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第19話 受けた痛手は、七倍返しでしょう


 「……女。どうした? わたしの顔に見覚えでもあったか」


 ユトラスが穏やかな表情のままで言う。


 エルレアは、目でユシアに尋ねた。どうしたの。ユシアは応えない。怯えた目を足元に落とし、引き攣ったような表情で、首を左右に何度も振る。レリアンも様子に気づき、訝しげな表情をうかべた。


 ユトラスはわずかに目を細めてユシアを見つめる。


 「神官と申したな。だが……うん、まあいい、ともあれ、その者たちはわたしが預かろう。革命軍の諸君もいる。わたしの手勢も控えている。そのあいだに君はジェクリルのところへ」


 「いえ、こ奴らがわたしの捕縛を離れると危険です。このまま指導者のもとへ連れてまいります」


 「案ずるな。我が手のものは、そのような事態に慣れている」


 ユトラスには譲るつもりが一切ないように見えた。


 エルレアは迷った。レリアンはともかく、ユシアの様子がおかしい。予期せぬなにかを察知したようだ。この状況で強引に仕掛けるか。レリアンの目は、いける、と言っている。しかし……。


 「どうしたかね。それとも、そのふたりと離れるわけにはいかないのかな」


 ユトラスが一歩、前に踏み出した。周囲を囲んでいる衛兵、術師たちがさざなみのような動きをみせる。ユシアがびくっと動き、胸に手をあてた。顔色が真っ青だ。


 「……も、門を……」


 色を失ったくちびるから短いことばを漏らす。


 「門を司るもの……どうして……」


 「ん? なにか言ったかね」


 ユトラスの余裕ある微笑が、わずかに崩れた。口角が引き攣ったようにあがる。眼鏡の奥で細くひらかれた目は、ユシアをまっすぐ捉えている。


 「……詮議を慎重におこなう必要がありそうだ」


 ユトラスが左右の衛兵たちに顔を向け、所作で、引き立てよ、との意思を示した。衛兵たちはすぐに動けない。ユトラスとエルレアの顔をそれぞれみて、態度を決めかねている。


 と、ユシアが胸を抑えて、しゃがみこむ。


 みなの視線がユシアにあつまる。


 エルレアがレリアンをみる。目線が絡む。意図は合致した。


 レリアンが跳んだ。即時に捕縛を解いている。手近の壁面に跳躍し、それを蹴ることでユトラスの背後にまわる。斬撃の神式をまとった手刀をその首にあてる。衛兵も術師も反応できない。ユトラスは動かない。


 ユシアの思考に待機のメッセージを残してエルレアも地を蹴った。目の前のユトラスに迫る。


 「執行官殿から離れろ!」


 叫びながら拳を振り上げる。レリアンに向けて放つとみせてユトラスに衝撃をあたえ、混乱に乗じてレリアンは執務棟へ駆け込み、エルレアが追う。ふたりが視線だけで会話した内容はそのようなものだった。


 レリアンがぐっとユトラスの首を引き寄せる。


 ユトラスが、くっ、と嘲笑ったことに、この場のだれも気づいていない。


 エルレアの拳は届かなかった。その額に、ユトラスの手のひらが当てられている。全力で奔ったエルレアの身体が有しているはずの慣性は、物理法則を無視した方法で無効とされていた。ユトラスの前に立ちすくみ、攻撃の姿勢をとったまま、動けない。凍ったように停止している。


 「……我が手のものは、こうした事態に慣れている。先ほど申したはずだ」


 「……っ」


 レリアンは拘束されていた。引き倒されている。さきほどまでまったく気配を感じなかった黒い影が複数、レリアンの背に乗るようにし、首筋に手刀をあてている。くっ、とわずかに声を漏らす。


 エルレアもまた、正面のユトラスのほかにいくつかの影に囲まれていた。わずかでも動けば背後から決定的な打撃が加えられることは容易に理解できた。


 ユトラスは不満そうな表情を浮かべた。


 「……そんなものかね?」


 「……」


 「わたしの忘れものは、もうすこし興味深いと思っていたがね。それではまるで、あの男のようではないか。戻すべき価値をみせてほしいものだ」


 「……わすれ、もの……?」


 エルレアの脳裏になにかが浮かびかけたが、かたちを結ばない。


 周囲の衛兵、術師たちはなにが起きたかまったく理解できていない。ユトラスのことばの意味も、エルレアたち一行を取り押さえている黒い影がなにものなのかも。


 それでも、はじめにエルレアをとめた恰幅のよい衛兵がユトラスに声をかけた。


 「し、執政官どの。そのものたちは……?」


 ユトラスはみずからを囲み、エルレアたちを取り押さえている黒い影たちに目を遣る。


 「ああ、わたしの手のものだ。港町の私兵でね。ふせ、と呼んでいる」


 黒い影、<伏>たちはユトラスのことばの間にも微動だにしない。全身をぴったりと覆う黒い装束。なんらかの装甲が生地のしたに仕込まれているとみえた。身体の露出箇所はわずかに目の周りのみである。


