表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帰宅部の探偵  作者: 黒岩京華
5/30

放たれた矢―解決編―

「それにしても、暁斗の口癖、変わってないね」

「ん? 口癖? なんのことだ?」


 東校舎へ向かう途中の渡り廊下で、恵介が不意に口を開いた。


「さっき自分で言ってたじゃない。僕たちに向かって、“帰るぞ”って……」

「ああ、確かに昔から言ってたよね。何か問題が解決した時とか、帰るぞって……」


 恵介たちに言われても、俺はまだピンときていなかった。

 確かに、何か問題を抱えたままでは、気持ち悪いし、そのまま帰るなんてもっての他だ。


 自分では自覚していないが、問題が解決した時、無意識のうちに口走っているのだろう。

 すべて片付けた上で帰った方が、ぐっすり眠れるからな。


「でも、まさか一日で謎を解いちゃうなんて、さすが暁斗だよね」

「やっぱり、市川さんが犯人だったの?」

「いや、残念ながら、市川夏海は犯人じゃない。俺を襲った犯人は他にいたんだ」

「ほ、他にいたって……ね、ねぇ暁斗君! その犯人って、一体だれなの?」

「まぁ、落ち着け樹。そいつの所に今から行くんだからな……っと、着いたな」


 ようやく東校舎に到着だ。

 弓道部へ行く前に、まずやるべきことは……。


「あれっ? ねぇ、暁斗。そこ、武道場だよ? 弓道部じゃなくて、剣道部……?」

「いや、ちょっと寄り道をな……」


 相手は、なんの躊躇もなく俺に矢を放った人間だ。

 あの時はなんの準備もなく行ってしまったため、あいつに何も対抗できなかったが、今回は違う。

 あいつは、何をしてくるか分からない。まずは、得物を手に入れないとな。


 武道場の扉を開け、俺は静かに中へ足を踏み入れた。

 もしかしたら、中に南雲がいるかも知れないが、長居をするつもりはない。

 ササッと用事を済ませて、早いとこ退散するぞ。



 武道場は、夏だというのにひんやりとしている。

 ピンと張り詰めた広い木造の空間に響いているのは、竹刀を打ち合う音だけだ。

 しかし、中にいたのはなぜか二人だけ。


「なんだ……剣道部は、活動してないのか?」

「それはまぁ……そろそろテスト期間だしね。サッカー部も、活動してないよ」


 そういえば、やけに東校舎が静まり返っていると思った。

 なら、弓道部も活動していないのでは?

 なんだか、あいつがちゃんといるか不安になってきたな……。


 テスト期間だというのに、剣道部に顔を出している奴なんて、あいつしかいないだろう……。

 竹刀で打ち合っているうちの一人。


 真っ赤に染め上げられたマイ竹刀を持ち、素早い打ち込みで一気に攻め掛かるあの動き。

 間違いない。あいつは南雲だ。


 その南雲と、互角に渡り合えているもう一人は………。


 えっ……あれは……もしかして……。


「ま、まさか……二刀流!?」


 俺は、南雲と打ち合っている相手を見て、思わず声を上げてしまった。

 いや、上げずにはいられなかった。


 右手に持った太刀を使って攻め、左手に持った小太刀で、南雲の攻撃を防いでいる。

 その軽やかな動きは、まるで舞っているかのようだ。


 まさか、二刀流の使い手を生で見ることができるなんて……。


「あれって……二刀流だよね? 剣道なのに、竹刀を二本使っていいの?」

「あ、ああ……ルール上はまったく問題ないはずだ。もっとも、好き好んでやる奴なんてそうはいないぞ?」

「えっ? どうして?」

「それは……」


「戦いにくいから……だよね、暁斗?」


 その時、恵介が俺に向かってウインクしながら、会話に割って入ってきた。


「剣道の二刀流は、利き手に持った長い太刀で攻撃して、左手に持った短い小太刀で防御するんだ。でも、左右の動きに混乱したり、両手で竹刀を持つと重いから、なかなかやる人がいないらしいよ。だよね?」

「まったく、剣道をしたことないのによく知ってるな、恵介」


 恵介の雑学には毎度のことながら呆れてしまうが、確かに恵介の言う通りだ。

 いまだかつて、二刀流が大会に出たところなんて、動画でしか見たことがない。

 俺がやっていた時だって、もちろん相手は竹刀一本だ。


「まぁ、二刀流が解禁されたのはつい最近らしいから、二刀流を指導する奴がいないんだろうな。もし、二刀流を習いたい奴が来ても、教えるのは、まず一刀での戦い方だろう。その方が、断然戦いやすいからな」

