4-4-6.Innovator's Nightmare
メルストとルミアが発見した黒い生物は、ウェルギリウスの砂漠以外にも、トラントの大樹をはじめ、アコード王国の各区域ごとに目撃情報と関連を示唆させる被害が10件も、今回の依頼を機にその後通告されていた。
王政の耳に知られたそれは脅威対象として、積極的に駆除していく方針となる。だが、電気系統魔法しか対処法が証明されていないため、出動できる騎士も魔道兵士の編成も限られていた。
何より、強く、しぶとく、伝染するように増え続ける。せっかく駆除しても別の場所で新たに出没する、という話も珍しくない。奴等は繋がりあっている。
対峙した者、被害に遭うも生き逃れた者が語る、奴の姿形は千差万別。
人の姿だが恐ろしく大きな牙があったと。
黒い瘴気をまとう怨霊のようで、雲を掴むように太刀打ちが出来なかったと。
蜘蛛のように地を這いずり回り、蟷螂の如く幾多の首を瞬く間に刈り取っていったと。
語ればきりがないが、誰もが皆「生物とは思えない」と口にしていたことだけが共通していた。
魔国から送り届けられた白鎧の黒い生命体。類を見ないそれの名は――
「パラビオス……"逸脱した生命"とは、ずいぶんと安直な名前だな」
アコード王国王城、竜眼の間。大理石と彫刻細工された金箔青銅の武具で壁が装飾されている豪奢な内装に、一際大きな楕円状の絵画が暖炉の上に飾られている。それは竜王ゼルス・ドーマと赤き鎧を纏う英雄の雄姿が描かれている。一刻前訪れた娘のエリシアの報告に、その絵画を眺めつつ国王ラザードは頭を悩ました。
国王の呟きに近侍のカーターは眼鏡をかけ直しながら。凛とした口調で冷静に返す。
「お言葉ですが、変に洒落た命名をつけるよりかはわかりやすいと思います。メルスト様のネーミングセンスは素朴で簡易的ですので、私は気に入ってはいますが」
「うむ、君の感想は聞いておらん。その生物は竜より厄介なのか?」
「まだ定かではありませんが、その疑似的な生命は一個体だけでも駆除が困難です。現に数多くの騎士団や上位ランクのギルド会員までもが犠牲になっております故、ハザードランクはAを越えているかと。十字団でさえもそう言っているのですから、かなり手ごわいのでしょう」
カーターの他人事のように淡白な報告に、焙った豆が顔に弾きかかったように癪に障るが、言及することなくそれを敵国の名前へと向けた。
「それを魔国が"作った"と……」
「左様でございます」
駆動人形や合成生物とは異なる、一から設計された人工魔法生物。その製作工程も従来の方法とは根本的に異なるのだろう。報告と受け取った資料で知る限り、人工的に作られたとは信じがたい反面、自然から生まれたと説得されても納得いかないような、これまでの常識を逸した存在だと言うことは確かだ。
世界やそこに存在する生物は女神ニクラスによって調和がとられている。そこから逸脱した生物は女神から見放された存在として生き永らえることができない、という意識がアコード王国でも見られている。だが、それは自己増殖し、半永久的に生命活動を継続できるという。どういうメカニズムでその事実が分かったのか、専門的な学術に明るくないラザードには理解しがたいことだったが、名誉秘学博士のメルストが述べたことである以上、嘘ではないのだろう。
「既に仕掛けられていたというわけか。やはりベリアルトの一件は偶然ではなかったようだが、国は"大結界"で不法入国者を拒んでいるはずだ。万一突破されたとしても、すぐに感知できるのではなかったのか」
窓越しの澄み渡った夜空を見つめる。今日は星がやけに少なかった。
アコード王国は「世界大戦」による「魔王討伐」後、徹底的な魔族の対策措置を図るため、法王「シーザー・F・ベルトルト」と蒼炎の大賢者「エリシア・O・クレイシス」、五千人を越える魔導軍らが施した三重"大結界"により、境界間魔法や陸海空からの襲撃、侵入を防ぎ、探知する効果を今現在に至るまで果たしている。
「これはあくまで仮説ですが、原因は二つ考えられます。まず、あの結界は生物や自然現象には反応しません。つまり、我等人類にしか検知されない因子すら持たない存在ならば通過が可能です。例えるなら、微弱の魔力を持つ程度の生命か、宙から降る流星、と言った所でしょうか」
流星、という言葉に反応する。ロダンから聞かされた「流星の発生率の増加」。そして、墜落したオルクの機体は全翼機の形状。疑念が生じるも、空を翔けるという共通点に、まさかとは考え直す。
「"疑似流星"なら、結界に見破られることなく越えることができてしまったかと」
