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10.千尋の谷

 週末の朝、シャイアンの運動場には今日も多くの人が集まりそれぞれの運動に汗を流していた。初めはそれなりに視線を集めていたリオだが、今ではこの朝のメンバーにとって普段の光景となり始めていた。


 リオが着替えて更衣室から出ると、トラックの前にはマクシィが立っていた。前に会った時と違いカーキ色のTシャツにカーゴパンツ。まるでブートキャンプの古い教官の姿だ。


「来たか。早速訓練に移りたいがその前に――」


 マクシィの視線がリオの体を貫く。その目は彼女の身体を値踏みしているようで不躾であったが、真剣な様子であった。訓練上意味のある行為なのだろう。


「どれくらい走れるか見てみたい。毎朝と同じように走ってみてくれ――」


 マクシィに促され、ここ数日のようにコースを一周、二周と走った。体は前回よりも確実に軽く動いき、走り終えるとマクシィが頷いた。


「どう? 運動部だったわけじゃないけど結構いけてるでしょ?」

「余裕そうだな。明日から距離は二十キロ、速度は今の一・三倍で行ってくれ」

「えっ、二十キロ……? 速度も上げるの?」


 リオは思わぬ言葉に顔をしかめた。


「その余裕は体内のナノマシンの性能によるところが大きい。君の基礎体力自体が鍛えられたわけでも、向上したわけでもない」

「それはわかってるけど……指示通り走ってるよ」


 マクシィは軽く肩をすくめ言葉は続いた。


「十キロがそこまで余裕なのは私の計算違いだ。先生が君に用意したナノマシンを甘く見ていた」


 リオは視界にスキャンの警告表示が出たことに気づき、目の前の男にジト目を送る。


「スキャンしてる? いきなりだね」


 マクシィの目が少し丸くなった。短い付き合いだが、常に冷静な彼が本気で驚いているようだった。


「さすが『レベルE』相当のナノマシンだ。軍用モデルのスキャンに気づくとはな」


 彼は軽く笑ったが、その顔に余裕だけではないものが混じっていた。気づかれるとは全く思わなかったのだろう。まるでセランに来たばかりのときの自分を見ているような気分になった。


「今日から私は君の教官だ。適切な訓練のためにスキャンは随時行う。了承して欲しい」

「別にいいけど……」


 本当は少し嫌だった。前科があるため他人(ひと)のことは言えないが。


 胸のうちでそう呟くが口には出さなかった。マクシィの表情は変わらず真剣な様子だ。爽やかだが熱血漢のような雰囲気に反して、その目は軍人らしい冷たさが見えた。


「よし、このまま射撃場に移動する。そこで今日の訓練内容を説明しよう」


 先を進むマクシィのあとをリオがついて行く。身長の高いマクシィの歩幅はリオと比べてかなり差があるが、彼女のペースに合うように適度な調整をしていた。


 こういう気遣いはできるんだ……


 しばらく歩いているとアンジェが別の通路側から合流してきた。彼女の目的はリオだったようで、薄く高級感のあるデータパッドを差し出した。


「来週から外務省のインターンを私についてやってもらうからその説明をしておくわね。注意事項とスケジュールはその端末に送っておくから、時間があるときに目を通して。火曜と木曜の朝九時にシャイアンのホールエリアに集合よ」

「まさか外務省もシャイアンと繋がってるの?」

「そうよ。多くの省庁がこことの直通エレベーターを持ってるわ」


 アンジェはさくっと説明を終え、端末に何かのデータを入力し始めた。瞳が淡く発光している。どこかと通信しながら作業を進めているのだろう。


 途中リオは前会ったときに聞きそびれたことを尋ねた。


「マクシィは……連邦の軍人なのに、なんでセラン政府の施設っぽいシャイアンに出入りできるの?」


 その問いにマクシィはどう答えようか考え込んでいるようだった。そこにアンジェが割り込むように言った。


「それはこいつがセランのスパイで、自由連邦宇宙軍に潜入してる工作員だからでしょ」


 あっさりとした言葉にマクシィは苦笑を浮かべ、アンジェは涼しい顔だった。


「まあ、隠すつもりもなかった。どこかのタイミングで言おうとは思っていたさ」


 そう言って彼は視線を外した。


 スパイという情報に、聞いていい話だったのかリオは不安に思った。


 アンジェが日常会話の一幕のような調子で言ったが、もしそのことを外で話したらどうなってしまうのか。立場上ただの学生、しかも今はセランに所属しているとはいえ、自由連邦出身の自分にそんなことを教えていいのか。


