四話
三年生になって三週間が過ぎようとしていた頃。帰りのホームルームで、
「そろそろ席替えがしたいです」
と、声があがった。
宮下は教室の壁にかかっている時間割をちらりと見た。
「じゃあ、明日の七限目のクラス活動の時間に席替えしようか。香奈はくじ引きを作ってもらっていい?」
「分かりました」
ルーム長の香奈がくじ引き作りを承諾すると、やった、と言う声が教室のいたるところから聞こえた。
藍は帰宅すると、一目散に自室に向かった。オレンジ色の太陽光が部屋に差し込んでいた。その眩しさに目を細める。
学習机に手を伸ばし、置物を手に取った。願うことはただ一つ。
「明日の席替えで、矢野くんの隣の席になれますように」
藍は心を込めて、何度も何度も置物を撫でた。
七限目の始まりを告げるチャイムが鳴ると、教室がそわそわし始めた。待ちに待った七限目。約一ヶ月に一度の運試し。席替えの結果で、一ヶ月の気分が決まると言っても過言ではない。
ガラガラッ、と教室のドアが外側から開けられた。白い箱を持った宮下が入ってきて、教壇に立った。
藍は宮下と目が合った。
「啓太、藍、真由、瑞樹は立って。じゃんけんして」
どこからくじを引いて回すか、角の席に座っている四人のじゃんけんの結果で決まる。クラスメイトの視線が、四人の手に注がれる。
『最初はグー、じゃんけんぽん』
勝負は一発で決まった。藍はパーを出し、他の三人がグーを出した。
宮下が箱を持って、藍の元にやって来た。
「はい。藍からくじを引いて。引いたら前に回して」
まだ誰も引いていないくじを前に、藍の鼓動は速くなる。
箱の中に手を突っ込み、中をかき回す。手に引っ付いた一枚が、引いてくれ、と言っているような気がして、それにした。
前の席の人に箱を回し、くじを開ける。三十六番だった。
箱を回している間に、宮下が黒板に大きな長方形を描いていた。その長方形の中に線を引いて、さらに小さな長方形を作っている。
矢野くんと隣の席になれますように。藍は横目で瑞樹を見た。
全員がくじを引き終わると、宮下は黒板に書いた長方形の中に数字を書き始めた。
空白に数字が埋まっていく。一番前の席に数字が書かれると、どこかからため息が聞こえた。
三年四組は三十六人クラス。藍の引いた三十六番は最後に書かれる。三十五番が書かれた時点で、自動的に席が決まる。
三十五番が黒板に書かれ、藍の席が決まった。今座っている席から、一つ隣だった。
「じゃあ移動して」
宮下が言うと、クラスメイトが一斉に動き出した。教室内は机を動かす音と、しゃべり声で騒がしくなった。藍は右隣に動くだけだったので、誰よりも早く移動できた。
矢野くんはどこの席になったのかな。藍は瑞樹が座っていた方に目をやる。すると、瑞樹がこちらに向かって歩いて来た。もしかして……。
瑞樹は藍の後ろを通り、窓際の一番後ろに机を置いた。本当に、瑞樹と隣の席になったのだ。
「隣、よろしく」
と、瑞樹は爽やかな笑顔を藍に向けてきた。
彼が真横の席にいる。飛び上がりたいほど嬉しい。心臓も、全力疾走したあとみたいに速くなっている。
「よろしく」
藍は嬉しさを心の内に隠しながら言った。
にやけちゃだめ。頭で分かっていても、心が言うことをきかない。どうしても口が緩んで、変な顔になってしまう。
藍はにやけ面を隠すために唇を巻き込む。瑞樹から意識をそらし、みなみを探した。みなみは、教卓の目の前の席に座っていた。小さい背中から、不満のオーラが漏れていた。
七限目、帰りのホームルームも終わり、藍はみなみと教室を出た。
昇降口を出るとみなみが、
「藍の隣、矢野じゃなかった?」
食い気味に尋ねてきた。
「うん」
「やっぱりそうだよね。それに一番後ろでしょ? 運良すぎ! 羨ましい! 私なんか、教卓の前の席だよ。本当に最悪」
「教卓の前の席って、先生から見えにくいっていうじゃん。みなみよく内職してるから、いいんじゃないの?」
「見えにくいかもしれないけどさぁ。一年生のとき、教卓の前の席だったことあるけど、先生の唾が飛んできたことあるもん。汚いからやだよ」
みなみは肩を落とし、嘆息を漏らした。
「あーあ、早く席替えしたいなぁ」
「私は嫌だよ。今の席がずっと続いてほしい」
「藍はいいかもしれないけど、私はずーっと教卓の前の席とか絶対に無理! もう明日から憂鬱」
藍は瑞樹と隣の席になりたい、という思いで頭がいっぱいで、みなみのことはすっかり忘れていた。みなみ、ごめんね。次の席替えがあったときは、みなみのことも忘れずにお願いするね。
帰宅した藍は階段を駆け上がって、自室に飛び込んだ。鞄を持ったまま、学習机の上に鎮座している置物を手に取った。
「明日から毎日、矢野くんと話すことができますように」
願いを言って、置物を撫でた。




