4-8-1.十字団の朝は早い
稜線から一日の始まりが顔を出す。
暖かい季節でも、今はまだ冷えた風が街路の木々と屋根を撫でる。ルマーノの町の商店街すらも店を開いておらず、まだ眠りについている中。
町から見えるも、ほんの少しだけ離れた丘の上に立つ、二階建ての民家と工房。そこから聞こえてくるのはかわいらしい鼻歌。
「フンフフンフフ~ン♪」
揺れるポニーテールは夕日に焼けた小麦畑のように柔い金を帯びている。華奢な少女の背はご機嫌にリズムを刻む。ジュウ、と野菜と肉を油とともに炒める音からは、食欲をかきたたせる香ばしさが漂ってきそうだ。
「あ、エリちゃん先生おはよ~!」
エプロンをつけたルミアが足音に気付いて肩より上だけ振り返る。
「おぁよぅごじゃいやすぅ……」とか細くもふにゃふにゃした声で返したエリシアの顔は眠たそうだ。
「ごはんもうちょっとだから、顔洗ってきなよ。眠たそうな先生の顔もかわいいけどさ」
「ふぁい」とふらふら洗面台へと向かっていった。そのとき、ガチャリ、とエントランスの扉が開く。廊下を歩く足音からルミアが察するに、朝練帰りのフェミルだろう。きっとジェイクはいつも通り今日も飲み明けているか、どっかの女の家に寝泊まっているかだ。
ダイニングに入ってきたと同時、ルミアは満面の笑みを向けた。
「フェミルんおっはよー!」
「……おはよ」
うっとりするような黄金色の目は、先ほどのエリシアに反しパッチリしているが、返事のトーンはそう変わりない。
「今日の、当番……ルミア?」
「んー?」と、フライパンを置いて、煮込んだ鍋の中身に香辛料をひとつまみ、水溶き軟質小麦粉を大さじ一杯入れては混ぜる。「ホントはエリちゃん先生だけどさ、お仕事と研究に追われてるし、しばらくはあたしがすることになったんだ」
「……手伝う?」
「いーよいーよ。もうすぐできるし。フェミルんは明日よろしくね」
こくり、とうなずいては汗を流すべく、バスルームに向かう。そこでエリシアとの挨拶が聞こえたのを背に、赤味スープの味見をする。
芳香と苦みが主張している気がしないでもない。クミンをちょいと入れすぎたようだ。しかし奄美のアクセントに桂皮柱を一本入れたのは正解だったようで、トマトの味も十分な濃さだ。ひよこ豆の煮込み具合も今日はうまくいっている。
「うん! いーい感じっ」
フェミルのアドバイスは明確に味に表れる。「これが女子力アップの瞬間ってやつだね」と嬉しそうにつぶやいてはエプロンを外す。後は皿に盛るだけ。だけどその前に大切なことが一つ。
「メルくーん! おっきろー!」
二階の個室。本と書類に埋もれた机をよそに、窓際のベッドで爆睡しているメルストを大声で呼びかける。彼の体の上に饅頭のようにちょこんと乗っている、白羽毛とルビー色の鉱物を生やした魔物――ジルコンフェアリーのシンナが何事? といわんばかりにくりんとした黒目を開け、短い首を伸ばす。
「シンナっちもおはよー。今日も寝坊助だねー君のご主人は」と言いながら、カーテンも窓もシャッと開け、新鮮な空気と目覚めの光を浴びせた。しかし毛布にくるまるだけでその寝坊助は起きようとしない。
「もぉー」と頬を膨らませるが、メルストの耳元で、
「起きないとぉ、お布団の中入っちゃうぞー。布団の中でメル君にすごいことしちゃうぞー」
そう囁いても無反応なのが一人の女性として複雑なところはあった。他の知り合いなら効果絶大なのにどうして、と思いつつ、またも頬を膨らます。一緒に布団の中に入っていろいろするのも良かったが、今はせっかく作った料理を食べてほしい一心だ。
毛布越しでメルストの丸い背中と肩を掴んで大きく揺らした。
「むー起きないなぁ。ねーえー、起ーきーてぇー。起きて起きて起きて起きて起きろやコラァ! ミディアムで焼くぞ!!」
「はいおきましたおはようございますすいまべぽが!」
メルストが起き上がった時には遅く、どこに携えていたのか、小型の爆撃銃でベッドごと彼を爆破させた。既に危機を察知していたシンナはルミアの頭の上に避難していた。
十字団揃っての朝食。献立はドンドル牛の肉が入ったハリラスープと、ファーマ農場から報酬でいただいた山盛りの野菜炒め、チーズトースト、そして駅逓局のユウが毎朝配る牛乳だ。
「メルストさんどうされました? なんだかメルストさんから芳ばしい香りがしますよ?」
「ミディアムに起こされたからね」
そう言ってはルミア自慢のスープを一口。やけに強い視線を感じるので、「うまいな、これ」とあえて口に出した。金髪の少女の「んふふー」といわんばかりのにやけ顔が目に入る。
「今日当番を変わってくださりありがとうございます、ルミア」とエリシア。
「いーってことよ。バリ忙しいエリちゃん先生に比べりゃこんなの朝飯前なのよさ」
「大結界のことだろ? 厳戒態勢らしいけど、俺たちは加勢しなくていいのか?」
「大丈夫ですよ、魔術の類は私と神殿府にお任せください。メルストさんたちは派遣罪人が目撃され次第、出動してくださればそれで十分に助かります」
メルストの隣でそう微笑む彼女に、少し胸を痛める。この国を護る大結界。それを支える柱が、とある派遣罪人によって既に2本は破壊されているという。魔導軍総動員で柱の修復と防衛をしているようだが、魔法に疎い彼が行っても足手まといになるだけだろう。もやもやする気持ちを牛乳と一緒に飲み込んだ。
