4-5-1.不帰の森
おひさしぶりです。
活動休止中ですが我慢できなくて気分転換にと一話投稿しました。
「ふぁぁ……眠いにゃあ」
あくびひとつが虚空に消える。竿を持って湖面を眺めるだけの光景は退屈で、のどかなものだ。
アコード王国第3区「イシリー湖」。広大な森に覆われるも、台風の目のごとくぽっかり緑の大地に蒼を映している。そこに架かる桟橋は苔ばった倒木と巻き付く蔓。自然の造形物に十字団一同が腰を下ろし、釣り針を湖へ落とす。
一向に釣れる気配がしないルミアは湖面を眠たそうに見つめ、急かすように竿をふいふいと揺らす。しかし波紋が描かれるだけで、浮きが引くことはない。
「うがー! 全っ然釣れねー!」
堪え袋の緒が切れたのだろう。バギャ! とジェイクは釣竿を真っ二つに折り、どこかへと立ち去って行った。それをエリシアが呼び止めたが、聞く耳を持つはずもなく。
「まだ一時間しかたっていませんよ。辛抱強く待つのが釣りの極意です」
「ま、その言葉は俺の受け売りだがな」
エリシアの背後に座っていたロダンは大して気にする様子もなく横から口を出した。
「あ、すいません。あの、ロダンさんも来てくださってありがとうございます。わざわざ私たちの依頼とついでの食材調達にお付き合いさせていただいて」
目的はイシリー湖にしか棲んでいない希少な銀鏡魚一匹の捕獲と、それらを脅かす巨大怪魚ディンシュの駆逐。前者の目的は既に達成しており、あとは怪魚の捕獲のみ。今日は偶然にも仕事がこれともうひとつの依頼二件のみ。その上魚類の食材が底を尽きていたため、町の人に配ることも兼ねて、十字団の一同がこの広大な湖に訪れていた。
「いや、最近は騎士団がいい仕事をしているようで暇してたんだ。昔こうやって勇者と釣りをしていた頃が懐かしいよ」
「王様になる前にゃ? その話」とルミアも参加。
「ああ、どっちがデカい魚を釣れるか勝負をしていてな、見ただけじゃどちらが大きいか微妙で、結局は剣で一騎打ちしたよ。引き分けだったがな」
「重さで勝負すればよかったのでは?」
「ははは、この話をするとみんなにそう言われるな。俺もラザードも若いなりにバカだったよ」
ロダンは大きな背中を揺らす。強面がくしゃりと苦笑で緩んだ。
音が一面の湖に吸い込まれそうなほど、その場が静かになった時、ちゃぽんと浮きが沈み、糸がぴんと引かれ――葛藤のまもなくざぼっ、と湖面から魚が躍り出てきた。糸を掴み、片手で掴んでやっとの大きさのそれをじっと見つめてからみんなに見せたのはフェミルだ。
「釣れたよ」
「すっごーい、これで何度目? なんでフェミルんだけそんなに釣れるの?」
感心、しかし嫉妬したようにルミアは糸につるされながらぴちぴちはねるそれを見つめる。水の入ったフェミルのバケツには10匹以上もの魚が狭苦しそうに泳いでいる。
「すごいですね!」「フェミル君は釣りが天職かもな」と褒めるエリシアとロダンに対しても視線を落とし、口元さえ動かさないフェミルだが、再び竿を振った時のキレが断然に違っていた。
「……」
そんな中、唯一沈黙したまま水面を睨むメルスト。会話に一切干渉しない彼に、エリシアはまたも感心する。
「メルストさん、すごい集中してますね」
「なんでも真面目に全力だよねぇメル君も。頑張るのはエサの方なのに」
それでも返事がこないことに、ルミアはつまらなさそうに鼻で息を吐いた時。またも水のはじける音。振り返ると、先程よりも一回り大きな魚が目の前に宙でもがいていた。
「また釣れた」
「釣れすぎだよフェミルん! 何の能力!?」
続いて水しぶきが上がる。見れば銀の鱗が、湖を映える陽光できらびやかに魚の曲線美を魅せていた。
「よし、私も釣れたぞ」
「うっわ、団長のデッカ! エサ何使ってるの?」
絶対他とは違う高価なものを使っているんだろうと思ったルミアだが、それにはロダンも大きく笑った。
「みんなが使っているものと同じだ。運が良かったんだろうな」
「私もそろそろ一匹釣ってみたいですね」とエリシア。
「エリちゃん先生やさしいから釣っても逃がすでしょ」
からかうようにルミアが一言。そんなことは、とエリシアが口にしそうな時だ。
「あーーーーー……釣れない」
相当の長いため息を持って、メルストが竿を持ったまま背中を後ろに倒した。
「やっとメル君しゃべった」
「なんで引っかかりすらしないんだ」
「でも先程、一匹釣れただけすごいですよ」
視線を向け、バケツを持ったメルストは中身を再確認してはエリシアに見せる。
「けど小魚だ。見ろよこの手のひらサイズ」
「かわいいです!」
「……うん、そうだね」
