こちら隻腕の剣聖ですが雪山修行中に襲われまくって困ってます
連載の息抜きに。
困ってるというか呆れてるというか。
変わり者と呼ばれる者は常に一定数存在する。
スポーツ、武術、学問や芸能。それらの世界で常識に縛られず、独自の価値観で技術を磨き、幸運にも認められた一握りの者達を、人々は奇才あるいは天才と呼んだ。
もちろん、異世界でもそれは変わらない。魔法も剣技も、神より与えられしジョブとスキルによって与えられる世の中にあって、まさにその男は異端だった。
「………」
雪中の滝に打たれながら、老いた男が瞑想を続けている。顔に刻まれた皺は深く、これまで生きてきた長い年月の大半が、苦難の連続だったことを証明している。
その瞑想に大きな意味があるのかと問われれば、この世界においては否である。瞑想をした所で、スキルの冴えが磨かれる訳では無い。威力を高めたいなら身体強化の魔法を使えば良いし、神経を研ぎ澄ませたいなら感覚強化の魔法を付与すれば事足りる。
では何故、彼は無意味な修行を続けているのか?それは彼以外には分からない。誰にも分からないからこそ、異端とされるのだ。
ふと、男が剣を手に取った。積もり積もった雪が雑音を吸い、滝音が周囲に響き渡っている中で、彼は何を感じ取ったのだろうか。
「誰だ」
返事は無い。あろうはずが無い。しかし、確信に満ちている。
男は黙したまま、ゆっくりと刃を抜き放った。敵がいるとするなら、水に濡れて輝く刃先が見えたはずだが、やはり返事は無い。
ーー返事よりも先に、間合いの外にある草葉の間から、人影が現れた。
若い、いや幼い女だ。年の頃は11、2歳ほどだろうか。だがその格好を見れば、ただの迷い子ではないのは明らかである。
雪中行軍を意識した装備と、腰に携えられた細身の剣。その剣の鞘には意匠が施されており、装飾用と見紛う高級感だが……あり得ない取り合わせだ。剣を盗んだ冒険者崩れだろうか。
どう考えても相手をする価値は見出だせない。目的を測りかねる分、むしろ関わるだけ危険ですらある。
「人を探している内に、迷いました」
見た目に違わぬか細い声だった。しかしこの滝へ至る道は荒れきっている上に、積雪している。わざわざ人を探しに、当てもなくこんな所まで来るはずがない。
「見たところ、この土地に慣れているご様子。もし御存知でしたら、教えて頂けませんでしょうか」
童女らしからぬ口ぶりからは、教養の高さが感じられた。やはり貴族の娘なのだろうか。だがそうなると、ますますこの状況にそぐわない。この怪しげな女の正体を暴く方法は、一つしかなかった。
「あの……っ!?」
男は抜き放った剣……ではなく、河原の石を全力で投擲した。子供のこぶし大ほどの石は、鋭く風を切って少女へと向かい、その耳横を掠めていく。投石を受け止めた白雪が、衝撃を受けて煙のように散っていた。
やはり、ただの子供ではない。
「なっ、何をするんですか!?」
「礫を目だけで捉えたな」
捉えていながら、微動だにしなかったのだ。何故なら完全に見切り、当たらないと分かっていたから。
息を呑む少女の目から、年相応の輝きが消えた。
「……動けなかった、だけです。怖かったんです」
その割には、今も逃げ出そうとしていない。
「小芝居はやめろ」
男から礫を投げられれば、普通は逃げ出すか、泣き出す。ましてや、それがーー隻腕ともなれば。
「帰れ。さもなくばーー」
「ッ!?【上級身体強化】!!」
少女が先に動いた。未熟な体からは想像も付かない速度で、小生意気にもフェイントを混ぜながら突っ込んでくる。物理法則を無視するような動きからして、身体強化の魔法で全身のあらゆる部位を強化しているのだろう。恐らく、内臓でさえも。
ならば多少当てても問題は無い。男は即断した。
少女は駆けながら細身の剣を抜くと、半身を捻り、掌を天に向けるようにして構えた。
