4-6-1.ルマーノの街の腹を満たすため
この世界には魔物こと魔法生物が存在する。種類によって呼び方が変わるが、詳しくなければ混同している人の方が多いという。ともあれ、魔法生物は摩訶不思議な体質や生態系を有しており、中には生活を役立てたり、魔法的な生活の礎として支えたりしている。
当然、虫のような姿をした魔物も無数にいるのだが――。
「ジェイク! そっち逃げたぞ!」
「待ちやがれクソ虫ィ! 身ぐるみ全部剥がしやがれ!」
「こんのっ、本当に虫みたいにすばしっこい!」
丘の上に立つアーシャ十字団の拠点。朝から忙しなくドダドダとふたりの足が家を揺るがしている。ドンガラガッシャン、と大きな音。一瞬だけ静かになったかと思いきや、奇声とともにエントランスのドアが大破した。
そこから真っ先に飛び出してきたのは赤と黄色に輝く鉱石を体に生やした、翼をはためかす小さな白毛の生き物。妖精と呼ばれているそれを後ろから男二人――メルストとジェイク――が追いかける。
「ドア壊さないでくださいよー!」
エリシアの叫びも届かず、それらはルマーノの街へと消え行ってしまった。嵐が去ったような静けさを背に、もう、と肩を落とす。大破したドアを見てあーあー、と言いながら歯磨きをしているルミアが、眠気まなこのままエリシアの横に頭を出す。
「本当に男の子っふぇ」
「歯磨き済ましてから話してください」
その場でペッと吐き捨てることを予想していたのか、ルミアが吐き捨てた先に水の入った桶が浮遊しながら飛んできた。ついでに一緒に魔法によって浮遊してきた水入りのコップをルミアに持たせる。
「ホントに男の子って虫とか生き物捕まえるの好きだよね。てかなんであのふたりが共同してあの魔物追いかけてるの?」
「あのジルコンフェアリーの身体に付属している生体鉱石が大変高価でして、ジェイクはともかく、メルストさんは生態の観察と鉱石の分析をしてみたいらしいです」
うがいし終え、口元を浮遊しているタオルで拭ったルミアは、
「メル君も相変わらずアルケミストらしいことしてるね。先生は手伝わないの?」
「肉眼でとらえるのがやっとなほど逃げ足は速いですし、そもそも捕まえるのも気が進まないです」
フッと風を感じた二人は左を見る。玄関ポーチの手すり柵の上に足を置いてしゃがんでいるフェミルがおり、その手に持った妖精をふたりに見せた。
「先生、捕まえてきたよ。……役に立てたかな?」
「ええと……まぁ、本人たちに伝えれば褒めてもらえると思いますよ? 早めに」
*
ルマーノの街を爆速で駆けるメルストとジェイクは血まなこでジルコンフェアリーの行方を追う。広場か、商店街か路地裏か。走りながら四方八方を見回し、とうとう気付く。
「あれっ、どこいった? いなくなってねぇか?」
「ンなはずあるか! 絶対ここのあたりにいる! 目ん玉飛び出すぐらい探せェ!」
メルストへと顔を向けたのを最後に、柵のない運河下へと足を滑らせる。
「ほぱぎ!」
何かにしがみつこうと手を泳ぐように伸ばすも虚しく、ばしゃんと小舟が通る水路に転落した。
「ママー、あの怖いお兄ちゃん川に落ちたよ」「しっ、見ちゃダメよ」
そんな親子の会話も通り過ぎ、一部始終をメルストは振り向いて走りながら見届けていた。
「血眼で探しても周り見えてなかったら世話ねーな――おぶっ」
人のことをいえなかったメルストは角を曲がってきた小太りの中年男性に顔からぶつかる。男性のお腹が大きかったのか、相手は倒れず、それどころかメルストが弾き返った。
「おーっとっと、ちゃんと前を見ないと危ないじゃないか」
「あっ、えと、すみません!」
すぐさま頭を下げるが、男は大して気にしていないようだ。男性はメルストの顔を見て、何かを思い出したように口元に添えた茶髭をさわりとなぞった。
「あれ……君って十字団の錬金術師かい? 英雄アレックスとの勝負で勝った……」
「え、ああ、そうといえばそうですけど」
