2-1-4.晴天快晴、清掃日和
※加筆分です。
一度本作を読み返して、なんだか説明ないまま話が進んでいると感じ、二話追加しました。
これが本作のテンポを冗長にさせたり、情報過多で混乱させたりと蛇足の展開になっているだろうと不安はありますが、彼らの日常の一部を描きたい思いで書きましたので、よろしくお願いいたします。
「うっわやっべ!」
と同時にガラスの割れる音が錬金工房中に響く。落としたのが試験管やフラスコの類ならまだよかったろう。しかし床に落としたのは液体の入った茶褐色の薬品瓶だった。整頓中に手を滑らせてしまったようだ。
「えっと水かアセトンは……あぁ創れるんだったなそういや」
反射的に出てきた言葉だが、ラベルを見ようとしたときに落としたので、何の薬品かわからずじまいだ。とはいえ、臭いや色、粘度である程度は判別つく。だからこそ、ゆらゆらと見えた白煙を見ては一歩引きさがった。気体として鼻の粘液に溶け込むことで感じるわずかな刺激臭。それはメルストにとって嗅ぎなれているものだった。
(なんだ塩酸か。じゃあ雑巾濡らして拭けばいっか)
そう思ったのは経験によるものだろう。同時、脳の中に書き込まれたかのように認識されたガスの分子構造とその状態が視覚に映し出されたことには未だ慣れない。
「あ、そうだ」
(中和処理も能力でできないかな)
筋肉痛で痛む体をゆっくりしゃがませる。邪道だと思いつつも、恐る恐る、酸性の液体に人差し指で触れる。能力"組成鑑定"により、確かに塩酸だと判明。同時、やはり酸による肌への影響はないと確認する。濡らしたそれをイオン化、そして瞬く間に微量の水素と塩素分子へと構築しては空気中の一部へと溶け込んでいった。どちらも扱いを間違えれば危険なガスだ。
液溜まりを両手で覆いかぶせるように添える。
塩酸が分解し、それぞれが電荷を帯びた状態――イオンとなるイメージを。左手は正電荷であるナトリウムイオンを、右手は負電荷である水酸化物イオンを創成・構築のイメージを。そして水素と塩素のイオンがそれらと化合するイメージを。
推定構築。複数の反応を、連続かつ一瞬で遂げる。一呼吸置き――発動。
「どぉあ!?」
パチンと両手からプラズマの閃光が視界をよぎったとき、小さな爆発が起きる。
それはしゃがんでいたメルストをひっくり返すには十分で、背後の実験台に勢いよくぶつかる。上から空の丸底フラスコや500mLビーカーが転がり落ち、真横で割れる音が重なる。とどめにブフナー漏斗が頭上にゴンと落ち、ガシャンと床に落ちては盛大に粉砕する。血の気が引く思いをするが、時すでに遅し。若干の後悔を覚え、息をついた。
「……はぁ」
生み出した余剰エネルギーが水素を別の反応へと導いてしまったか。
(大事に至らなくてよかったけど、安全に使いこなすまで時間がかかりそうだな)
ため息を一つ。湿った両手に付着した塩を見つめる。一応、目的の反応は半ば達成できたようだ。それに、体調が崩れる様子もない。
(要は慣れだな)
そう結論付け、散らばったガラス破片を集める。わずかな不純物が混じるも、二酸化ケイ素を主体として構成された非晶体。酸化ホウ素でも混ざっていればまだ割れなかったかもしれないと考えつつ、それらを手で包んでは物質構築で結晶構造を組み換え、石英の結晶にする。コトリ、と台の上にそれをおいては自分の素手をみつめる。
(触れたり体内に入るだけで構造式や電子状態とか運動がわかるのはさすがに便利すぎるよな。毒物劇物吸ったり触れたりしても害はないし、触ってイメージするだけで化合や分解もできる。これは宇宙の法則狂っちゃうよ)
ガチャリ、と扉の開く音。振り返ると心配そうなエリシアが顔をのぞかせていた。
「いま大きな物音がしましたが、お怪我はありませんか?」
「大丈夫、ちょうど処理したところだから。それよりごめん、いくつかガラス器具割ってしまった。弁償として――」
「いえいえそんな、大丈夫ですよ!」と両手を前に出して遠慮する。「今はそこまで頻繁に使ってはいないものですし、メルストさんにお怪我がなければ問題ありません」
気まずそうだった彼はもう一度謝り、感謝を述べた。自分も稼げるようにならないと、と早まる思いだ。
そのまま錬金工房に入った彼女は、床から天井までを見回した。機微を動かすたびに、サラ、と流れる蒼い髪にメルストは見とれていた。
「それにしても、朝と比べて見違えるほどにきれいになりましたね。薬品の整頓や区分けまで……」
「廃液や古い試薬の廃棄処理はこれからだけど、産廃は……ああ、薬品のごみはいつもどうしてる?」
