4-8-6.奇襲 ―紅蓮の華を咲かせるは白銀に溶ける罪なりや―
記念すべき(?)130話目。
配合油の開発はメルストの計画に反し、そう日数を要さなかった。
ルミアの製造した改良汽車を用い、運転試験も含め、調合油の効果の実証も成功に収めた。見事、汽車は正常に動作し、保存状態も3日は状態を維持した。
「……なるほど。潤滑油の凍結が原因だと。油が凍る事例なんて初めて聞いたが」
「その書類でもわかる通り、今回製作した調合油ならこのマイナス40度近くの環境でも、高温の状態でも粘度の維持が可能です」
暖の効いた団長室はお世辞にも一軍を担うトップとは思い難いほど、質素な内装だった。単調な書類棚と暖炉、デスクと最低限のものしか揃っていないあたり、彼女のストイックな性格が垣間見える。
ルミアの報告は終わり、今度はメルストの報告書に目を通したジルは、たびたびメルストに質問する。
「しかしこの原料、不凍液というものが入っているそうだが。これはヘルメス博士の独自開発なのであろう」
「それは寒冷地帯の魚類や魚竜の油分にも含まれているものです。ひつようであれば人工的に錬成はできますが、大量合成につきましてはまだ未検討ではあります。製品開発に関する手続きに関してもそちらに書いてあります通り、僕自身が手掛けるのはここまでです」
眉をひそめるジルは書類を机上に置き、
「今後も君らでどうにかできないものか?」
「緊急性のはともかく、なにもかも僕らがやったら、本業の方の経済が回らないでしょう。オイルや爆薬に関して詳しい会社とそれぞれ繋がっていますので、そちらにかけあってみます」
「ま、その方がいいさね。時間は作れるけど、なんでも面倒見れるほどあたしらも暇じゃないし」
「あくまで僕はアイデアを出すだけに過ぎません。ですが、ちゃんと技術は共有しますのでご心配なく」
少しの間が開く。後ろにいた特技兵のキシュナーも、暖かいはずの部屋に凍てつくような寒気を覚えた。
「まぁよい。この技術に関してこれ以上、君らには関与しない。あとはこちらで対処しよう」
その一言に、その場の一同の緊張がわずかに解けた。ジルも世間話を話すように、半ば冗談交じりに柔らかい声色で話しかける。
「ついでとはいえ、爆薬の改善案も出されるとはな。なんなら、騎士団の技術すべてを見直してほしいとお願いしたいところだ」
「報酬次第でやらないこともないさね」
「おい」と焦るメルストとキシュナー。対して、ジルは歯を見せて笑った。
「そんな口を叩けるやつは初めて見たよ。いい度胸をしている」
両手を組み、椅子にせもたれる。
「ともあれ、これ以上してもらうのも気が引ける。この短期間で多大な貢献をしてくれた。他ではこうもいかん」
「誠に感謝する」という一言は、重く感じ取れた。
しかし、メルストは未だ懸念することが一つ。
「それで、僕への復讐は果たすのですか?」
「あぁ、そのことか。あれは半分冗談だ」
肩空かしを食らった気分だ。そんな冗談を言うような人物ではなかったが。少なくとも、あのときの空気は確かに本物だった。
「当然、あの話に偽りはない。だが、状況が状況だ。魔族の危険因子が国内に侵入している以上、そういう私情は優先できないからな」
(だとしたら空いた時に決闘を申し込まれるんだろうな)
いまいちすっきりいかないメルストである。しかしここで話は終わらなかった。
「だが、それとは別に君ら十字団を呼んだ理由はもうひとつある」
打って変わって、女性特有の刺さるような重い声。組織の上に立つ強者は声色だけで意志を深く伝播させる。
「……また個人的な事情じゃないですよね」
「はは! 安心したまえ。騎士団としての依頼だ」