皮肉の曇り一点もない輝きに、返す言葉が見つからないメルストの傍ら、またも気持ち良さげな飛沫が聞えた。
「ねぇ……変なの、釣れた」
フェミルの釣り針には黒い亀が餌を咥えてぶら下がっている。魚以外もいたのか、とメルストは思う。
「それはカメだな。ラーカータートルの漆甲羅は高値で売れるが、素手で触るとかぶれるから気を付けるんだぞ」
こくんとうなずいたフェミルは別の箱に釣ったそれを移した。
「ロダン団長って生き物にも詳しいんすね……お、ルミアの竿動いてるぞ」
フェミルんいいなーと言っている隙を狙うように、浮きが水面を揺らしている。
「マジ!? あっ、マジでした!」
「お、引け引けー」とロダン。とっさにルミアは竿を掴み、ひっかけるように、蔓を足に食い込ませては踏ん張った。相当の大物か、ルミアの全力をもってしても負けじと相手も引けを取らない。
「あっ、やん、んんっ、あたしキちゃう! やぁん、しゅ、しゅごくキテるのぉ!」
「気持ち悪い声出してねぇで集中しろって、大物逃すぞ」
「ちぇっ、メル君までは釣れなかったか」
「その余裕は一体どこから来るんだよ」
「もうちょっとです! ルミアがんばってください!」
ふたたび腕に力を込め、全体重を後ろに落とした。こちらの緊張を示しているかのように糸はビィンと張っており、いまにも千切れそうだ。だが、徐々にルミアが勝っているのが目に見えた。
「よし、ラストスパートだ!」
「ふんだら来いやぁああああ晩飯ぃぃぃいいいい!!」
空に響くほど吠え、湖面が爆ぜたのかと思うほどの大きな水しぶき。それは高く舞い上がり、太陽を覆い隠した。誰もが大物を確信した時だ。
思い切りしりもちをついたルミアの傍に落ちてきたのは魚でも亀でもない。たっぷり水を含んでいた流木の幹の皮だった。一瞬何を釣ったのか把握しきれていなかったルミアだが、そこに釣り針が引っかかっていたことに気が付いたようで、釣り糸を辿るように手に持った。
「……」
「……あー」
「あらら……」
「……また釣れた」
呆気からんとする一同。唯一、ロダンは大口を開けて笑ったが。
「はっはっはっ! よくあることだ。ルミアもつくづくついてないな今日は」
有り金すべて賭場に溶かされたような顔を浮かべていたルミアだったが、それはやがて憤りに変わる。「ふんがー!」とムキになったようで、威嚇する猫のように立ち上がった。
「こんな湖、一滴残さず爆破させてやんよ!」
「落ち着け爆弾魔。釣りは運みたいなものだから」
「それは違うぞメルスト君、釣りには極意があってだな」
「あたしの怒りを受け止めるがいい。新作爆弾"CominV"を!」
服の中から鉄の玉。形状を見るに、小型の機雷を思い出させた。やはりルミアの天職は爆弾作りなのだろうが、最もやらせてはいけない職だともメルストは思えてくる。
「うーわ、湖を赤く染める気だぞ」
「ねぇ……脚いっぱいの、堅い変なの、釣れた。これ何?」
「それは多脚カニだな。酸味が強いが、煮込むと旨いんだこれが。米酒にも合うぞ」
「へぇー、それ本当ですか」と米には目がないメルストも反応する。
「お、こりゃあいい酒飲み仲間が増えそうだ。はっはっは」
「みなさんルミアを止めてください!」
「てりゃー!」と釣り糸に爆弾をくくりつけたルミアは今までの中でいちばん生き生きとした顔と動きで湖面に環境破壊の源をぶち込んだ。
「お、本当に投げちゃったぞ」
「ルミア、落ち着いてください! お気を確かに!」
あわあわするエリシアだが、ルミアは止まらない。いつものことだと誰も止めようとしないのが現状だが。
今度は秒で浮きが沈んだ。手ごたえを感じたルミアは笑わずにはいられない。
「あはははは! 喰らいついたな餌とゴミの区別すらつかない魚風情め!」
「自分のお手製をゴミって呼んだけどいいのか?」とロダンは呟く。
「魚とゴミを勘違いしてさっき釣り上げたやつがよく言うよ」
メルストも自分のことは棚に上げ、呆れた顔を浮かべた。
「この水中型爆弾に喰らいついたが最後! 貴様の身体もろとも! この湖は散り散りじゃ――ひぇい?」
釣り糸がとてつもない力で引っ張られ、放射状に弧を描いたルミアの身体。その先は湖に突如できた穴。水を流し込むそれは巨大魚の口。ディンシュだ。
そこにめがけて、ぱっくんと華奢な身体が釣り餌のようにきれいに飲み込まれていった。
「……」
「……」
「……」
「……あ、釣れた」
沈黙するなか、フェミルは慣れた動作でバケツに魚を放り込む。
「どうします団長、食われましたよあれ」
「しかも、不発みたいだ」
大して驚きを見せないふたり。慌てふためく大賢者が逆に変に見えてくるほどの冷静さだ。
