4-7-9.オルク帝國最後の刺客
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「あーあーこっちもしくじったか」
グレースーツとダークシャツを着こなし、しわがれたネイビー調のステンカラーコートを羽織った壮年の男は、広がる草原に佇む。薄い曇天が日を覆い、温い風がコートと雑にかきあげたブラウンのワイルドカールの毛先を揺らす。
疲労がたまったか、あるいはこの世の中に嫌気がさしたか。希望を失ったような赤褐色の目に、高くそびえる巨峰――半壊したジハンド山脈を映す。
あそこに同胞……になるのだろう、ろくに話したこともない若いバイオハッカーの遺体が眠っている。そうさせた自分の汚れた手は革手袋に覆われており、煙草を指に挟んでいる。
「お国も酷なことさせる。やろうと思えば簡単に自動で始末できるのに、あえて同胞の手で、それも俺のつくった製品でやらせるんだもんな」
指令は突然だ。番号と頭文字を耳元で囁いては『殺れ』と告げられる。そこに理由も状況も伝わらない。言われたことだけやれ。そんな無機質な命令も、これで6度目だ。
処刑は遠隔だ。本当に殺したのかわからないのもあり、抵抗はない。命を屠ることはとうの昔から慣れていることだった。
「それになんだこの生き物は。あんなゲテモノ設計って、全くお国はどこに向かってんだろうよ」
眼前に展開したパネル状に枠取られた光のぼやけが投影される。そこには、この土地で起きた履歴――いわば、時間因子に影響する魔素を用いて集めた残留思念が、映像として映し出されていた。それを閲覧した男は、パラビオス――BC.2.0こと設計生物の暴れっぷりを目に焼き付けていた。
ディスプレイを指でタップしては消し、一服。作業に取り掛かろうと空いた右手を前にかざしたときだ。
草木が大きく揺れ、ざわめくほどの咆哮が轟いた。肌をひりつかせるほどの痺れは自身の畏怖によるものではない。物理的に、音波がぶつかってきたのだ。
「ん?」
あの山脈の向こうからだ。ここからでも十数キロはあるだろう。
まさかと感じた男の予想は的中し、山脈から小さい何かが向かってきている。それは段々と大きくなり、正体を掴むことができたのはすぐのことだった。
「守護神棲んでるなら、先に言ってほしいね。おじさん、サプライズは好きじゃないんだ」
恐ろしい速度で迫る白銀の巨躯は、新雪が降った後の雪原のように美しく、そして大きな翼を羽ばたかせている。その紅蓮に染まる竜眼は、明らかに無精ひげを生やした男を映していた。
左手にもった煙草をそのまま口にくわえ、直線的に突進する老竜を見る。その目はまるで状況をわかってないかのように落ち着いている。かざした右手のひらは、下ではなく正面に向けた。
すぅ、と煙を吸い――吐いた今、老竜の巨大な牙が男を噛み潰そうとしていた。
その時だ。
迫る白銀峰が、業火に染まる。
白い牙の草原。赤みを帯びた洞窟のような喉奥から、一瞬にして気分の晴れない曇天と焼けた草原が彼の視界に広がった。鼓膜どころか耳小骨、否、心臓すらも破裂しかねない爆音は、周囲の木々の堅牢な幹を抉り取り、土ごと根こそぎ倒れる。
それは体長100メートルもの巨大な体積。体重数百トンはくだらない質量の塊が、秒速300メートルで突っ込んでくる。それを無反動で弾き返したどころか、十数キロ先のジハンド山脈まで吹き飛ばしたのだ。
音の壁を越え、山の崖にその巨体が深くめり込む。首をはじめ、全身が衝撃でねじ切れており、骨も粉々であろう。砲弾の雨すらものともしない竜麟は灼熱で融け、かつ爆撃で肉ごと抉れている。最早、虫の息だった。
無情にも、山脈全域が赤い魔法陣に覆われる。地面に流れる血のように伝う魔晄の組織は、一本の導火線――男の手から続いていた。
崩れた山の瓦礫から起き上がった老竜は震える巨躯を支えつつも、まっすぐな目で遥か先に立つ危険人物を睨む。大口を開け、パラビオスの群れをも一掃した竜の息吹を繰り出そうとした時だ。
パチン、と軽快な指の鳴らす音。
起爆スイッチの役割をそれが果たしたのを最後に、アコード王国最大級の造山帯は一瞬の世界の漂白と無音の後に地獄へと、そして天へと続く巨大な火柱に飲み込まれた。その大破局的噴火は周囲をも焼き尽くし、暴風の壁が竜の楽園を地盤からひっくり返す。木々が悲鳴を上げ、堅い身を屈んで転ぶ中、依然として立つ男は、赤く熱い空の照りに焼かれながらも変わらない表情で一部始終を見据えていた。
曇天が一気に晴れ渡り、しかし噴煙が再び空を禍々しい黒雲へと染め始める。太陽へと目指して続いている火柱は、さも火の国を架ける橋のようだ。
「"One Spot Complete." ってな。これで3か所目だが、こんなやり方で王国を堕とせるんかねぇ。占星術的に大結界の穴を突くにしたって、せっかくの超大国の土地を結局あのゲテモノの巣にしてしまうのはちと悪趣味なんじゃねぇか?」
誰かに聴かせるような話しぶり。男の耳には小型音波変換装置のようなものがが付属されていた。そこからノイズが流れる。
「あいあい、口には気をつけろってね。誰も聞いてねぇのに心配性が過ぎやしないかね。ここは帝國じゃないんだ、監視や盗聴の技術水準なんてたかが知れている」
口うるさい妻の説教を聞き流すような、うんざりした様子だ。いますぐ通信を切りたい気分だが、これも仕事の一環。そういうわけにもいかないと男は諦める。
「お次は……はいはい大丈夫だから。おじさんは齢だけどそこまで歳とってないから。お気遣いをどーも」
めんどくさそうに彼――バン・イートンは、次の目的地へと踵を返し、巨大な爆炎の柱を背に、歩を進めた。大結界の柱を破壊するために。
メルスト「ルミえも~ん、聞いてよぉ」
ルミア「どうしたんだいメルた君。普段のマヌケ顔がさらにひどいことになってるじゃないか(ダミ声)」
メルスト「今日、エリかちゃんと買い物に行く約束をしたのにジェイアンとフェミオが訓練しようぜって一晩中付き合わされたんだよお」
ルミア「断らない君が悪い」
メルスト「元も子もない」
ルミア「でも無理強いも良くないね。そんな人間関係に困っている君にはこの(自称)地球はかいばくだん(当社比)を授けよう」
メルスト「需要と供給が成り立ってないが」
ルミア「悩み事はすべて爆発が解決してくれる時代だよメルた君。ジェイアンみたいな手に負えない傍若無人もみんな、爆発させればただの炭だぜ。な?」
メルスト「いや『な?』じゃないからな? その『騙されたと思って』みたいな顔して渡すものじゃないからな?」
エリシア「あの、おふたりとも何のやりとりをされてるのですか……?」
次回:駐屯所の爆破事故
第七話完結。読んでくださりありがとうございます!
【捕捉】※読まなくても本編を読むにあたって支障はありませんが、より世界観を楽しめるかと思います。ただ時間の都合でこの欄は後日更新します。




