。
ギルド広場は人が最も集まりやすい。いつもは世界の未知を拓き、未来を築く冒険者がにぎわう場所。かつては力の英雄アレックスと知の英雄メルストとの決闘が行われた場所。そして今は、大賢者エリシアが女神の使者として祈りを捧げる、神聖なる場所。
精霊の森の神木とエレン霊晶で組み立てられた塔の如き祭壇が広場の中央に聳え立つ。その日限りの神との交流媒体だが、芸術的なオブジェだと思わせる。
登壇しているのは、大司教の神聖なる重服を纏う、女神の使い。彼女の唄声は風に揺蕩う草木の奏が聴こえるほど、ささやかなもの。しかし、地のどこまでも、そして天の果てより見守る女神や万象の神々の世まで響き、届くほどの強さを感じさせた。
――Cie ma en u Nicra.
(天上の母神の天恵)
En o toh cys na lil thyna.
(今も尚続く光が主の全て)
Lfa od a lil barsh rhe reyo
(光は闇夜を生み、現の泡沫を沸き立たせ)
Beda ig ahra ma thon
(火の霖雨と為りては万象の海を満たす)
Mea sol wa tels a ides
(朧なるうつろひの郷を忘れるなかれ)
Le cylin k shyra inia em oro
(霊の聲を魔と結えば命の焔が降り注ぎ)
Resia fo a mal wa lk grasia
(草花なる我らの心は主を祈る所以)
Fo tia crli wa kn wadh
(我ら器の種根を繋ぐ為に)
Fo war de cesia ard
(世界を紡ぐ書を記す為に)
Hera e frasi an. Hera e iniar an.
(孤高の花と為れ。唯一つの焔と為れ)
Phas i kaera mal si en cie ari ath.
(主に与えられた恵みの感謝をここで示せ)
空を渡る、白い羽ばたきの群れ。澄んだ流動に逆らいないしは委ねる、原初の姿を為した群れ。
大地を蹴り、草原を駆ける活気の風。陽光が育んだ燃え上がる静命。それを食む数多の勢命。
彼らの声が今、大賢者の唄によって人の心に響くような。
渓流のように透き通る声だと、メルストはただ見惚れていた。それはその場にいた町人の誰もが感じたことだろう。天使ならぬ、慈愛の神の祝福を聴いているかのようだ。
音も心も、彼女の声以外届くものはなかった。
神に示した唄が終わる。そして、紬の言葉が、人々に捧げられた。
「――"乾坤の豊穣を司る神アラマドよ。自然の息吹の慈恵を我らに与えん。大地の悠々たる泡沫よ。その命、焔と為りて天祖の元へ"」
一時の静寂。金十字の大杖を立て、膝をつく。その切っ先は、天へと向かわれる。
注ぐ陽光は、十字と彼女の蒼く燃える髪を、葉に光を含ませた森林のように煌かせる。
「……森羅万象の象りは我らの糧として、この肉体を形作っております。象り、即ち"魔"というものは自然のすべてを意味し、神の定めた"免罪符"として、この世で償っております。我々は、彼らの器を解放し、神に恵みを捧げることで、豊穣を約束してくださります。芽吹く自然のすべてに感謝し、今日は何よりの笑顔を手向けることができるように。皆様――"祈りを"」
誰もが、瞳を閉じる。己の心に問いかけ、内の"精霊"に感謝を、"神"に祈りを捧げる、対話の時。
最初にして最後の、収穫祭の閑かなひと時。それは人々の心を癒し、この世界に蔓延る魔物と草木に対して、認識を改めたことだろう。
後に間もなく、街の活気は溢れかえった。数発の花火から始まる、大きな宴。ひっくり返ったかのように町の行路という行路で動き出した人の流れは、一種の熱を肌から感じさせる。太鼓や金管、弦の奏でる音が町中に響き、一層にぎやかさを増した。
「さぁさぁ! 本日限定、マンドラの肉饅頭はいかがかね!」
「ウチの小麦畑で作った焼き立てブレッドはどうだい! 今が食べ時だよ!」
