第3話 おすすめの吸精法
「……ここは?」
凛が目を開くと真っ白な天井が視界に飛び込んで来た。
数日前から寝起きしている寮の部屋の天井はここまで真っ白ではなく、僅かに日に焼けてくすんだ色をしていた筈なので、自分の部屋ではないことだけは理解出来た。
「くっ、身体が重い……」
ここが何処だか確認する為にも、とりあえず起きようと上半身を起こそうとしたが、まるで風邪でもひいた時のように身体がだるい。
苦労して上半身を起こすことに成功すると、ベッドの脇に置いた椅子に座り、ベッドの縁を机に見立てて授業中に居眠りをするかのような体勢で女の子が眠っていることに気が付いた。
「薄いピンク色の髪に黒い羽……ってことはリリムか」
俯いている為に少女の顔は見えないが、自らが召喚した夢魔の少女リリムの姿を思い出し、眠っている子の正体を看破する。
ここからでは確認出来ないが、お尻からは尻尾も生えている筈だ。
「で、結局ここは何処なんだ?」
リリムを起こして直接聞くのが一番手っ取り早いのは明白なのだが、恐らくは気絶した自分を心配して今まで看病してくれていたと思われる少女を起こすのも躊躇われたので、もう少し寝かせてあげることにする。
凛はひとますリリムから視線を外し、何か手掛かりを探そうと周囲を見回してみると、ベッドの正面と左右が水色のカーテンで覆われていることに気付く。
「病院……いや、学校の保健室か?」
何年か前に妹が怪我で入院したことがあり、その時の見舞いで訪れた病室と比べると、多々差異が見受けられる。
確か病院のベッドにはスイッチ1つで上半身を起こせるような装置が付いていたり、私物を置く為のちょっとした収納や、入院時の暇を潰す為のTVが置いてあったと記憶している。
しかしここには安物のベッドの他に何も存在していない。
単に設備が貧弱な病院だという線も無くはないが、それにしたってナースコールくらいは有ってしかるべきだ。
結論として、ここは病院ではなく学校の保健室というのが答えだろう。
現在自分が置かれている状況を理解し心に余裕が出来たのと同時に、先ほどリリムとキスをしてしまったことを唐突に思い出した。
「キスをすることが簡易契約の条件だったのか……?」
凛は自分の唇に押し当てられたリリムの唇の感触を思い出しそうになり、頭を振って気を逸らした。
実際は唇どころか舌から歯茎まで徹底的に舐られているのだが、幸か不幸かドレインの影響で凛の感覚は鈍磨しており、全く気付いていなかった。
もしもこの時の凛が当時の記憶を克明に覚えていたなら、起きて早々もう一度夢の世界へと旅立っていたことだろう。
「俺アレが初めてだったんだけど、リリムはどーなんだろ?ってゆーか、契約の為とはいえ好きでもない男とキスするなんて、嫌じゃなかったんだろうか?」
凛はスースーと小さな寝息を立てて眠るリリムに再び視線を向ける。
「そーいやリリムの髪ってアニメのキャラみたいな色してるけど、不思議と似合ってたな」
触ったらサラサラしてて気持ち良さそうだなぁ……とベッドにしな垂れかかっていた髪の一房に触れた瞬間、ガバッ!とリリムが起き上がる。
「うおっ!?す、すまん!今のはちょっとした出来心で、別に下心が有った訳では……」
凛は前触れもなく突然目覚めたリリムに驚き、反射的に謝罪していた。
「……リン!やっと目覚めたのね?とっても心配したんだよ?」
「あ、あぁ……心配掛けてすまん。ついさっき目が覚めたところだ。まだちょっと身体が重いけど、歩くくらいなら大丈夫だと思う」
リリムは安堵するかのように凛の手を取って両手で包み込み、凛はそんなリリムの何気ない仕草にドギマギしつつも、表に出さないように気合で抑え込んだ。
「ノゾミを呼んで来るから、そのままベッドで待っててね?起きたばっかりなんだから、無理しちゃダメだよ?」
そう言うや否やリリムはカーテンを開け、タタタッと走って保健室を出て行く。
「ノゾミって、確か倉橋先生の名前だったっけ?」
凛は自分とそう歳の変わらない担任教師の姿を思い出しつつ「折角羽があるのに飛ばないんだなぁ……」と、どーでも良い事を考えていた。
「渡瀬くん、具合は如何ですか?」
リリムは3分ほどで希望を連れて戻って来た。
行きは全力疾走だったが、流石に帰りは普通に歩きである。
とゆーか、廊下を走ったことを咎められたのか若干落ち込んでいるような気がする。
(人間に怒られて落ち込む悪魔って、どーなんだ……?)
もっと傍若無人で契約者以外の人間なんて歯牙にも掛けない……というのが凛の中の悪魔のイメージだったのだが、少なくともリリムはそうではないらしい。
(想像してたのとはちょっと違うけど、これなら周囲の人と軋轢を生むことも無なさそうだし、結果オーライ……かな?)