「【ハイスティング】!」
レイピア系剣技、スティングの上位スキルだ。剣を一時的に超強化し、弾丸に迫る勢いと威力の突きを放つ。特有の構えが実に美しくも巧妙で、刀身と相手の目線を一致させることで射程を誤認させ、急所への刺突を回避困難にさせている。
だが使う時と場所、そして相手を間違えている。
「うぷっ!?」
攻撃スキル発動とほぼ同時に、男は少女の顔めがけて、手の中で纏めていた滝の水を叩き付けた。水が目頭を直撃したことで少女は視界を失うが、一度発動したスキルは止まらない。
少女の意思とは無関係に放たれた神速の剣は、虚しく滝を貫くに終わり、逆に伸び切った腕を掴まれると、勢いそのままに背中から水面へ叩き付けられてしまった。
その衝撃は凄まじく、水面に当たった少女の体が一瞬跳ね跳び、同時に意識を失うほどだった。身体強化されていなければ、骨折どころか内臓破裂、あるいは即死でもおかしくない。
「………」
隻腕の男は半死半生の少女を見下ろすと、滝つぼへ沈みかけたその体を強引に引っ張り上げ、雪面へと投げ捨てる。子供を殺すのは夢見が悪いが、襲ってきた相手を助ける義理も無い。
少女の蘇生を確認しないまま、男は再び瞑想を始めた。
「う……ここは……っ」
目覚めた直後、背中と右腕に激痛が走った。ひとまず体は動くようだが、骨折していないか不安になるほどの痛みだ。
次いで、鼻腔を炭と魚の香りが刺激した。明るい方に顔を向ければ、なんと先程の男が焚火の前で、焼き魚を食らっているではないか。
男は何も言わず、そして目を向けすらしない。自分への興味など、焼き魚ほどにも湧かないというのか。
「……どうして殺さなかったのですか」
男は黙したまま、二匹目に取り掛かっている。見ているだけで空腹を刺激された。
「また襲うかも知れませんよ」
「問題無い」
その短い一言は、何よりも少女の自尊心を傷付けた。彼女は彼女なりにレベルを上げ、スキルの使い方を習い、大人達を圧倒してきたというのに。
「何故襲ったかも、聞かないんですね」
男は黙ったまま、焼き魚に齧りついている。聞いた所で意味は無い。襲われた経験も、一方的な恨み言を聞かされるのも、これが最初でも最後でもないのだから。
「……私の父は、領地を持つ子爵で、母は女騎士でした。大人になったら父の役に立ちたい。そして母のような、立派な騎士になりたい。そう願いながら、日々鍛錬に励んでいました」
聞いてもいないことを、独り言ちるように少女が語り始めた。だが仮に目の前の相手が壊れた石人形であっても、同じだったかも知れない。
そう思わせるほど、女の目は疲れ切っていた。
「しかし数年前、教官との野外鍛錬から帰ると、屋敷の前に片腕の剣士が立っていました。その手には……両親の、首が……!」
男は先程と同じく、興味無さそうに焚火を見つめている。だが、焼き魚を食らう手は止まっていた。
「教官が、叫びながら剣士に斬りかかりましたが、男はその教官に父と母の首を投げつけたのです。避けることも、無視することも出来ず、咄嗟に二つの首を受け止めようとした教官は……両親と、同じ姿に、なりました……」
女の手がワナワナと震え、やがて全身が震えだした。思い出すには辛過ぎる上、思い出とするにはまだ日が浅過ぎた。
「俺は仇ではない」
まさか返事があると思わず、少女の反応も遅れた。子供にも容赦無いこの男が、目の前で泣く女を慰めるはずも無く、ただ事実を述べただけに違いないだろう。少女もそう理解した。
「存じています。その男は、結局国が派遣した冒険者と軍によって、目の前で射殺されましたから」
「ならば何故」
「両親の仇を、討てるようになりたかったからです」
これには男も困惑した。目の前の女は正気だろうか?先程、仇は既に死んだと言っておきながら、仇討ちのために戦いを挑んだとは、どういう思考だ?
