母と父と養父
『シンデレラ、その後』に登場するキプロス王ジェロームの前半生を、作者自身も知りたくなって書きました。
第1章
神は私に生きるチャンスを与えてくださる。
どの神でもかまわない、チャンスがつかみ取れるなら。
神が私を見いだしてくれなくてもいい、私が神を選べばいい。
幼い頃の記憶は、まばゆい光に満ちた庭園だった。
少し悲しそうに微笑む母と広い庭園を散歩する情景を思い出す。
実父の顔はあまり記憶にない。
エクス-アン-プロヴァンスにある屋敷の奥の部屋にとても怖い老人がいて、それが父だと知ったときは背中がぞくりとしたことを覚えている。
ある晩、ベッドに入ってしばらくしたときに母に起こされ、「かくれんぼしましょう」と言われた。子供心になぜこんな夜中に遊ぶのだろうと思った。
寝間着のまま、母に連れられて馬車にのり、海に向かう街道沿いの小さな宿に着いた。そこには、精悍な顔つきの男が待っていた。
「ジェローム、待っていたよ。さあおいで、一緒に出かけよう」
彼は誰なのか、どこに出かけるのはわからなかったけど、横で母が泣いていた。嬉しそうに泣いていた。
いつも母は悲しそうに微笑むのに、今は嬉しそうに泣いていた。
それから三人で海に面した街の小高い丘の小さな村で暮らした。
養父はいろんなことを教えてくれた。世界が広いこと。いろんな人がいること。母はたくさん本を読んでくれた。字も教えてくれた。その街には、いろんな言葉を話す人たちがいて、自然に言葉も覚えていった。
十二歳になるころに、養父と思ってた人が実は血のつながった本当の父親で、父と教えられたあの屋敷の老人は、母の前の夫だと知った。
あの晩、母は私を連れて婚家を逃亡し、私の父のもとに走ったのだった。
弟の結婚式のために実家の屋敷に戻ったとき、屋敷に出入りしていた若い商人に出会い、救われたと。
母の実家はグラースという丘陵地帯に広大な領地をもち、さまざまな植物を育て香料を作っていた。そこにはフランスだけではなく、イタリアからも商人は香料を買付にやっていていた。父はジェノヴァからやってきた商人だった。
母は話してくれた。あのエクス-アン-プロヴァンスの屋敷で、夫に暴力を振るわれていたことを。結婚してしばらくしても子どもができなかったことから、原因はおまえのせいだとさんざんなじられ、それが暴力までエスカレートしていた。母は身体のあちこちにあざを作っていた。
親が決めた婚姻だったので、ひたすら我慢していたが、どんなにマリア様にお祈りしても、夫は彼女につらく当たり、心を病みかけていた。
その悩みを親族に打ち明けることもできず、実家での弟の結婚式の前日に、香料を蒸留する工房の片隅に隠れてひとり泣いていた母を、たまたま取引先として式に招待されていた父が見かけたのだった。
もともと信心深いほうではなかったが、神のご加護など諦めていたので、不貞行為ではあったが、私を宿したときは、罪の意識より、この子のために運命にあらがう決意と勇気が湧いたという。私は未来への希望の光だったそうだ。
エクス-アン-プロヴァンスの老人は、本当に自分の子なのかと疑いつつも、母に問いただすことはなかったらしい。ただ、相変わらず、言葉や態度で母を苦しめていたらしい。
しかし母はそれに耐えながら、運命にあらがう計画を進めていた。そして、夫が亡くなったタイミングで、婚家を飛び出し、父のもとに走ったのだ。
このことで、実家とも疎遠になった母だが、私にいつも言っていた。
「いい、ジェローム。自分で何もせずに神様に助けてほしいなんてお祈りしても無駄よ。神様を信じているだけでは幸せにはなれない。自分で決めて行動しなさい。神様はあなたの行動に気がついたら、チャンスを与えてくれるはず。何も行動を起こさなかったら、神様はあなたの希望に気がついてくれないから。」