「この日のために醸した葡萄酒もあるわよ! 麦酒もいいけど、葡萄酒も今日飲まないでいつ飲むんだい?」
作物で作られたオブジェが民家に並べられており、快晴の空は果実を模した吊照明と織物が架けられている。その下の石畳の街路は人、人、人。都会ほどではないにしろ、町のすべての住民が外に出てきているのかと思えてくるほど、いつも以上ににぎやかな様子が、視界いっぱいに広がる。
「ほらほらメル君! フェミルん! こっちこっち!」
「おい子どもじゃないんだから」
「人……多い……」
ルミアに腕を引っ張られるメルストとフェミルは、つれない様子だが抵抗はしない。にぎやかなのは確かだが、馴染み深い町の人々の顔もあるのだろう、どこか暖かさを感じた。
「あら、ルミアちゃん! この日のために揃えたルマーノ原産のハーブ、ひとつだけでもいかがかしら」
「メルストの兄貴! 前にもらった肥料のおかげでうちの果物が丸々実ったんだ、是非とも兄貴に食べてほしい!」
「おっ、フェミルの嬢ちゃんじゃねぇか。大食いのあんたのために今日はポロッカ牛の肉をしこたま仕込んできたんだ! またあのときのような食べっぷりを見せてくれ!」
道を通るたび、町の人々がメルスト等に声をかけていく。それだけ、お互いに日ごろからお世話になったし、依頼も受けてきた。
人に声をかけられるのは得意ではないメルストだが、特別悪い気はしなかった。硬い表情になっているフェミルを除き、ふたりは元気に一言交じり、笑顔で返した。
「いいねぇ! みんな楽しそうだにゃ」
ルンルンと小さくスキップするルミア。それを見て、またも自然と笑みがこぼれた。
「店主、それもひとつくれないか」
「ロダンの旦那、買ってくれるのは嬉しいですけど、ちゃんとそれ食べてからでも遅くないですよ」
「はっはっは! 午後のメインイベントがあるからな、それまでに皆が作ってくれたものを食べたいのだ」
「そりゃありがたいことです。ただのどに詰まらせることに気を付けてくださいね」
「おおそうか、そういや俺もそういう歳だったな! はっはっは!!」
人混みの中に紛れるロダンの大きな背中が目に入る。
彼の巨木のような両腕でも収まりきらないほどの大量の農作物や、加工された食品が抱えられている。嬉しそうだが、少し困っている店主に対し、強面をくしゃりと破顔した彼は少年のように笑っていた。
「だんちょーも楽しそうだにゃ」
「意外と子どもっぽいとこあるんだな」と呟く。
「メル、これ、おいしい」
「っていつのまに食べてるんだよ! ちゃっかりしてんなおい!」
手を掴まれて同行させられていたはずなのに、フェミルの片手にはこん棒にも見えるほどの大きな焼き唐土串が握られていた。
「メル君もちゃっかり買わないと、みんな売り切れになっちゃうよ」
「だったら少し休もうぜ。俺こういう祭とか人混みあんまりいかないから、慣れてないというか人酔いしたっていうか」
「えーそんなんじゃ女の子とデートなんてまだまだ先の話になるよ?」
からかうような笑みと、目前に近づいたアメジストの瞳に、ドキッとする。
その瞬間、口に何かつっこまれる。焼けた匂いに広がる甘み。長細いパンのような、ふんわりとした焼き菓子だ。
「かわいい女の子とこーいうこと、できなくてもいいのかい?」と言ってはケタケタ笑う彼女。
油断も隙もないな、とメルストは釈然としない様子で咥えられたそれをもぐもぐと食べた。
「おいジェイク! テメェ祭だからって商品盗もうとすんじゃねぇ! 俺の目は騙されねぇぞ! ちゃんと払うもんは払え!」
「大豊作ならリンゴの一個や二個くれぇ別にいいだろうが!」
「うるせぇクソ野郎! たとえ大賢者様が許そうがこの俺が許さねぇ!」
聞こえてくる荒げた声はすぐにジェイクのそれだとわかった。言い争う町民と彼だが、今のところ暴力沙汰にはなっていない。相変わらずだな、と3人は思っただろう。あえて会わないようにスルーした。