「まぁアテもなく探し回るよりはいいかもしれないけど……ふあぁ」
「メル君、最近ねぼすけじゃない? 夜遅くまで一体ナニやってんのよさ」
「秘教博士になってから請け負う仕事が一気に増えてるんだよ」
「プロジェクト数が5越えてますものね……普通の人間ならしんじゃいますよ」
窒素の固体化における生体触媒の錬成およびそれを用いた肥料の製造プロセスの最適化。効率的な下水処理・海水淡水化を施すフィルター装置の開発。鉄に匹敵する強さと軽さを兼ね備えた樹脂の錬成。希少金属の精製方法の開発……ほとんどはこれまでのアコードにはない革新的な発案の元で行われているが、いずれもメルスト主体なのが悩みどころではあった。
また、国の要望も交えていることから、彼の本来の専門分野を発揮できていないのも心苦しい。
「なにそれ、初めて聞いたよそんなこと」
「はじめて言ったからな。ルミアには」
「まさかひとりで?」
「まさかのひとり」
「うっわ、よくやるね」
「ルミアも同じだろ」
はて、と食べる手を止めるが、その意味を理解したとき真顔のまま俯いた。
「……そうだった、あたしも独りだった」
「時間差で悲しそうな顔すんな。いやそういうことじゃねぇ」
「独り同士だし、結婚する?」
「だからそういうことじゃねぇ」
「け、結婚……!?」
ガタッ、と椅子の荒ぶる音。驚愕と戸惑いがここまで形に現れる人もそうはいない。
「ほらそんなこというからエリシアさん信じちゃったじゃん」
「むしろこのリアクションを見たくて言ってるようなものだからね」
「それはシンプルにやめておけ」
「……先生、いまの……嘘、だって」とフェミル。
「そうなのですか……? 突然プロポーズするのですからびっくりしちゃいました」
(良くも悪くも純粋だなぁ)
そう思っていると、正面に座っていたルミアが体を前に乗り出す。
「あ、そうだ。今日メル君空いてる?」
「休日だし、まぁ多少は」
「じゃあさじゃあさ! イイことしようよ! あたしとふたりで!」
「い、イイこと……!?」
ガタッ、とまたも椅子の荒ぶる音。
「落ち着け大賢者。ルミアもややこしい言い回しをするな」
「むしろこのリアクションを見たくて――」
「デジャヴ感じたけど俺いま時間のループに入ってる?」
「まぁそれはそうと、話が決まれば早速やっちゃおう!」
そう言ったルミアはとうに完食しており、「待てよ」とメルストも残りを口に詰め込んで後を追う。残った山盛りの野菜炒めにフェミルの感情を見せないはずの目がほんのわずかに輝いた気がしないでもない。
主な登場人物
・メルスト・ヘルメス
アーシャ十字団の若き錬金術師。黒髪と黒い瞳をもち、白い外套や白衣が印象的……なのだが黒い白衣に新調しようとしており、洋裁師のリーアと相談している。
養殖しているコクダマムシを炊いてお米代わりとしてマイ主食にしているが、納豆と味噌も恋しくなり、個人的に自作のそれらをひっそりと作っている。
・エリシア・O・クレイシス
アーシャ十字団の魔術師兼魔法学者を務め、かつアコード王国の王女にして六大賢者の一柱。青銀髪と紅の双眸をもち、青と白の術服を常時羽織っている。絶世の美女であり、メルストも惚れている。訳ありの曲者たちを取りまとめる管理者。
ロシアンルーレットの際に使われた激辛食材のレッドハバネックスには大敗したが、少しだけ癖になっており、自分用にひっそりと購入して香辛料にしている。
・ルミア・ハードック
アーシャ十字団の機工師を務める華奢な少女。金髪と紫の瞳をもち、黒いインナーにツナギや作業服、スチームパンク風等の装いが特徴的。誰よりも爆発を愛する爆弾魔であり、その犯罪歴は数知れない。
最近ルマーノの町で開店されたパン屋兼カフェテリアが気に入っており、洋裁師のリーアと駅逓局のユウの3人でときどき集まっている。
・ジェイク・リドル
アーシャ十字団の警護官を務める青年。茶髪と翠の三白眼をもち、レッドダーク調の軽装鎧といった冒険者風の容姿と長身の両手剣が特徴。数多の強盗、強姦、虐殺を犯してきた死刑囚の経歴をもつ。
怪人級の腕力を持っているが、未だに腕相撲ではロダンとバルクに勝てずにいるので、今日もバルクに勝負を挑んでいるのが日課となっている。
・フェミル・ネフィア
アーシャ十字団の槍闘士として生きる美しい少女。ハイエルフ種でも珍しい緑髪と金色の瞳をもち、エメラルドおよびサファイアブルー調の騎士鎧と鎧兜が特徴。奴隷として売り出されているところを救出され、"穢れ"を浄化するまでの間、十字団に所属させてもらっている。
意外と自分の声の小ささを気にしており、早朝の自主鍛錬の一つに挨拶の練習をこっそりやっている。
・ロダン・ハイルディン
アーシャ十字団の団長にしてアコード王国の三雄の一人。"軍王"として国を護る。銀のオールバックに灰の瞳をもつ重装兵の白銀鎧を纏った巨漢の老兵。全盛期、オルク帝國との"大戦"の中ではもう一人の魔王の如き怪物だと恐れられていた。
実の息子がいるが、未だに孫の顔を見せてくれなくてうずうずしている。