侍女と青羽根の騎士
日が頂点から少し傾いたとはいえ、まだ外は熱い日差しが差す午後。
何人かいる侍女の中でも私が淹れたお茶が一番美味しいとお褒め頂いてから、姫様のお茶をご用意するのはほぼ私の役目になった。
他の侍女と談笑をなさっている姫様は、暑い最中でも体調を崩されることもなくいつも通り過ごされているようだ。
今は姫様にとって大事な時期。秋に隣国へお輿入れになるのだ。
ただでさえドレス合わせや嫁入り道具選びと忙しいのに、ここにきて例年よりも暑い夏となり、王様・王妃様はもちろんのこと、侍女一同も皆心配していたのだ。
お変わりのないご様子に安心して、茶器を乗せたワゴンを押しながら扉の前まで進むと、お話に夢中な姫様に無言でお辞儀をする。
扉の引き手に手をかけようすると、手をかける前に外の廊下側からゆっくりと扉が開いていく。
いつも通り、絶妙のタイミング。
感心しながら、廊下側から支えられた扉はそのままに、姫様に再度一礼をしてからワゴンを引いて廊下に出る。
ワゴンを廊下に出しきってから進行方向に向けてターンさせると、それにちょうど合わせて静かに扉が閉まっていく。
私は扉から手を離す長身の甲冑の騎士を見上げた。兜の頂から垂れる長い羽根の色は、予想通り鮮やかな青。姫様付きの騎士団『羽根騎士』の青羽根の副隊長殿だった。
見上げる私の視線に気づき彼も一度は顔をこちらに向けたが、すぐさま直立の姿勢に戻す。この人も忠実に掟に従う人なのだ。
私は彼の声すら聞いたことはない。
このエスティリア王家には、少々変わった掟がある。
それは、結婚前の姫様が男性に興味を持ったりすることのないように、王族以外の男性は全員顔に仮面を付けなければならないのだ。
しかも、見た目だけではなく人柄にも気がいかないように、男性は女性と名乗り合うことや、会話することも禁じられている。
これは女性にありがちな噂話などで特定の男性が話題にのぼることを防ぐためでもあるとされている。
つまり、女性側からは男性はどこの誰なのか全く判らないようにさせているというである。例外として、要職についている家臣団は名乗ることは許されているが。
これでは人の見分けができず、曲者の侵入など容易いのではないかと思うが、男性だけでの場では仮面や会話の制限はなく、人材登用の場ではしっかりとした身辺調査がなされるため、有事に至ったことは少なくとも私がお城に上がってからは一度もない。
人の見分けという点では、仮面は動物など生き物をモチーフにするような慣習になっているので、人というか仮面を覚えるのはそんなに難しいことではない。
むしろ長い名前を持つ貴族を覚えるのには楽なくらいである。といっても、その人の名前が本当に長いのか知る術はないのだけれど。
城を守る騎士団もある意味例外の一つである。
騎士は有事の際に仮面では己の身も守れないということで、騎士団は全員兜を常時被っている。兜以外の装備はその時々で変えることは許されている為、軽装に兜という奇妙な出で立ちも見られる。
あんなに重そうな兜を日常的に着ていたら、バランスも悪いだろうしそれだけでも鍛えられるのだろう。
我が国からは吟遊詩人に詠われるような騎士が多く輩出されると諸外国にも知られているそうだが、これが優れた騎士が育つ理由の一つかもしれない。
特に優秀な騎士が王族の警護を担っているのだが、その中でも姫様の警護に就く騎士は最も姫様に近い男性の一人になる為、兜だけではなく甲冑も常に装備して、全く姫様に中にどんな人物が入っているのか判らないようにさせられている。
姫様付きの騎士は皆揃いの甲冑で、身長や体型のほかは、兜につけた長い鳥の尾を使った羽根飾りの色で区別されている。
それ故『羽根騎士』と呼ばれている。
ここまで中の人がどこのどういう人か判らないようにしてあって、もちろん口をきくことも禁じられている為、姫様にお仕えする侍女と騎士として普段共に過ごす時間も多いのに、なかなかどんな人柄なのかも判らない。
ただ青羽根の副隊長殿はさすが姫様付きの羽根騎士というだけあり、人の気配を読むのに長けているようで、こちらの動きに合わせて先ほどのように扉を開けてくれるなど、気配りのできる人だということは判っている。
他の騎士はこちらが扉を少し押したところでようやく気がつくというのに。
副隊長殿は羽根騎士の中でもひときわ背が高く、白銀に輝く甲冑で身にまとう姿は、甲冑が光を反射していることを除いても本当に眩しく見えるのだが、不思議と怖くは感じない。
「ありがとうございます。後で詰め所に、井戸水で冷やしたお茶を用意しておきますね」
反らされたままの目線も気にせず、二人だけにしか聞こえないくらいの大きさで言い、反応を待たずにワゴンを押して扉の前を後にした。
