4-8-14.オルク帝國軍、出撃
第4章8話、完結。
蝋燭に照らされる書斎は、アンティーク調を施している。壁にかかるいくつかの絵画、並ぶ古典書籍は魔術書や文学書が多い。パチパチと暖炉から出でる炎はこの部屋を視覚的にも、体感的にも温めている。
ガラス張りの古い戸棚を背に、広々としたエグゼクティブデスクで書類に何かを記している30代手前に見える細身の男性。ルダンゴトやベスト、クラバットなどダンディズムを彷彿させる。そのコートかけには愛用のシルクハットがかけられている。結った銀髪にモノクル越しの朱色の瞳は炎の照明も手伝って不気味にも感じられた。唯一、人と異なることは、その肌が棲んだ灰色に近いことか。
暖炉の音と羽ペンを走らせる音しかしない制約の空間に、正面の扉の音が一つ。カーペットを踏み鳴らす音はブーツか。軍人の、それも相当の階級の高い中世的な軍服と軽装鎧を着こなした、白銀のかきあげた長髪と顎髭を整えた巨漢。だがその顔立ちは初老であるも精巧な石膏像かのように美しく、そして力強い男らしさを兼ね備えている。
その男も同様、紅い目をもち、白灰色の肌を持ち合わせている。だが、その軍人の瞳はどこまでも深く突き刺すような、重く、強靭なそれだった。
彼――フォングラード・アディマス――は、剛健な風貌と威厳を放つ魔王軍元帥ことべネスス・ハンガリを見上げた。
「これはこれはべネスス元帥。いかがされましたか」
相手を見下すような、演技染みた強弱の大きい声つき。モノクル越しの目も細まり、一切の内側を見せようとしない。上っ面だけの笑みを浮かべていた。
「ひとつ報告がある。貴様の選出した派遣罪人がすべて、任務を失敗したそうだ」
重々しい声。身が重くなるような声色に、フォングラードは気にしていないそぶりで軽く返す。
「ほぅ。それは非常に残念なことです。罪人といえど、優秀な方たちばかりでしたのに。それで、私に責任を負ってもらいたいとでも?」
「不要だ。ただの厄介事を有効活用したにすぎん。そうと考えれば、収穫があっただけでも称えるべきことだろう」
ほぅ、と大臣は意外そうな声を、しかしわざとらしく漏らす。
「罪人を称えるだなんて、貴方様にしては面白いご冗談を仰りますな。さて、それはアルステラ陛下にも報告できるようなことでしょうかね」
「スレイバル」
『ったく、こーいう面倒事を俺に押し付けんじゃねぇよ』
ボゥっと、大気を歪ませ、虚空から紫炎が湧き出る。炎を纏いながら出てきたのは黒煙質の龍。禍々しい双角は高い天井届きそうになる。べネススの筋骨隆々の体躯をはるかに超える巨体さだ。頭部にある目玉のようなひとつの紅玉。そこを媒体として不定形の肉体を形成しているのだろう。
間近で見た"悪魔"の存在。くつくつと笑うペテン師は感心した。
「最初はどうなるかと思っていましたが、悪魔種を従えさせるとは、さすがでございますな」
途端、フォングラードの首が巨大な竜爪で押し込まれ、椅子の背もたれを軋ませる。頭部の紅玉が眼前にまで近づいた。
『口には気をつけろ。俺は別にこいつの使い魔になった覚えはねぇ。契約の元こいつの手助けをしてやっているだけだ』
獣の呻り声。牙が目前にあるにもかかわらず、平然とした装いを振る舞った。
「おやおや、躾まではなされていないようで」と皮肉を言う始末。
「無駄口を叩くな、スレイバル」
刺すような言葉に、スレイバルはしぶしぶと離れる。大臣はやれやれと首をさするが、さほど気にしていない様子だ。
『ったく……計画進行率は現在63%だ。状況は想定より順調とは言えねぇな』
「聖騎士団の勢力ですか」
『それだけじゃねぇ、王国神殿府の教会軍も先陣切っている。いかに"四星天王軍"の兵力を護るかってのがあいつらのやり方みてぇだ。まぁ控えの戦力を引き出せただけマシだろうが、やっぱり聖騎士団のバケモノ集団に鎮圧されているのは確かだな』
「バン・イートン氏はどうしたのです? 大結界の破壊に貢献したと耳にしていましたが」
『ああ、5本中3本の大結界の柱を破壊したぜ。これならまぁ、攻め込むこともできなくはないがな』
バンは著名な錬金術師にして、オルク帝國の中でも指折りの犯罪者だ。全盛期、兵として身を置かれた彼は、魔王軍の中でも一目置かれていた存在だという。手に負えない、それこそ世界最大の監獄である"インセル収容所"の囚人の危険度に匹敵する。歩く大量破壊兵器として扱われていたところを、フォングラードは今回の計画の遂行者として推薦した。
実力は本物だった。今の生ぬるくなったアコードであれば、彼を討つことは相当の苦労を強いられるはず。だが、彼は戦略的敗北をしたわけではなく、全力で戦った結果の敗北。