 頭の中は情報のインパクトに考えがまとまらなかった。ほどなくし射撃場の鈍い匂いが鼻をくすぐった。


 訓練場はリオの想像以上に大がかりだった。ターゲットが並んだ一般的な射撃エリア、小型ドローンが飛び交うエリア、離れたところでは遮蔽物が無造作に並んでおり、人型のボットと人間が撃ち合っていた。奥には数えきれないほどの銃器や弾薬が並んでおり、ここの設備だけで戦争でもできそうだと感じた。


 マクシィは指を差して説明し始めた。


「ここは射撃に必要な訓練設備が一通り揃っている。リオ、君には今日銃弾が飛び交う状況に慣れてもらう訓練をする」

「え?」

「本物の銃弾を使う。きみは安全な遮蔽の向こう側に隠れてもらうが、実弾の嵐は死の恐怖を痛烈に感じさせるだろう。目的は恐怖に慣れさせることだ。いざというとき脚が(すく)まないためにな」


 その内容は女子大生にやらせる内容なのだろうか。リオの胸が想像で締め付けられる。


「本当に撃つの?」


 リオの声は小さく震えていた。


「そうだ。私は準備をしてくる。ここで待っていてくれ」


 マクシィはなんでもないかのように一言で肯定を返し、その場を離れた。


 アンジェとふたりきりにされ気まずい沈黙が流れる。リオにとって彼女は人柄もまだつかみきれてなく、マクシィよりも近寄りがたい雰囲気の女性だった。


「あの……アンジェはマクシィとは卒業後も交流が深いんですか?」

「硬いわね。アイツと同じで気楽な話し方でいいわよ。卒業後は仕事関係でしか関わってないわ」

「そうなんだ。マクシィにだけその……態度が違う感じに思えたから、てっきり――」

「あなたも私たちをそう見るのね。ミール先生も学生時代から私たちの関係を邪推し続けてるわ」


 思い切って雑談を仕掛けてみたが意外とのってきた。プライベートな会話もちゃんとしてくれる。雰囲気と違ってマクシィより仲良くなれそう。来週からのインターンの不安が少しなくなった。


「待たせたな。今日は初回なことも考慮して先生に来ていただいた」

「やあ、リオ。今日はよろしくね」


 いつも通りの恰好ではなく、スポーツウェアを着たミールを連れてマクシィが戻ってきた。リオの服装の色違いであり白を基調としたものだ。女性ものの服であるはずだがよく似合っている。その白く華奢な脚は本当に男なのか疑わしくなってきた。


「なんでミールが……」

「それはね――」

「それは銃撃にさらされるということは、大の大男でも逃げ回るほどの恐怖が叩きつけられるからだ。君がパニックになり遮蔽物から転がり出てしまうと本当に死ぬ可能性がある。それを防ぐために先生にも付き合ってもらう」


 ミールの言葉にかぶせる様にマクシィは理由を述べてきた。


 銃撃は怖いけど、そこまでパニックにならないと思う……


 リオにとって銃弾も死の危険も経験したことはないが、その威力も危険性も理解はしていた。恐怖は感じるだろうが、安全な遮蔽物の裏側で耐えるだけならできるだろう。彼女は自身をそう評価していた。


「あちらに並んでいるのは、今回協力してくださる様々な部署のSPDの方々だ。彼らが休まず十五分間、君が隠れる場所を撃ちまくる。目をつぶっていてもいい。耳を手で塞いでいてもいい。ただし、聴覚のミュートモードは禁じる」


 マクシィはそう言ってミールの方に目配せをした。それに頷くことで無言の返事をしたミールはリオに手を差し出した。


「じゃあ、行こうか。リオ」

「うん」


 彼に手を引かれコンクリート床の遮蔽物がいくつもあるエリアの中を歩いた。そして今回のために用意されたであろう透明な遮蔽物の所にたどり着いた。まるでアクリルのような見た目であり、厚いのにその透明さのせいで盾としては頼りなく見えた。