「へぇ~、そうなんだ……。それじゃあ、二刀流を使いこなしている、あの人って……」


 樹に続いて、俺たちも再び二刀流の剣士に目を向けた。

 あの重い竹刀を片手で軽々振り回すなんて、並の体力ではない。


 南雲の実力は、誰よりも俺が一番よく知っている。

 その南雲を、あの二刀流使いは、まるで子供を扱うように軽くあしらっているのだ。


「奴は、一体何者だ? 最近の大会で二刀流使いが出たなんて、聞いたことがないぞ?」

「ああ、彼は三年の“倉島遼”先輩だよ。生徒会長でもあり、剣道部の主将でもあるんだ。この高校じゃ有名な、二刀流使いだよ」


 さすが恵介。伊達に、部活観察はしていないな。

 そういえば入学式の時、代表か何かで挨拶していたような気がする……。

 まぁ、入学式なんかだるいだけだったし、半分寝てたから覚えてないけど。


「でも主将だったら、もちろん大会とかも出てるんだよね? だったら、もっと有名になってもいいはずなんだけど……」

「それが、倉島先輩は大会の時は二刀流で戦わないらしいんだよ。もちろん、竹刀一本でも強いらしいけどね」


 なるほど。そういう理由があったのか。

 南雲を圧倒するあの力……たぶん、俺が普通に戦っても厳しいだろうな……。

 しかも、しばらく剣道から遠ざかっていたし、体もなまっているだろう。




 って、こんなことをしている場合じゃない!

 早く得物を手に入れて、弓道部へ行かなくては……。

 南雲に気付かれる前に退散しなくては、面倒くさいことになる。


 そう思い、武道場の中を見渡していた、まさにその時だった。


「むっ? どうした、南雲……」


 突然、倉島遼の声が聞こえたかと思うと、さっきまで打ち合っていた南雲の手がピタリと止まったのである。

 そして、南雲の目線がゆっくりこちらを捉えた。


 いや……正確に言えば、俺一人を……。


「……アッキー? アッキーじゃねぇか!」

「やばい! 見つかった!」


 南雲は歓喜の声を上げ、竹刀を振り上げながら俺に向かって一直線に突進してきた。

 南雲のスピードから逃げることはできない。


「ちっ! こうなったら……」


 あたりを素早く見渡し、俺は壁に掛かっていた一振りの竹刀を咄嗟に掴み、南雲の攻撃に備えた。

 その瞬間、南雲の竹刀が、勢いよく俺に向かって振り下ろされたのだ。


 凄まじい音を立てて、竹刀がぶつかり合う。

 相変わらずの馬鹿力だ。両手が痺れる!