「よかった、ちょうど今からそちらに伺おうとしてたんだ。悪いけど、エリシア大賢者様に伝えてくれないかな?」
*
東区には七色の彩りと新緑を蓄えた街の農場がある。土の香りが強いここに、メルストとエリシアが足を運んだ。案内した先ほどの小太りな男性――ファーマ――は首元に巻いたタオルで汗を拭きながら事情の詳細を丁寧に説明した。
「作物育たないのか」
そうメルストは唸る。いわれてみると、確かに小さく、なよっとしているように見えなくもない。
「ファーマさんの土地は特に枯れてはいないと思っていたのですが、このままではルマーノの町の農作物がピンチですね」
自給自足で腹をこしらえる民家はあっても、この街の大体はファーマ農場の作物や他の区域からの輸送物、ギルドの狩猟で支えられてきていた。頼みの綱は数あれど、その一つが崩れればその影響は大きい。
「今でさえなんとかなるかわからない状況なのに、これじゃあ次の収穫があるかどうか……大賢者様、なんとかなるでしょうか」
最早冷や汗にも見えてくる焦りを拭き取り、ファーマは心配そうにエリシアに尋ねる。その心を安心させるために、エリシアはゆっくりと微笑みかけ、うなずいた。
「今期の収穫分は保証致します。ご安心ください」
その言葉に、農夫は救われたような顔を向ける。
「ただ、問題はその後ですね」と困り顔。うぅんとうなっているところ、メルストが思い付きで話す。
「他の街から支給してもらうことはできないのか? 輸送艇とかときどき来るだろ」
「ここら一帯は危険な魔物の住処が多いので、あの輸送艇の行き来も限界があります。それに、ここ最近でアコードは急激な食糧難に瀕していますし……原因は調査中のようですが」
「え、そうなの? そっちの方が問題じゃんか」
「ここくらいの農場ならばともかく、大規模な作物の再生となると私や魔道団ではリスクが高いので、"妖精界の女王"のお力を借りたいところですが、ここのところ連絡が取れなくて」
(おいおい返信遅いタイプかよ"希神の大賢者"は)
自分たちで原因を突き詰めてなんとかするしかないようだ。メルストは畑の土をつまみ、"組成鑑定"で成分を調べる。
「ていうかリスクってなんだ? 土を肥やして緑豊かにする話なら割と簡単なんじゃないのか?」
「……? どういうことですか?」と素朴な疑問を向ける。メルストはジェスチャー交じりで、
「ほら、魔法であるでしょ、ふいふい~って杖振ればあら不思議ー、的なノリで草ボーボーって」
「からかわないでください」
「すいません」
むっとしたエリシアにすぐさま真顔で謝るメルスト。もう、と少しだけ呆れつつも大賢者は優しく教える。
「魔法にもできることが限られています。緑を豊かにする魔法だって、その土地や植物の魔力を成長促進へと半ば無理強いで導いているに過ぎないのです」
「でも、エリシアさんの魔力量だったら一瞬で土が肥えて、ぽぽぽぽーんって作物実ったりとか」
「……あはは」
「そのフォローできないとみなされた苦笑はちょっと傷つく」
「できないことはないですよ。ですけど、人の使う魔法は自然にとって少しばかり毒なのです。身の丈に合わない急な成長や誘導はその命や物質に負担をかけてしまいます」
「そしたら直接魔力が関与しないように、大規模な風や水魔法で天候を操作したりとか……ってそうだったな。それすると自然の系が狂うかもしれないから極力控えたいって前に言ってたね」
だからリスクのことを。いくつかの分野でも彼なりに感じていたことだったが、メルストの思う魔法は思ったより万能ではないようだ。
「魔法って案外……なんでもないです。ごめんなさい。だから泣きそうにならないで! 先生のやってきたことは正しいから! 立派だから!」
その程度なんだなという気持ちが顔に出ていたのか、エリシアの表情がしょぼんと子犬のように小さくなっては落ち込み、「いえ、大丈夫です……」とか細い声を漏らしていた。