柔らかな物腰でありつつも、フォングラードは目を細める。
「軍王と接触したので?」
『残念、ハズレだ。その代わり面白いことも知れた』
ズォォ、と煙体が流れる。暖炉にその身を投じたスレイバルは、火の粉と煤の肉体を得て、部屋全体を明るく照らした。
『アーシャ十字団は知ってっか』
「いえ、聞いたこともありませんね」
シャンデリアの周りを泳ぐ紫炎と黒煙の竜は下賤な笑いを向けた。
『あの博識なフォングラード卿も把握していないたぁ、俺も誇らしいぜ。そいつぁ大体15年前に結成された超小規模の組織だ。昔は教団の奴らみてえに"悪魔祓い"だなんだとかやってたそうだが、今は小ぢんまりした町で何でも屋を経営しているとよ』
「その組織がバン・イートン氏を討ったのとでも?」
煤でできた竜の頭部がフォングラードの目の前に迫る。
『そのまさかよ。しかもBn.レッキーやマイラ・エンドリク、ランナッド・ワスペルを討ったのもそこの団員だ。なんでも、あの軍王と蒼炎の大賢者もそこに所属している。"巨星喰らいのルビウス"や"天の隻影"で知られるノット・オーランドもかつてはそこの団員だったとよ』
「なんと、それはそれは御大層な。ひとりだけでも国を制圧できる存在がそう何人も集結しているとなれば、あながち巨大な軍事機関がアコードに隠されているといっても過言ではありませんねぇ」
『いくつかの設計生物もそいつらに駆逐されている。聖騎士団と同等の脅威だと見ていいだろぉよ』
机上に流れ出た煤から複数の書類が召喚される。焼かれた紙が巻き戻しされたかのように現れたそれを、手に取った。
『これが各人の機密情報リストだ。監国に籠っているテメェらにとっちゃ無名に等しいだろうが、こいつら、中々におもしろい経歴を持ってやがる』
フォングラードのみが読み、べネススは腕を組むのみで関心を抱くことはなかった。
ロダン・ハイルディン、エリシア・O・クレイシス、ルミア・ハードック、ジェイク・リドル、フェミル・ネフィア……現在所属する十字団の履歴やかつての業績がそこに集約されていた。興味深そうに、フォングラードは笑みを浮かべる。
「なるほど。"十字"という名がつくのも頷けますね。彼らが無名であるのも、王国の隠蔽がうまくいっているのでしょう。ルビウスら以外にも、恐ろしい"怪物"がいたものです」
『そんなかでもこいつだ』
新たに一枚の書類が出てくる。それを手に取るが、違和感を顔に浮かべる。
「おや、顔はわかっていないのですか。秘教博士とは恐れ入りますが、経歴も浅いですね。ギルドにもどこにも所属していなかったとなれば、まさに無名、と。逆に興味深いですねぇ」
『学術機関からでしか情報は掴めてねぇが、急激に名を上げ始めた錬金術師なんだとよ。噂じゃ、あの"竜王殺し"の英雄と勝負して勝ったって話だぜ』
「……名は」
何か言いたげにスレイバルは一度睨んだが、主の意外な一言に関心を抱いたのだろう。そっぽを向き、呟くように述べた。
『メルスト・ヘルメスだ』
「ヘルメス……?」
引っかかるような反応。フォングラードはそれを見逃さない。
「べネスス元帥、なにか心当たりでも」
「気にするな。続けろ」
『ここ最近のアコードの学術と技術水準が徐々に、別の方向に上がってきている傾向があるのも、こいつだろうな』
「戦力とは別に厄介な輩ではありますねぇ。単純な武力以上に、国の水準を高める人間もまた、恐ろしい力を持っていますから」
『設計生物の対処法もこいつが編み出したっつー話だ。派遣罪人と十字団が接触したときも、こいつが必ずいた。蒼炎の大賢者でも軍王でもなく、こいつがだ』
「なるほど。まだ軍王に匹敵する強さかどうかは根拠が不十分ですが、この情報を信じる限りですと、この錬金術師が我々にとって厄介な存在であることは確かのようですね」
「情報はそれだけか」
不十分だと受け取ったスレイバルは舌打ちを露骨にする。
『文句なら下に言え。データを選別して、こーやってテメェらのおカタい頭でも理解できるようにまとめただけでも感謝しろってんだ』
書類を机に置いたフォングラードは、両肘をつき、組んだ両手に顎を乗せた。
「それはそれはご苦労様です。それで、もうひとつの目的に関してはいかがです?」
その身から展開された複数の魔法陣。やがてそれらは立体的なアコード王国全域の地図と化した。都市名や地名とそれに関する統計データは勿論、上空から地下の世界脈まで、知られている情報はすべて表示されている。
