十八話
何となく、学校に行きたくない。翌日、藍は体調を崩したということにして、学校を休んだ。両親も藍の心情を考慮したのだろう、あっさりと欠席を承諾した。
人生で初めてのずる休み。両親は仕事に行って家にいない。一人でゆっくり何かを考えようと思ったけれど、何も頭に浮かんでこない。余計に気が滅入ってしまった。
気分転換でもしよう。藍は近所の人に見られないように気配を消し、こっそり家を出た。
どこに行こう。平日の昼間に、高校生がショッピングモールにいるところを知り合いに見られたら、まずいかもしれない。藍はとりあえず、三月にフリーマーケットが開催されていた学校近くの公園に向かった。
肌寒い十一月、公園に人は少なかった。藍はベンチに腰掛け、高台に建っている学校を眺める。今は三限目の時間。丘ノ上高校関係者に見られる心配はない。
上を見ていると、首が痛くなった。学校から視線を外し、人が少ない公園内に目を向けた。
あの木の下で置物を買ったんだよね。葉が落ちた裸木を見つめる。あの日に戻れるなら、あっちを見るなと自分に言ってやりたい。
木をじっと見ていると、
「お嬢さん」
と、しゃがれた声が聞こえた。
声がしたほうに視線をやる。みなみが魔女と呼んでいた女性が、目をひん剥いてベンチ横に立っていた。容貌は三月と全く変わっていなかった。
「やっぱり、あのときの」
女性はにやりと笑うと、藍の隣に腰を下ろした。
帰らなきゃ。そう思ったけれど、金縛りにあったように体が硬直して、動けなかった。
「フリーマーケットであの置物買ってくれてありがとう。使った?」
「あっ、はい」
痰がからんだような声が藍から出た。
「あれ、すごいでしょ?」
「……そうですね」
元持ち主なのだから、あの置物について何か知っているだろう。
「ところであの置物は何なんですか?」
藍は尋ねる。
「願いが叶う置物。それ以外、私には分からない。私もインターネットオークションで買ったから」
女性はさらに話を続ける。
「昔から占いとか幸運のグッズが好きでね、色々集めてたの。まあ、そういうのって本当に願いが叶うというよりかは、心の拠り所って感じよね。でもあの置物だけは違った。出品者が書く商品説明の欄にも、『撫でながら願いをいうと叶います。本当にすごい代物です。是非買って、自分の目でお確かめください』って書いてあった。百万円だったけど、興味本位で買ってみたの。家に届いて試しに願ってみたら、本当に叶った。そのときは、たまたま運がよかっただけだろう、って思ったけど、次の願いも叶ったの。でもね、よかったのはそこまで……」
饒舌だった女性は、電池切れのロボットのようにぱたりと口を噤んだ。
もしかしてこの女性も……。藍は乾燥して張り付いた唇を動かした。
「願いは叶ったけど、その後は不幸になりましたか?」
女性はゆっくりと頷き、薄く真っ赤な唇を開いた。
「そう。願いは叶った。でもね、願いが壮大になればなるほど、その後は取り返しのつかないことばかり起こったの。絶対にあの置物のせいだと思った。手放したいと思ったけど、捨てたら何かありそうで怖かった。だから、私も誰かに売ってしまおうと思って、フリーマーケットで出品した。そうしたら、あなたが買ってくれた。私があの置物に最後に願ったのは、『この置物が売れますように』。まあ、代償であの置物しか売れなかったけど」
女性は話に一区切りつけると、ちらりと藍を見た。
「正直、あなたに売ったことを後悔したし、心配したのよ。あなたも願いを叶えて、不幸な目に遭っているんじゃないかって。だって、この世にうまい話なんてないことを、身をもって知ったから」
意外なことに、女性は藍のことを心配していた。見た目は怪しい魔女のようでも、良心は持っているようだ。
「まだあれ持ってるの?」
「持ってます。私も願いは叶いました。でも、叶ったあとは辛い目に遭いました」
「そう……。あなたに売りつけて辛い思いをさせたのは私だから、私があの置物を責任持って処分する。だから、私に返してくれる?」
藍は女性の顔を見て仰天した。
女性は獲物を狙う蛇のようなじっとりとした目で、こちらを見ていた。口もかすかに笑っている。処分するという人の顔ではなかった。またあの置物を自分のものにしたい、という欲にまみれた顔だった。
背中がぞくりとした藍は目を反らす。
「……大丈夫です。私がどうにかして処分します」
肩を掴まれ、痛みが走った。目の前には女性の顔があり、心臓も止まりそうになる。
「どうして⁉ あなただって辛い目にあったんでしょ? 私が処分してあげるから。だから私に返して」
女性の瞳孔は開ききっていて、必死さを物語っていた。何をされるか分からない。恐怖で全身に鳥肌が立つ。
「本当に大丈夫です!」
藍は肩に乗っかっている手を剥ぎ取り、全速力で走り出した。
「待って!」
引き留める女性の声が脳内にこだまする。
あの子はどうしてあんなに必死に走っているのだろう。他人からどう見られているかなんて、今は気にしていられない。ライオンから逃げるシマウマのように、住宅街を駆け抜ける。
自宅に到着し、震える手で鍵を開けた。素早く家の中に入り、外から入ってこられないよう、内側から鍵をかける。
必死に走っていたときは疲れを感じなかったけれど、帰り着いた安心感からか、藍は疲労に襲われた。壁に体をくっつけ、崩れ落ちるようにその場に座る。冷たい床が、火照った体を冷してくれる。
目を閉じ、呼吸を整える。瞳孔が開いた女性の顔が、脳裏にはっきりと焼き付いている。今晩、夢に出てきて、『置物を返せ』と襲ってきそうだ。
落ち着きを取り戻した藍は、台所に向かった。手を洗ってから水を飲む。水が喉を通り、体の内側から冷される。藍は湿った口を指で拭って、自室に向かった。
学習机の引き出しを開け、昨日、破壊を試みた象の置物を手に取った。
『この置物がこの世からなくなりますように』
撫でながら願う。どんな代償が襲いかかってくるか分からない。藍は恐怖もあったけれど願った。
この置物を自分が手放したあと、誰かが手にする。瑞樹と梨々花の不幸を願ったように、次の持ち主が誰かの不幸を願ったら? 誰が何を願おうが、藍には関係のない話だ。それでも藍は、自分と同じ過ちを見知らぬ誰かにさせないよう、捨てることを決めたのだ。
藍は置物を手に、一階に向かった。
木でできた掌サイズの置物を可燃ゴミに出す。ちょうど明日が可燃ゴミの日だった。
ゴミ袋の中に手を突っ込み、底のほうに象の置物を捨てた。誰にも見られないで、ちゃんと処分されますように、と心の中で唱えた。
これからは変なものに願ったりしないで、ほしいものは自分の努力で手に入れるんだ。藍は決意を固め、自室に戻った。