「君~、いくら大賢者様と同じ十字団だとしても、少しばかり口が過ぎると思わないか?」
「言うほど言ってないと思うんですけど……」
それでもこの現場を見てしまえば明らかメルストが悪い。代わりに叱ったファーマにメルストは頭をかきながら謝った。
「それはそうとな……」とつぶやき、未熟な緑を見渡す。
(俺の物質創成能力ならほぼ無尽蔵で肥料なり水なり作れるけど、それだと根本的な解決にならない。みんなの力でできる方法を見つけ出さないと)
彼の能力を前にすれば、世界中の飢餓も、貧しさも、病も戦争も、すべて解決するだろう。しかし、メルストがいつまでもこの世界にいられる保証はどこにもない。それならば、この力に頼り切ることなく、自分の得てきた知恵を共有するべきだ。そうすれば、その知恵や技術は継承され、この世界と人々の水準に合わせて発展していく。
それが彼の信念ともいえる考え方だった。
「今、土の成分を視てみたんですけど、作物が育つのに必要な栄養素が不足してますね」
「そんな、先日の魔法検査では通常通りだったのにどうして」とエリシア。
「まず植物体を丈夫にするはたらきを促す灰素、実を肥やすために必要な光素、そして植物の体を形作るための卑素……いずれの植物も、それらが不足したことによる症状が顕著に見えています」
いわゆる、カリウムとリンと窒素だ。あまりにも典型的な栄養素が不足しているという安直な問題に直面し、それだけではない他に問題があるのではないのかと疑ってしまうほどだ。
そう言い、薄っぽい黄ばんだ下葉や枯れつつある小さな葉を手に取る。触れただけで簡単に葉が落ちた。
(けど、なんでここまで不自然に三大栄養素だけが足りていない。ほんの数日前までは異常はなかったと言っていたし、そんな急な話があるか?)
ただ植物を育てるだけの話なら、土壌の栄養成分が多少不足していても問題にはならないことをメルストは思い出す。窒素の――正確にはアンモニウムイオンや硝酸イオン――の不足があっても、光呼吸や様々な酵素による分解作用等でそれは得られるし、リンが欠乏すれば植物自身がそれに適応するべく生化学的反応系を変更したりリン輸送を活発化したりする。
植物体自身の生体系を組成鑑定できれば良いのだが、得られる莫大な情報にまだメルストの脳では処理しきれない。今すぐに分かることではなかった。
他にも、二次要素であるマグネシウム・硫黄・カルシウムは過不足ない。それ以外の微量要素もだ。違和感を覚えながらも、今は目の前のことだと隅に置いた。
「つまり、それらを補うための肥料があればいいんだね」
「ギルドで要らなくなった魔物の骨とか屑とか……あ、家畜の糞や人糞を発酵させたものを使ってみたらどうですか? 大体肥料完成まで半年ぐらいだろうし、次の収穫に差し支えないかと思います」
「いやーそれが、ルミアちゃんがそれほとんど回収して燃やしてるわけだから」と髭をさする。
「マジか」と一言。「エリシアさん、あいつに頼んでも……」
「いやだの一点張りでしょうね……今朝も火力足りないと嘆いていましたし」
「あ、それは言いづらいね。いやそういう場合じゃねーよ」
食糧難に遭うのも時間の問題だ。輸送艇やこの町の冒険者ギルドはじめ様々な組合でも限界がある。街の危機をひとりの機工師の欲求で左右されてはたまったものではない。
しかし、それだけでこの問題が解決するのだろうか。最近はルマーノの街の人口も増えてきた。今のままではきっと、同じ問題がいずれ再び直面する。それが何年後、何十年後になるかわからないが、これを機に、今のうちに手を打った方がいいだろうと、メルストは考える。
それに、アコード王国全域の食糧問題についても視野に入れなければならないかもしれない。久しぶりの大きな仕事だ、と大きく一つ、息を吸った。
「とにかく、一旦十字団で話し合った方がいいな」
話し合えるようなまともな人間はいないけど、と心の中でつぶやいた。