21.Case Emily 04
意識が戻ったエミリーを着替えさせ、髪も整えさせたあと、一行はビュッフェ会場へと向かった。
会場は広く、外の景色を映すガラスの向こうには、夜の自然が柔らかな照明に照らされていた。まるで地球のリゾート地のような雰囲気である。
宿泊客だけでなく外部からの客も来ているのか、かなりの賑わいを見せていた。奥のステージではクラシックの生演奏が静かに流れている。
「私、テーブルマナーとか自信ない」
「ビュッフェだから好きに取って食べればいいのよ。コース料理じゃないんだから」
「それならいけるかも」
ステーキの香ばしい匂いがただよいリオの食欲を刺激した。さっきエミリーが「ここの名物だ」と言っていたことも思い出し、口の中はすっかりステーキを求めていた。
「じゃあ席もわかったし好きなものを取りに行きましょう」
アンジェの言葉にうなずき、三人はそれぞれ料理を取りに散っていった。
リオは普段VTが作ってくれる家庭的な料理とはまた違う高級料理の数々にすっかり夢中になっていた。好みというよりはただ純粋に美味しいと感じる。プレートの上は茶色い料理ばかりで、まるでわんぱくな少年のフルコースのようであった。
向かいのアンジェは落ち着いた所作でバランスよく食事をしていた。表向きは外務省勤務の彼女にとって、このレベルの食事は日常なのだろう。かえって隣のエミリーは豆や野菜ばかりを皿に乗せていた。
「エミリーはそれだけでいいの?」
二枚目のステーキを平らげたリオが尋ねた。ステーキを勧めておきながら、肉をまったく取らないのが気になったのだ。
「うん。私、肉類はあんまり食べられなくて」
「そうなんだ……」
菜食主義者なのかと思ったが、出身を考えると詮索しないほうがいい気がした。その細すぎる体は火星での幼少期だけではなく、今の食生活も影響しているのかもしれない。
「私のことは気にしないで。リオはいっぱい食べて」
「ありがとう、エミリー。でもさすがに食べすぎたかも。お腹いっぱい」
何度も料理を取りに行った結果、リオの食事量はほかのふたりの数倍に達していた。
「よく食べるのは悪いことじゃないけど、すごいわね」
「今のナノマシンを投与してからどうしてもお腹が減りやすくて。それに高級料理をできるだけ詰め込みたいし」
「あなたの体に入ってるのは確か『Eクラス』だったわね。性能が高い分、消費もやっぱり激しいのね」
「アンジェは違うの?」
リオは素朴な疑問を口にした。同じアノマリー科出身なら、アンジェやマクシィも世代は違えど似たものを使っていると思っていたからだ。
「ええ、私たちのは『Dクラス』。軍用レベルのハイエンドだけど、あなたのは別格よ」
「アノマリー科だから同じだと思ってた」
「言ったでしょ? あなたは特別扱いされてるって。ミール先生もEクラスを大量に取り込んでいるだろうから、今の研究室は食費が大変ね」
アンジェの言葉にリオは思わず苦笑した。ミールの大食漢ぶりを知っているらしい。そして改めて自分の待遇がどれほど異例なのかを実感した。
「リオってEクラスのナノマシン保有者なの? もしかしてVIP?」
「違うよ。ただの特待生」
「いやいや、連邦大統領よりいいナノマシン使ってるんじゃない?」
……それは事実かも。
エミリーが意外と食いついてくる。一般人の視点からすれば、「Eクラス」というのはそれほど桁違いなのだろう。投与されてそれなりの時間が経ったためか、リオはその感覚を忘れかけていた。
「はいはい、あまり詮索しないの。リオも言われるがままに投与されたんだから」
「そっか。変に興奮してごめんね、リオ」
「ううん。大丈夫」
アンジェが話を締めたことで、エミリーの追及も終わった。リオ自身もこの待遇の理由をよくわかっていないので助かった。
その後しばらくの間、食後のひとときを過ごしながらステージ上のクラシック演奏に耳を傾けていた。
エミリーはグラスの中の炭酸飲料をストローでかき混ぜ、氷が溶けていくのをぼんやりと眺めていた。
「リオ、知ってる? この宇宙ってさ、いつか全部ぬるくなって止まっちゃうんだよ」
「……突然どうしたの?」