心を読み取ったかのようにラザードの推測を、カーターが代わりに応えた。
流星を――隕石を定めて降らせるトチ狂った強者ならば、ラザードも知ってはいたし、驚きもしなかった。だがそれを作って打ち上げ、国をまたいで特定の座標へ落とす……その技量は決して魔法だけで成し得ることではない。魔法大国、いわば魔法でしか取り柄のなかった国がどのような理由と方法で現実的な技術を得たのか。不思議でならなかった。
続けてカーターは述べる。
「もうひとつは、この大結界を一時的に、ほんの一部分だけを無効化させて通過する方法を彼らが見つけた可能性も大いに考えられます」
ベルアルトの境界にある都市ゼテロの襲撃を思い出す。魔国との国境を守る壁を破ることなく現れた魔獣鬼と飛焔竜の大群も、おそらくカーターが述べた仮説が最も有力だろう。
「どんな防壁にも"抜け穴"というものがあります。完璧ではありません」
「だからこそ三重もの結界を張ったのではないか」
「あくまで私なりの推測を立てたまででございます」
そう冷淡に言ったかと思うと、少しためらったかのような間が生じる。
「……お言葉ですが国王。あの国はもう、勇者ラザードによって制圧された敗国ではありません。彼らは進化しています。我々の想像以上に」
冷淡に言ってくるが、国のすべてを見なければならないラザードにとっては深刻だ。頭を悩ませる因子が増えた分、締められるような頭の痛みは寄る年波によるものか。
赤い革の分厚いソファに腰を下ろしたラザードは、カーターの睨みつけたような目つきを静かに受け止めた。
「だからと、国ごと滅亡させる考えは愚かだとは思わんかね。元凶はヘルゼウス王家。敵国だろうと民に罪はない」
それは、亡き妻カミーラの言葉だった。かつての自分を変えてくれた愛人の姿を思い返しながら、ラザードは目を伏せる。
「ともかく原因と結界の改正は神殿府に任せるとしよう」
「それでは、私からお伝えしておきます。……なにか他に思い当たることでも?」
見抜く目は相変わらず鋭いようで、王の重たい口を開けようとしてくる。鼻から深く息をつくと、
「潜入だとしても、少し変だとは思わないか?」
「国王様、杞憂というおことばをご存知でしょうか。空が崩れると信じ込むアホの話ですが」
「先程の君の言葉と矛盾しておるような……いや、それはいいんじゃ。そろそろ本気で近侍を変えようと思うのだがそれでもいいかねカーター君」
「光栄です」
「や、そこはせめて謝罪なくても否定するところじゃろ」
動じない近侍にため息をつくラザードは、ソファから重い腰を上げる。
「全く……これは真剣な話だ。国を内側から壊すためだけに生物兵器を送ったとは思えん。魔族の侵入があるにも関わらず、さらに異端の兵力を投下したのには別の目的があるはずだ」
「その目的とは、我々にとって不都合であること、だと」
「何をしでかすかはわからぬが……民や機能都市を襲う以上の痛手を仕掛けるはずだ。奴等はもう大戦当時のそれとは大きく変わったことがこれで理解した。すぐに残りの落下点――パラビオスを見つけ出し、優先的に殲滅させるよう聖騎士団長とロダンに伝えておけ」
「仰せのままに」
首を垂れたカーターは、引き下がるようにその場を後にした。ひとりになった王は暖炉の上に置いてある愛妻描かれた絵画に目を向ける。まだエリシアが生まれる前。揺蕩うひまわりの花畑に太陽のような笑顔が咲いている。この黄金色の花のように元気な、否、元気そうに振舞っていた彼女がどうして。
―――ッ
キィン、と残響する頭痛から、ある記憶が引き出されていた。
(あの得体のしれない産物は……どうも"奴"を思い出す)
奇しくもソレとは深い縁がある。あまりにも平凡で、しかし異常を胸の内にひそめる――類を見ない奇人だった。
だが、もう死んだ男だ。絵画をもとの場所に置く。すぐに頭の片隅へと追いやった。
エリシア「メルストさん、すいません……迷って……しまいました……」
メルスト「でしょうね。自信満々なもんだから信じてたけどやっぱりこうなったか」
エリシア「はわわわ、どうしましょう、あっ、地図持ってたはず……えと、ええと」
メルスト「それ逆さま! ってか違う地区の地図だぞそれ。出かける前から詰んでるじゃん!」
エリシア「あぁそんな! すいません! どど、どうしましょう。これでは皆さんと合流できないです……っ」
メルスト「……せっかく魔法が使えるんだから、覚えてる道まで転移魔法で戻ればいいと思う。そこからまた考え直せばいいんじゃないかな。それと、浮遊魔法とかで空からルートを見たりとか。待ち合わせ場所は湖だから目立つと思うけど」
