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09.モーニングルーチン

 朝の光がカーテンの隙間から差し込み、リオの部屋の壁を淡く照らしていた。いつものテーブルの上。そこには湯気を立てるスープと焼き立てのパンが数個。そして卵料理と厚いベーコンが並んでいた。


「今日から毎朝走り込みかあ」


 リオはため息混じりに呟きながら、用意されたパンをちぎった。VT(ヴィーティー)は正確な動作でベーコンを切り分けリオが食べやすい大きさにしていく。


「これもリオ様のためです。あちらに昨日ミール様から受け取ったスポーツウェアを用意しました。リオ様の体にフィットするようにサイズを微調整済みです」

「ありがとう。でも……今日の朝ごはん、なんか量多くない?」


 VT(ヴィーティー)は首を(かし)げ、人工皮膚の頬をわずかに動かした。


 ――まるで本当の人間の仕草のようだ。


「リオ様の身体は少し痩せ型です。今日から走り込みが始まります。カロリー消費を考慮してもこのくらいの量は食べるべきです」

「朝からきついんだけど……」


 ぼやきながらもリオはスープを口に運んだ。温かさが喉を通り抜けると、ほんの少しだけやる気が湧いてきた。相変わらず美味しい。


 しばらく沈黙が続き、リオはふと尋ねた。


「VTはアノマリー科について、どこまで知ってるの?」

「質問が曖昧で解答困難です」

「なら昨日のことはどこまで把握してるの?」


 VT(ヴィーティー)はまるで一瞬考え込んだように見えた。少しだけ目が光ったような気がする。


「『シャイアン』に関しては知っております。リオ様がトークンを得たタイミングで、関連情報がアンロックされました」

「やっぱりVT(ヴィーティー)はなんでも知ってるんだね……」


 淡々とした声の裏にどこか計算を感じる。機械相手だがリオはVT(ヴィーティー)に情や信頼が芽生え始めていた。あまり疑ったりはしたくなかった。


「じゃあ、ミールはどういう立場なの。ただの大学教授じゃないよね?」

「解答困難です」

「今は言えないってこと?」

「限定的でしたらお答えできます」

「じゃあさ、ミールはシャイアンだと結構偉い立場なの? 工科大学の教授だから礼を尽くされてるだけ?」

「解答困難です。しかしシャイアン内でもそれなりの地位なのは確かです」

「……そっか」


 食器を置く音が小さく部屋に響いた。


 ミール――あの微笑みの裏にどんな顔を隠しているのだろう。


 確実にただの教授じゃない。政府と何か繋がっている。自分には言えないような何かがある。


 知りたい。怖いけど……彼と同じ目線で世界を見てみたい。でも――。


 マクシィの言うように、セラン政府が自分を囲おうとしているのかもしれない。そしてミールの優しさは懐柔のための策略の可能性も否定できなかった。


 彼から感じる温かさは嘘じゃない。違う……そう信じたいんだ……。


 そのとき、壁に付いているディスプレイから流れていたニュースに意識が向いた。


『――昨今増えてきた違法インプラント使用者の暴行事件は――』

『――SPD総監はこの件について『治安に問題はない』と――』

『――自由連邦の月面研究所アルファポイントにて反プロトンの安定格納に成功し――』

『――今日の平均株価は先日より3ポイント下落、クロムエッジ社の不正疑惑が――』

『――午前八時のお知らせを――』


「もう、こんな時間じゃん!」

「課題のランニングはいつでも可能かと」

「週末の訓練は朝からだから、リズムを崩したくないの」

「なるほど。いってらっしゃいませ、リオ様」


 VT(ヴィーティー)の静かな声を背にリオは部屋を出た。扉が閉まる直前、わずかに微笑んだVT(ヴィーティー)の目はデータ通信を想起させる緑の光を放っていた。


 ああ、やっぱり彼女がセランからの保護なんだ……


――――――――――


 シャイアンの運動場。ボットたちによって夜中に整備されたはずのトラックは既に使用感に満ちていた。


 リオは更衣室でスポーツウェアに着替え軽く肩を回す。VT(ヴィーティー)は運動性能しか見ていないのか、服はかなりタイトに調整されており体のラインが強調されていた。


「全然微調整じゃないじゃん。着心地はいいけど……」


 羞恥をごまかすように呟きながらトラックに出た。


 周囲には少なくない男女がそれぞれのペースで走り込みや筋力トレーニングをしていた。皆鍛えられた肉体をしており、露出の多い運動着からはサイボーグ化された腕や脚が覗いている。


 視線が一瞬だけリオに向けられる。インプラントのなさそうな生身に見える少女がここにいることが珍しいのだろう。だが彼らはすぐに自分の運動メニューへ戻っていった。


 ――この施設を利用している時点で誰もが何かしらの政府関係者なのだろう。いちいち詮索するような人間はいなかった。


 リオは軽く準備運動をしてから走り出した。最初の数分は筋肉がこわばり呼吸も荒い。だが走り続けるうちに身体中でナノマシンが働き出すのを感じた。


 脚の奥からじわりと熱が広がり痛みがなくなっていく。心拍が安定し、走るとき特有の鉄の匂いがすっと消え、肺から負荷が消えていった。


 ナノマシンがホルモン分泌を調整し筋肉の疲労物質を分解している。そんな実感があった。自分の意志ではなく身体そのものが現在の運動に最適化されていく感覚――


「……すごい。思ったより辛くない」


 ペースを上げる。髪がなびき足音が規則的に響いた。脚が軽い。空気すら美味しく感じる。


 しかし、その快適さがどこか不自然に思えた。普通の人間が感じるはずの痛みや辛さが、強くなる前に消されていった。


 気づけば十キロを走り終えていた。息は多少あがっているがすぐに回復していく。ナノマシンが酸素配分や代謝を最適化しているのだろう。疲労すらすぐ引いてしまいそうだった。


「これなら……続けられそう」


 小さく呟きトラックの外れでリオは脚を抱えて座りこんだ。大して疲れていないが、非常に喉が渇きお腹が減った。持ってきたスポーツドリンクを飲み干すようにボトルを傾ける。楽なのにエネルギー消費が前より激しい気がした。


――――――――――


 更衣室に併設されているシャワーを浴びて肌の手入れを済ませたあと、リオは研究室へと向かった。


 ストックのお菓子を手にミールの横に腰を下ろした。彼の白衣の袖に軽くもたれ他愛もない会話を始める。ミールはいつもと同じで穏やかな表情を崩さなかった。


 シャワー後なんだから、少しは動揺して欲しかったな……


 心の中でそう呟いて小さく息を吐いた。彼の感情は表面であればなんとなく読めるのに、そこに変化がないことが少し寂しかった。


 不満を持ちつつ、運動後にお腹も満たされ睡魔に身を委ねる。意識を失いかけながら、ぼやける視界の中で呆れたように微笑むミールの姿が見えた。でも――


 リオを見るその瞳はどこか悲しげだった。

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