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一話

「今日で三年ゼロ学期が終わるが、お前たちは受験生になるという自覚を持って過ごしたか? 前から言っているが、もう入試まで一年を切っている。早い人は、もう半年を切っている」

 明日から始まる春休みを前に、担任の田北(たきた)の話を聞いている人が少なくて、二年三組の教室はざわざわとしている。

 (あい)は周囲のざわめきを気にせず、田北の話に耳を傾けていた。

「春休みだからといって浮かれず、きちんと課題をこなすように。新学期は、登校して昇降口で新クラスを確認したら、まずはこの教室に来るように。間違って三年の教室には行くなよ」

 ノンストップで必要事項を述べた田北は一息つくと、わざとらしい咳払いをした。田北の咳払いに、浮ついているクラスメイトたちが若干静かになった。

「これで二年三組最後のホームルームを終わります。一年間ありがとうございました」

「起立、礼」

「ありがとうございました」

 ホームルームが終わると、田北は何の未練もなさそうに、そそくさと教室から出ていった。田北のいなくなった教室は、何かが爆発したかのように騒がしさを増した。

 藍が机の中の教科書やノートを鞄に入れていると、リュックを背負ったみなみが寄ってきた。

「学校の下の公園でフリーマーケットやってるらしいんだけど、そこに寄って帰ろうよ」

「いいよ」

 藍は急いで机の中を空にし、みなみと騒がしい教室をあとにした。

 グラウンドでは、サッカー部や陸上部の生徒たちが練習を始めていた。

 三月下旬の昼過ぎは、眠たくなるような心地のいい暖かさだった。藍の隣を歩くみなみも、

「ふぁ~」

 と、大きな欠伸をする。欠伸を終えると、

「田北ってほんと、最後の最後まで話長かったし、うるさかったよね。さっきの話も聞いてる人、ほとんどいなかったし」

 団栗目を擦りながら言った。

「そうだね」

「来年の担任は宮下(みやした)先生がいいなぁ」

「宮下先生?」

 藍が尋ねると、みなみは幼稚園生のように「うん!」と即答した。

「明るいし、他の先生と比べて私たちと年が近くて親しみやすいし。それに、結構相談とか乗ってくれるんだよ」

 宮下は教員になって二年目の女性教師。担当科目は国語だ。大学卒業と同時に正採用になり、丘ノ上(おかのうえ)高校に赴任してきたという。明るく若いため、男女問わず人気がある。

「藍は担任、誰がいい?」

「誰でもいいかな?」

「また田北でも?」

「うん。別にいい」

「えー、話が長い四十代のおじさんなんか、絶対に嫌だ」

 と、みなみは首を激しく横に振った。短い髪がぶんぶんと揺れる。

「私は、担任は誰でもいいから、みなみと同じクラスになりたい」

 唯一の友だちと同じクラスになることが希望だ。

「私も。藍とは絶対に一緒のクラスがいい」

 みなみはふふんと笑うと、ふと視線をグラウンドに向けた。

 藍もつられて視線をグラウンドに向ける。サッカー部が練習しているところが目に入った。

 急にブレザーの袖を引っ張られた。思いの外強い力に藍はよろける。引っ張ったみなみは、にやにやとしていた。

「もう一人、同じクラスになりたい人がいるでしょ?」

 みなみは、グラウンドでサッカーボールを黙々と蹴っている一人の男子生徒を指さした。彼の蹴ったボールは、放物線を描きながらゴールに吸い込まれていった。藍は彼の姿を観て、頬がじんわりと熱くなるのを感じた。

矢野(やの)瑞樹(みずき)とも同じクラスがいいでしょ?」

「……うん」

 藍は歩きながら、グラウンドにいる瑞樹をじっと見つめた。一心不乱に練習する瑞樹の姿に、胸が高鳴った。


 高台に臨む丘ノ上高校から下った先にある公園のグラウンドは、フリーマーケットの出店者と客たちで賑わっていた。洋服、アクセサリー、ぬいぐるみ、雑貨など、様々なものが売られている。

 みなみは一目散に、アクセサリーを販売しているところに向かった。藍はその後ろをついていく。

 みなみが立ち寄った店のアクセサリーは、ピアスとイヤリングが売られていた。星や花の定番の装飾から、おにぎりやケーキなど食べ物の形をした装飾のものもあり、バラエティ豊かだった。ショートケーキの装飾は、子どもの小指の爪ほどの大きさしかないのに、イチゴの痩果までしっかり作り込まれていた。

「どれも可愛いですね」

「ありがとうございます」

 みなみは何を買うか散財迷い、青い花のイヤリングを買った。けれど、

「まだ可愛いのがあるかもしれない」

 と、他の店もしらみつぶしに見ていく。

 すでに五軒目。アクセサリーにさほど興味のない藍は、飽きていた。

「私、他の店も見てくるね」

 みなみの元を離れ、グラウンドの中をうろうろする。

「お姉ちゃん、おっちゃんの店、見ていってよ。安いよ」

 声をかけられた藍は、中年男性の店をちらりと見た。品物は、使い古されたような電化製品ばかり。欲しいものなんてなさそうだな、とスルーした。

 雑貨を販売している店をいくらか見てみたが、欲しいと思えるものがなく、何も買わなかった。

 一通り会場内を見てまわった藍は、みなみを探す。きょろきょろしながら歩いていると、みなみはではなく、出店者の多いエリアから離れた木の下で、ブルーシートを敷いて出店している女性を見つけた。