エリシア「それです! メルストさんすごいです! 頭いいです!」
メルスト「大賢者に賢い言われるとは……」
次回:不帰の森
用語(超長いです)
・ヒドロスライム
水溶性のスライム全般を指すが、ギルド界隈ではイミドロスライムのことを意味していることが多い。他にも薬やせっけんの原料、毒キノコ検査の指標として使われるヒドロポタスライム、不治の病を治すと言われる薬のもとを作る(らしい)ポリプ体のヒドロゾアスライムなどがいるが、以下はイミドロスライムについて述べる。
イミドロスライムは生活において多様な利便性を持ち、金属文化として発展してきた異世界では重宝される金属防腐剤の原料、接着性塗料(手間はかかるが、ある海藻とゆっくり煮沸・92時間の日干し(日光の波長の曝露と自然乾燥が条件)・粉砕し粉末状にすれば水と混ぜるだけでゾル―ゲル体になり接着性能がさらに高まる)、異なる材質同士を接合させるためのコンポジット誘導剤、さらには癒合剤の原料になるなど、必要不可欠な存在となっている。時代がさらに進めば樹脂の硬化触媒や抗ぜんそく剤にもなるだろうが、それが開発されるのは後の話。それだけ便利なスライムだが、腐った魚のにおいがするのが唯一の欠点。
なお、水に溶けても分解はせず、死ぬことはない。そのような意味では水溶という表現は誤りかもしれないが、見かけ上溶けていることに変わりはない。もちろん含水率によって体積も変わるので、元のスライム体に戻ることも可。動きはほかのスライムより遅め。
・オルガノクロマイセス
毒キノコ。饅頭型の黒いカサをもち、成長すると柄がカサに覆われ、まさに黒い饅頭が苔の上に乗っかているような形になる。カサの表面の質感はさらさらと粉っぽく、弾力がわずかにある。
稀に中央部分が鋭い突起状に盛り上がるが、なぜ、どのような条件でそうなるかは不明で、現在議論中。ちなみにそこを食すと全身に麻痺が回るも強心作用をもたらすため、這いずることをせざるにはいられない体になる。神経伝達物質阻害をきたすキノコからなぜそのような成分が生まれるのか、生命はどこまでも不思議である。
神経毒を有するが、キノコ一個食べた程度では足のしびれが全身にいきわたるような麻痺をきたす程度で死に至ることはない。希釈すれば麻酔や鎮痛薬にもなるし、濃縮すれば全身麻酔として身動きを取れなくするほどの毒薬にもなる。これを酒のつまみにうまいこと混ぜれば相手は動けなくなり襲い放題だが、食べた人の分泌液にも毒成分が含まれるようで、上と下の接吻の際は覚悟した方がいい(ジェイク談)
・ビョールマイセス
麦キノコとも呼ばれ、箒を逆さにしたような形状で、細長く枝分かれしたそれはサワサワした感触がある。根元は雑草と変わらない色をしているが、先端にいくほど小麦色、黄金色になっていく。
キノコの金塊と呼ばれるのもそのためだが、ビールのような発泡酒になるのも理由の一つである。この世界の麦芽ビールよりも甘味が強く、苦みの後味があるもスッと消えるようなキレがあることに人気が出ている。苦味強めの方が好きな人にはお勧めできないかもしれないが(フェミル談)
・熱鉱株
石炭社会になりつつあるも石炭がない国がその代替品を探した結果、ある錬金術師の調査隊が発見したごつごつしたキノコ。表面は岩のように硬いが中はスポンジ状の繊維が密に詰まっている。にもかかわらず化学構造が芳香族炭化水素主体の天然高分子を含んでいるため、構造体の差でこのキノコの方が燃焼効率は高いとされている。
石炭のように一度に多くとれるスポットは確認されていないが、生育速度は速く、キロ単位80日で採れるので熱鉱株が燃料の主流になる傾向が蒸気機関技術が比較的進んでいるネイティス大国および蒸気大国ヴァネロッサ・ウィンダムことフリークスバーグでも見られている。
頑張れば食べれないこともないし一瞬だけシナモンと葉巻の風味がスンとくるが、吐き気を催すほど苦いし唾液と混ざるとねちゃねちゃしだして喉に絡みついてしかも鼻にくるし、鍋で水気を飛ばした重油を飲まされた気分で最悪だから人類にはまだ早い(ルミア談)
・パオファントの木
木材建築があるように、一部の区域ではキノコ建築というものがある。大木のようなお化けキノコが多種存在する中、特に硬さに特化したキノコがこのパオファントである。うまく加工すれば室内空気汚染を最小限にする断熱材にもなるが生命力が強く、そこから菌糸が伸びることもあるので、建材として使用する際、特定の薬品処理が必須である。