「いつもはルミアが処理してくださっていますね。基本的にごみは循環させていますが、魔法薬や錬金術で使われる薬品の類は魔法生物の生態系に悪影響を来す調査報告がされて以来、アコードでは特別処置が施されるようになりました。私たちのところ以外でもそういったものを扱う店や施設はありますので、町の廃棄施設に集められて、回収屋の方が運搬してくださるんです」
(そういうシステムは既に確立されてるんだな)
運搬ないし廃棄処理技術がどうなっているのかわからないが、この文化水準で既に環境に配慮している制度が定められていることにメルストは心の中で半ば驚いていた。
「それならよかった。半分近く残ってるから相当の廃液が出ると思うし。あっ、無暗に捨てずに精製できるものはそうした方がいいかな」
「えっ? いえそこまでやらせるわけには」
「やらせてほしいんだ。俺ができる数少ないことだから」
遠慮がちに言葉を選んでいた彼女に、そう笑いかける。すぐさま、よけておいた古い薬品瓶らとバケツの前に立った時だ。
「以前、錬金術でも?」
ふと聞こえた一言に、彼は首を向ける。
「ん? まぁ、似たようなことは。でも、錬金術師になったことはないよ」
「そうなのですか?」と意外そうな顔。
「職に就くには職業認定証が要るところもあるんだろ? それかライセンス保持者に書類上認めてもらうか」
ええ、と頷くエリシア。「ですが、王族や権利を有する貴族様の権限でも為り得ることは可能です。よければ手続きいたしましょうか?」
「へっ? いやさすがにそれは。このせか……いや、この国の錬金術とか法律とかまだ勉強不足だし」
まさかの提案に彼は頓狂な声を上げる。本だけでは知り得ないことは山ほどある。心配事を思い浮かべるメルストに、エリシアは使用人の如く両手を前にそっと組み、優しく語りかける。
「メルストさんは錬金術師に相応しい方だと思います。薬品を見分けたり廃棄することも、錬金術の造詣が深くないとそう簡単にはできないことですので。昨日のダグラスさんの一件もそうですが、私をヴィスペル大陸で助けてくださったときも、知識がなければ為し得なかったことかと」
「それは、まぁ……確かにそうだね」
否定すれば相手の気持ちを尊重できない。曖昧な返事をした。
「いざ研究を始めるときにライセンスがあれば後々問題が起きても保険が利きますし、論文化に至るまでもスムーズにできますが、そうですね。必要になればいつでもお声掛けください。取得試験除く書類手続きは省けるかと思いますので」
(あ、やっぱり試験は免れられないのね)
これまでの知識が通用するかわからないが、そのときはまた学べばいいかと考える。専門分野の資格に関してはある程度取得していたが、何度も落ちた苦渋が蘇る。
廃液処理するはずの手もすっかり止まっており、とうとう彼女の方へ体を向けた。落ち着きのない右手がなんとなく薬品瓶を触っていた。
「ありがとう。なんだか、迷惑かけてばっかりだな」
そう自虐気味に笑う。
出身も経歴も不明な浪人にとっては大変ありがたい話だろう。これもエリシアの権限や仁徳によって可能とするならば、頭が上がらない。
「とんでもありません。命の恩人様ですし、工房も綺麗にしてくださいましたから、このくらいのことはさせてください」
ただ、と付け足す。
「おそらくではありますが他の方々と異なり、特例のライセンスを発行することになるかもしれません。一般の学術機関や職業管理機関の所属は難しいかと」
歯切れの悪い言葉に、どうしてと言いかけるが、考えればすぐにわかる話だ。
「やっぱり、身元不明だから、とか?」
「それもありますが……そうだ、リビングでお話しいたしましょう。おつかれだと思いますし、よければティータイムでも」
そう両手を合わせて提案する。薬品の臭いと埃っぽさは朝よりはないも、ここで長話するのも体によくはないだろう。彼は壁に掛けられた時計を見上げる。
「ありがとう、是非……っていいたいところだけど、このあと――」
ズドバァン! と扉が勢いよく開く。壊れかけない音にエリシアはびくりと全身が飛び上がる。床から10cmほど浮いたように見えた。
「メル君こんにちー! てことで今日も練習するよー!」
「先客がいるんで」
元気いっぱいのルミアを一瞥し、そう苦笑交じりに彼は言う。エリシアはまたも両手を合わせ、感心の声。
「まぁ! 鍛錬にも励まれているのですね。そうだ、私も見学してよろしいですか? メルストさんの腕前をまだ見ていなかったので」
「え、そんな見せられるものじゃないよ」
とはいえまんざらそうでもない。ここでいいところを見せられたら、なんてことを彼は考えていたが。
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読んでいただきありがとうございます。
次回も加筆分です。