「ぐっ、ぐぐ……! よ、よう南雲。お前、少し腕を上げたか?」

「へへっ! おれだって、ずっと修行してたからな! アッキーこそ、体がなまってるんじゃねぇか?」

「ふ、不意打ちしといてよく言うぜ……とにかく、竹刀を下ろせ!」


 つばぜり合いの状態から、俺は南雲の体を後方へ押し返した。

 ようやく離れた南雲は、ふらふらと体勢を崩しながらも、まだ笑っている。


「へへへっ! いや~、久しぶりにアッキーと剣を交えたぜ!」


 南雲は竹刀を持ったまま、片手で面を取った。

 面の下から現れたのは、赤み掛かった短髪の――言葉遣いは男みたいだか、これでも一応、女性である。


「で? いきなりアッキーから訪ねて来るなんて……ようやく、剣道部に入る気になったか!」

「勘違いするな。俺はただ、得物を取りに来ただけだ」


 南雲まりな。


 小学校時代、剣道のライバルだった奴だ。

 恵介や樹と同じく幼なじみであり、よく一緒につるんでいた。

 転校してから剣道をやらなくなり、大会にも出なくなって、南雲とはそれっきり疎遠状態。

 恵介から、この高校にいると知らされ、ずっと警戒してきたのだが……。


 やはり、さっさと退散するべきだった。


「ちぇっ、 連れないなアッキー! いいじゃん! 昔みたいに剣道で一緒に暑く燃えようぜ! 青春は、待ってくれないぞ?」

「黙れ。別に待っててもらわんでもいいんだよ。それに、今はテスト期間だろ? なんで部活動してるんだ?」

「そうだよ、まりな。そうやって勉強さぼってると、またテストで痛い目に………」


 そこで、恵介の忠告は途切れた。

 南雲が素早く竹刀を振り、それが恵介の足を直撃したのである。


「痛っ! ちょ、何するのさ……」

「おい、モモチ……もう一度その名でおれを呼んでみろ。今度は顔面行くからな?」

「わ、分かった分かった! もう、南雲は冗談通じないんだから……」


 恵介は足をさすりながら、すごすごと俺の背後に隠れた。

 たくっ、恵介は相変わらずだな。


 南雲は、名前で呼ばれるのを一番嫌う。

 男勝りな性格ゆえ、女みたいな名前で呼ばれたくないらしい。


「あはは……南雲さん、本当に変わらないね、暁斗君」

「ああ、呆れるほどな。そういや、樹とは同じクラスだったな。どうだ? あずまとは相変わらずいいコンビか?」


 俺は、南雲に聞かれないよう、そっと樹に耳打ちした。


「うん……二人で共闘して、変なことばっかり考えてるよ。ボクも、それで一回イタズラ仕掛けられたし……」

「そうか……そりゃ、二人とも元気で何より……」

「おい……二人で何こそこそ話してるんだよ?」


 いつの間に来たのか、南雲が俺と樹の間に入り込んで来たのである。


「別に、何でもねぇよ……お前が相変わらず元気だって話だ」

「ん~? 本当か~? 何だか怪しいなぁ……」


 くそっ、南雲は勘だけは鋭いんだよな……。

 まぁ、別に言ったところでどうということはないけど。


「何をしている、南雲。お客様に対して、失礼だぞ」


 音もなく南雲に近付いてきたのは、二刀流使いの倉島遼だった。

 まるで気配を感じなかったな……。

 さすが、剣道部の主将だ。


「あっ、師匠! 師匠にも紹介するよ。おれのライバル、アッキーと、その他おれの友人たち!」

「おいおい……俺以外はその他扱いかよ。初めまして、神奈備暁斗です……」

「ほぅ、神奈備……珍しい名字だな。俺は、倉島遼だ。よろしくな」


 彼はそう言って、竹刀を置いて面を外した。

 面の下から現れたのは、顔立ちの整った爽やかな青年――これを一般に、イケメンと言うのだろう。


「ご丁寧にどうも……。うちの南雲に、慕われているみたいですね。なんか、迷惑とか掛けてないですか?」

「おい、アッキー! 何言ってんだよ。師匠は凄いんだぜ? 二刀流で、舞うように動き回ってさ!」


 南雲がこんなに興奮しながら話すなんて珍しいな。

 それだけ倉島遼には、南雲を引き付ける何かがあったのだろう。


「別に迷惑ではないさ。彼女の腕は大したものだぞ。俺の動きを目で追えるなど、並大抵の人間にできることではない」

「ほ、誉めるなよ師匠! なんか……照れるじゃねぇか! おれはただ、もっと強くなりたいだけで……」


 すごい自信だな、倉島遼……。

 南雲は剣道部で彼を見つけ、これまで練習を積み重ねていたのか。

 そういえば、さっき受けた南雲の一撃……凄まじかったな。


 本気で戦ってみないと分からないが、もしかしたら……南雲の方が俺より上になっているのかも知れない……。 南雲は、一つのことを一生懸命頑張って、剣道の腕を上げた。

 それに対して、俺はどうだ……?


 途中で剣道を止め、今は何も面倒なことに関わらず、ただ何となくボォ~ッと過ごしている……。


(俺……本当にこのままでいいのか?)



「ところで、君たちはどうして剣道部に? もしかして、入部希望者かな?」

「いえ、違います。僕たちは……ほら、暁斗。説明しないと……」

「えっ? ああ、そうだったな……」


 恵介の声で我に返った。

 そうだな……今は、自己嫌悪に陥っている場合じゃないよな。

 まずは、目の前の謎を解かなければならない。


「倉島先輩……この竹刀、少しの間借りてもいいですか?」

「ん? 竹刀をか? まぁ、別に構わんが……。悪用する訳ではあるまい?」

「ええ、それはご心配なく。これは、ただの護身用ですから。では、俺たちはこれで……」


 これで、得物も手に入った。

 これ以上、ここに長居は無用だ。さっさと弓道部に行って、早く帰らないとな……。


「おっ? なになに? 何かおもしろそうなことに巻き込まれてるのか、アッキー!」


 しまった!


