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十二話

 瑞樹と梨々花の一件から、藍は全く勉強する気になれなかった。だから中間テストの結果は目も当てられないほど散々だった。得意科目の現代文だけがかろうじて平均点。他の科目は平均点にすら届かなかったし、数学にいたっては四十点だった。

 この結果により、藍は宮下から呼び出された。

 放課後、特別教室棟に行った。待っていた宮下の前に腰を下ろす。宮下の顔は険しかった。

「藍、どうしたの? 今回の成績、今までの藍からは考えられないくらい酷いよ? 特に数学。他の先生たちも『どうしたんだ』って、心配してたよ? テスト勉強しなかったの?」

 宮下は言い捲った。

「いえ……」

 藍は視線を下げ、生物室の机の天板を見る。

「ならどうして?」

 自分が、撫でながら願いを言うと願いが叶う置物に、『矢野瑞樹と高須梨々花が痛い目に遭いますように』と願ったら、思ったよりも酷いことになり、ショックで勉強に身が入らなかった。作り話のような実話を宮下に言えるわけがなかった。

「ちょっと体調が悪くて、テストに集中できませんでした」

 と、それらしい嘘をつく。

「そうだったの? そうだとしても酷すぎるよ」

「……はい。すみません」

「体調管理はしっかりしてね」

「はい。これからは気をつけます」

 宮下は生物室を出ていった。藍も出て、三年四組の教室に戻る。

 教室では、みなみが藍の机の上に座って、足を振り子のようにぶらぶらさせながら待っていた。

「おかえり。宮下先生、何だったの?」

「テストの成績のこと」

「やっぱり?」

 みなみは呼び出された理由を、テストの成績のことじゃないか、と予想していた。

「うん。『テスト勉強しなかったの?』って、心配された」

「そりゃ、心配するよ。いつもクラスで五本の指に入る藍が、いきなり下から数えたほうが早い順位になったんだから」

 みなみは揺らしていた足をぴたりと止めた。

「でも藍、テスト期間中、ずっと体調悪かったんでしょ? だって、顔色悪かったもん」

「……うん」

 と、頷き、みなみにも嘘をつく。

「体調不良なら、本領発揮できなくても仕方ないよ」

「……そうだね」

 みなみが机の上から下りた。

「帰ろう」

 藍はみなみから手を引かれ、教室をあとにした。


  *


 中間テストから二週間が経った月曜日。登校した藍は、昇降口で梨々花を見かけた。

 梨々花は車椅子に乗っていた。頭と頬には巨大なガーゼ。半袖から覗く細い腕には青あざが浮いていて、腰にはコルセットを巻いていた。藍の胸は、針で刺されたようにちくりと痛む。

 梨々花がこちらをちらりと見て、目が合った。その目は死んだ魚のように虚ろだった。

 梨々花はそっぽを向くと、車椅子の車輪に手をかけた。重そうな車輪を回して前進すると、エレベーターの中に姿を消した。

 私のせいでごめんね。でも……。藍は扉の閉じたエレベーターに背を向けて、教室に向かった。

 教室は、傷だらけの姿で登校してきた梨々花の話題で持ちきりだった。藍は頬杖をついて外の景色を見ながら、クラスメイトの会話に聞き耳を立てる。

「さっき梨々花ちゃん見かけたんだけど、めっちゃ可哀想だった。車椅子乗ってたし、頭にはガーゼ貼ってたし」

「それにしても、あのカップル災難続きだよね」

 藍の耳がぴくりと動く。どうやら自分が知らなかっただけで、瑞樹と梨々花が付き合っているのは有名だったようだ。

「確かに。二人とも同時期に大けがしたし。矢野くんは大会に出られなかったし、梨々花ちゃんは中間テスト受けられなかったみたいだから、成績出ないみたいだし」

「ねー。梨々花ちゃんもBコースだから、推薦か指定校で受けるよね。今学期までの成績が重要なのに可哀想」

 藍が窓の外を向いたままでいると、

「藍、おはよう」

 と、暗い声で挨拶された。振り向くと、みなみだった。

「おはよう」

「ねえ、ちょっと来て」

 みなみから腕を引っ張られ、席を立たされた。そして特別教室棟のトイレに連れていかれた。

 閉めきられていたトイレは、古い和式便器からのぼってくる臭気で満ちていた。あまりの臭さに、藍は顔を歪めた。

「さっき、矢野と高須さんが付き合ってるって話を廊下で聞いたんだけど。矢野と付き合ってるのは藍じゃないの?」

 藍を見つめるみなみの顔には、訳が分からない、とはっきり書いてあった。みなみも瑞樹と梨々花が本当のカップルだということを知らなかったようだ。

「矢野くんが私に告白してきたのは、高須さん発案の悪ふざけが原因。だから私のことは全く好きじゃなかったみたい」

 みなみは団栗眼を素早く瞬かせた。

「それ、いつ知ったの?」

「テスト前の金曜日」

「藍の顔色が悪かった理由ってそれ?」

「違う」

 藍は首を激しく横に振った。眉を隠す前髪が乱れる。自分が置物に願ったせいで、二人が大けがをして、ショックだったなんて、みなみにも言えない。言ったところで信じてもらえるはずもないからだ。

「もう矢野くんのことはいいんだ」

 彼への思いは、あの日に汚れと水と一緒に排水溝へ流したのだから。

 腕時計を見る。八時十分だった。あと五分で朝自習が始まる。

「教室に戻ろう」

 今度は藍がみなみの腕を引き、トイレを出た。

 四組の教室の前に瑞樹がいた。まだ松葉杖をついている彼は、教室前方のドアを開けようとしていた。

 藍は瑞樹と目が合った。けれど見てはいけないものを見たように、彼から視線をそらす。彼の後ろを通り、教室に入った。

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