4-8-4.事故の原因
その燃ゆる瞳は一向に揺るがず、剣としてメルストの瞳を刺し殺している。まったく身に覚えのない彼は視線をそらさない――否、そらせないまま、戸惑いを表す。
「恨みって……どういうことですか?」
「ヘルメス博士。あなたの実力がいかがなほどか、こちらにも行き届いている。数々の名誉ある功績を残している錬金術師にして、派遣罪人やパラビオスの討伐に貢献した戦士とも評されている」
「それが何か――」
「英雄との勝負に勝ったようだな」
随分前になる話だ。
竜王殺しのアレックスに決闘を申し込まれ、メルストにとって命からがら勝利を得たと同時、英雄が錬金術師に敗れたという大事件。メルストの知らないところでだいぶ議論されていたようだが、決闘を行った両者にとってはどうでもいい話であった。
当然、彼の支持は高い。敗北しても尚、大きく揺らぐことはなかった。
「……納得していないと言いたいのですか」
「悪いが、あのアレックスが君のような若者に負けたとは思えなくてね。手を抜いてあげたか、それとも……いや、この話はもういい」
メルストの前に立つ。他の屈強な肉体を有する騎士よりも小柄ではあるも、背はメルストよりも大きい。そして強者としての威厳が、彼女をさらに大きく見せていた。気迫だけで押しつぶされてしまいそうだ。
「要は、君の実力を見てみたい。かくいう私も、血の気が濃くてね。この目で見ないと信じられない質なんだ」
あーあーまた始まったよ、という兵士の声が彼女の背後で聞こえる。何かと戦いたがる人なのだろうか。
(やっぱり軍人の間じゃ特に人気あるよなぁ英雄は。しっかし弱肉強食の世の中だと、こういった軍人は特にめんどくさい思考の人が多い気がする。しっかりしてそうな人だと思ってたけど……ん? めんどくさい思考……?)
妙な部分を、ある共通点へと結びつけたメルスト。思えば、名前を聞いた時にも既に違和感を抱いていた。
「……ちょっと待って。ポーラーって名前。まさか」
ようやく気付いたかといわんばかりに、彼女はため息を一つ。
「私は"竜王殺しのアレックス"の実の姉だ」
(うそーん!?)
ついに数歩後ずさってしまう。「え、知らなかったの?」とルミアの一言を耳にしつつ、さらに一歩前に踏み出たジルは口を開く。
「無敗伝説を作り上げたアレックスの顔に貴様は泥を塗った。それも一度だけではないらしいではないか。元はと言えば、そこのルミアを賭けた勝負だというが」
「や、あたしは関係ないから」
「思いっきりあっただろ! お前が変なこと言ったのが事の始まりだろうが!」
「動機はなんでもよい。ただ私は、あいつのことをひとりの家族として、英雄として、そして……弟子として誇りに思っていた」
(しかもあいつの師匠なのかよ!)
「あいつの敗退は私自身の敗退と同じ。だからこそ、竜王殺しの無念を晴らしたいと思い、ここに呼んだのだ」
言い放った彼女に、メルストは呆気にとられる。
「え、いやそれって」
(か、完全に個人的な理由じゃねーか……)
姉弟そろって身勝手さは健在か、と肩を落とす。対してジルは戦意を見せつけてくる。
「あの聖剣イフリアと竜王殺しを見切ったその腕――」
フッと正面にいた彼女が、メルストの眼前に迫っていた。一瞬のことだ。彼の首筋には紅い刃が触れている。
「ぜひとも手合いしてみたいものだ」
触れる女性の吐息だが、まるで人のそれではないようだと彼は震えた。
(おいおいおい手合いってレベルじゃねーぞその目。殺る気スイッチ入ってる目だよ。この腕斬り落とす勢いだよ)
しばらくの静寂。時間が凍ったかのような錯覚に陥りそうになったとき、ジルから離れ、剣をしまった。
「……しかし今はよそう。君らは元々、私らの依頼した仕事をこなすために来ている。私的なことに巻き込むのも迷惑だろう」
「当然だにゃ。あんたの私情だけであたしら動かしたんだったら、本気で冗談じゃないんだからね」
腕を組む機工師の真剣な目。しかし反省の色は見せず、鼻で笑い返した。
「それもそうだ。だが、依頼が完了した後なら文句あるまい」
「え、いや、俺は引き受けませんよ。そんな話聞いてませんし」
「何、あくまでついでの話だ。ともかく、技術の腕に関しては心より君らを信頼している。何か不便があればこの技術部隊隊長に聞いてくれ」
*
騎士の一人である壮年兵のキシュナーをはじめ複数人の技術部隊員に設備の要望や計画、決済等のミーティングを済ます。予想の段階だが、駆動列車の車軸の焼けが見られたことから、メルストは車軸用オイルを担当することになった。
曇る窓の外は依然と吹雪いている。ガレージにはメルストとルミア、そしてキシュナーしか残っていない。
「いやぁあんたら、団長の目を光らせちまったことにゃ同情するよ」