「あの男の強さは、異常でした。冒険者も最初から、銃で武装していた訳ではありません。何人も剣や槍で挑みかかりましたが、誰も傷一つ負わせられなかった。だから軍に応援を要請し、遠距離から一方的に叩くしか無かったのです。その戦いを、私はただ、眺めていることしかできなかった……!」
握った手から、ギリリと皮が軋む音がした。それは剣を何年も、それも死ぬ思いで振り続けてきた手だけが鳴らす音だった。男があの音を鳴らせるようになったのは、果たしていつの頃だったか。
「全てを失った私は旅に出て、冒険者をしながら剣の修業に明け暮れました。やがて隻腕の剣聖と呼ばれる貴方の噂を聞き、貴方に勝つことができれば、あの男を超える強さを持ったことになるのではないか。そう考えたのです」
「身勝手だな」
「その通りです。ご迷惑をお掛けし、本当に申し訳ありませんでした。二度と貴方の前には現れないと、お約束します」
ひとしきり話して満足したのか、少女はふらりと幽鬼のように立ち上がった。あれでは下山には耐えられないだろう。
「問題無いと言ったはずだ」
「……え?」
少女が痛みも忘れ、驚くまま振り返った。まさかこの男、また襲ってこいとでも言っているのだろうか?
「川沿いに下り、二又を右に進め」
不器用な優しさを受け取った少女は、久方ぶりの温もりに胸を震わせながら、深々と頭を下げた。その目には再び生気が宿り、あろうことか挑戦的な笑みが浮かんでいた。余計な事を言ったと、僅かに後悔したが、時すでに遅い。
少女の姿が、暗闇の中に消えていく。よほど運が悪くなければ、アレの存在に気付くだろう。
だが、それよりもーー
「………やはり問題はあったか」
3匹目の焼き魚は、いつまでも食わなかった男を恨むように、焦げ切っていた。食える個所は、果たして残っているだろうか。
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「はあ……!はあ……!」
男が苦々しい顔を浮かべてる中、教わった道を下る少女だったが、背中と腕の痛みはじわじわと増していく一方だった。動かせるので、やはり骨は折れていなさそうだが、酷い打撲と過伸長によって筋を痛めているのは間違いない。
「せめて、魔力が残っていれば……」
男との戦いで使った身体強化は、少女が持つスキルの中では最高レベルの切り札だった。残存魔力のほぼ全てを使い切る奥の手であると同時に、効果が切れた後は下級魔法すら使えなくなる。おかげで彼女は身体強化無しで下山せざるを得なかった。
「いや、そんなことより……」
そんなことより、この圧倒的実力差はなんだ?少女が持つジョブは、もう少しレベルアップすれば【剣聖】に至る領域に達している。これまで大人相手でも、魔物が相手でも無敗を誇っていた。それが全く話にならないだなんて。
しかもあの男、スキルを使用していなかったのではなかったか?あの必殺のハイスティングを、スキル無しでどうやって相殺したのだろう?
「レベル差……?パッシブスキルの数……?ううん、多分違う。もっと根本的な部分で、あの人に劣ってる部分があるんだ。だってあの人、武器すら使ってなかった……」
あの男のことを考えている間は、痛みが少し和らぐような気がした。自分の不覚と無作法に真正面から向かい合う辛さはあったが、痛みに耐えて黙々と歩くよりはマシだった。
それから、どれほど歩いただろう。二又の川からそれほど離れていない丘に、一軒のボロ小屋が見えた。そろそろ体力も限界に近く、空に星がちらつき初めている。この辺で野宿をした方が良いかも知れない。
ノックをしたが、返事は無い。中に誰かがいる気配も無い。鍵すら掛かっていなかった。
「失礼します……」
そっとドアを開くと、酷い埃の匂いがした。照明魔法も使えないので、夜目を効かせて中を観察する。
簡素な棚に、ボロボロになった斧が立て掛けられている。後は湿気った薪と、いつ燻したか不明な毛皮と、暖炉があるのみ。どうやら使われなくなった山小屋らしい。
食べ物もベッドも無いが、雪風は防げるので、外で野宿するよりは遥かに良いだろう。少女は幸運に感謝し、荷物を置いて腰を落ち着けた。謎の毛皮で全身を覆ってみると、想像以上に温かかった。これなら一晩は無事に越えられる。
ホッとしたことで、再び痛みが強くなった。完治までどれだけ掛かるか不明だが、朝まで休めば魔力が戻る。そうすれば下山するだけの力は取り戻せるはずだが、その後はどうする?