詰め所の扉をノックをするが、中からは何の返事もない。
もし誰かいる場合は、話せない代わりに床を蹴るか、剣で叩くかして合図をしてくれる筈。休憩中に兜を脱いでいる場合もあり得るからだ。
「失礼します」
誰もいないと思いつつも、声をかけながら中に入る。相変わらず最低限のテーブルとソファーと、予備の剣や弓などを置く武器棚しかない質素な部屋だ。
だが警備の都合で姫様の部屋も面している中庭を一望できるような配置と見晴らしになっている為、青く澄み渡った空と白い雲、中庭の木々の緑が室内に色味を添えている。
隅に飲み水用のテーブルが置いてあるのだが、先ほどそこへ水を張った桶と、その中に紅茶を入れた筒を入れて置いておいたのだ。
井戸水も流れていればある程度冷たいのだが、長らく室内に置いておいたから既にぬるくなってしまっているだろう。
筒を持ち上げて底を触ってみると、部屋の隅で影になっていたからか、意外とまだひんやりとしていた。
それよりも驚いたのは、持ち上げた際の筒の軽さだ。
三人分くらいは入れておいたのだが、栓を開けて見てみるとほぼ空っぽになっていた。
ここに置いてからの時間では、せいぜい一人か二人しか休憩できていないだろう。その証拠に使われたカップは一つだけ。
よっぽど喉が渇いていたのだろうか。一人でごくごくと飲み干した、ということなのだろう。
そこでカップの脇に一輪の花が置かれているのに気がついた。淡い青色の野菊だ。
「暑かったね。すぐに活けてあげるからね」
そっと柔らかい花びらを撫でてから、胸のポケットに野菊を差してから桶を持って詰め所を出た。
洗い場に桶を持っていくと、通りかかったニワトリの仮面を被った料理長に声をかけられた。
「なに、一人でニヤニヤしてんだ」
掟の特例として、各持ち場の長だけは女性との会話は許されている。王族の皆様やお城を守らなければならないのに、会話が制限されていることによって支障が出てしまってはいけないからだ。
ただし、仮面の着用だけは他の家臣や臣下と同じように義務付けられているが。
料理長には姫様の体調や食欲に合わせたお食事を用意してもらわなければならない。なので、料理長は日常的に言葉を交わす数少ない男性の一人である。
あとは、羽根騎士の赤羽根隊長くらいしか話をしたり声を聞いたことがある男性はいない。
「べ、別に……なんでも、ありません」
無意識ににやけた顔をしていたとは。顔を引き締めてから、洗い物に視線を戻す。
「花、ねえ……」
含みのある笑い方をしながら料理長は、鼻歌まじりに食料庫の方へ歩いて行った。
「もう……そんなに、にやついてたかな……」
カップを布巾で拭きながら、一輪ざしに活けてすぐ脇のテーブルに置いていた青い花を見る。
中庭にはこの季節、色とりどりの花が咲き誇っている。モグラの仮面の庭師が、暑い季節でも負けずに美しく艶やかに咲く花を丹精に育てている為、王族の皆様だけでなく私達の目も楽しませてくれている。
そのように育てられた花々から選んでくれたのが、中庭の中心を彩るような大輪ではなく、素朴で可愛らしい花であったのが、まるで姫様のお近くでお仕えする私のようで、自分でもとても似つかわしいと思う。
それに、この野菊は実家の近くの花畑によく咲いていて、しばらく帰れていないこともあり懐かしい気持ちにもしてくれた。
それにしても。あのような目立つ甲冑姿のまま、中庭にしゃがみこんで花を摘んでいたのだろうか。
甲冑は重いから、ちゃんと関節が曲がるように出来ていても、きっとしゃがみづらいだろう。
それにいいお天気だったから、日に当たるだけでも甲冑の中はものすごく暑かっただろうに。
あの兜の中でどんな顔をして、どんなことを考えながら花を選んでいたのか。
さっきからそればかり気になって、自然と笑みがこぼれてきてしまうのだ。料理長に言われても仕方がないのかもしれない。
もうすぐ姫様のお輿入れだ。そうなると、この仮面の掟も次の姫様の誕生までお休みということになる。
私は残念ながら姫様に付いてお嫁ぎ先の国へは行かないことになっている。
姫様としばしのお別れになるのはとても辛いのだけれども、その代わりの楽しみが出来たのかもしれない。
だから、姫様がお嫁ぎになるその日まで続くこの仮面舞踏会のような毎日を、精一杯心をこめて姫様にお仕えすることにしよう……。
メインの登場人物の一人が会話を禁止されているとはいえ、本当に会話が少ないお話になってしまいました。
しかもタイトルの仮面な人は少しだけ……(汗)
しばらくは思いつくまま短編のように掲載していくと思います。
第2話の投稿に当たり、改行や字下げを訂正・修正しました。