木材より火に燃えやすい欠点もあるが、ある国ではCross Laminated Timber(高い耐火性を持つように構築されたパネルの一種。乾燥させた板を繊維が直角に交わるように積み重ねて接着させている)を用いることで解決している。化学的手法での解決は未だ発見されていないが、そのうちメルストが何とかするだろう。
食べれないこともないが、煮沸しないと食えたものじゃない。しかしそれでも味はひどいものである(ロダン談)。
・アズライトの涙
ラミンのオアシスに生育するクリシュマイシスから抽出できる有機-無機化合物。抽出時は藍銅色の液体だが、錬成学的手法で宝飾材になる。熱硬化性であり、加熱すると石化するふしぎな性質を持つ。まだ謎が多い成分で、メルストが興味を抱いている素材の一つ。希少価値が高く、1 mL5万Cで売れる。
・クラック精の霊媒
自然と妖精霊ことエレミンが織り成した産物。メルストが多孔性金属錯体で吸着したことで回収に成功した。水と油が混合した茸分泌排液ことマッシュオイルが発酵したもので、それを好むエレミンが吸収しやすいように特殊な成分で加工した結果、発生するエアロゾルがそれである。コロイド部分をエレミンが食し、残った気体の部分が霊媒として利用される。光にさらされると空気より軽い物性になる不思議な気体だが、魔法医薬や黒魔術等の魔法分野で重宝される貴重な代物である。液体として凝縮したことに成功すればレイザック・ヒューマー賞ものである。液体にした場合、一滴数万の価値はあるといわれる。
・ブリオコーラル
陸珊瑚の一種。基本無害だが、リケットの都市に生息する陸珊瑚は、酸素に曝されると生きるために代謝機能を変換し、人間にとっての毒素を排出する種である。その際、霧のような景色を生み出す。宝飾材や黒魔術の儀式に使われることも。色鮮やかな色が多い。無論、食用ではない。
・竜の心臓
本編では煉轟竜ディゼルボスの心臓を使った汽車が登場したが、一般的に竜の心臓は不死の象徴ともされており、心臓のみを取り出してもひと月~十数年は動き続けるらしい。竜は畏怖・恐怖・尊厳などの具現体として数多くの神話で扱われてきているものの、それを永久ポンプや高圧機関のポンプ、小さな町の水道インフラ等に利用してしまう人類も末恐ろしいものである。ちなみに別の竜への移植に成功した例も過去にあるらしい。
それだけの生命力なら不老不死の薬に使われかねんが、魔力が膨れ上がるように向上し、並外れた滋養効果をきたす程度である、と言われている。種によるだろうが、焼いて食べてみると触感は牛のハツと鳥のももを同時に口にしたような触感で、思ったより苦味があり、レバーをビールで流し込んだような味である(メルスト談)
・パラビオス
魔国が開発した機能性設計生物。
マクロ的な改造生物や遺伝子組み換えによる品種改良、魔法合成によって生み出される人工魔法生物とはことなる、独自の手法で生み出されている。本編では環境上、菌糸が人の形をとったような姿をしているが、状況に応じて結晶・ゴム・金属・液体・粘体・液晶・繊維・細胞組織など、自然の法則性を無視した変化を瞬時に遂げる。繁殖力も相当で、どのような形であれエネルギーを吸収し、自分の糧および増幅しては肉体の一部にする。
炭素程度の分子やその他の低分子を体内で自在に構築することができるようで、自身の組織から炭素繊維を構築したり、体内錬成の際生じた副生成物も構築しなおしては骨のような鎧や牙を形成したりすることもある。
(分子結合を破断させるという意味で)分解能も非常に優れ、セルロースの塊どころか鉄の壁も炎という化学現象も自身の一部として吸収していることは本編でも明らかである。形状、性質は様々だが、いずれも攻撃性の高い黒い生命体であることは共通している。
それでも未だ謎が多く、全容が見えない存在である。
・大結界
本編より、法王「シーザー・F・ベルトルト」と蒼炎の大賢者「エリシア・O・クレイシス」、五千人を越える魔導軍らが施した不可視のドーム状の魔法防壁。空は勿論、地中にも適用しており、巨大な球体型防壁の中にアコード王国が収まっている。
仕組みとして、全人類がもつ魔素の一種「プロム因子」を感知することで記録および送受信(S&R)される。中でも魔族特有にもつ魔素の一種「ベノム因子」を大結界は区別して感知することが出来、すぐに魔導機関に伝達される。なお、べノム因子は精霊種が嫌う「穢れ」にも含まれているため、魔族との接触は古くから禁じられ、因縁の関係にある。