「はわわわ……ルミアを助けないと」
「あのルミアだ。そう簡単に死ぬタマじゃない」
「タマないですけどね」
まさに余計なひと言を言った時だ。
「"四空掌握・一網上げ"ェ!」
ボォン! と爆発したかのように噴き上がった水面。水柱を突き破ってきたのは大量の魚や水生生物、水草等々……見えない網にでもひっぱりあげられたそれは巨大な一塊として空に大きな弧を描き、湖沿いにたたきつけられた。
大漁のそれを見下すジェイクは、空間魔法を解除し、血管張った腕を組んだ。
「ハン、最初からこうすりゃいいんだよ。釣りなんざちまちましたやつやってられっか」
その中には銀鏡魚も怪魚ディンシュも混じっている。こいつもルミア並みに質が悪かったなとメルストは思い出したように肩を落とした。
「あれもあれでよくわかってないよなぁ。釣りの楽しさを」
「同感だが、こればかりは大目に見るしかないだろう。ジェイクだからな」とロダンも少し呆れた目。
「そうっすね、ジェイクですからね。あと運よくルミアを食べた魚も混じってますよ」
怪魚の口からでろんとルミアが白目向いて横たわっていた。生臭いだろう。
「そりゃあ良かった。助ける手間が省けた」
「……ねぇ、すごいの釣れた」
フェミルの釣り糸を辿るようにみると、この湖の主と言われても過言ではない、そんな小島サイズのぬめった岩か丸太か――否、分厚い皮膚で身を覆う巨大なワニが釣れていた。
「それはデンキワニだな。刺身にするとピリピリするが、同時に旨み汁が滲み出て癖になるぞ」
「ずっと思ってたけどこの湖いろいろおかしいだろ!」
釣りを開始してさらに一刻の後、短い時間の割にだいぶ釣れたようで、魚を入れる箱もバケツも底が見えることはなくなっていた。
「あれ、フェミルどこいくんだよ」
終盤を迎えた頃、一番業績を上げているフェミルが立ち上がり、自然にできた樹と蔓の桟橋から降りようとする。
「あっちに……獲物、いる気が、する」
「おっ、フェミル君も釣りの良さが分かってきたか」
感心するロダンに、こくりとうなずく。「もっと、みんな、よろこばせたい」
急くように、荷物をもっていく。ジェイクもついていくように陸地に降りては、
「なんならおれも行くぜ。コツ教えてくれよ」
「口説き方がメル君レベルだよー。ていうかあんたつまんないとか愚痴ってたじゃん」とルミアが呼びかけるように横入りした。
「ひとりだとつまんねぇって話だ」
「そういって手を出すんでしょ」といたずらにいったときに、立ち止まっていたフェミルはふいと見放したようにひとりで奥へと進んで行ってしまった。
「あっ、フェミルちゃん、待てよおい! ……いちいちうるせぇンだよテメェはよォ。保護者かおい」
「あたしからしたらいい加減フェミルん狙うの諦めてよって感じ。そういうの一番きらうのフェミルんなんだからね?」
「キチ猫のくせにアタマもアソコもクソ固ぇなぁおい」
「そっちはアマタも理性もユルユルのくせに」
「はぁ? もういっぺん言ってみろやクソ猫」
そう大声で口げんかしている間に、フェミルは森の中へと立ち去っていく。ケンカにエリシアは困り果てつつも、釣りに集中していたメルストに、
「メルストさん。すみませんが念のためフェミルと一緒にいてくださいませんか」
と、肩をたたいて声をかける。すぐに了承し、フェミルを追う彼に「あまり遠くへ行くんじゃないぞ」とロダンは声をかけた。
「このあたりは本当に迷いやすいからな」とつぶやく。
「"不帰の森"ですよね」
答えたエリシアは一度、何の変哲もない森を見渡す。「ですが最近はまた妙な噂を聞きます」
一度奥へと踏み入れてしまえば、魂になっても出られないといわれる精霊蟲の森。第3区では有名な話で、そこに入る人などいても命知らずな冒険者ぐらいだ。
しかし、エリシアの言いたいことはそのような古い言い伝えではなかった。
「森が村を喰う、だったか?」
それは情報網のバルクから聞いた話だった。
十字団がいるこの広大な森こそ、「不帰の森」だ。しかし森の外の近辺に位置する数々の集落がもぬけの殻になっているという。一人残らず、音沙汰なく蒸発したように、誰もいなくなっているらしい。
もうひとつの依頼というのも、その消えた人々の探索と原因の追究。いわば不帰の森の調査だった。
不帰というよりは、誘いの森だな、とロダン。それはまさに精霊のいたずらかそれとも――。
「精霊族君がいるなら問題はないだろう」
原因がエレミンならな、と付け足したロダンのこぼした一言にエリシアは不安を拭いきれなかった。
次回「霧に沈む村」
また我慢できなくなったら執筆して投稿します。




