4-6-5.ケイビス・ダンジョン再び ―アーシャ十字団流未開地開拓録その4―
王国第二区、レジレイン海域――ウィリー・ピート島。
絶海を満たす炎の海は、さながら純白の天使の姿から内側の悪魔へと皮を剥がすかのようだ。それもつかの間、島を包む炎が幻影の如く消え去った。依然として白土の渓谷諸島はその稜を保っている。
「あぶねぇ……エリシアさん、大丈夫?」
白土という豊富な資源が可燃剤として消え失せるのを防いだのも、メルストの物質創成能力があってこそだろう。不燃ガスを短時間の間、島全体に充満させたようだ。
上から白光素の鉱石がパラパラと降り注ぎ、髪や肩に白粉末がこびりつく。恐ろし気にメルストはエリシアに付着したそれを払いのけ、手を掴んでは倒れた膝を立たせた。
「ええ、なんとか……きゃっ!」
蒼炎の加護で護られているおかげもあってか、エリシアも島一帯の爆発の被害に巻き込まれずに済んだようだ。お互いの無事を確認しようとしたところで、声を上げる。
足元には狂暴な猿型魔物――エペリア・マッカ――数頭が転がっていた。毛先や肌が焦げている。
「不慮の事故だな。気絶してるよ……いやそれで済むのもおかしな話だけど」
魔物辞めてるだろ、とメルストは思う。業火や毒ガスでもものともしない悪魔的生物は不死の暴獣ぐらいでおなかいっぱいだ。
「それで、このあたりだよね魔素が溜まっているの」とあたりを見回す。所々島から出ている反応煙が空へと昇っているのを見、時間はなさそうだと気を引き締める。
「はい、これだけあれば、安全に島ごと転移することができるかと思います」
「よし、それなら安心だね。……ん? マジで?」
いとも簡単に言ってくれる。あまりに自然にいうもので、聞き流すところだっただろう。
「他の大賢者様のように天地をひっくり返したり、海を割ったりすることはできませんが、転移魔法は私の十八番ですので! お任せあれです!」
「前例ある言い草に恐れをなしますよ大賢者様……」
そう言って胸を張るのだから、きっと大丈夫なのだろう。逆に海を割られても困るだけの話だ。
「ちなみに転移先は?」
「沿岸からでも見える場所にしようかと」
「地理的に大丈夫? 生態系とか」
「龍脈的には影響のない場所に転移させますし、文献で得た知識程度ですが、水質や生態系もここと大きな差異はない位置だと踏んではいます」
「ちょっと心配だけど、試してみる価値はあるか」
じゃあ、お願いします、と言ったところで、エリシアは大楊杖を天に掲げる。途端、どこからともなく蒼炎が海上から燃え上がり、島全体を大きく包む。
一見すると地獄絵図だが、不思議と熱は感じない。この炎が一帯を覆ったとき、大海原の景色は一気に転換するだろう。
「こりゃあ大規模な運搬作業だな。にしても、作物を育ませる魔法は難しくて島を移動させることはできるって、難しさの基準がわからないね」
「誰しも魔術には得手不得手がありますし、魔素にもいろんな種類がありますので」
少し申し訳なさそうにエリシアは苦笑した、その時。
何かの呻き声。ズン、と響く振動が靴底から伝わる。地面に爪を立てる音が、ふたりを振り向かせる。
「うーわっ、起きてきたよ」
エペリア・マッカが意識を取り戻した。何事もなかったようにその目をぎらつかせ、戦意を猛々しく吐き出す。
「やはり侮れませんね。……でも準備は完了いたしました。いつでも転移できます」
大杖と周囲の蒼炎を結びつかせ、エリシアの周囲にも蒼炎が纏う。なるほど、と察したメルストは硬くなった表情を少し緩ませた。
「あいつらには悪いけど、また海を泳いでもらうしかないな」
「では――"ラークの翼、大盤を運びし爪、我らの意志で摂理に反することを御赦しください"」
脅威は眼前。獣の生臭くぬるい息が顔にかかる――刹那、肌寒い潮風が吹き付けた。耳に触る荒い波音も、静けさを奏でている。
辺りを見回したところで、脅威がどこにもいないことに胸をなでおろす。大海原しか見えなかった絶海の孤島も、振り向けば陸地が近くに見えた。
「すげ、本当に岸の前に移ったよ」
ふぅ、と近くの白岩に腰を下ろした。杖を胸元に寄せ、エリシアも穏やかに息をつく。
「おつかれ、エリシアさん。助かったよ」
「成功してよかったです。皆さんもうまくいけば良いのですが」
「あいつらは大丈夫だ」と無邪気な少年のように笑う。「早いとこ報告して、俺は作物が育たない原因を探りたいとこだ」
