19.Case Emily 02
アンジェがフロントのマシナリーに、スイートに泊まるエミリーへの取り次ぎを求めると、返ってきたのは作り物めいた渋い顔だった。
「あのね、こっちは正式な政府の仕事として来てるの。エミリーの部屋に案内してくれるだけでいいのよ」
「申し訳ありませんが、お客様の情報を無断で開示することは安全プロトコルにより禁止されています」
「高級ホテルのマシナリーにしては融通が利かないわね。ちゃんと正式な政府発行の命令書を見せたでしょ。法的拘束力もあるのよ」
「そのような書類への対応はプロトコル上想定されておりません。事前の約束がない方への対応は致しかねます」
会話は平行線のまま、まったく進まなかった。提示した命令書には読み取り用の認証コードが付帯されているが、それを読み取る行為そのものが規定に抵触するらしく、目の前の人工知能は一歩も引かない。
「まったく……エミリーには事前にメッセージを送っておいたのに」
「連絡つかないの?」
「返事がないから寝てるのかもね」
「そっかあ……」
リオにはどうにもできなかった。突然やって来た自称政府の役人を、VIPの部屋に通せというのも無理がある。
話をつけておかなかったエミリー側の落ち度だと思うけど。
アンジェは小さくため息をついた。
「ほんとの一流ホテルならもう少し臨機応変なんだけどね」
「そうなの? ここって十分立派に見えるけど」
「どちらかといえば新興の高級ホテルね。マニュアルと見栄は完璧でも、中身はまだ未成熟。フロントにも人間がいないでしょ」
リオが見渡すと、確かに広域スキャンをしてもスタッフらしき人間は見当たらない。容姿の整ったマシナリーだけが立ち並ぶ光景は見栄えが良い反面、マニュアル外の事態に弱いのだろう。まさに今がその事態であった。
「ねえ、アンジェ。これって安否が確認できない状態でもあるんだよね? もし想定外にエミリーが危険な目に遭ってる可能性とか考慮しないの?」
「その可能性も否定はできないわ。まあ、よっぽどのことはないと思うけど。連絡がつかないのは事実なのよね」
アンジェはホテル側の対応に苛立ちながらも考え込んでいた。
「最悪エミリーの返事を待つという手もあるけど……。でも、政府からすれば『連絡が取れない』ってだけで緊急案件扱いにもできるのよね。どうしたものかしら」
彼女の表情は困り果てているというより――面倒だが、次の手段を使うかどうかを天秤にかけているようだった。
「仕方ないか……奥の手を使うわ」
「奥の手?」
「超法規的手段ってやつよ」
そう言うとアンジェの青い瞳が淡く光を帯びた。次の瞬間、目の前のマシナリーの瞳も同じ色に輝き、微かに痙攣したかと思うとにこやかな笑顔を浮かべた。
「確認いたしました。お約束されていたお客様ですね。こちらがエミリー様のスイートルームがある階のアクセスパスです。物理トークン形式となっておりますので、お帰りの際はフロントまでご返却ください」
マシナリーは滑らかな所作でカードキーを差し出した。
え……今の一瞬でクラックしたの!?
民間とはいえ相手は月面の高級マシナリーだ。並のツールで仕掛ければ逆に脳が焼かれるだろう。うまくいっても通報されるのがオチだ。
驚いた顔を向けるとアンジェが軽くウィンクを返してきた。
「奥の手よ。安心して。クラッキングはセラン政府のデータセンターがクラウドで代行してるわ。ログが残るから、あとで報告書がいるけどね」
「最高評議会が関わるとそんなのも使えるんだ」
「あなたの電脳の違法ツールでも似たことができるでしょ? でもバレたら捕まるわ。使っちゃダメよ」
リオは思わず苦笑した。
――やっぱりバレてたか。
「ミール先生が嘆いてたわよ。何度注意しても路地裏で違法ツールを買い漁るって」
「……なんかごめん」
「私じゃなくて、ミール先生に言いなさい」
アンジェはフロントカウンターに置かれたカードキーを受け取ると、無言でエレベーターへ歩き出した。リオも慌ててそのあとを追った。
エレベーター横のパネルにカードをかざすと、静かな電子音とともに扉が開いた。内部の操作盤には、最上階スイート用のフロアだけが点灯している。機能美とデザインが調和した空間は、確かな特別感を演出していた。
――――――――――
上へ上へと長くエレベーターは上がっていった。ガラス窓から見える外の景色は、月面とは思えないほど自然豊かであり、湖が見えた。
さすがリゾート区。宇宙のどこからこんなに水を持って来てるんだろうか。
リオもこの湖がセランの貯水湖としての役割があることは知っているが、地球のように循環的な自然環境があるわけでもないので、金持ちの遊びにしか思えなかった。
しばらく景色を眺めていると、甲高い音とも共にスイートフロアにエレベーターが着いた。
『最上階、ロイヤルスイート』
低めの人工音声と共に扉が開いた。アンジェとリオがエレベーターを降りると、スイート付きのホテルスタッフのマシナリーが出迎えた。
「トークンを確認。ようこそロイヤルスイートへ。エミリー様は奥の部屋に見えますので、、そこにて入り口のインターホンを押してください」
トークンを持つアンジェたちをちゃんと正規の訪問者として認識してるようであった。
「ええ、ありがとう」
顔に少しだけ緊張を出してるリオと違い、アンジェは涼しい顔で通り過ぎた。不正に手に入れた許可とは思えないほど堂々とした姿であった。
そしてついにエミリーがいるはずの扉の前にふたりが辿り着いた。アンジェが目配せするので、リオは備え付けの端末に表示されているインターホンアイコンを押した。
それなりに響くチャイム音を何度か鳴らすと、やっと反応があった。
『モーニングコール頼んでないよぉ。だれえ?』
「外務省長官特別補佐官アンジェ以下二名よ。エミリーであってるわね?」
『あっ!』
エミリーと思われる少し抜けたような声がした。その驚いた声と共に、色々物が転がり落ちるような音がして、数分後に扉が開いた。
『ダイニングにいるからどうぞー』
その言葉に従いリオたちは中に足を進めていった。