 南雲がいることを忘れていた。

 ここで、南雲に付いてこられてもな……。

 なんか、面倒くさいことになりそうだし。


「へへへっ! アッキーといると、いつもおもしろいことが起こるんだ! なぁ、付いていってもいいだろ、アッキー?」

「い、いや……別に付いてこなくていいよ。それに、お前は倉島先輩との修行があるだろ? そっちを優先した方が……」

「いや、その必要はないぞ諸君」


 倉島遼はそう言いながら、突然胴着を脱ぎ出し、片付けを始めた。


「俺も、そろそろ終わりにしようと思っていたところだ。テスト期間だし、俺も受験生だ。いつまでも、剣道に興じてはいられんよ」

「……と、いうことだアッキー! 師匠から許可を貰ったし、おれはなんと言われようと、アッキーに付いていくぜ!」


 南雲は、興味津々に目を輝かせながら、純粋な目で俺を見ている。

 こうなったら、南雲に何を言っても無駄だな。

 仕方ない……。


「ハァ~……。分かったよ、南雲。だが、あまり騒いで迷惑を掛けるんじゃないぞ?」

「たくっ、アッキーは! おれだってもう高校生だぜ! 子供扱いするなっての! 待ってな、すぐ着替えてくるからよ!」


 南雲はそう言って、武道場の奥へ消えていった。

 まったく……厄介な奴が増えたな。





 着替えを済ませた南雲を加え、俺たちは弓道部の前まで来ていた。

 さて、あいつがいてくれればいいんだが……。


「へぇ~……。そんなことに巻き込まれてたのか。それで、これからその犯人に会いに行くと……」

「うん、そういうこと! まぁ、もっとも……僕もまだ犯人が分かってないんだけどね」


 恵介にこれまでの話を聞いた南雲は、興味津々といった様子だ。

 やれやれ……何も分かっていないというのは平和なものだな。

 まぁ、南雲が付いてきてくれたおかげで、色々新たな作戦が立てられたけどな。


「おい、お喋りはそこまでだ。そろそろ中に入るぞ。南雲、さっき言った通りに……」

「おおっ! 任せとけってアッキー! ほら、竹刀もこの通り!」


 そう言って、南雲は高らかと竹刀を掲げた。


「き、緊張するね、暁斗君……本当に、この中に犯人がいるのかな?」

「さあな。入ってみなけりゃ分からん。さて、吉と出るか凶と出るか……」

 胸の鼓動が高鳴る。


 深呼吸をし、呼吸を整えた俺は、弓道部の扉に手を掛け、中へ。

 恵介たちも、俺に続いて中へと足を踏み入れる。



「おや? 君は確か……暁斗じゃないか」


 中にいたのは、制服姿の加々島琴羽だった。

 どうやら、さっきまで練習をしていたらしい。手には、和弓が握られている。


 加々島琴羽の他に、部員の姿はない。

 やはり、弓道部も活動していなかったか。

 それならそれで、俺にとっては都合がいい。


「えっ? あ、暁斗君……も、もしかして……」

「まぁ、後は俺に任せて、樹はそこで見てろ」


 樹をうしろに下がらせ、俺は一歩前に出た。

 加々島琴羽も、鋭い目付きで俺たちを見据えながら、こちらに向かって歩を進めて来た。


「せっかく来てくれて悪いが、今弓道部は活動していないぞ。もちろん、君たちが会いたがっている、市川夏海も来ていない……」

「いえ、市川夏海に用はありません。今日は、別件で伺ったんです」


 確かに、なぜ市川夏海があの場所にいたのかは、今でも分からないままだ。

 しかし、そんなことはどうでもいい。


 今、用があるのはお前だ……加々島琴羽!


「それにしても、テスト期間で弓道部も活動していないのに、一人で練習ですか? 精が出ますね」

「まぁ、テスト勉強の気分転換みたいなものだ。特別に許可を取って、使わせてもらっている。ところで、別件で伺ったと言ったな? それは……私に用があるということか?」

「ええ……加々島さん、単刀直入に聞きます。あなたが、俺を襲った犯人ですね?」



 加々島琴羽の顔色は一切変わらない。

 涼しい顔をしながら、手に持った矢をくるくると回している。

 まぁ、こんなことだけで動揺を誘えるなんて、最初から思ってないけどな。


「ま、マジかよ……こいつが、アッキーを?」

「そ、そんな……嘘でしょ?」

「でも、ちょっと待ってよ暁斗!」


 その時、恵介が俺の言葉を遮った。


「暁斗を襲った犯人は、左利きだったんだよね? しかも、その矢は陽神高校弓道部のもの……だとしたら、犯人は市川さんしか考えられないと思うけど……」

「ああ、普通に考えたらな。だが、よく思い出してくれ。あの時、あの場所には何があったか……」

「あの場所……? あっ! そうか!」


 ようやく、樹も気が付いたみたいだな。


「そう……あの場所には、大量の鏡が置いてあったんだ。冷静に考えたら分かることだが、あの時、俺は動揺していた。もし犯人が市川夏海なら、左手に弓を持った姿で映るはずだろ?」