冗談を言うような人物には感じ取れないメルストであったが、席を立ちあがっては部屋を後にする。すれ違いざまに「ついてこい」と言われたふたりは、その後を追う。
*
訓練場かと思われた空き地らしき場所。近づけば巨大な不透明な結界が何かを護っているように鎮座している。ジルが触れた途端、人一人分の大きさの波紋が生じ、何のためらいもなくすっと入っていった。
結界を抜けた先、着いた場所はガレージだった。外からは見えない、大きな倉庫のようなそこは、巨大な金属扉で施錠されていた。それがキシュナーの解除魔法の操作によって重々しく開かれる。
「これを見せようと思ってな」
放つ重い黒と金の光沢は金属の塊だと一目でわかった。向けられた巨大な双槍は砲門。死神の鎌を想起させる鋭利な巨刃は脚部。太い腕は蕾のよう。虫か、人か、なにを連想して設計されたのか。まるで生命の混沌を金属で固め、無理やりに組み立てたような小さき要塞が日の目を浴びる。
「これって……」
「魔国の兵器だ」
禍々しく、攻撃的なフォルム。組み立てて、起き上がりでもすれば5mは下らないだろう。死んでいるような、しかしいつ動き出してもおかしくない不気味さがその場をゆっくりと飲みこもうとしている。
「すごいすっごーい! これ搭乗式? それとも自律式?」
目を輝かせるルミアは一片も恐れることなく中に入っていく。見る限り、人が乗れそうな場所はない。
「これ、壊れているんですか?」とメルスト。
「接続部位は外している。万一動き出すことはあっても、暴れられないだろう」
メルストの前世には実現はしていなくても、似たものならフィクションとして存在していた。
(ロボット、だよなこれ)
全翼機や設計生物、機械言語魔法を開発している国だ、自律兵器が開発されていてもおかしくはない。魔族の国とはいえ、長けているのは魔法にとどまらなかったようだ。
「ここの駐屯所でも団長である私と一部の者しか知らない。当然、他言は無用だ」
どこに情報を盗む輩がいるかもわからない。そのために知る人を最小限にしてるのだろう。
「どうしてこのようなものを」
「先日グランドール国と取引をしてな」
「天空に浮かぶ黄金郷とかなんとか言われてるあそこ?」
振り返ったルミアは訊く。経済大国とも言われるそこは、世界の血液である貨幣を循環させ、またクレジットという概念を具現化させたことで近年時代を変えた国だ。
メルストがその話を知ったのはジェイクからだが、なんでも世界有数の巨大な賭博場があるらしい。それよりも、世界初の"黄金錬成"を為した世界有数の偉大な錬金術師にしてそのカジノはじめ複数の組織を運営する最高経営責任者がそこにいることに関心を抱いたが。
「世界各国はもちろん、唯一魔国と流通があるところだからな、その情報を得ようとしたが、まさかこんなものも所持していたとはな」
「それで」と続ける。
「これを手にした理由は、魔王軍の力を知るためだ」
カツン、と靴の音が響く。
「魔国は"檻国"である以上、奴らの情報や動向は世間に知らされることはない。特に、最大の敵国に対しての秘匿は厳重だろう」
「よく手にすることができましたね」という言葉に、ジルは小さく頷く。
「私も騎士団長である以上、あの大戦のことについていろいろと調べた。魔国の戦術や武器、魔法……だが、いまみられるものは明らかに当時よりも逸脱している。技術の進歩と一言で済まされる次元にないんだ」
再び兵器に目をやったジルは影を落とす。
46年前、"大戦"当時であれば、本人もまだ生まれてないだろう。しかし、再び起きてしまえばどうなるかぐらい、子ども時代でも十分に理解できた。しかしそんな歴史の過ちを再び魔国から仕掛けようとしている。それは、なんとしてでも避けなければならない。
何かを決意したように、閉じた瞳を開き、外套を翻す。