残念ながら、結論は出なかった。思考の途中で体力の限界を迎え、気絶するように眠ってしまったからだった。ただそれでも少女の脳裏には、あの初老の男の姿があった。
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男の朝は早い。その日に使う薪を手早く割ると、昨晩燻していた魚と山菜を食う。その後はひたすら鍛錬である。しかしレベリングのために野獣を狩っている様子はない。あくまで自然の中で体を鍛え、自然を相手に剣の修業を続けていた。
その日は落ちていた丸太に持ち手を作り、ゆっくりと時間をかけて素振りをしていた。
その男の動きが止まる。気配を探るような間が一瞬流れたが、再び緩慢な素振りを再開した。
「気配を断つのが遅い」
咎めているのか、呆れているのか。男はそれしか言わなかったが、話し掛けられた方は首を傾げた。少女は観念して草場から這い出たが、指摘されたことの意味が気になって仕方ない。
「二又の川から断ってましたが……?」
だから遅いのだ。気配を断つなら、昨日自分と別れた時から断っておかねば意味がない。
だがそれを男は説明しようとしなかった。本当に無口な男である。少女は小さな苦笑いを浮かべると、懐から革袋を取り出した。
「昨晩はお詫びもせず、大変失礼いたしました。少ないですが、これを受け取ってください」
「いらん。金には困っていない」
そもそもこの雪山で金は役に立たない。
「ですが……」
「詫びたいだけなら、二度と姿を見せるな」
今度こそ冷たく突き放されたが、言葉通りの意味ではない。そう受け取った少女の動きは早かった。
おもむろに革袋から銀貨を一枚取り出すと、【中級身体強化魔法】を付与した親指で、男に弾き飛ばした。その速度は昨日の剣技には及ばないが、それでも昨日の投石に比べれば遥かに早い。
だが男はそれよりもさらに早かった。なんと素振りに使っていた丸太を振り抜き、近距離から撃たれた銀貨を弾き飛ばしたのだ。だがそれは想定内だったのか、少女は丸太を振り切った姿勢の男へ、迷いなく突っ込んでいく。そしてーー
「【サザンクロス】!!」
ハイスティングよりも高位のスキルを発動させた。南十字星を冠する剛剣で、防御に使う盾ごとダメージを与える十字斬りだ。当然、手に持っている丸太如きで防げるスキルではない。
窮地の男が選んだのは、防御でも回避でもなかった。
「えっ!?」
気付いた時には、既に男は構えなおしていた。驚く少女に向けて、掌を天に向けるように丸太を握り直し、半身を捩り、突きを放つ。構えは昨日放った【ハイスティング】そのものだが、細剣と丸太では技の性質が全く異なる。射程も切れ味も無関係に、豪速で放たれた木塊は少女の剣の根本に当たり、【サザンクロス】の出鼻をくじいた。
スキル発動を強制中断させられた少女はバランスを崩したが、反撃から逃れるべく直ぐに横へ飛んだ。だが意外なことに、追撃が飛んでこない。
「良いのは反応だけだな」
肩で息をする少女に対し、男は溜息すらも吐かなかった。
「参りました。何をすれば、ここまで強くなれるのですか」
「鍛錬だ」
その鍛錬の内容を知りたいのだが、目の前の男がそれに答えるはずがない。答える義理も無かった。
少女は大きなため息をつくと、再び懐から先程の革袋を取り出した。
「受け取ってください。慰謝料と指導料です」
「しつこいぞ」
「貴方にとっては不要でも、私にとっては貴重な身銭です。私にとって価値あるものの中で、今渡せるのはこれだけです。役に立たないなら、礫の代わりにでもしてください」
結局ゴミじゃないかと思ったが、生意気な理屈をこねる女を相手する方が面倒になった。男は交戦した後でも吐かなかった溜息を噛み潰すと、革袋は手で押し返し、先程弾き返した銀貨一枚だけ、ズボンのポケットにしまい込んだ。
「あの…?」
「これ以上邪魔をするな」
そう言って、素振りを再開し始めた。その目の中には、既に少女は入っていない。