「氷が溶けて、炭酸が抜けて、最後は気温と同じになるみたいにさ。宇宙も何もかも同じになって、動かなくなって死んじゃうんだ」
エミリーはどこか得意げに語った。
リオは少し困惑する。ディナー後の会話にしてはあまりにも突拍子もない話題だからだ。
「まったく……リオ、気にしなくていいわ」
アンジェがため息まじりに言った。
「エミリーは時々こうやってうんちくを披露したがるの。さっきテレビで『宇宙の熱的死』のドキュメンタリーを見てたでしょ? 知ったばかりの知識を自慢したいのは分かるけど、子供じゃないんだから」
「むー……」
さっきまで世界の真理を悟ったような顔をしていたエミリーは、不貞腐れたようにストローを噛みながらジュースをすすった。
お調子者で、ちょっと見栄っ張り。出会ってまだ数時間しか経っていないのに、リオにはエミリーの人となりが少しわかってきた気がした。
――――――――――
それは突然であった。
エミリーがなんの前触れもなく、アンジェとリオの腕を掴み椅子から引きずり下ろした。勢い余って彼女自身も床に尻もちをつく。ふたりが問いかけるより早く会場中に音が響いた。
けたたましい銃声。火薬式と電磁式が入り混じった、不協和音のような発砲音であった。一拍おいて悲鳴が重なる。さっきまで流れていた弦楽器の旋律は途切れ、ステージ上に目をやれば、そこには血溜まりと倒れ伏した人影しかなかった。
景色を映し出していたガラスは粉々に砕け夜風が冷たく吹き込む。数人のホテルのセキュリティが応戦していたが、最初に聞こえた銃声の連射速度からして相手は小銃を使っている。ホテル側の装備程度では到底太刀打ちできないことがすぐに察せられた。
何が起きてるの……テロ!?
リオは倒れたテーブルの陰から銃声の方向を窺った。そこにいたのは三人の見窄らしい格好の男たち。だが手にしているのは意外にも整備の行き届いた小銃であった。
目は赤く光り見開かれている。破れた服の下からのぞく腕や脚には、不揃いなインプラントが取り付けられていた。非合法なパーツによるサイボーグなのだろう。異様な興奮状態もみられ、電子ドラッグでも摂取しているのかもしれない。
それでもリオの思考は不思議なほど冷静だった。訓練によって叩き込まれた感覚が、恐怖と混乱を押しのけて状況を分析し始めていた。
アンジェたちを見る。目があったアンジェは頷きつつ、太もものホルスターから護身用の武器を取り出していた。ただそれは「暴徒鎮圧用」のスタンニードル弾を放つ拳銃であり、目の前の重サイボーグ擬きをどうにかはできないだろう。
エミリーは両手で自分の口を塞いでいた。結果的に彼女の「超直感」による行動でリオたちは救われていた。後ろの壁を見ると彼女たちがいた高さのところに弾痕がいくつもあり、もしあのまま座っていたら無事ではなかっただろう。
他の客たちは逃げ惑い、犠牲を出しながらも会場を脱出した者もいれば、取り残された者もいる。ホテルのエントランス側からも悲鳴と銃声が聞こえた。三人以外にも侵入者がいるようだった。
とりあえずこの会場を脱出しなければならない――
ゆっくりと出口に向かいしゃがみながら三人は進んだ。テロリストと見られる者たちは二手に分かれており、リオたちの近くはひとりしかいなかった。その男はゆっくり歩きながら、ひとりひとり倒れ伏した客たちを確認している。かろうじて生きてる者がいたらトドメを刺していた。
「神の敵に……誅罰を……」
男はボソボソと呟きながら、倒れ伏した人のこめかみに向けて発砲していた。
『リオ、今はどうしようもないわ。まず自分たちの命を優先するわよ』
『わかってる……』
アンジェの回線による脳内通信に応えつつ、理不尽に奪われる命に思うところはあった。
その時、パリンと音が響いた――
エミリーが落ちていた皿を膝で割ってしまった。その音に気づいた男が銃口をこちらに向けた。
リオは電脳の反応速度を上げた。ナノマシンが活性化し、噴き出したアドレナリンが彼女に極限の集中力と瞬間的な力を与える。転がっていた大皿を掴むと、全身の力を込めてそれを男の銃めがけて投げつけた。
あたれ!!!