 どうしてあんなところで出店しているんだろう。じっと見ていると、女性は視線に気がついたのか、手招きをされた。藍は不思議と手招きされたほうに吸い寄せられた。

「お嬢さん。こんにちは。その制服、丘ノ上高校の生徒さんね」

 藍は女性の姿に足がすくんだ。

 遠くからは、黒髪のワンレングスで黒い服を着ていることしか分からなかったけれど、近づいてみると女性の顔がはっきりと見えた。張りがなく青白い不健康そうな肌。濃く青いアイシャドウが塗られた二重幅の広い瞼。落ちくぼんだ目はギラギラとしていて、頬は少しこけている。薄い唇は血で塗られたように真っ赤だった。繁る葉が影となって、不気味さを増長させている。

「願いが叶う幸運のグッズはいかがかしら?」

 女性の姿にばかり注目していて、藍は肝心の出品物を見ていなかった。視線を足下のブルーシートに移す。

 ブルーシートには動物の置物ばかりが陳列されていた。鶴、亀、兎に狐。種類も大きさも様々だ。

「ここにあるものはね、世界各地の願いが叶うと言われている幸運のグッズなのよ」

「はぁ」

「お嬢さんにだって、叶えたい願いの一つや二つあるでしょ? 全部百円よ。お一つどうかしら。ほら、この象の置物とか」

 女性は最前列に陳列していた象の置物を藍に手渡した。

 片手に乗る大きさの象の置物は、木製のようで軽かった。灰色の象は左足を上げ、長い鼻を天に向け、目を細めて笑っている。色は褪せていて、ところどころ装飾もはげている。藍は可愛さのかけらも感じられないこの置物を、欲しいと思えなかった。

「この置物はね、ここにある物の中で一番すごいの。願いを言いながら撫でると、願いが叶うの。私も昨日の夜、この象の置物を撫でながら『誰かが買ってくれますように』ってお願いしたのよ。そうしたら、あなたが来てくれた」

 女性は目を細め、得意げに笑った。

 こんな置物にお願いしたくらいで、願いが叶うはずがない。もしそんなものがあれば、こんなところで手に入るわけがないし、第一、持ち主が手放さないと思う。女性の力説が全く響いていない藍は、懐疑的な視線を女性に送る。

「ほら、今度はあなたが願いを叶える番よ」

 女性はギラギラとした目で藍を見る。この置物はすごいのよ、と顔で圧力をかけてきているようだ。

 いらないなんて言ったらどうなるだろうか。絶対に買わせたいという気迫に負けた藍は、仕方なく、

「この象の置物、いただきます」

 と、言ってしまった。

「ありがとう」

 女性は薄い唇をにんまりと上げる。

「これであなたも願いが叶うわよ」

 藍は財布の中から百円玉を出して、女性の掌に置いた。すると手を握られた。指が細長く筋張った手は、三月の日差しの中でも氷のように冷たかった。触れている手から、体の熱を全て奪われてしまいそうだった。

「あの、手を……」

「あら、ごめんなさいね。嬉しくてつい」

 手を離してもらった藍は女性に背を向け、足早にその場を立ち去った。すると、みなみが小走りでこちらに向かってきていた。

「藍、こんなところにいた」

「ごめん」

「いや、謝らないでよ」

 みなみは言いながら、藍の手元を見ていた。

「それ、どこで買ったの?」

 藍は首だけを後ろに回し、顎で女性を示した。

「あの人から」

 藍の背後を確認したみなみは、

「げ、魔女じゃん」

 と、苦虫を噛みつぶしたように顔を歪めた。みなみは女性から視線をそらすと、再び藍の手元を見て、置物を指さした。

「何で魔女なんかから買ったの?」

「断れなくて。というか、あの人って魔女なの?」

「知らないの? あの女の人、見た目が怪しいから魔女って言われてるんだよ。絶対に近寄るな関わるな、って親から言われてる。まさか、こんなところに現れるなんて」

 みなみは鼻にしわを寄せ、魔女と呼んでいる女性を睨みつけた。

「あの人、売ってた置物、願いが叶う幸運のグッズって言ってた」

「そういう胡散臭さも魔女っぽいんだよね。それ、願いが叶うグッズじゃなくて、呪い

のグッズの間違いじゃないの?」

 藍は首を回し、女性を見た。女性もにたにたと笑いながら、こちらを見ていた。

「ほら。こっち見てにやにや笑ってる。気持ち悪っ。そんな置物、早くお祓いしてもらって処分したほうがいいよ」

「そうかな?」

「そうだよ。こんなものずっと持ってたら、呪われそう」

 みなみは藍の手の中にある置物を、不愉快そうに見つめる。藍はとりあえず、置物を鞄の中にしまった。

「魔女もいるし、帰ろう」

「もうアクセサリー見ないでいいの?」

「いい。本当はもう少し見たいけど、魔女がいるところにいたくない」

 藍はみなみから腕を引かれ、公園をあとにした。

 それぞれの自宅に向かう分かれ道で、

「さっきの置物、早く捨てなよ」

 と、みなみから念を押された。

「うん。処分する」

 藍は言って、みなみと別れた。

 帰宅した藍は弁当箱をシンクに置いて、自室に向かった。女性から買った象の置物を鞄から取り出し、学習机の上に置いてじっと見つめる。

『叶えたい願いの一つや二つあるでしょ?』

 女性の言葉が頭から離れなかった。確かに、叶ったらいいなと思うことはある。こんな置物に願ったところで叶うはずがないと思いつつも、もしかしたら本当にすごいグッズで、願いが叶うんじゃないか、という淡い期待を抱いてしまう。

 みなみは捨てるように言ったけれど、藍は、

「三年生はみなみと矢野瑞樹くんと同じクラスで、担任は宮下先生になりますように」

 願いを言いながら、象の置物を撫でた。

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