十四話
九月上旬。二学期のメインイベントの体育祭と文化祭が終わると、推薦入試や就職試験が本格的に始まった。
藍も校内選考を経て、無事に志望校の指定校推薦を受けられることになった。一学期の中間テストの結果は散々だったけれど、期末テストで挽回し、元々の評定が高かったこともあり、評点はさほど下がらなかった。
*
日が経つのは早いもので、十一月の中旬になった。三年四組のクラスメイトのほとんどは試験を終え、進路を確定させていた。
藍の受験する大学は、試験日が遅いほうだった。
早く自分も試験を受けて、合格を勝ち取りたい。その一心で面接の練習を積み重ねた。
試験の前日には、みなみやクラスメイトが『頑張ってね』とメッセージを書いたお菓子やジュースをくれた。
最後の面接練習は、宮下にしてもらった。最初の頃は、緊張で舌が上手く回らず、志望動機ですら噛んでいたし、笑顔なんて作れなかった。宮下に慣れて、他の先生に練習してもらうと、またふりだしに戻っていた。でも、回数をこなしていくうちに緊張はなくなり、褒められるようになった。
「悪かったところはないです」
雑音のない生物室、宮下の声が真っ直ぐと藍に届いた。
『表情が硬い』『声が小さい』
幾度となく宮下から指摘された。それが今や、悪いところが何もない。宮下の言葉は、最高評価に間違いなかった。
「ありがとうございます」
宮下は椅子から立ち上がると、こちらに歩み寄って来て、藍の肩に手を置いた。宮下はこの二ヶ月、放課後は毎日、生徒の面接練習や小論文指導にあたっているから疲れているのだろう。目の下には、ファンデーションで隠しきれていないクマがあった。
「藍なら大丈夫。今日の通りにできれば、絶対に合格できるから。明日、頑張ってね」
「はい。頑張ってきます」
藍が頷くと、宮下はにこりと笑った。
生物室を出て、渡り廊下の窓から外を見る。練習前、まだ青かった空は、いつの間にか黄昏色に染まっていた。
校舎から出ると、木枯らしに頬を触られた。冬が近くまで来ていることを実感する。藍はマフラーに顔をうずめ、自宅に急いだ。
自宅の玄関ドアを開けると、揚げ物の香ばしい匂いが漂っていた。匂いにつられるように台所に向かう。
「ただいま」
「おかえり」
コンロの前に立っている母親は、振り返らずに言った。
藍は弁当箱をシンクに置きながら、母親の手元を見る。
「今日、豚カツなんだ」
「そう。明日試験だから。『受験に勝つ』てね」
母親はジュウジュウと音を立てる油の中から、豚カツを取り出した。きつね色に揚がっているそれは、見ているだけでよだれが出る。
「一番大きいこれは、藍にあげるから」
油から出したばかりの一枚は、すでに揚がっていた二枚より一回り大きかった。
「そんなに大きいのいらないよ。お父さんにあげてよ」
「きっとお父さんだって大きいのは藍が食べろ、って言うよ」
母親は言いながら、コンロの火を止めた。
「明日、藍に頑張ってもらうためのおかずなんだから」
「……ありがとう」
「いえいえ」
母親は微笑むと藍に背を向け、五歩ほど進んだ。野菜室を開け、キャベツを取り出した。
「ただいま~」
玄関のほうから、父親の声がした。
「お父さん、帰ってきた。早く制服脱いでおいで」
「はーい」
藍は回れ右をして、台所を出た。
夕食を食べ、風呂にも入った。ついでにもう歯も磨いて、自室に入った。
受験票を鞄に入れ、荷物の準備は終わった。もう明日に備えて眠るだけだ。
宮下に『大丈夫』と言われた藍だが、明日が近づくにつれ、不安と緊張がせり上がってきた。
絶対に合格したい。思えば思うほど、不安と緊張は風船のように膨らんでいく。
そうだ。藍はおもむろに学習机の引き出しを開けた。
瑞樹と梨々花の大けが以来、目にしていないあれ。引き出しの中で眠らせていた象の置物を取り出す。
願い方はもちろん覚えている。ふーっ、と深呼吸をする。
『明日の試験、合格できますように』
藍は置物を撫でて、眠りについた。
試験は無事に終わった。帰宅した藍は、自室で学校に提出する入試の報告書を記入した。
受け答えも噛まずに言え、笑顔も作れた。上手くいった。多分合格できる、と自分でも思う。でも何が起こるか分からないのが受験だ。合否は四日後の水曜日まで待つしかない。