金の入った袋を握りしめたまま、少女は考えた。男の意図は分かりかねるが、積極的な排除はしてこない。恐らくこの先、何度挑んでも殺されはしないだろう。
だが同時に、今のまま何度挑んでも、一生この男を超えることは出来ないに違いない。多分レベル99に至ったとしても。それほどまでに今の自分と男には、決定的な何かがあった。
両親の仇だけを考えてきた少女の中に、僅かだが炎が宿った。それが嫉妬なのか、執着なのかは、この時はまだ本人にも分からない。
「申し遅れました。私の名はリリー・クラウディス。失礼ながら、御尊名を賜りたく」
当然無視された。だが反応を予想できた事が、何故か少しだけ楽しくもあった。
リリーは男の丸太よりも少し小振りな幹に持ち手を作り、男の真似事をし始めた。それが彼女の日課になった。そして男の方もまた、無視を続けた。
初めは、ほんの一振りすらまともに出来なかった。ただゆっくりと木塊を振っただけなのに、身体のあちこちが痛くなった。
数日後、試しに身体強化を付与して同じ動きをしてみると、全く問題なく振ることが出来た。やはり魔法の恩恵は大きい。これなら男と同じサイズの木塊も振れるかもしれない。
だから駄目なのではないか?
その直感は、全ての理屈と常識を超えていた。出来ないことは、道具と手段で補えば良い。力が弱いならレベルを上げて、強化魔法に頼れば良いのだ。しかし、本当にそうか?
男の方を見上げると、汗だくになりながらも素振りは止まっていなかった。その全身は、年齢を感じさせない硬い筋肉に覆われている。特に背中の筋肉は異形と言って差し支えない。転じて、自分の体はどうだ。この体で、家宝の細剣を何度振ることが出来る?
私はずっと、魔法の力だけを頼って、剣を振ってきたのではないか?
「……そっか。だから、あの日も動けなかったんだ。戦うのが私じゃなくて、私が使う魔法の方だったから……」
「………」
「私自身はずっと、弱いままだったんだ」
その日から、リリーは一切の魔法を封印した。食糧を確保する時も、己の肉体だけに頼った。火を起こす際も【火球】ではなく、男を真似て摩擦熱を利用した。
ーーそうして、月日が流れていった。リリーと男は時々言葉を交わすくらいで、お互いに協力し合うこともなく、同じ空間で同じ鍛錬を続けた。
リリーは相変わらず、一日一度は男に襲いかかっていたが、何度襲っても返り討ちにされていた。そのしつこさは尋常ではなく、最初の一年だけで負けた回数が500を超えたほどである。
「ま、また負けた……どうして剣技が何一つ通じないの……?」
「……スキルを使う限り、俺には届かん」
「剣技無しで貴方に勝てるはずが」
「あれは剣技ではない」
それきり男は去ってしまった。恐らく次の鍛錬、瞑想に取り掛かろうとしているのだろうが、それより今の一言が気になる。
「スキルが剣技ではない……?」
リリーは自分のレベルとスキルを確認した。レベリングをしていないので、一年前と殆ど変わらない。その中で得意なスキルといえば、【ハイスティング】と【サザンクロス】だ。
彼女はスキルを発動させることなく、【ハイスティング】と同じ動きをゆっくりと取ってみた。何度も何度も、これまで無数にやってきた動きであり、目を瞑ってでも使用できると断言できる。
掌を天に向け、半身を捩って、相手の視線と剣を一直線に結び、射程を誤認させるーー
「……なんてこと。確かにこれは……剣技じゃない」
リリーはがっくりと肩を落とし、自らの不明を恥じた。各ジョブに与えられたスキルの発動条件は二つ。一つは対象の武器を持つこと。もう一つは、スキル名を詠唱すること。
同じジョブを持つ人間なら、全く同じ動きが出来る。威力はレベルだけで決まり、本人の筋力量は関係無い。幼児体型でもモデル体型でも、レベルさえ高ければ歴戦の勇者と同じ威力を発揮した。武器を持ってスキル名を叫べば、誰にでも。
要するにこれまでの彼女は、どんな動きをするのかを高らかに宣言してから、洗練された全く同じ動きで繰り返し攻撃していたのだ。