乾いた声でそう笑いながら、魔鉱石を用いた暖房設備を起動させる。こちらもハンマー等の衝撃と光で連続的な熱を放つようだ。
「また大変なことになりそうだなぁ」と深いため息。
「"煉獄のジル"は今も有名な異名でな。国内の騎士どころか、国外の軍兵でも恐れる名前だそうだ。今はどうかわからんが、かつて竜王殺しを越える実力を持っていたのは間違いねぇよ」
自分のことのように誇らしく話す。「ま、下につく奴らは苦労が絶えねぇがな」と添えた。
「いや、まさかあのアレックスの身内が所属しているとは思わなかったな」
「しかも相当のブラコン。性格のめんどくささは弟と同じみたいだにゃ」
「まだ分別はついてるほうだけどね。で、車軸オイルはこれか」
持ち込んできてくれた、新品の30 Lオイル缶。それを開封し、軽々と持ち上げてはガラス容器に注ぐ。さらさらとした無色透明の油が容器を満たす。粘度指数は高いようだ。
室内温度計に目をやる。目盛は10度を下回るが、氷点下の外より温まっているようだ。
「……未然に防ぐことができればよかったけどな」
焼損した車両の損害額だけでも数百万Cだという。無論、積載物の損害も大きかった以上、軍事事業の滞りは避けられなかった。
「たらればの話は生産性に繋がらないさね。こんな寒いところ長居したくないし、パパッとやっちゃおうぜメル君」
列車の残骸をいじり始めているルミアは、冬用の革が厚い作業服を着ては、手伝いなしでせっせと取り組む。
「にしてもさっきはナイス不動心だにゃ。あれでビビってたらマウント取る気だったよあの女」
「いや不動心も何も、びっくりしすぎて手足すら出なかっただけなんだけどね」
「いま言ったこと忘れてね」
前言撤回され、苦笑するメルストは、大して気にすることもなく目の前の作業に取り組む。とはいえ、"組成鑑定"で成分を分析するだけだが。
「このオイル……」
指ですくった油は少し冷たく感じた。信号として届く不純物と主成分の情報は、自動的に変換され、多種の構造物へと表示される。
炭化水素鎖類の含有率が高い。高級飽和鎖状の類だろうと彼は推察する。
触れている指の温度を下げていく。マイナス10度までは問題はなかった。しかし、それ以下になると粘度が増しはじめ、マイナス20度に達する前にオイルは凍結をはじめた。
「こりゃ軸焼けするわけだ」と呟く。
新しく導入した潤滑油はこの寒冷期、それもマイナス数十度にも達する大寒波には適さなかったようだ。
(オイルの分子量も高いし、構造的に誘起双極子相互作用が起きやすいから固体になりやすいのも理由の一つだろうな。オイルの分子構造を極性の低い螺旋高分子にして、不凍液として機能させないと)
らせん構造を取ることにより分子間相互作用が低下、つまり分子同士が凝集しにくくなる。そうすることで、油の融点の上昇を防ぐことができるという算段だった。
(クランクシャフト型のPEGなら簡単に作れるけど、列車の潤滑油だとどういうものが適しているんだろ。凝集性減らした方がいいから分子量減らしてエチレングリコールにした方がいいのか?)
考え事をしているメルストに、キシュナーが話しかける。
「どうかしたかい、ヘルメス博士」
「たぶんだけど、これの原料は石蝋系ですね。これにはワックス分が多いから潤滑油としては優れているけど、含有率が高かったり、含水量が多いと凍りやすいんです」
「驚いたな、触れるだけでわかるってのか」
「あ、それならナフテン系が多い油の方がいいかもね。ワックス分は少ないけど凍りにくいから」
残骸越しでルミアの声が届く。地獄耳だな、とふたりは目を合わせる。
「ただ、ナフテン系は品質がなぁ」とキシュナーは短い顎髭をさする。その一方で、メルストは指の油を"物質分解"しては腕を組んだ。
(ナフテン――脂環式炭化水素もひとつの手にあるのか。でも単品だけじゃマイナス20度に耐えられる奴あったっけ? それに揮発性の高さや沸点も無視はできないし……あ、側鎖にかさ高い分子を入れることで高温でも蒸発するのを防げるな。メチル基でもフェニル基でも効果はあるはず)
考えたなら、行動するまで。メルストは傍にいる技術騎士に尋ねる。
「キシュナーさん、他のオイルはありますか? あと研究設備があれば助かりますけど」
「そりゃまぁ油はいろいろあるけどよ、調合でもするのか」
「はい。この寒い環境に合った車軸用の潤滑油にするために、オイルの配合量を検討しないと」
腕を組んだ彼は少し呻るも、
「なるほどな。まぁ爆薬開発用の調合室があるにはあるが、錬金術師のお気に召すかどうかは分からんぞ」
承諾ともいえる言葉に、構わないとメルストは返した。
リアルの事情により、次回の更新は6月以降になります。申し訳ありません。




