最近の若者の言葉は……?
いつの時代も、若者の言葉は、そのコミュニティに属していなければ、理解できない、分からないものです。
その新しい、理解できない言葉を大人たちは、最近の若者は日本語が乱れていると、一言で片付けるのです。
しかし、今、「乱れている」といっている大人たちが若い時の言葉も、もっと昔の人から言わせれば……
徒然草にも、エジプトのピラミッドにも、「最近の若い人は……」と言う言葉がかいてあるそうです。
いつの時代も、大人は、下の世代の言葉、行動には、理解に苦しむもののようです。
うん、歴史は繰り返していますね。
若者の多くが時間を過ごす学校というところは、特殊な環境。
社会とつながっていそうで、その中は、全く違った価値観。
自分よりも、偉い人なんて先生、先輩くらいしかいないし、世界はたいてい学区内。
その環境に適応した、仲間内でしか通じない言葉ができるのは、自然の流れ。
それが、それが若者の社会構造。
そんな閉じた環境では、大人たちの巨大な社会と、差ができてもおかしくありません。
ちなみに、自分が、「若者言葉」を生産していた時代にいたころは、「MK5」「チョバリバ」「チョベリグ」「チョマオモ」が使われていました。
MK5:まじで、切れる、5秒前。まじで、恋する、5秒前。(いろんな意味がある)
チョベリバ:超 very good の略
チョベリグ:超 very bad の略
チョマオモ:ちょーまぶた重い(つまり、眠い)
多用する友人がいたので、自分は使わなかったけれど、意味は分かる状態でした。
語感としては、楽しいけれど、なんか使うのが恥ずかしかったというか……
自分は、原形をとどめていない、いきすぎた若者言葉は、使うことに対しては抵抗がありました。ここら辺は、ちょっと保守的でした。
でも、「超」くらいは、使っていたかもしれません。「ちょー疲れた」とか。
これ以外にも、「まじで?」とか。
ほめ言葉としての「ぜんぜんおいしい」とか。「ふつうにおいしい」とか。
それくらいなら、使うことに対して、あんまり抵抗はなかったから。
いわゆる「正しく美しい日本語」としては、まちがっていますが。
自分が、身を置いた若者言葉、「MK5」「チョバリバ」……
もはや、今では、死語。
浸透しなかった、死んでしまった言葉たち。
言葉は、生物の進化と似ていて、弱肉強食の世界、淘汰されていく。
生き残れば、正しい日本語としての地位を入手できるのです。
たとえ、当時、若者言葉として、「乱れている」といわれていたとしても。
間違った意味、読み方でも、7割8割くらいの人にその意味、読み方が通じるようになったら、辞書にその間違った方の意味、読み方も載ります。
辞書に載ったら、それはもう、乱れではなく、定着した言葉として、扱われます。
たとえば、有名な(?)ところで「確信犯」
確信犯は、本来ならば、「自分が正しいと思ってやる行い」だったものが、転じて、今は、「悪い事だと分かってやる行い」という意味でも使われるようになりました。
読み方が変わってしまった言葉の例としては、「新しい」
ほんとうは「あたらしい」ではなく「あらたしい」と読んでいたそうですよ。
新しい靴は「あらたしいくつ」、新しい生活は「あらたしいせいかつ」
……と言う風に。
言いにくいですよね。
それから、「山茶花」も「さざんか」ではなく、本当は「さんざか」だったのですよ。
これも、言いにくい。
最近、変化しそうな言葉は「雰囲気」
これを、「ふいんき」という人が増えてきています。
いつの日か、「ふんいき」が、「ふいんき」でも大丈夫なようになってしまうのでしょうね。
人は、発音しやすいように、言葉を変化させてしまいます。
言葉は、変化し続けるから、言葉なのであって、進化・変化しない言葉は、ラテン語のように、死んだ言語と言われてしまうのです。
ところで、日本語の乱れを気にする人は、「アラフォー」とか、「~王子」とか、「ゲリラ豪雨」(『正式な』気象用語ではないが、マスコミ用語として定着した)とか、「ノイローゼ」(『正しい意味で』一般に定着しなかったから、精神医学の分野では通常使用しなくなった言葉。
本当は医学用語としては、神経痛の事のみを指すらしい)
このような定着した、定着しつつある造語や短縮された言葉も、嫌うのだろうか。
「あたらしい」「さざんか」と言う本来なら間違った読み方、「ゲリラ豪雨」もマスコミが作り上げた言葉。
今は、よく使う日本語として、場合によっては、辞書にも載ってしまうほど、どうどいうと扱われてしまっていますが、それについて、どう思っているのかな。
気になる!
日本語の乱れを気にする人に聞いてみたい!
新語、造語、意味が増えてしまった・変わってしまった言葉と乱れた言葉……
それらの言葉、どうやって区別つけているのかなぁ。
自分たちが使っていなくて、新しくうまれた言葉・意味は、すべて乱れ?
自分たちに馴染まないものは、入ってきて欲しくなくて、排除したい?
流行らなければ、死んでいく、一種のはやり病のような言葉なのに……
日々変化し増えゆく、そんな言葉たちを、いちいち気にしていたら、きりが無い。
(……あ、「はやり病の病原菌のよう」だから嫌うのかしら♪)
まぁ、とにかく……
おもしろいね言葉の進化、楽しいね言葉の変化。
言語学者は、言葉の変化・乱れに対して、割と寛容だけれど、
(変化の過程が楽しいから、研究しているせい)
文学・古典学者とかが、なんか、乱れ気にしている様な気がする。
言葉を守る気持ちも分かりますが、しかし、
たまに、文化人気取った学者が、「みだれている」というのが、
なんだかなぁという部分でもあるのです。
それと同じように、行き過ぎた、新しい言葉も、なんだかなぁとは、思いますが