「なるほど……でも、それだけで加々島先輩を犯人にするのは、無理があるんじゃない?」


 その時、俺たちの様子を眺めていた加々島琴羽が笑みを浮かべ、くすくすと笑い出した。


「ふふふ……暁斗、さっきから君が何を言っているのか分からないが、今までの話を聞く限り、これで犯人候補は……弓道部の全員になったな……」

「そうだぜ、アッキー。今まで利き手が違うから、犯人が市川って目星がついていたのに、利き手が元に戻っちゃなぁ……」

「確かに、それだけでは彼女を犯人には出来ない。証拠は、他にもある……」

「他の証拠……? それって、一体なんなの、暁斗君?」


「それは……犯人が放った矢さ」


 急かそうとする樹を落ち着かせ、俺はさらに話を続けた。


「あの時、犯人は俺に向かって三本の矢を放った。しかし、その矢は俺には当たらず、すべて地面だったり、背後の鏡に命中していた……」

「はっ? えっと……つまり、何が言いたいんだ、アッキー?」

「あっ! もしかして!」


 おっと、どうやら樹は気付いたようだな。


「その犯人、下手くそってことだね!」

「うーん……でも、もし加々島先輩が犯人なら、確実に暁斗を狙い撃ちしてたと思うけど……」

「惜しいな、樹。そして、恵介……今、重要なことを言ってくれたな」

「えっ? 僕が……重要なことを?」


 恵介は、分からない様子で首をかしげた。


「犯人は、樹の言うように下手くそな訳じゃない。弓道の腕は、ピカイチなはずだ。ですよね、加々島さん?」


 加々島琴羽は、俺の言葉には答えなかった。

 ただまっすぐ、鋭い目付きで俺を睨み付けている。


「恵介に聞き、俺も実際に見させてもらいました。あなたが弓道部の中で、一番腕がいいということを。あなたなら、わざと狙いを外すことくらい、簡単に出来ますよね?」

「で、でも暁斗……それなら、他の弓道部員にも言えることなんじゃないの?」

「いや。もし、あの犯人が加々島琴羽以外の奴だとしたら、俺はとっくに矢に撃ち抜かれて死んでいただろうよ。わざと外すにも、それなりの腕がなきゃいけないんだ。弓道部を見学したお前なら、分かるだろ?」


 鏡で囲まれたあの状態……しかも、俺を外して鏡を狙い撃ちするなど、並大抵の人間に出来ることではない。

 しかも、この弓道部は弱小としても有名だ。


 そんななか、腕が立つのは市川夏海と加々島琴羽……。

 鏡で利き手が逆になっていたのなら、もう犯人は、加々島琴羽しかいない。


「ふ、ふふふ……はははははっ!」


 突然、加々島琴羽の笑い声が弓道場の中に響き渡った。


「暁斗……君はおもしろい奴だな。だが、ただ弓道の腕が立つからといって、犯人にされたのではたまらないな。何か、私が犯人であるという、確実な証拠はあるのか?」

「ええ。俺だって、これだけであなたを犯人だと決め付けられません。証拠は、ちゃんとありますよ。南雲!」

「おうっ!」


 俺は、南雲に預けていた証拠の矢を受け取り、加々島琴羽に突き出した。


「これは、俺が襲われた現場から持ってきた矢です。恐らく、この矢にはあなたの指紋が付いているはず。警察に持って行って詳しく調べれば……」

「ああ。確かに、その矢には私の指紋が付いているだろうな」


 突然、俺の言葉を遮ったかと思うと、加々島琴羽はいきなり矢の指紋について認めたのである。

 なんだ……? 一体、奴は何を考えているんだ?