そんなものが、得意技を初見攻略したあの男に通用するはずがない。それどころかあの男のことだから、どこかで既に体験済みであってもおかしくないのだ。
「ば、馬鹿過ぎる……!魔法もスキルも神様がくれたものでしょ!?魔法だけ封じて満足して、なんでスキルは実力だから大丈夫だと思った、自分!?」
付け加えると、どちらも部分的に身体強化しているため、そういう意味でも魔法に近かったりする。その事実に気付いたリリーは、自らの黒歴史を恥じているが、別になんら恥じることではない。
この世界においては魔法もスキルも使えて当たり前、有って当たり前なのだ。強力なスキルに対し、さらに強力なスキルで対抗するのは、火に水を掛けるのと同じ位の常識と言って良い。100人中100人が使えるジョブとスキルを否定するのは、呼吸そのものを否定するに等しく、無意識に使ってて当然である。
だがリリーの価値観は、もうすっかりあの男の影響を受けておりーー
「うわあああ!!一年前のあの日に気付いていればあああ!!もったいないいい!!間抜けな自分が情けないいいい!!あの人にどんな風に映ってたんだ私いいい!?」
その後の数日間、ぱったりと襲ってこなくなったことを男が不審に感じるほど、リリーは激しく落ち込んだ。
ーーそしてさらに月日が経ち、復活したリリーの動きは、日に日に鋭くなっていった。そしてついに、リリーは雪山から一度も下りることなく、14歳の誕生日を迎えたのである。
「はぁッ!」
手製の木剣を手に、リリーが男へ襲い掛かる。幾重にもフェイントが混ぜられ、どの方向から剣が飛んできてもおかしくない。男の目もまた、彼女の動きを的確に追っていた。
リリーが大きく振りかぶり、左から斬りかかるように見せた。それを受けた男が下段から丸太を振り上げかけたが、直後にリリーの体が反回転した。左から飛んでくるはずの剣が、右から襲ってくる。男は攻撃を中断し、後ろに飛んだ。
「……むっ」
その額に、飛来した銀貨が直撃した。【中級身体強化】が使われていないので、本当にただ当たっただけだったが、中々のスピードだった。
……もし使われていたら、どうなっていただろうか。
「ようやく一本取れましたね、師匠」
雪山に籠もって2年超。1000を優に超える敗北の末の一本だった。いつの日からか、リリーは男のことを師匠と勝手に呼ぶようになっていた。当然、男は弟子入りを許可していない。
「師匠と呼ぶなと言った」
「では、その理由を教えてください」
男はやはり無言だったが、この日のリリーはいつもより更にしつこかった。
「もう出会ってから2年以上経ちます。それくらいは話してくれても良いではありませんか」
この減らず口が無ければ、もう少し可愛げもあったろうに。そんな風に考えてしまった自分に、男自身が驚いた。
剣以外のことに意識を割いたのは、少なくともここ十年、一度も無かったはずだ。このしつこい女と過ごす内に、知らぬ間に自分も毒されていたのかも知れない。
その毒が、男の口を軽くした。
「……昔、俺にも弟子がいた。才能に溢れ、いずれ俺を超える剣士になるはずだった。だがその男にとって、剣は殺しの道具でしかなかった」
「剣は、殺しの道具ではないのですか」
「……その通り、剣は殺しの道具だ。だが剣の主が、剣の使命に飲まれてはならない。剣を振るうために生きるのではなく、生きるために剣を使わねば、剣士とは言えない。しかしそれを説いた時、やつは本性を晒した。人を確実に殺せるように、剣を教えたのではないのですかと、ヘラヘラ嗤い出したのだ」
リリーは黙して、次の言葉を待った。そうせねばならぬと感じていた。
「弟子の育成を間違えたことを確信した俺は、師としての責任を果たした。あの男の右腕と右眼を奪い、崖からこの滝へ叩き落とした。その時、俺も左腕を持っていかれた」
その瞬間、心臓が破裂したかのように激しく震えた。あの日、両親の首をつかんでいた隻腕の男は……右腕を失っていなかったか?