「エリちゃん先生ともいっしょに歩きたかったなー」とルミア。ふと呟き落とした小さい背中が、なんとなく寂しそうにも見えた。
「やっぱり、祭の準備とか運営で忙しいとか?」
「ノンノン。教会で神様のやつに祈ってんだにゃ。しょーじき、人の心の中の産物に過ぎないんだけど、まぁしょーがない話さね。エリちゃん先生もいろいろ信じすぎちゃう人だし」
「そっか……」
メルスト自身も、この楽しそうなひと時を彼女と共有したかった。確かにルミアやフェミルのような超絶的な美少女らと並んで歩くことなど、前世ではなかったし、その先もなかったことだろう。
だが、メルストの気持ちはエリシアのみにあった。とはいえ王国の、それも教会という巨大な機関に属している以上、それの邪魔はできないと考えていた。
――のだが。
「けど、それで妥協するほど、あたしら伊達に十字団やってないさねー」
そういい、ベリーキャンディを舐めていたルミアにどういうこと? と聞いたとき、
「メルストさん!」
大好きな声に、心臓が高鳴る。けど、どうして? という疑問も浮かんだ。
振り返ると、息を切らしたエリシアがこちらに駆けつけてきていた。立ち止まった三人に安心した彼女は、膝をついて、息を整える。
大司教の時とは違う、白銀の術服。だが、民族的な、それこそアオザイをメルストの中で彷彿とさせた。丈の長い裾がふわりと揺れ、なんとも幽玄的だ。
屈んだ姿勢に沿って揺れる豊満な胸部に、思わず目移りしてからすぐに逸らす。そのままルミアをじとっと見た。
「おまえなんかしただろ」
「なーにも? あそこの後円十字架から神のお告げでも流れてきたんでしょ。例えば『収穫の宴は人生きる欲望故。ならば人の身として存分に己の欲望を希望にして心を満たせ』的な感じで言われたとか」
「思いっきり騙してんじゃねーか!」
信者にしてみれば神の声に扮するなど、悪魔の所業に等しい行為だろう。それでも恐れることなく平然とやってのけるのは、無信者ゆえだろう。
むにぃ、と頬を引っ張られるルミアだが、特に反省をすることもなく、
「でもよかったっしょ。これでエリちゃん先生も思う存分、お祭りを楽しめるってね☆」
「つったってなんか罪悪感が」と頬を引っ張るのをやめる。
「どうかされましたか……?」
「いやなんでも! でもエリシアさん、今日のお仕事とか大丈夫なんですか」
「ええ、祈祷の儀式でなんと神のお声が聴こえまして、『収穫の宴は人生きる欲望故。ならば人の身として存分に己の欲望を希望にして心を満たせ』と――」
なんともいえない気持ちになるメルストであった。
「うん……まぁ今日くらいは楽しんでも罰は当たらない、と信じたいところだね」
(それに対して疑問を抱かないのもどうかっておもうけど)
「はい! 神のお告げの通り、存分に楽しませていただきたいと思います!」
光を放つほどの笑顔に、目がくらみそうになる。ますます、それがルミアのお告げだとは口が裂けても言えなかった。
「ルミアちゃーん!」
黄色い声――ではなく、洋裁師の声。だけでなく、駅逓局のユウや酒場の看板娘のセレナとエレナも一緒だ。
「あれ、みんな揃ってるじゃん!」
「そっちも十字団で揃ってるよ~」とユウ。いつも一緒にいる白鳩型騎竜のビーンはお留守番のようだ。
「あっ、め、メルストさんもこんにちは!」
恥ずかし気に、しかし嬉しそうに話しかけるセレナ。獣人特有のもふもふした尻尾を振ってぴょこぴょこ跳んでいる。誰から見てもメルストを見て喜んでいるのは明らかだ。
対して、双子の姉のエレナは冷めた目で刺してくるが。
「あんまりじろじろ見ないでくれる? 変態」
「お姉ちゃん! メルストさんにそんなこと言っちゃダメ!」
相変わらずの毒舌。青ざめるように止めた妹に構わず、「ふたりの私服姿って珍しいなって」という一言をメルストは添えた。
「あら、おふたりもおいしそうなものを持っていますね」
ふたりの低身長に合わせて腰を屈めたエリシアは双子の持っている菓子パンに目がいく。蒼い髪を片耳にかけ、彼女らに声をかける。
