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あのおやつを食べるのはあなた

■日常



「あー!」


 ない。ないないない。上段中段下段。どこを見てもない。

 やられた。もういい加減にしてほしい。どうしてこうも自分勝手なのだろうか。一言かけてくれればこんな事にはならないのに。


「私のおやつ食べたでしょ!」


 しかしリビングに轟く私の悲鳴など、家族は誰一人気にも留めない。


 



■If -1 夫:博、会社員、羊羹



「おお」


 週末の出張を経てそのまま一泊し土曜の夜。帰宅するとリビングの机の上に置かれた小さな箱を見て思わず声が出た。シックで重厚な空気感を纏った何やら高質な箱。蓋を開けて見れば中には更に長方形の色とりどりの箱が五つ。掌に収まるほどよいサイズ感。ねこやの羊羹だ。


 いやー今日も仕事頑張った甲斐があった。洋子が買ってきてくれたのか、ありがたい。

 味は黒砂糖、紅茶、はちみつ、新緑、小倉のラインナップ。最高だ。どれをとってもハズレなしの大当たり。


 うーん悩ましい。悩ましいが、ここはとりあえず小倉をいただくとするか。

 箱を開き、包装をはがしにゅるんと少し飛び出た羊羹にかじりつく。


 美味い。硬すぎず柔らかすぎない絶妙な歯ごたえと共にしっとり優しく甘い味わいがまろやかに広がっていく。洋菓子には出せない気遣いを感じさせるような上品な甘味が疲れた身体にじんわりと溶けていく。やはりねこやの羊羹は素晴らしい。


「あ」


 その時後ろから洋子の声が聞こえた。


「ん?」


 振り返ると洋子が立っていた。


「それ、私の羊羹」


 相変わらず食い物に厳しい女だ。


「まあ、でもまだ一個しか食べてないし」


 洋子は無表情なままじっとこちらを見ている。


「そ、食べたんだ」


 そう言うと洋子はリビングから出て行った。いつもなら近所迷惑かぐらいに大げさに叫ぶくせに今日はやけに大人しい。いちいちやかましいと思ったがようやく落ち着いたか。

 まったく、出張の労いもなく羊羹一つに心の狭い女だ。ないならまた買えばいいだろうが。そもそも誰の金でこれを買ってるのか自覚もないらしい。これは俺が買ったも同然のものじゃないか。

 ということで、もう一個いただこう。




■If -2 長女:優実、高校二年生、シュークリーム



 ちょろ。ちょっときわどい格好で踊るだけで閲覧数バグ伸び。マジでイージー過ぎ。はーあ、運動したらなんかお腹空いた。


「あ」


 うわ、ベアードママじゃん。最っ高。どれどれ。あ、ラスイチじゃん。あぶねー、危うく食いきられるとこだったわ。そうはさせんぞ。私の大好きなベアママのシュークリームを黙って買って一つも娘に寄こさないだなんてそんな事がまかり通る人生であればこの世はもうおしまいでございます。という事で、遠慮なく。


 ……んーーまっ。っていうかまず香りが殺人的にヤバすぎ。嗅覚だけで満腹ぽんぽこ。焼きたてはもちろんだけどテイクアウトでも損なわれないんだよなぁ。このバターとたまごの香ばしくもとろける芳醇な香り。食べなくても満足って具合のグレイトスメル。

 まあもちろん食べないわけがないのでいただくんですけれども。嗅覚で駆り立てられ高められた食欲に対して、鼻で感じた味覚が今度はダイレクトに舌の上にライドオン。たまんねぇ。マジ犯罪。六法全書に書き加えられても文句が言えないぐらい罪な美味。

 こりゃますます許せんぞ。ベアママを独り占めしようだなんてそうはいかない。犯人は分かっている。甘いものに目がないママ。ベアママではなくリアルママ。今すぐこの家を出てベアママの扶養に入ってやろうかこの野郎。


「優実」


 声に振り返るとリアルママがそこに。あー始まる始まるぞー。どうせいつものようにヒステリックに叫ぶのだろう。勉強もせずに遊び惚けて勝手におやつを食べてどうのこうの。あーだるだる。私はすっと両手で耳を塞ぐ。


 ……おや?