「それは、確かに弓道部の矢だ。だから、私の指紋が付いていても、不思議じゃないだろう? 普段から、触っているのだからなぁ……」


 なるほど、そうきたか。

 なら、こちらも……。


「し、しかし……これは、確かに俺に向かって放たれた矢で間違いない……」

「暁斗……君がいくら言おうと、その矢はなんの証拠にもなりはしない。私が、神社で君を襲ったという、確実な証拠がない限り、私を犯人だと決め付けることは出来んぞ?」


 ははっ……まさか、こうもうまく引っ掛かってくれるとは思わなかった。


「あれ?おかしいですね……襲われた現場が神社だなんて、一言も言ってませんよ?」

「むっ………」


 冷静だった加々島琴羽の顔に、初めて動揺の色が浮かんだ。


「ヒューッ! やるねぇ、アッキー! まさか、この女にカマを掛けるなんて、思ってもみなかったぜ!」

「まぁ、古い手だったがな。加々島琴羽……どうやら、お喋りが過ぎたな」


 この女は、絶対に負けず嫌いな性格だ。

 今まで追い詰められていた状況で、突然俺が口をくぐもらせれば、彼女は絶対に反撃してくる。

 口が饒舌になり、彼女しか知らないことを喋ってくれればいいと思って仕掛けてみたが、どうやら、俺の作戦はうまくいったらしい。


「さぁ、説明して下さいよ。なんで、襲われた場所が神社だと分かったんです? それは、犯人しか知り得ないはずなのに……」

「そ、それは……」

「そうだ。ついでにもう一つ、あなたが犯人であるという証拠を明らかにしますよ。どうやって……俺の携帯番号を手に入れたかをっ!」


 間髪入れずに、ここは畳み掛けだ。

 さっきからしらばっくれてるあいつも、これで動揺させてやる!


「俺の携帯は、高校入学と同時に買ったもの。番号は、恵介にしか教えていなかった。なら、当然番号が漏れるとしたら……お前からしかねぇよな? 恵介」

「えっ、えぇ!? と、突然何を言い出すの暁斗? ぼ、僕が……加々島先輩に、番号を漏らすわけないじゃない……」


 笑顔だが、恵介は明らかに動揺している。

 こりゃ、俺の推測は当たっていたか?


「第一、僕と加々島先輩の接点なんて、何もないじゃない? それなのに、僕はどうやって先輩に番号を……」

「部活観察……お前の趣味だったよな? 恵介」


 恵介の顔から、笑顔が消えた。

 加々島琴羽は、黙って俺たちの話を聞いている。


「弓道部を観察したお前なら、加々島琴羽と知り合う機会はいくらでもあったはずだ。その時、二人で今回の計画を立てたんだろ?」

「ちょ、ちょっと待ってよ暁斗! なら証拠は? 僕が加々島先輩と知り合っていたっていう、証拠はあるの?」

「ああ、もちろんあるぜ。恵介、お前は昼間……自分で加々島琴羽と知り合いだと、喋ってくれたじゃないか」


 俺の言葉を聞いても、恵介はまだ分かっていない様子で、首をかしげた。

 まだとぼける気か? それとも、本当に自分が言った言葉を覚えていないのか?


「分からないなら、教えてやるよ。樹、今日の昼、市川夏海に話を聞くため、一組に行ったよな?」

「えっ? う、うん……その通りだよ」

「その時、加々島琴羽も一組に来たよな?」

「あっ、そういえばボクが帰ってきた時、確かにいたよ。でも、それがどうしたの、暁斗君?」

「その後、俺たちは互いに自己紹介したよな? 樹、加々島琴羽になんて名乗ったか、覚えているか?」

「えっ? えっと……普通に、フルネームで自己紹介したと思うけど……」

「そう。俺も、フルネームで自己紹介をした。だが、恵介だけは自分のことを“百瀬”としか言っていないんだ」


 恵介に続き、樹も何を言っているのか分からない様子で、首をかしげた。

 確かに、これだけではなんの説明なのか、誰にも理解出来ないだろう。


「しかし、加々島琴羽と別れる際、彼女は恵介のことを百瀬ではなく、“恵介”と、はっきり名前で呼んだ。もう、分かっただろ?」

「なるほどっ! 確かに、おかしな話だなぁ、モモチ!」


 南雲は分かったみたいだな。竹刀を構えながら、恵介にじりじりと迫っている。


「そうかっ! 百瀬君は名前を名乗ってないのに、加々島先輩が名前で呼ぶなんて、確かにおかしいよね」

「ああ。あの段階で、加々島琴羽と俺たちは初対面だったはずだ。なのに、彼女は恵介の名前を知っていた……。ここから導き出せる答えは一つ! 恵介と加々島琴羽は、ずっと前から知り合いだったということだ!」


 これだけの証拠を突き付けられ、二人は一切言葉を発することも、反論することもなく、ただじっと黙っているだけだった。


「恐らく、恵介と加々島琴羽が出会ったのはこの弓道場だろう。部活観察をしていた恵介に彼女が声を掛け、俺の携帯番号を入手……そして、今回の事件に至った訳だ。まぁ、いまだにその目的は分からずじまいだが……」

「ふ、ふふふ……ふはははははっ!!」


 突然の笑い声に、思わず驚いた……。

 これだけ証拠を突き付けられている状況で、なぜ加々島琴羽は笑っていられるんだ?


