十五話
水曜日の昼休み、藍はみなみと進路指導室に向かった。パソコンで大学のホームページを検索する。『入学試験合格者発表』とトップページにあった。
マウスを動かす藍の手は小刻みに震える。カーソルを合格者発表ページに重ねた。
「ふーっ」
クリックする前に、胸に手を当てて深く息を吸う。落ち着かない鼓動を感じながら、マウスをダブルクリックした。
ずらりと並ぶ数字に目をこらす。ページの真ん中辺り、一つの受験番号が光っているように見えた。
「あった!」
藍の声が裏返る。
「本当⁉ おめでとう!」
みなみが拍手で祝福してくれた。
合格を確認した二人は、職員室に向かった。
宮下は自席でプリントを整理していた。机上を見ている横顔には、疲労が浮かんでいた。
「宮下先生」
藍が声をかけると、宮下は顔を上げた。こちらを向くと、疲労はさっと影を潜める。
「結果、どうだった?」
「合格してました」
「よかったね! おめでとう!」
宮下は手を叩き、藍の合格を自分のことのように喜んだ。
合格発表の翌日には、合格通知書と入学に必要な書類が自宅に届いた。書類の提出期限が一週間もなかったため、藍はすぐに記入した。
あとは書留で送るだけ。けれど平日学校の藍は、郵便局が営業中に行くことができない。母親に言うと、
「入学金を振り込むときに、郵便局にも行って出しておくよ」
書類の提出を引き受けてくれた。
「ありがとう」
藍はリビングの棚の引き出しを開ける。一番上の段は、忘れてはいけない書類の入れ場だ。税金の支払通知書の上に、封をした書類を重ねた。
自分ができることは全て終わった。肩の乗っかっていた見えない石が砕け散り、心身共に軽くなった気がした。
*
入試から解放され、一学期よりも気が緩んだ藍だが、授業は真面目に聞いていた。
しかしクラスメイトは違う。日に日に気の緩みが酷くなっていく。静かだった朝自習はおしゃべりタイムになった。授業中の私語も増え、教員から注意されることが多くなった。
現在、英語の授業中。科目担当の利光の声ではなく、コソコソと話すクラスメイトの声が聞こえる。
黒板に英文を書いている利光。手に力が入っているのか、カツカツと板書の音が響く。文末にピリオドを打つと、チョークは真ん中から折れ、半分が床に落ちた。利光はチョークを拾い上げて粉受に置くと、こちらを向いた。私語がぴたりと止まる。
「入試が終わったからと言って、最近浮かれすぎじゃない?」
そう言った声は、酷く冷めていた。教室内は空っ風が吹いたみたいに、温度が下がった。
「成績はもう関係ないと思っているから、そんな態度で授業を受けているんでしょうけど。推薦が受けられるまではいい子にして、終わったら適当になって。本当、情けないわね」
五十代のベテラン教師利光は、態度の変化の真相を見抜いていたようだ。眼鏡の奥のつり目が、私語の多いクラスメイトをとらえる。
「多田くん、この英文の日本語訳を書いて」
私語が一番多い男子を当てた。彼は黒板の前に立ってチョークを握ったけれど、正解を書けなかった。
利光は次々と、私語をしていた生徒を当てる。彼らは当てられないように、いい子の仮面を被って、その場をやり過ごそうとする。
けれど無駄だった。利光は私語をしていた生徒だけを当て、逃がさない。「悪い子はこうなるんですよ」と、公開処刑のようだった。
真面目に授業を受けていた藍は、一度も当てられなかった。
授業が終わると、クラスメイトはいい子の仮面を外し、素顔をあらわにする。
「だってもう成績とか関係ねえもん。もう卒業できればいいし」
「そうそう。授業なんか、欠点取らない程度に聞いときゃいいし。うるせえんだよ、あのヒステリックババア」
利光に対する愚痴が止まらなかった。
叱られて反省するようなクラスメイトではなかった。次の長野の授業でも、私語は聞こえてきた。長野は利光のように注意しなかった。
帰りのホームルームでは、宮下からお叱りを受けた。
進路を確定させる生徒が増えるごとに、宮下の顔は疲労に染まっているようだった。あの溌剌と明るい姿はどこかに消え失せていた。