「それからは己を恥じて、俗世を断って鍛錬を続けてきた。二度と弟子は取らぬと誓ってな」
右眼が剣の傷で潰れてはいなかったか?
「だからお前も、俺を……リリー?」
じゃあ、この男が、仇に剣を教えたのか。
この男が……この男がいなければ、両親は!!!
リリーの目に宿っていた温かな炎が、全てを焼き尽くすように黒黒と燃え上がった。
リリーは2年ぶりに細剣を抜刀すると、【上級身体強化】を全開にして男に斬り掛かった。その気迫に男は圧され、左肩に初太刀を許してしまう。もしも左腕が残っていたら、今の斬撃で失われていただろう。
リリーの急変に対し、男は冷静だった。あの日、リリーがやってきた日から抜いてこなかった剣を手に、彼女と対峙する。
構えたと同時に、彼女の姿がかき消えた。本能的に右へ剣を向け、急所へ向かってきた細剣を防いだ。身体強化が掛かっているとはいえ、異常な重さだった。
「くっ……」
更に速さも常軌を逸している。右と思えば左、そして正面と、次々に致命傷となる斬撃や刺突が襲い掛かってきた。それら全てでスキルが使われておらず、その脅威度は二年前とは比較にならない。左腕さえ残っていればと、初めて悔いることになった。
切り結んだ時間は僅かだったが、既に男の全身は血まみれだった。
彼女が殺意を向けてきた原因は、間違いなく自分が話した内容が原因だろう。恐らく、リリーの両親を殺したのは……あの後も生き延びていた、弟子だったのだ。
「そうか……仇は、俺だったか」
ならばもう、彼女は望まぬ客人ではない。来たるべくして、彼女はここにやって来たのだ。
「……強くなったな」
ここが死に時だ。男はそう確信した。あの魔法が切れるより先に、自分の体力が尽きる。いや、あの猛攻を受け切った後なのだ。魔法が切れても彼女の地力で押し返されるだろう。
これまで通じた搦手も、今のリリーには無意味だ。この二年間で、男は全ての手の内を見せてしまっていたのだから。やるなら彼女の攻撃に合わせて、一か八かのカウンターを取るしか無い。
リリーが再度躍りかかり、目の前で体を回転させた。
右から来る。溜めが込められた、渾身の薙ぎ払いが。そう感じた男が、剣を構えたその刹那。
男が剣を取り落とした。リリーが剣を振る直前に、【上級身体強化】を込めた指力で銀貨を弾き飛ばし、男の手を直撃したからだ。
「よし」
男は数十年ぶりに笑みを浮かべ、リリーの一撃を受け入れた。
「……ぐすっ……ひっく……ううっ……!」
ーー男は、斬られていなかった。リリーはただ、全身で男に体当たりをして、雪面に叩き付けただけだった。彼女は男に縋り付くように、そして深々と斬り込んだ左肩の出血を抑えるように、強く抱きついていた。
「……何故殺さない」
「……いいえ。貴方の左腕を、確かに頂戴致しました。その隻腕では、もう私には届きません」
彼女の減らず口が戻っていた。
彼女の復讐は、あの初太刀で既に終わっていたのだ。
その後の戦いは復讐ではなく、師を超えるための真剣試合。
「貴方の左腕を奪ったのは、私です。狂った兄弟子ではありません」
その目の中は、これまでで最も強く明るい炎で輝いていた。
「……そうか」