「この技術をそちらに直接提供したい。機関を通じると、いろいろと時間がかかる上、どこで漏れるかわからないからな」
「でも、それって本来違反――」
「故に、依頼書にも爆発事故のことしか書かなかった。だが、国王様の耳にいち早く届く上、対応が早い機関は十字団以外おらん。罰を受けることは承知の上だ」
まっすぐな紅蓮の瞳。しかし、今回は刺さるようなそれではない。じりじりと熱く焼けるような感情が、こちらにまで引火してきそうだった。
「これでも、アーシャ十字団のことは信頼している。ここらの業績は調べてよくわかった。なにより、今回の一件でも十分にその腕がどれほどのものかをこの目で見た。他の産業機関や研究機関ではまだ手に負えない代物を、君らは最速で扱える。軍力は思想や資産だけでなく、技術の上で成り立っている。だからこそ、今回の一件はどうしても引き受けていただきたい」
ちりつくような熱意。熱波を錯覚させるほどのそれは、普段ともにいるキシュナーでさえも一歩下がりそうなほど。だが、メルストとルミア――ふたりの先駆者はそれを受け止めても尚、動じることはなかった。背負うものが何かを解っても尚、彼らは弱みを見せないように躊躇いの様を外に見せない。
「君たちで開発してくれ。進化している魔国に対抗できる、次世代の武器を」
吹雪の音に負けないほど、その声は強く届いた。確かに通じた。理解できないわけでもない。だが、その返事は快いとは限らなかった。
「得体のしれない産物を独占できるのはときめくけど、話の都合が良すぎるにゃ。なんか企みでもあるんじゃないの?」
それはメルストも同感だった。ただパラビオスの一件もあり、容易に国外の兵器を回収するのはルミアと異なり、気が引ける。
だが、騎士団長は譲らない。
「我々はこの国を護りたい。それだけでは理由にならないか」
たったの一言。しかし、それは少なくとも、細かいことを検討するメルストの思考をすべて払拭するのに十分な言葉だった。
「……わかりました。検討いたしましょう」
手を差し伸べ、契約が成立する。小さいため息をついたルミアも、後に承諾した。
*
極寒の大地に、ひとつの影が足跡をつける。だが、雪を潰すような跡ではない。融かし、肌を見せる大地に焼き跡をつけている。
「お、あったあった。ここにあったか」
喉がつぶれたような低音は壮年男性のそれだ。この骨身凍える雪原では到底寒さを防げないであろう、しわがれたネイビー調のステンカラーコート、その下にはグレースーツとダークシャツ。そして黒い革靴。無精ともいえるブラウンの髪には雪がつくことは許されず、男の周囲で小さく蒸発しているようにも見える。
その赤褐色の瞳には、目の前のふたりの監視兵や分厚い鋼鉄の門ではない、奥に見える本質が映っているようだった。
「止まれ貴様。ここは軍の関係者以外立ち入り禁止――」
「じゃあ問題ない」
*
突如、大地が大きく揺らぐ。同時に劈く爆音。肌にぶつかる衝撃波は肌を麻痺させた。
「なんだ!?」
それにこたえるかのように、各地に設置されている魔法陣と拡音石が入れられた装置から放送が拡散される。
『こちら第2監視棟! 南区3番で爆発! 処理隊は直ちに原因を――』
爆音が声を遮る。しかし、その爆音の元は第二監視塔からではない。
「無事か!」
「ええ、なんとか」
結界ごとこのガレージを破壊せんばかりの爆発はメルスト等を呑み込みかけた。しかし、ジルの剣閃によって爆炎は打ち消され、全員の危機やガレージの破壊は免れた。だが、周囲は雪原に赤く熱い業火の華に包まれ、逃げ場がない。
「……あいつの仕業か」
駐屯所全域に警報が鳴る中、立ち込める爆炎からひとりの影が歩み、姿を表した。
「ちょっとちょっとぉ、困っちゃうねぇウチの兵器を盗用しちゃあ。特許は出願ったのかい?」