『Bn.レッキーの龍脈調査をもとにニグレドスを散布させた。いくつか該当するような数値は出ているものの、特定はできていない状況だ』
「その前に駆逐されたこともあるでしょうしね。あちらの軍事力も侮れなかったというわけです。まぁ例の設計生物も画期的ではありましたが突貫的であることもあって試作品のようなものですから、今回の計画に関しましてはそこまで期待はしておりませんでしたが」
『にしては短期で成果を出せただろ。長々机上の空論語るだけのお偉いさんとは違ってよぉ』
一触即発。凍り付く空気だが、すぐにでも爆発してしまうかのような。だが、争うことは賢明ではないと知るフォングラードは話をすすめた。
「いくつかポイントは絞れているようですが、王都内で確認されている反応が気になりますね」
検知地点は分布的だが時間軸をいじってはその変動を見ると、固定型と移動型に区別できることがわかる。
固定型はパワースポットであり、潜在的な固定化エネルギーが眠っている。事実、大結界の柱もこれに該当する。移動式は、そのままの意で、そのようなエネルギーをもつ存在が動いている。天候や伝説級の竜などが該当するが、彼らはその程度のエネルギーを観たいわけではなかった。
『王都には侵入できてはいるが、せいぜい付近までだな』
「ほぉ、やはり結界でも張られているのでしょうかね」
『いや、防御されてねぇ。情報も途端に遮断されちまってるからなんともいえねーが、あれはなんつーか、取り込まれているみてぇだったな』
信号の遮断。エネルギーが大きいほど山なりになっている立体分布図であるにも関わらず、王都はわずかに谷型になっていた。他の地点では見られない、特異的な結果だ。
「取り込まれる……ということは、そこになにかがいるというのは間違いないようですねぇ」
『エネルギーの検知がそこだけマイナスってのも、それを喰らっているからだろうなぁ』
「……王城に匿っているか。例の生命体は」
ついに口を開いたべネスス。それにはスレイバルが答えた。
『だと思うぜ。可能性は複数あるが。ま、なんにしろアコードを制圧してからでも遅くはねーだろうよ、それをじっくり調べんのは』
「アルステラ陛下の仰る"時"というのがついに来たかと思うと、感慨深いものがありますねぇ。主神アルダス・パラサティヌスに代わり、健闘を祈りますよ、べネスス元帥」
『俺ァいつでも出撃れるぜ。今すぐにでも暴れてェぐれェだ』
いつになく楽しそうな亡霊に、べネススはあきれたような息をつく。
「プランδの実行。UB-4の手配を」とだけ指示を出しては、フォングラード卿に背を向けた。
46年間の敗北を。勇者の時代を。
「すべて、終わらせる」
そう告げ、部屋を後にした。
ロダン「メルスト君、最近ちゃんと食べてるかい? 元気がなさそうだが、なんなら今日飯にでも行こうか」
フェミル「いきたい……」
メルスト「いや君メルストくんじゃないでしょ。あのロダン団長、そういうわけではないのですが…いやそれもあるか」
ロダン「何かあったのか」
メルスト「この間、命からがらなんとか学術機関から予算をゲットできたのはいいんですけど、そのお金って十字団共通の預金所に預けられるんでしたっけ」
ロダン「そうだが、それがどうしたんだ」
メルスト「いや、昨日残高を確認したら8割がたなくなってたから、それで死にかけてるんですよ今。絶対ジェイクに違いな……いやあいつは口座の存在知らないんだっけ。じゃあルミアだ。あいつしかいない」
ロダン「なるほどな。ちょうどいい感じにまとまった金があると思ったが、あれメルスト君のだったか」
メルスト「いやあんたが使ったんかい!」
ロダン「すまんすまん。実は俺の孫娘が成人になってついに独り立ちをしてな、お祝いに家と騎竜をプレゼントして……」
メルスト「あっ、そうだったんですね! いやぁついにご成人ですか、おめでとうございます~――って納得するかァ!」
ロダン「お詫びと言っちゃあなんだが、今晩奢ろう」
メルスト「それ絶対俺の金ですよね!?」
次回(番外編):借金返済 ~大人たちのハローワーク~
用語(読まなくても本編を読むにあたり支障はありません。後日まとめます)
※随時更新します(そういえば前話と前々話の分も溜まってますね…そちらも随時更新します)
※アコード王国の爵位等の階級制度につきましては、思ったより長々と書いてしまったので、設定集という形で後日投稿しようと思います(かなりアバウトですが、語れる程度での歴史や文化、時系列等のことも書けたらと思います)。以前、このお話の最後に書きますと言っておきながら変更してしまい申し訳ありません。