「……渡瀬くん?」
黙ったままの凛を不審に思った希望が再び声を掛けて来る。
「あっ!す、すいません!ちょっとぼーっとしてました。もう大丈夫です!」
「……そうですか?まだ体調が優れないようでしたら、もう少し休んで行かれても構いませんよ?」
「いえ、ホントに大丈夫です。ご迷惑をお掛けしました」
気絶するまでドレインし続けてしまったリリムが悪いのであって、被害者である自分に落ち度はないのだが、それでも希望やクラスメイトに迷惑を掛けたのは事実なので、一言謝っておくべきだろう。
「初回契約時に何人か倒れるのは恒例行事みたいな物ですから、そんなに気にしなくて構いませんよ。ついさっきまで召喚した吸血鬼族に血を吸われ過ぎて貧血になってしまい、隣で輸血していた女の子とかも居ましたし」
(サキュバスにキスされて精気を吸われるのとドラキュラに血を吸われるのって、どっちがマシなんだろうか?)
「ゴメンね、リン?リンの精気が予想以上に美味しくて、つい夢中になって吸い過ぎちゃったの……」
希望の陰に隠れるように顔だけを覗かせたリリムが申し訳なさそうに謝罪して来た。
「えっと……精気って味とかするの?」
「うん!リンの精気って、とっても濃くて美味しいんだよ?」
リリムは先ほど味わった凛の精気の味を思い出しながら嬉しそうに報告する。
「だよ?って言われても俺には分からんけど……まぁ、不味いと言われるよりは良いのか?」
(それにしても『精気が濃い』とか言われると、そこはかとなく卑猥に聞こえるな……)
「ママから格好良い男の子の精気はとっても美味しいって聞いてたけど、想像以上だったよ!あっでも次からは吸い過ぎないようにちゃんと気を付けるから、安心してね?」
「……次からっ!?もしかして、またアレをするのか?」
聞き捨てならないセリフを耳にし、凛は反射的に呟いた。
「悪魔というのはただそこに存在しているだけでもエネルギーを消費してしまいます。なので、契約者が定期的に補充してあげないと人間界留まることが出来なくなってしまうのです」
唖然とした様子の凛に希望が悪魔の生態を説明する。
「……ちなみに、どのくらいの頻度で補充しなきゃいけないんですか?仮にこれが毎日続くとしたら、過労死する自信がありますよ?」
凛は希望の説明を聞き、縋るような視線を向ける。
「うーん……ある程度見当は付きますが、エネルギーの消費量は種族差や個人差があるので、リリムさんに直接聞いた方が確実でしょうね。どうですか、リリムさん?」
「えっと、魔力を使えばその分消耗するから短くなるけど、普通に生活するだけなら1週間は余裕かな?」
リリムは体内にある魔力を感じ取り、大凡の活動可能時間を予測した。
「ってことは、最低でも週一でリリムとキスをしなきゃいけないってことなのか?」
「む……リンは私とキスするのが嫌なの?」
リンの何気ない言葉に、リリムは不満気な表情を浮かべる。
「別に嫌という訳では……ただその、ちょっと恥ずかしいと言うか何と言うか……出来れば他の方法に変えられないか?」
「えっと……一番吸収効率が良いのは、えっちしてリンの精力を私のカラダの中に直接注ぎ込んで貰う方法かな?その次がキスね。3番目はリンにえっちな夢を見て貰って、昂ぶったリンの精力を吸収する方法かな?でもこれだとかなり吸収効率が悪いから、毎日しなきゃいけないと思う」
(握手とかで済むならそれが一番だったんだが、流石にそれは甘い考えだったか……それにしても、どれもこれも碌な方法じゃねぇな)
「……選択の余地はないか。わかった、それで頼む」
キスよりはマシだと思うことにして、凛は諦めた様子で決断した。
「……っ!?あ、あの……私初めてだから、出来るだけ優しくしてね?」
「ちょっと待て!何を勘違いしてる?俺が頼んだのは3番目の方法だぞ!?」
頬を赤くしつつ凛の顔をチラチラと覗き見るリリムの様子から、とんでもない勘違いをされていることに気付き、慌てて訂正する。
「……な!?一度女の子をその気にさせておいてお預けするなんて、リンてば顔に似合わずSな人だったの?」
「何で俺自らキスよりハードル上げてんだよ?普通に考えて有り得ねぇだろ?」
驚愕の視線を向けるリリムに対し、冷静にツッコミを入れる。
「じゃー私は何処で欲求不満を解消すれば良いの?リンだけ毎日スッキリするなんてズルイよ!」
「お前なぁ……悪魔とはいえ女の子なんだから、もうちょっと恥じらいを持てよ?」
リリムの予想外の反応に、疲れた声を上げる凛。
「いや、サキュバスとしてそれはどーかと思うんだけど?」
「……まぁそれは置いておいて、とりあえずそーゆーことは俺と別れた後に自分の部屋でコッソリとだな……」
凛は本人を目の前に、ベッドに寝転がってナニに励むリリムのあられもない姿を妄想し掛けてしまい、思わず顔を赤くしてしまう。
「何言ってるの、リン?私たち、これから一緒の部屋に住むんだよ?そんなこと出来る訳ないじゃない?」
「……………………は?」
凛はリリムが何を言っているのか、理解出来なかった……したくなかった。