二話
短い春休みはあっという間に終わり、藍は高校三年生になった。
学期始めの昇降口は、張り出されている新クラスを確認する生徒たちで賑わっていた。藍も人混みに入り、揉まれながら自分の名前を探す。
三年四組の上から六番目に藍の名前はあった。
次にみなみの名前も探す。同じ三年四組に名前があり、安堵する。矢野くんも同じクラスにいるかな? 藍は瑞樹の名前も探した。三年四組の最後に瑞樹の名前もあった。同じクラスだ、と心の中で手を叩いた。
人混みを抜け出した藍は、にやけそうになる顔を自制しながら校舎に入った。
三年四組の教室ではなく、田北のいいつけ通り、二年三組の教室に入った。田北の話を聞いていなさそうだった元クラスメイトたちも、ちゃんと二年三組の教室に来ている。
「何組だった?」
「三組。お前は?」
「四組」
「別か。担任誰になるだろうな」
「さあ。でも、文系Bコースのどっちかは、田北になりそうじゃね?」
「もしそうなったら、俺、三年間ずっと田北が担任なんだけど。それはだるい」
教室内は、何組だったか、担任は誰がいいか、という話で盛り上がっていた。
藍は二年生のときの席に着き、周囲の会話に耳を傾けていると、
「藍、おはよう」
と、後ろからみなみの声が聞こえた。藍は振り返る。
「おはよう。今年もまた同じクラスだね」
「ねー、本当によかった」
みなみは言うと、急に悪戯っぽく笑い、
「矢野とも一緒のクラスだったね。おめでとう」
と、肩にポンと手を乗せてきた。
「……うん」
藍は肩をもじもじとさせながら、こくりと頷いた。
「照れちゃって」
みなみは笑いながら、藍の前の空席に腰を下ろした。
春休みにどんなことをしていたか、みなみと話していると、閉まっていた教室のドアが開く音がした。藍が音の先に視線をやると、呆れたような顔をした田北が立っていた。
田北は冷めたような声で、
「始業式が始まるぞ。体育館に早く行け。新クラスの列に並ぶように」
そう言い残して教室に背を向けた。
教室前方の時計に目をやる。いつの間にか体育館に集合する時間を過ぎていた。誰も、体育館に行ったほうがいい、と言わなかったから、時間を全く気にしていなかった。
生徒たちは談笑をやめると、ぞろぞろと体育館に移動を始めた。藍もみなみと体育館に向かって歩いていく。
体育館には生徒たちが、座って静かに待っていた。二年三組の教室にいた生徒たちが最後だったのだろう。教員、生徒たちの視線が一斉にこちらに向けられた。教員の無表情で冷めた視線が痛い。藍とみなみも含めた旧二年三組の生徒たちは、急いでそれぞれの新クラスの列に向かう。
丘ノ上高校は一学年八組まである。一年生は文系理系に関係なく、クラスが編成されている。二年生からは文理の希望で、クラスが編成される。一組から四組までが文系クラス、五組から八組が理系クラス。三年生になると、希望進路によってさらに細分化される。一組、二組、五組、六組が難関大学や国立大学への進学を目指すAコース。三組、四組、七組、八組が大学、短大、専門学校の推薦入試や就職を目指すBコース。藍やみなみはBコースだ。
旧二年三組の生徒たちが列に並び終えると、
「やっとそろいましたか。これより、令和六年度、始業式を始めます」
教頭がため息交じりに言って、始業式を開始させた。
始業式が始まって二十分、校長の眠たくなるような長い長い話がようやく終わった。
「校長先生、ありがとうございました」
教頭が校長を讃えるように大きな拍手を送った。
藍の周囲は、小声で話している人ばかりだった。藍は隣に座っているみなみと話さずに、校長の話を一応聞いた。けれど、何の話をしていたか全く記憶に残っていない。
校長の話の次は、今年、丘ノ上高校に赴任してきた教員の紹介があった。
教員の紹介も終わると、
「次に皆さんが楽しみにしているであろう、担任と副担任の先生の発表をしたいと思います」
司会進行の教頭が言った。教頭の言葉に、清閑だった体育館がそわそわとした空気に包まれる。
「まず、三年生から。学年主任、秋吉先生。三年一組、担任……」
担任が発表されると、三年一組の列から、イエーイ、と喜びの声が上がった。
三年二組の担任は、今年異動してきた先生だからか、特に反応がない。
「三年三組、担任、田北先生」
あー、という落胆の声が隣の列から漏れ出した。この声はおそらく田北にも聞こえている。不憫だな。藍はちらりと教員たちの列を見た。田北は何も気にしていないのか、無表情のまま立っていた。