 いつものヒステリックスクリームが轟かない。むしろ無音。ってか何その鉄仮面。叫ぶどころか無表情で何も喋らずただじっとこちらを見ているだけ。


「何? 怖いんだけど」


 それでも尚反応がなかったのでいよいよ不気味に思っていたら、


「そ、食べたんだ」


 一言残してリビングから消えた。


 ……こーわっ。

 なになになに。見たことないママの一面に震え止まらず。

 怖い。ってかキモい。何あの人。ブチギレすぎて明鏡止水の境地って事? 明鏡止水の意味知らんけど。

 まいっか。それよりベアママよ。うま、マジうまっ。




■If -3 息子:颯太 中2 ドーナツ



 やっと帰ってこれた。ほんと心スポなんてマジ行きたくねぇんだよな。幽霊がどうとかそんなものよりとにかく暗いし汚いってのがキツイ。バイクがあるからってそれならもっと有意義な所に行けばいいのにくだらない。まあでも小遣い稼ぎといい見世物で割らせてもらってるしいいけど。

 しかし疲れた。なんにせよ深夜行動はちょっとしんどい。小腹が空いた。


「お」


 おいおいフリスビースクリームドーナツじゃねぇか。全く本当に甘いもんが好きだな。こういう所には少しDNAを感じる。

 どれどれ。なんだよほとんど食べてるじゃねえか。しゃあねえな、とりあえず一番オーソドックスなこれでいい。


 ……うんめぇー。


 手に取った瞬間、そして口に入れた瞬間に感じるのは雲のような軽さ。生地の質量をまるで感じさせない重量感に毎度の事ながらビビる。

 そんで軽さと同じぐらい衝撃的なこの柔らかさ。ふわとろな食感は触れた瞬間に消えてしまいそうなぐらい優しいのに絶妙な甘さがしっかりと口の中に存在感を残していく。はんぱない。あの軽さからは想像もできないほど食べると途轍もない満足感で口から胃袋まで満たしていく。マジで意味が分からない。どんな魔法を使ってるんだと不思議でならない。

 くそ。こっそり独り占めしようだなんて最低な親だ。信じられない。


「まったくーー」


 ふいに背後に気配を感じた。そっと振り向くとおかんがいた。


「こえーよ。気配無さすぎ」


 扉の隙間からシャイニングよろしくドアの隙間からこちらを見る母の顔。廊下が暗いせいで生首が浮いてるみたいだ。


「なんだよ」

「食べたの?」

「あ?」

「食べたのね?」

「ドーナツの事か? 食ったよ。ってかあんた食いすぎ。あり得ないんだけど」

「買ったのは私」

「知らねぇよ。あったら食うんだからもっと残しとけよ」

「とにかく、食べたのね」

「んだよしつけぇな、食ったって」

「そ、食べたのね」


 そのまますっとドアの向こうへとおかんは消えていった。


 ーーなんだあいつ。


 いつもならもっとヒステリックにぎゃあぎゃあ言うくせにやけに静かだったな。気味がわりい。まるで幽霊みたいだ。


 まあいい。もう一個残ってるんでこいつもいただこう。
















■If you ate the sweets



 甘い。美味い。美味しい。私のおやつ。私だけのおやつ。

 なのにあいつらは勝手に食べる。断りもせず、私が買ったおやつを何の躊躇もなく。

 

 誰も私の事なんて気にしない。皆身勝手。身勝手だからこそ勝手に食べる。

 だったら食べればいい。私からのちょっとしたゲーム。バラエティでよく見るような罰ゲーム。


 それぞれの為にわざと残したおやつ。

 もし一言でも私に断りや確認をとってくれればあなた達の勝ち。

 でもいつも通り勝手に食べてしまったらお前らの負け。

 一応チャンスの余地は残してあげた。でも無駄だろう。だってお前らは食うに決まってる。


 出張といいながらわざわざ延泊して浮気をする最低な夫。

 自分の身体を安売りしてインフルエンサーになろうだなんて思ってる脳が激甘な娘。

 夜な夜な外出して不良とつるんでクラスメイトを恫喝、脅迫して問題ばかり起こしている屑な息子。


 この家には身勝手な人間しかいない。

 死ね。身勝手な奴は全員死ね。

 お前らは自分の身勝手で終わるんだ。

 いつも通りのお前らにとっては軽い身勝手で自滅するのだ。


「ふふふふ」


 とらやの羊羹。

 ベアードママのシュークリーム。

 フリスビースクリームドーナツ


 あなた達の大好きなスイーツ。

 どうぞご勝手に召し上がれ。

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