「おい、何がおかしい? まだ、言い逃れられると思っているのか? 言っとくがな、これだけの証拠と俺の推理を警察に伝え、詳しく調べれば、最悪、お前は逮捕される可能性だって……」

「ふふふ……神奈備暁斗。その鋭い洞察力、素晴らしいぞ。恵介に聞いていた通り……いや、それ以上だ」


 加々島琴羽はニヤリと不気味な笑みを浮かべながら、静かに矢を弦に掛け始めた。

 なんだ……? まさかあいつ、こんな場所で……?


 胸の鼓動が高鳴り、竹刀を握る手にも、思わず力が入る。


「ついに、恵介との関係を認めたな? それで? なんでこんなことをしたのか、説明してもらえるんだろうな?」

「……では、最後の試練だ。行くぞっ! 神奈備暁斗!」


 俺の質問に答えることなく、加々島琴羽は勢いよく弦を引き絞り、和弓を俺たちに向けたのである。


「ちょ!? おいおい、マジかよ! こんな場所で矢を放つ気か?」

「ちっ! 冗談じゃないぜ……南雲、用意はいいか?」

「お、おう! 任せとけ!」


 恵介と樹を下がらせ、俺は竹刀を構えて加々島琴羽と対峙した。

 俺の背後には、南雲が同じく竹刀を構えて待機する。


 瞬間――彼女の右手から矢が放たれた。


「おりゃっ!!」


 矢が放たれるよりも早く、南雲が俺の背後から飛び出し、飛んできた矢を竹刀で弾き飛ばした。

 矢は、そのまま弓道場の壁にぶつかり、地面に転がる。


 一瞬、加々島琴羽が怯んだところへ、俺は竹刀を構えて一気に彼女の懐へ突っ込んでいった。

 バンッ! と音を立て、加々島琴羽の和弓が後方へ弾き飛ぶ。

 竹刀の先端は彼女の喉元を捉え、完全に動きを封じていた。


「ハァ、ハァ……これで、勝負ありだ!」

「ヒューッ! やるねぇ、アッキー! そんだけ動けるなら、やっぱ剣道部に入ろうぜ?」

「な、南雲さんも暁斗君も凄すぎるよ……ボク、速すぎてまったく見えなかった……」


 驚いたな……しばらく剣道から離れていたとはいえ、体は覚えていて、反射的に動くことができた……。

 まぁ、さすがに息が上がったけど。


 思った通り、こいつは攻撃を仕掛けて来やがった。

 得物を用意していて正解だったな。

「つ、ついでに言っておくぞ……今までの会話は、すべて携帯で録音させてもらった。証拠は、確実な方がいいからな……」

「ふ、ふふふ……。素晴らしいぞ、神奈備暁斗! 洞察力もさることながら、正確な先読み能力に加え、その反射神経……まさしく、理想通りの人材だ……」


 な、なんなんだこいつ……?

 一体さっきから、何を言っているんだ?