「安心して。こんな見た目だけど防弾性能は高い。今回使う小銃程度では抜けないから」


 ミールの言葉に一応の納得はしつつ、ふたりで遮蔽物の陰に腰を下ろした。床はひんやりしている。その冷たさが隣にいる彼の体温を強調した。


「リオ、もう少し近くに来て」


 ミールがより近くに寄ってくる。そこでリオは気づく。さっきまで自分は走り込みをしていた。彼に汗の臭いを感じられたくない――。


「ちょっと、待っ――」

「リオ、しっかり僕に捕まって、腹に力を入れて」

「え? うん」


 ミールの真剣な声に言葉が止まってしまった。すぐにエリア中にマクシィの声で放送が響いた。


『リオ、聞こえるか。さっき言った通り、これからSPDの方々が君が隠れている場所目掛けて発砲する。覚悟はいいな? 三……二……一……斉射開始!』

 

 その言葉とともに最初の銃声が轟いた。空気が裂ける音。皮膚に響く振動。身を預ける透明な壁の向こうから連続する鋭い破裂音が降り注ぐ。リオは思わず小さく声を上げミールの胸に顔をうずめた。彼の鼓動と温もりが、混乱に支配される意識の中で安堵のかがり火となる。だが銃声の嵐は止まない。


 向こう側ではSPDの隊員達が交代交代に様々な銃器でこちらを狙ってくる。跳弾したいくつかはコンクリートの床を削り、遮蔽物の内側にまで風切り音を運んだ。耳に恐怖が刻み込まれていく。遮蔽物の表面は弾丸の衝突に火花を散らせるだけだが、視覚的にも物理的にも圧となって伝わってきた。


 壁越しなのに、死ぬ、その可能性が生々しく伝わってきた。手足の感覚が遠のき呼吸がうまくできない。


「ひっ……あっ、うっ!」


 途切れ途切れの悲鳴が喉から漏れた。声は思ったように出ず、恐怖が体中を締め付ける。泣く気はないのに自然と目じりに涙が溜まった。


「大丈夫、深く息を吐いて」


 ミールの囁きはリオの耳に届いたが、冷静さを取り戻せない。


――――――――――


 射撃側のSPD隊員達の後ろでアンジェは腕を組み眉を寄せていた。


「効果はあるだろうけど倫理観はどこに捨ててきたの? あの子が十九歳の一般人だって分かってるのよね?」


 マクシィは肩越しにアンジェを見て短く答えた。


「わかっている。だから安全は最大限確保しながら訓練をしている。だが万が一の状況で足が(すく)むよりマシだ。それに彼女はただの一般人ではなく、超能力者だ。しかもそれなりに才もある」

「その前にただの女の子でしょうに……」


 アンジェの言葉が聞こえているのか聞こえていないのか。返事もせずマクシィは訓練を続行した。


――――――――――


 訓練が終わる頃、リオは震えながらミールに寄りかかっていた。彼は優しく抱き寄せる。抱き合うその姿は傍から見れば少女同士の寄り添いに見えるだろう。しかし死の恐怖にさらされ続けたリオにとっては、唯一すべてを忘れられる抱擁であった。リオの頭はゆっくりと時間をかけて生の世界に帰ってくる。


 落ち着いてきたあと、遮蔽物から這い出て射撃場の射手側のエリアまで戻った。そしてマクシィに尋ねる。


「これって超能力と関係あるの?」

「関係はある」


 彼は言葉を短く簡潔に返してきた。


「冷静でなければ超能力なんてまともに使えない。銃撃にあっても冷静でなければならない。でなければ自身の能力を発揮できることなく、相手の武力に屈することになる」


 リオはまだ震えが残る体をさすりながら耳を傾けた。


「一生そんな場面はこないかもしれない。だが君は狙われる立場だ。そのときに銃に怯えて動けないより、安全に管理された環境下で今、恐怖に慣れる方がずっと良い。先生の発案でもあるし私も同意見だ」


 リオはミールを見つめた。その瞳にほんの一瞬だけ不安がにじむ。これがマクシィの独断なら、軍人らしい乱暴なやり方だと揶揄(やゆ)もできた。だが普段リオのことを大切にしてくれていると思っていたミールが、こんな訓練を提案したということが彼女の心に棘を刺した。


 ミールは本当に自分のためを思ってやらせたのだろうか……


 この訓練に意味はあるのだろう。繰り返せばリオはどんな状況であっても対応できる胆力が身につくに違いない。それでも、彼女の胸の奥には小さな棘として不信感が残った。

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