ジェノヴァでの暮らし
第3章
ジェノヴァで商売を始めようにも、元手が何もない私は、どんな仕事でも受けることにした。若さと体力だけはあった。それに父と母から教育を受けていたので、文字も書けるし、言葉も問題なかった。計算も得意だった。
ぜいたくを言わなければ、仕事はいくらでも見つかった。商いの通辞から、船からの荷揚げの重労働まで、何でもやった。若いからと給金は少なかったが、父を見習って専心誠意、文句を言わず心を込めて込めて仕事をこなしていたら、そのうち知り合いも増えて、割のいい仕事を紹介してくれることもあった。
必死に働いたのには理由がある。
親族だからといって、ただで住まわせてくれるはずもなく、毎週の賃料の支払いを求められた。だから必死に働いていた。居候していた家は息が詰まった。父の姉、つまり叔母という女性は独身で、若い頃は綺麗だった面影があるが、高慢で吝嗇家な女性だった。とてもあの優しい父と血のつながった姉とは思えなかった。少しでも家にいたくはなかった。
何より、常に母に嫌みや侮辱的なことを言うことに、まるで使用人のように母に用事を言いつける叔母の態度に、私のほうが耐えられなかった。母はいつもの悲しそうな微笑みを浮かべ、口答えしなかったが、早く母と一緒に家を借りられるようになりたかった。
ある日、母が、自分も働くと言い出した。
いつものように叔母に言いつけられた買い物をしに街へでかけたとき、グラースの実家によく買付にきていたマルセイユの商人に偶然再会したのだという。そこでさる伯爵令嬢の教育係を探しているという話を聞いたそうだ。ひととおりの礼儀作法とイタリア語、ラテン語を教えられる教養の高い既婚か寡婦の女性という条件に、母は即答したらしい。
よほど叔母の虐めに、耐えかねていたのだと思う。
「住み込みになってしまうけど、半年に一度は数週間のお休みがいただけるみたいなの。お給金もよいし、お金が貯まれば、あなたの商売も元手にもなるし。どうかしら?」
普段は控えめな態度の母が、思い立ったら大胆な決断をする人だと分かっていた私は賛成した。何よりあの家であの叔母に虐められるような生活から解放してあげたかった。
それからしばらくはがむしゃらに働いた。経験と知識と知り合いが増え、だんだんと稼ぎが良くなっていくのはやりがいがあった。毎週きちんと賃料を渡すだけで、叔母とはほとんど口をきくことはなかった。母に会えないさみしさはあったが、手紙のやりとりから母も伯爵家で気に入られたことがわかり、安心した。
そんな風に暮らして、一年くらいたったとき、神はまた私に試練を与えた。