 この状況でも、加々島琴羽は余裕を見せ付け、まだ笑みを浮かべている。


「恵介! よくぞ私に教えてくれたな! 感謝するぞ」

「ね? だから言ったでしょ。暁斗は、必ず加々島先輩の役に立つって!」


 さっきまで険しい表情を浮かべていた恵介が、突然ケロッとその表情を変えて笑顔となり、加々島琴羽に近付いてきた。

 恵介の野郎……ついに本性を現しやがったな。

 俺は、ため息をつきながら竹刀を力なく下ろした。


「おい、一体どういうことだ恵介! しっかり説明してくれるんだろうな?」

「ははははっ! 悪かったな、暁斗。恵介は何も悪くない。今回の計画を立てたのは、すべて私なのだからな」


 加々島琴羽は恵介をかばうように、肩をポンポンッと叩いて隣に立った。

 なんか……思った以上にこの二人は仲がいいみたいだな。


「実は、ある目的のため、私は頭の切れる人間を捜していたのだ」

「そうそう! ちょうどその時、僕が部活観察で弓道部を訪れて……」

「……俺のことを加々島琴羽に話し、携帯番号まで教えた訳か……」

「その通りだ、暁斗。それを聞いた私は今回の計画を立て、お前の実力を見てみようと思ったのだ。まぁ、少々やり過ぎたかも知れないがな! はははははっ!」


 はははって……笑い事じゃないぜ。

 下手したら、矢に射抜かれて死んでいたかも知れないんだ。

 この女……目的のためなら、手段を選ばない性格だな……。


「ご、ごめんなさい! 暁斗君……実は、ボクもこの計画を知ってたんだ」

「え……はぁっ!? どういうことだよ、樹?」

「当日、百瀬君に呼ばれて、この話をされて……ご、ごめん! もっと早く話していれば……」


 まさか、樹まで仕掛人だったとは思わなかった。

 結局、俺一人だけ何も知らないまま、ドッキリに引っ掛かったというわけか……。


「ご、ごめんね暁斗君……ま、まだ……怒ってる……よね?」

「いや、樹は恵介に巻き込まれただけで、何も悪くないだろ? それに、謎が全部解けて……なんか、どうでもよくなっちまった」


 とにかく、事件の真相は分かった。

 今は、一刻も早く家に帰って眠りたい。

 謎が解けてスッキリしたし、今夜はぐっすり眠れそうだ。



「……ハァ……。そういや、頭の切れる人間を捜してる目的って、なんなんだ?」


 ふと気になり、俺は何気なく加々島琴羽に聞いてみた。


「ふふふ、よくぞ聞いてくれた。私たちは、この陽神市に伝わるある伝説の謎を追っているところなのだ」

「陽神市に伝わる……伝説?」


「そうだ。その名も、《火宝伝説》」


「ひほう? なんか、よく分からないけど……もしかして、お宝だったりするのか? くぅ~! なんかわくわくするなぁ、アッキー!」


 南雲は、相変わらずこの手の話に興味津々だな。

 そんな、どこにでもありそうな根拠のない都市伝説……実にくだらない。


「それで? そんなくだらないことに俺を巻き込むつもりか? 冗談じゃない。せっかく、もやもやしていた謎が解けてスッキリしたところだ。これ以上、謎に巻き込まれるのはごめんだぜ」


 俺は踵を返し、加々島琴羽に背を向けた。

 何か余計なことを言われる前に、弓道場を出なくては……。



「ふふ、暁斗……この地に火宝を隠したのは………《神奈備家》という一族らしいぞ?」


 弓道場の扉に手を掛けようとして、俺は思わず足を止めて振り返った。

 今……加々島琴羽はなんと言った……?


 神奈備家……つまり俺の先祖が、この地に火宝と呼ばれる何かを隠したってことか……?


「恵介からお前の話を聞いた時、確信したよ。お前は間違いなく、神奈備家の末裔だとな!」


 加々島琴羽は高らかと言い放ち、俺に向かってスッと手を差し伸べてきた。

 口元には、笑みが浮かんでいる。


「分かっているぞ、暁斗……お前は、面倒なことを避け、平穏に過ごしたいと思っているらしいが、それは本心ではないだろう?」

「な、なんだと?」


「お前は、日々の平穏な生活の中で、何か刺激を求めていたはずだ! 自分は一体何をやっているんだ……このままでいいのか、と、それがお前の本心ではないのか?」


 悔しいが、加々島琴羽の言葉は当たっている。

 自分でも、ここ数日……何か、心が満たされていないような気がしていた。

 南雲と倉島遼の試合を見て、その感覚はより一層強くなったのかも知れない。


「推理をし、謎を解いているお前の方が、普段の姿より生き生きしているぞ! さぁ、私と共に……火宝伝説の謎を解き明かさないか?」

「へっ……言ってくれるじゃねぇか、加々島琴羽……」


 ここまで聞かされたら、もう引くに引けないだろう。

 それに、俺の先祖が関わってるかも知れないなら、なおさらだ。


「ただし言っておく! もし、その火宝伝説がガセだと分かったら……俺の貴重な時間を台無しにした罰として、その罪を償ってもらうぞ!」

「やった! そうこなくちゃ暁斗! 僕も、喜んで協力するよ!」

「おれも行くぜ、アッキー! 何だか、おもしろいことになりそうだ!」

「ぼ、ボクも……ちょっと興味ある……かも……」


 加々島琴羽は、この場にいる全員を見回し、ニヤリと笑みを浮かべながら深くうなづいた。



「そうか……なら、お前たちを招待しよう……我が、《陽神調査委員会》に!」

第一章 放たれた矢 完

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