凄まじい勢いで飛んだ大皿は銃に直撃し、銃口を大きく上へ逸らす。飛び出た銃弾は天井へと向かった。
その隙にアンジェがエミリーの手を引っ張り会場を走り抜ける。その際にアンジェは念動力で男の銃の銃身を捻じ曲げていった。
吐き出される銃弾は止まらず、彼の持つ銃は火薬式なこともあり派手に暴発した。銃は大きな破裂音と共に真ん中あたりから弾け、破片が顔に刺さったのか、男は顔を押さえてうずくまっていた。
その隙に彼女たち三人は出口を目指す。気付けば途中で倒れていた血塗れの生存者をリオは引きずっていた。
奥に向かっていた残りのテロリストたちは仲間の様子を気にして戻ってくるが、出口側に向かう三人には気づかず追ってはこなかった。
ビュッフェ会場の外では血塗れの人や、脱出した客たちがしゃがみ込んでいた。リオが引きずった客には医師を名乗る男が応急処置を施していた。
エントランスにもテロリストたちがおり、ここにいる客たちは引き返して来たらしい。
ホテルスタッフの応戦も止み、遠くないうちにこちらにもテロリストたちがやってくるのは間違いなかった。
会場入り口や通路脇には煙を吹いて崩れ落ちたマシナリーたちが複数あった。セキュリティ用の彼らが事前に電子的手段で無力化されていたことが推測できた。
「アンジェ、他のテロリストの武器もさっきみたいにできない?」
「無理ね。他のふたりの武器は樹脂製よ。さっきの男のが金属製だからできただけ」
淡い希望は砕かれる。いくらリオが素早く動けても、電磁ライフルの弾を避けることはできないし、死の恐怖の中で念動力を正確に操る自信はなかった。
焦りが募る。マクシィの訓練を受けたからこそ、現状を打開する方法が自分にはないこともわかった。
「最悪――他の客と一緒になってエントランスから脱出するしかない。犠牲は多いだろうけど」
「それは……」
リオやアンジェのナノマシンによる身体能力に、エミリーの直感が上手く加われば生存率は上がる。しかしその手段を選ぶべきか迷いが頭をよぎった。単純な危険性と、他の人たちを肉の盾とすることへの抵抗感からリオは迷っていた。
「そろそろかしら……」
アンジェの呟きに、エミリーは耳を塞いで小さくうずくまった。リオが「なんの――?」と言葉を発しようとした瞬間、ホテルのすべての照明が消え閃光が走った。
視界を覆い尽くす光のあとホテルは煙に包まれた。リオの目はナノマシンの性能のおかげか閃光から素早く回復するも、煙で何も見えない。
ただの煙じゃない……ジャミング?
電子スキャンも妨害され、視界はノイズだらけであった。
テロリストの怒声や銃声も聞こえ、彼らも混乱してる様子が窺えた。そして状況は一変する。
照明が戻り明るくなると煙は嘘のように引き、テロリストたちは床に倒れていた。おそらくエントランス側でも同じなのだろう。客たちの動揺の声が広がる。
視界のノイズが消えると先ほどまで誰もいなかった場所の風景が揺らいで見えた。自動のスキャン情報がその箇所を警告してくる。
するとホテルのあちこちから透明なベールがゆっくり剥がれるように人影が滲み出てきた。多眼のフルフェイスをつけた特殊部隊のような姿が何人も現れる。
「光学迷彩……」
客の誰かの声が響いた。それと共に皆の安心感が伝播していく。装備から政府側の救出部隊なことは明らかだったからだ。
リオも安堵してへたり込んでしまう。アンジェの言っていた「そろそろ」はこの突入のことだったのだろう。
ホテルの外を見ると、複数のSPDのガンシップとHAFが飛んでおり、サーチライトが建物をあちこち照らしていた。
「エミリー、やったよ。私たち助かったんだ」
――振り返った先にエミリーの姿はなかった。