 「君たちのしごとの邪魔をするつもりはない。ただ、少々心許なかったからね。軍師どのをお迎えするにあたっては」


 エルレアの額にあてていた手をおろし、ユトラスはいかにも興がわかないというように嘆息した。


 「せっかく降りて来たのだ。もう少し楽しめると思っていたが、まあ、いい」


 ユトラスの両の手のひらが差し上げられ、空を仰ぐ。


 「世のことというのは案外、簡潔なものだ」


 指先でなにかのしるしを描いたと見えた次の瞬間、ユトラスの手が振り下ろされる。伏たちが音もなく下がる。レリアンの拘束が解かれる。理由を訝しむゆとりもなく、彼は即座に反応した。立ち上がり、地を蹴る。ふたたびユトラスに迫る。


 それを、エルレアがとめた。


 ユトラスのまえで振り返ったエルレアが、レリアンの腕を掴んでいる。


 「……っ! 貴様」


 エルレアの斬撃がレリアンを襲う。手刀は首をかすめてわずかにそれた。血がしたたる。手を突き出した勢いのまま半回転したエルエアの右足が振り上げられる。レリアンの脇腹にそれは突き刺さり、彼の身体は背丈ほどの高さに飛ばされた。落下点に入っていたエルレアは手を組み合わせて刺突神式を起動し、重力にしたがい彼女に向かっていたレリアンの胸に打撃を加える。


 いちど地に叩きつけられ、衝撃で跳ね上がり、また、叩きつけられる。くちから赤黒い血を吐き、レリアンはのたうった。


 瞬時、意識を失いかける。しかし術師団での経験が彼を呼び戻した。周囲を確認する。衛兵、術師たちが奇妙なうごきをしている。遠巻きにみていた彼らが、レリアンのほうにゆっくりと、身体を揺らしながら近づいてくる。


 いずれの目も、赫く燃えていた。表情はない。縦に長い、蜥蜴の目で、彼らはレリアンを見ていた。意思が感じられない視線だった。


 まだ動き出せないレリアンに、衛兵の槍が突き出された。右膝で地を叩き、身体を捻って回避する。勢いで転がり、肘と膝で跳ね起きた。


 「おい! エルレア! 貴様……」


 エルレアの目をみる。


 レリアンは、動きをとめた。


 間をおかず、左右から衛兵と術師たちが襲いかかる。あらゆる打撃が加えられる。錐揉みのように回転し、ふたたび倒れ伏すレリアン。


 そこに、エルレアがゆっくり、揺れながら、近づく。両の腕を振り上げる。周囲に燐光がきらめく。複雑な手印が組まれる。炎龍の顎と呼ばれる神式、圧縮された高熱で相手を焼き払うそのわざは、術師団でエーレが得意としていたものだった。そして、おそらく、エルレアも。


 エルレアの後ろでユトラスは、薄い嘲笑いを浮かべていた。


 「いささか陳腐なようですが、これもまた、ひとつの残酷な真実。世のことはおしなべて、くだらない。意味があることなどない。その終わりのひとつとして、そういう在り方もまた、佳いでしょう」


 ユトラスが腕を差し出し、指をあわせ、ぱちっと鳴らす。


 エルレアの手が、振り下ろされる。衝撃波と伴った炎の渦がその手をはなれる。間合いにいるすべてのものを焼き尽くす奔流。


 レリアンが腕を交差させ、防御する。


 「……っ!」


 エルレアの背後でユトラスが膝を折っていた。呪いの炎がその周囲で踊っていた。手を振り、払いのけるように動く。エルレアはその右に、レリアンは左に跳んだ。苦悶のなかで、ユトラスはうめいた。


 「……わたしの、操心を、跳ね除けていた……のか」


 エルレアは少し、口の端を持ち上げた。レリアンをみる。栗色の、長い髪とおなじいろの瞳。レリアンにとって見慣れた、懐かしい、そして……求めてやまないもの。


 さきほどレリアンに迫ったときの目も、かわらぬ、同じ色だった。それでレリアンはすべてを理解し、瞬時に意図を共有した。


 彼らの背後ではユシアが膝をつきながら両手を交差させている。高度な防御新式の発動を意味する霞のようなしろい影が彼女を包んでいる。


 「エーレさま、遅れました……もうしわけございません」


 エルレアは振り向かずに頷き、前方を睨んだ。


 そのまなざしに、ユトラスがわずかに揺らぐ。神式の炎は打ち消されていた。もはや、薄笑いは浮かべていない。


 「……おまえは……」


 エルレアは短く、低く、応えた。


 「わたしたちを舐めるな。死にたくなければ」


 ◇


 第十九話、今日も会いにきてくださり、ありがとうございます。


 いつも、そこにいてくださるあなたのために。


 今後ともエルレアを見守ってあげてください。


 またすぐ、お会いしましょう。

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