男は二度目の笑みを浮かべ、そのまま眠るように意識を失った。
誰かの傍で眠れる日など、二度と来ないと思っていた。
「また明日も、よろしくお願いいたします。……師匠」
この瞬間、確かに男は幸福だった。
その数年後。隻腕の男は静かに天寿を全うした。たった一人の愛弟子に、看取られながら。
「ここかな?」
「うわ……随分と使い込まれた小屋ですね」
「本当にこんなところにいるのかな」
雪山に隻腕の剣聖がいる。その噂を聞き付けた勇者パーティーが、道中の魔物を蹴散らしながらやってきた。一見軽装だが、女ヒーラーが【防護魔法】を展開し続けているため、寒さは感じていない。女アーチャーに至っては、雪風の中でヘソを晒していた。
「話によれば、何十年も雪山で修行を続けているようですが……」
「剣聖に挑んだ女の子が、結局生きて戻ってこなかったとも聞いたよ。そんな危険人物、パーティーに入れて大丈夫なのかな」
「僕達の合計レベルは100を超えてる。仮に剣聖のレベルが99でも、僕の勇者スキルと皆の力を合わせれば、悪事は働けないさ」
「勇者さま……」
勇者には絶対の自信があった。彼は剣豪ジョブを持つ悪党を、複数人まとめて片付けたこともある。合計レベル150を超える山賊集団を、一晩で壊滅させたこともあった。真正面からぶつかって、自分達が負ける道理は無い。
「念の為、戦闘準備はしておいて。いきなり斬られるかもしれないから」
まあ、十中八九返り討ちにするけどね。
「は、はい!」
打算に裏打ちされた勇者の顔は、清廉と評するにはやや諧謔味が強かった。
「ごめんくださーーぐわっ!?」
その勇者の後頭部に、弾丸らしきものが直撃した。それだけで勇者は意識を失い、小屋の中へバタリと倒れてしまった。
「えっ!?そ、狙撃!?一体どこから!?」
「気を付けて!遠距離から弾丸で【遠距離防護】を貫通するなんて、尋常じゃないよ!?早く勇者を起こしーー」
「あのー、本当に勇者様御一行ですか?ちょっと鍛錬が足りないのでは」
「ふぇ!?」
その勇者の横に、いつどこから現れたのか、見目麗しい美少女が立っていた。その肉体は非常に鍛えられており、ゾッとするほど一切の隙がない。しかしそれでいて、気品が感じられた。
どこかの城の女騎士だろうか?しかし、何故この雪山に騎士がいるのだろう?
「まずですね、弾丸じゃなくて指で弾いた銀貨です。勇者様なら余裕で避けると思ってましたが、まさか当たるどころか伸びてしまうとは……」
「な、何者ですか?」
「それともう一つ。隻腕の剣聖は、先日老衰で亡くなられました」
「え!?剣聖死んじゃったの!?」
「はい。ですので、今この雪山にいるのはーー」
ーーこの私、リリー・クラウディスだけです。
その女騎士の腰には、意匠の施された美しい細剣と、手入れの行き届いた古い長剣が提げられていた。
なお隻腕の剣聖のジョブは【剣聖】ではなく、それどころか戦闘職ですらありません。
剣を愛し、剣に生きたいと願った、唯の名もなき一般人です。
だから彼は剣技スキルを使わないのではなく、使えないのです。
という裏設定が、もしかしたらあるかもしれません。もしそうならロマンですね。