「はい、アンおばさんのパン屋さんの限定らしくて。行列ができていましたから、行くなら急いだ方がいいかもしれません」とエレナ。
「えっと、その、パパのおこづかいで買いました! その、エリシア様、よければ食べますか?」とセレナは一口もかじっていない焼き立てのパンを差し出す。顔を近づけなくても香ばしさがメルストの鼻腔にまで届く。
「ふふ、ありがとうございます。でも、せっかくご自分で買われたものですし、セレナさんがおいしそうに食べていることが私にとって嬉しい気持ちになりますので」
エリシアやルミアが談笑している一方、リーアとメルストの目が合う。途端、彼女の顔が紅潮し、目を逸らされる。
「あ、メルストさん……その、先日はどうも」
「え? ……あっ、あぁ、どうも」
(ちょっと気まずいやつだなこれ)
先日、事故とはいえ彼女を押し倒したことを思い出す。彼も思わず頭をかいて空を見た。祭日和の快晴だ。
「よかったらルミアちゃんもいっしょに回らない?」
ユウの誘いに、「うん! いくいくー!」と快く彼女の腕に飛びついた。
「フェミルちゃんもいこ~」
「……うん」
すっと歩を彼女らの元へと進めたが、軽やかなようにも見えた。
「あ、大賢者様はどうされますか?」とリーア。エリシアは確かに崇高な存在だが、この町の人々にとっては身近な先生という印象もあるくらい、馴染みがあった。これまでになかった、祭を民の視点で、民とともに歩くのは、エリシアも望みの一つではあっただろう。
微笑んだ彼女は少しためらいながら、
「えっと、そうですね。私は――」
「あぁごめん、少しエリシアさんと話すことがあるから、みんなで楽しんできて」
突然、メルストはそう申し訳なさそうに言った。ほんのわずかに震えた声。勇気を振り出していったことも伝わったのか、反論の声はなかった。
「え、そうなんですか?」
「そう……ですか」
「それならしょうがないね~」
「あんたの言うことなんだから、きっと真面目でしょーもない話でしょうね。何もこんな日にしなくてもいいのに」
「ま、そういうことなら、あたしらで楽しんでくるね! みんないこー!」
ルミアの納得した笑みを最後に、女の子たちは人混みの中へと溶け込んでいった。
残されたように立ちつくふたり。バツが悪そうに、メルストは手を首の後ろにあてた。
「すいません、その……でしゃばるようなことしちゃって」
「ああいえ、とんでもありません。それで、お話というのはなんでしょう」
エレナの一言を思い出す。メルストのことだから、真剣で、業務的な話なのだろう。エリシアもそう考えているはずだ。だからこそ、言いづらそうにしどろもどろとなった。
「いや、そのー、ですね。実は何もなくて、ですね。ただ単に、エリシアさんといろいろ見て回りたかったなというかなんというか」
自分が情けなく感じる程、言い訳染みた誘い。返答も聞こえてこないあたり、呆れて声も出ないのだろうか。これじゃあ男らしさの欠片もない、と心の中で泣いていた時だ。
恐る恐る顔を上げると、メルストの想定していた表情とは異なり、別の意味で不意を突かれた。
紅潮。その目は戸惑いとときめきを示していた。それを隠すように、きめ細かな手を口元に当てている。
「……エリシアさん?」
彼の一声で我に返ったようにびくりと体を震わす。
「い、いえ! なんでもないです! その、メルストさんからそうお誘いいただけるのって、珍しいなって」
「え、そうでしたっけ。いやそう言われてみると確かにそうかも」
「なので、正直を申しますと、とても嬉しい……ですね。このような楽しいお祭りの中を、メルストさんとふたりで歩けるのですから」
きゅ、と胸が締め付けられるような感情の昂ぶり。この熱くもあたたかい気持ちを口に出したくもなったが、それを抑えるように、一歩だけ足を運んだ。
「じゃあ、まずはどこに行く?」
 