三組の副担任の発表も終わり、次は三年四組の担任の発表だ。誰になるだろう。担任にこだわりのない藍も、この瞬間はドキドキとしてしまう。
「三年四組、担任、宮下先生」
宮下の名が言われると、ワー、と歓喜の声が体育館に響き渡った。その歓声は、人気歌手のライブ会場のようだった。担任にこだわりのない藍も、宮下の名が言われたとき、嬉しかった。担任が宮下になることを切望していたみなみが、
「やったね」
と、耳打ちしてきた。
三年四組の列から喜びの声が消えないでいると、マイクを通した咳払いが歓声に被さった。教頭の咳払いは、いつまでもうるさい、と注意しているようだ。
歓声がしぼむと、教頭が、
「副担任……」
と、続けた。
始業式が終わった。旧クラスに置いていた荷物を持って、新しい教室に向かう。
「いいよなぁ、四組。担任宮下ちゃんとか。俺、結局、三年間ずっと担任田北だった」
「ドンマイ」
廊下は新しい担任の話題で盛り上がっていた。
藍もみなみと話ながら、校舎五階の三年四組の教室を目指す。
「四組って、誰がいるんだろうね。見ようと思ったけど、昇降口込んでて詳しく見られなかったんだよね。藍は他に誰がいるか見た?」
「見てない」
みなみと瑞樹の名前を見つけて満足した藍は、他のクラスメイトのことをちっとも見ていなかった。みなみと瑞樹の他に一緒のクラスになりたい人がいなかったし、誰がいようが興味もなかった。
三階から五階までは二分もかからなかった。
三年四組の教室の前に着くと、賑やかな声が廊下に漏れていた。
藍とみなみは教室の中に入る。ドア一枚越えると、クラスメイトたちの声が工事現場のようにうるさく聞こえた。
教卓に置いてある座席表を確認し、自分の席につく。出席番号六番の藍の席は、教室の一番左の列、窓際の一番後ろだった。
五階にある教室は、三階の教室よりも街がよく見渡せた。藍の席は、絶景が隣にある特等席だ。
屋根に反射した太陽光が眩しかった。藍は視線を絶景からみなみにやる。みなみは藍の席の三列右で、前から二番目だった。
次に教室内に目をやり、新しいクラスメイトを確認する。去年同じクラスだった人が十人ほどで、あとは知らない人ばかりだった。
廊下側の一番後ろの席に、視線を滑らせる。出席番号三六番の瑞樹が、隣の席の男子と楽しそうに話していた。彼が同じクラスにいる。同じ教室にいる瑞樹を見て、また嬉しさがこみ上げてきた。
藍がこっそりと喜びを噛み締めていると、賑やかな教室に明るい声が入ってきた。
「はい、静かに」
その一声に、教室は一瞬でしんと静まった。
ショートカットに紺色のパンツスーツ姿の宮下が教室に入ってきて、教壇に立った。
「今年度、三年四組の担任になりました、宮下凜です。よろしくお願いします」
太陽のように明るい表情と溌剌とした声は、やる気に満ちた新社会人のようだ。
「今年は受験や就職活動があり、今後の人生を左右する大事な一年になります。悔いを残さない最高の一年になるよう、一緒に頑張りましょう」
宮下の挨拶が終わると、教室内から盛大な拍手が上がった。拍手を受けた宮下はにこりと笑い、嬉しそうだった。
「私は親しみの意を込めて、みんなのことを下の名前で呼んでいますが、嫌な人はいませんか? 嫌な人は手を挙げてください」
誰も手を挙げなかった。宮下はうんうん、と頷き、満面の笑みを浮べた。
今日は春休みの課題を提出し、弁当を食べて下校だった。みなみは課題を終わらせておらず居残りになったため、藍は一人で校門を出た。
帰宅した藍は弁当箱をシンクに置いて、自室に入った。まずは堅苦しい制服を脱ぐ。私服に着替えて、ベッドに腰掛けた。
授業がなくて今日は課題が出ていない。やることもなくて暇な藍は、スマホで映画の視聴を始めた。
二時間ほど下を向きっぱなしで、首が凝った。スマホから顔を上げて、首を回す。
グルグルと動く視界に、学習机の上の象の置物が入った。ストレッチをやめて、ベッドから立ち上がり、学習机に向かう。
置物を手に取り、じっと見つめる。修了式の日に行ったフリーマーケットで、怪しい女性から買ったそれ。
そういえば。藍はあの日、置物にみなみと瑞樹と同じクラスになって、担任は宮下がいい、とお願いしたことを思い出した。
目を細めて笑っている象が、
『お前の願いを叶えてやったぞ』
と、言っているように感じた。
二人と同じクラスになったし、担任も宮下先生になった。運が良かっただけ、と思いつつも、
「明日、矢野くんと話せますように」
言いながら、藍は置物を撫でた。




