14 前世なんて、知らないけれども
新城さんの一件は、生徒会と風紀委員会で預かることになった。
階段から突き落とされた当人である理子は、生徒会長の提案を二つ返事で受け入れた。
大きな問題にしたくはなかったし、これ以上新城さんに関わりたくないというのが本音だ。それに理子が弾劾しなくとも、新城さんは生徒会および風紀委員会からすでに大きな釘を刺されている。
『今後、あなたが佐藤さんや久賀君、鴻上君だけでなく、この学校の生徒達に危害を加えるようなことがあれば、今回の映像と合わせて学校に申告し、相応の処分を受けてもらいます』
生徒会長の勧告を受ける新城さんは俯いたまま、さめざめと泣いている。魔王と勇者、その他の国王や大臣もろもろに完璧に拒絶されたことが相当ショックだったようだ。さらに、部屋にいる誰もが慰めないという状況は余計にショックであろう。
風紀委員の男子生徒達に囲まれた彼女を残し、理子は陽斗、玲とともに帰路へ着いた。
*****
日が落ちて、いつもよりも薄暗い夕闇の中。
いつものように幼なじみ二人と帰りのバスを待ちながら、理子は思う。
魔王と勇者にとって大切な存在だった『リコ』。
人間と魔族の架け橋となるために重要な任務を負った『リコ』。
聖女に疎まれ、命を奪われたかもしれない『リコ』。
理子が覚えていない、前世。
陽斗も、玲も。
瀬里も、結衣も、生徒会長も、風紀委員長も、その他の生徒達も。
……新城さんも。
皆が前世を覚えていて、『リコ』を覚えていた。
『リコ』は、いったい何者だったのだろう。
皆が理子のことを『リコ』と呼ぶのは、前世のことがあったからなのか。
二人が理子にかまうのは、理子が前世で『リコ』だったからなのか。
もし理子が『リコ』じゃなかったら、もう、かまうことはなくなるのか。
「……」
少しもやっとした気持ちになってしまう。口をへの字に引き結べば、両隣りに立った陽斗と玲が心配そうに顔を覗きこんできた。
「大丈夫か、リコ。顔色悪いぞ」
「やっぱり病院に行って診てもらおうよ」
優しい声がなんだかひどく遠くから聞こえる。
自分じゃない他の人に向けて言っているように聞こえる。
私は、『リコ』じゃない。
そんなこと、覚えていない。
「……ねえ、『リコ』って何だったの?」
声が、零れ出た。
「私、知らない。『リコ』のこと、覚えていない。……『リコ』じゃないかも、しれないよ」
ぽつりと呟く声は、自分でもひどく頼りなく聞こえた。
前世なんて知らない。
魔王とか勇者とか知らないし、どうでもいいし、関わりたくないはずなのに。
前世を覚えていないことが。『リコ』じゃないかもしれないことが。
少し、寂しいと思うなんて――
そこまで考えて、はっと我に返った。
いやいや、待て待て。
私まで前世がどうのこうの言ってどうする。周りがリコリコリコリコ言うからちょっと影響受けちゃったじゃないか。何か恥ずかしいこと言ってしまったじゃないか!
「ご、ごめん。今の無し、で――」
慌てて誤魔化そうとすれば、両側から「ぶはっ」と吹き出す音が聞こえた。
「お前、そんなこと気にしてたのか?」
「あれだけ必死に前世のことスルーしようとしてたのにね」
陽斗と玲に言われて、理子は穴があったら入りたい心境に陥る。ああ、もういっそバスを待たずに徒歩で帰って頭冷やしたい。
距離を置きたくて二人から離れようとしたが、その前に笑いを収めた陽斗が理子の頭をぽんと軽く叩く。
「別に覚えてなくていいよ。リコはリコだし」
「…へ?」
「今さらって感じもするしね。実際、前世よりも現世の方が、よっぽどリコとの付き合いは長いから」
「……はい?」
続いて玲に頬をつんと突かれて、理子は二人を交互に見やった。
「で、でも、二人とも前世のこと散々言ってくるし、覚えてるかって何度も聞いてきたのに」
「そりゃ、覚えててくれたら嬉しいじゃん。思い出が増えるわけだしさ」
「それに、覚えていたら君も『聖女』を警戒して、危険を少しでも避けることができただろうしね」
「いや、ええと、だって、『リコ』っていつも呼んで……」
「え?だって、幼稚園のときに小母さんから『リコ』でいいって言われたから」
「そのときの癖が取れないんだよね。ちゃんと名前呼ぶのも、気恥ずかしい感じがするし」
だよなー、だよねー、とにこやかな幼なじみ二人を見て、理子は脱力する。
……前世について真面目に考えた自分が馬鹿だった。先ほど生徒会室であれだけシリアスモードだった二人が、何の事は無い、そこまで前世に拘っていなかったなんて。一人でヤキモキして、恥ずかしいったらありゃしない。
がっくりと項垂れる理子の頭を、陽斗がさらりと撫でる。
「……今のリコのままでいいよ。今の俺達のことも、守ろうとしてくれたし」
「え……」
「新城さんに言ってくれただろ?俺と玲が仲悪くなるのは嫌だって」
陽斗の指摘に、理子の頭の中に階段の出来事が蘇える。
『今の陽斗と玲のことは知っているから、二人が仲悪くなるのは嫌だ』
『私は二人から離れないようにするよ』
――なんてことを、勢いで言ってしまった、気がする。
「あ、あれは……」
「あれが聞けただけでも十分だね。普段は素っ気ないくせに、ちゃんと俺達のこと考えてくれているんだって、嬉しかった」
微笑んだ玲に軽く摘まれた理子の頬が、ぶわっと赤くなる。
……なんだ、何なんだこの二人。
いきなり何か変なモードに入って、今までに見たことが無いほど無防備な笑顔を向けてくる。
いくら二人の顔を見慣れていても、このダブルパンチは、甘ったるくてきつい。
恥ずかしいやら寒気がするやらで逃げ腰になる理子を、陽斗と玲は両側からがっちり押さえて、バスが来るまでひと時も離すことは無かったのだった。