そうまっすぐとエリシアへ目を向ける。しかしその視線はエリシアでもその後ろにそびえ立つ白い島でもない、その先のどこかを見つめているようだった。
*
無事、クエストをクリアした十字団が次に為すべきことは、原因の追究だった。アコード王国全域の農作物の不作問題は、一部を除いてどれも共通した原因がある。ルミアらに回収してもらった各地の作物と土の状態を調べてメルストはそう推察した。
「メルストさん、よかったらティータイムに致しますか? とても頑張っていらしているところ恐縮ですが、そろそろ休憩も必要かと」
「そうだね、そうさせていただくよ」
洗い場に漬け置きされている薬匙に乳鉢。透明な混合溶媒が入った大きな果実型フラスコに咲く黄金色の結晶は今も成長を続けている。
それを横目に、錬金工房の薬品臭さにうんざりしていたが、小鳥のさえずりのように澄んだ声が耳に届き、メルストは思わず笑顔になった。組成鑑定能力で分析しては紙に検出値を書き込んでいる作業をすぐさま中断し、ベランダでエリシアからもらったイエローハーブティーを口につける。甘くフルーティなオレンジの香りが、張った気分を和らげ、ブレンドしているペパーミントの爽やかな香りが、うっすらと包み込んでいた眠気を覚ましてくれた。
「あれからなにか進展はありましたか?」
「やっぱり栄養失調かと思う。土壌の栄養分が足りてないのが根本的な理由だな」
けど、どうしてそうなっているのかはまだわからない。そうメルストは白い息を空へ吐く。
「俺の方で肥料分とラベル分子を含ませた水を与えてみたんだけど、ほとんど土壌からなくなっていたんだよ。たったの一晩で」
「自然的な現象とは考えにくいですね。魔物か精霊蟲の仕業でしょうか」
「フェミルの力を借りても、そういった気配が微量で判断が難しいみたいでさ。でも、作物自体には調べて考えた限り何もなかったし、やっぱり土……というよりこの大地に何かがあるとしか思えないんだよな」
うーん、と首をかしげ、目と口を横一文字にしては思い悩む。んー、と小さく丸めた手を口に当て、少し見上げたエリシアは提案するように口を開いた。
「おそらくですが、もっと下に原因があるのかもしれませんね」
「どういうこと?」と顔を向ける。相変わらず、彼女の横顔は何度見ても飽きることはない。
「地下です。過去に地質調査した限りでは、この町の下深くには水脈があるんです。そこにわずかですが空洞があるようで」
「洞窟があるのか。いや、それよりも水源の方が気になるな」
「ルマーノの恵みもその水源から与えられております。魔力の龍脈もそこから行き渡っておりますので」
その水脈になにかしらの異常が発生しているかもしれない。そうメルストは頭を巡らせつつ、まだあたたかい紅茶に口をつける。
「そこに通じてる場所はある?」
「えっと……申し訳ありません、再度調査をしない限りは私にも――」
「ケイビス・ダンジョンからいける」
後ろから聞こえた声に、メルストとエリシアは振り返る。そこにはいつも不機嫌そうな青年の顔があった。
「ジェイク、知っているのか?」
「知ってるから今オレからわざわざ話しかけてんだろが」
表情のとおり、不機嫌な対応を取ったジェイクに対しムッとすることは少なくはないが、この程度なら慣れている。
(そういやこいつはそこらのダンジョン網羅してるんだっけ)
「ケイビス・ダンジョンは確か以前、ホルム君とシャロルちゃんがはぐれた場所でしたよね」
「知らねーよンなこと」と当人らを救出した張本人は眉をひそめる。
「つっても、そこが農場の真下にあるかはしらねぇぞ。ここから近いとこで、デケェ川見かけたのがそこぐらいしかねぇってだけだ」
「ジェイク、そこまで案内してくれないか」
その言葉を待っていたかのように、不機嫌そうな口が歪み、八重歯を見せた。
「5万Cで手を打ってやる」
「やっぱりお金を取るんですね……」
そうエリシアは肩を落とす。
「ったりめぇだろ、人様に頼むんだからそれ相応の対価を言ったまでだ。これでもサービスしてる方なんだぜ?」
「わかったよ。支払うから頼んだぞ」
「へっ、小遣いゲットォ~♪」
したり顔で今日いちばんの笑顔を見せる。そうと決まれば彼の行動は早く、ベランダから飛び降りては、「早く来い」と怒鳴るように案内を始めた。
時間的に少し余裕が出てきましたので、少しだけですが書くことができました。