悪に沈む 3
サクラが落ち込んでいる間、オブが町に出ていなかったため、町の近くや町の中の治安は少しばかり悪くなっていた。それは当然なのかもしれない。サクラとフローが登場する前から優秀な冒険者でも一人では手に負えないような依頼があるのだ。その依頼も最近では増加している。そして、新人で強いと言われて注目を浴びていたサクラが依頼をこなさずに落ち込んでいるとあれば、悪は増長するのも当然と言えよう。この期間に悪を進めるのは当たり前だった。
「おい、お前。ちょっと待てよ!」
町の大通り。露店が並ぶ通りで一人の男が、誰かに向けて大声を上げていた。その男の手には剣身の短いナイフが握られていた。男は何かにイライラしているように、つま先を上げたり下げたりをせわしなく繰り返していた。その男の声にその通りを通っていた人のほとんどの人が振り返る。男が見ているのはただ一人。そいつに向かってナイフを構えて走り出した。狙われていたのはナイフを持った男と似たような背格好の男。狙われている男は既にナイフの男に気が付いていて、そのナイフが自分に到達する前に相手の腕を抑えて、ナイフを地面に落とさせた。それで男は取り押さえられて、誰も傷はつかずに自体は収拾した。その後、男は正気に戻ったように鬼気迫る表情はなくなった。自身が何をしたのかは覚えているが、なぜこんなことをしたのかわからないという。結局、ナイフの男は自身の罪を償うために、町のために無償で働くという罰を与えられた。
「まぁ、そんなに、強くなさそうだったしな。さて、次は誰に囁こうか」
その騒動を屋根の上から、観察していた男がいた。紫色の肌で目全体が黒く、目の中に白い小さな楕円があった。体型は細いが、そこに筋肉がしっかりとついているのがわかった。右手の甲には魔術的な魔法陣の描かれたタトゥーが彫られていた。そして、その隣は教会のシスターのような恰好をした女性がいた。シスター棒を目深にかぶり、目は見えていない。顔の下半分をマスクで覆っており、帽子と合わせて完全に顔は見えなかった。その女性の外から見えるのは若々しい手と、生気のない白い髪だけだった。
「あまりやりすぎないようにと、主からのメッセージです」
「ああ、わかってる。囁くだけならばれやしないって」
「主のメッセージは絶対です。あまり調子に乗っていると、罰が下りますよ」
シスターの目は見えないはずなのに、その視線に少しだけ恐怖を感じて、男は動揺した。
「あ、ああ。わかった。しばらくは控える」
シスターはその言葉に満足したのか、シスターの視線が男から外れた。男はそれで安心したように、こっそりと息を吐いた。
「くそっ! どこから沸いてくるんだよ、こいつらは!」
「文句を言っても魔獣は死にません。その文句を武器に乗せて、魔法に乗せてぶつけましょう」
町に近い森の中。フィムストのパーティーが魔獣討伐の依頼を受けて、森の中に入ったのだが、戦う魔獣が依頼で受けたものよりも強い魔獣もそこに混じっていた。それも一匹ではない。フィムストでも一人で戦えば、苦戦するような魔獣だ。一応、十人ほどの大人数パーティーで来ているのだが、その半分はそこまで強い冒険者ではなかった。フィムストもここまで強い魔獣が出てくるとは思わなかったため、連れてきたのだが、彼らにこの魔獣との戦闘をさせるのは無謀すぎた。しかし、既にその魔獣含めた魔獣軍団に周囲百八十度を囲まれていた。フィムストと他何名かは自分だけなら逃げることは出来た。しかし、彼女は連れてきたため、責任を放棄することは出来ない。
「ふぃ、フィムストさん。これ、俺ら、死にますかね」
震えた声でフィムストを振り返り、そう言ったの男は、両手にそれぞれ一本ずつ持っているナイフをカタカタと鳴らしている。弱いとは言っても、彼らも冒険者。相手との戦力差がわからない程、無謀な馬鹿ではないのだ。フィムストも彼の言葉に、首を振ることは出来なかった。希望がある、そう言える状況ではないのだ。サクラのような圧倒的な戦闘力の冒険者が来る以外に助かる道はない。
「お困りのようですね」
その声が聞こえた瞬間、彼らを囲んでいた魔獣の一部が切り刻まれて倒れた。その魔獣が倒れた方向から、一人の男が歩いてきた。男は白い無地の薄汚れたシャツの上にこげ茶色のベストを来て、パンツは肌に張りつくような緑色のもので、足にはブーツを履いている。ブーツは膝下ほどまでの長さの物で、見た目は狩りをするような恰好だろうか。しかし、その男は武器を持っているようには見えない。そもそも、森に入るような装備を一つも持っていないようなのだ。
「少し、手助けさせてもらいましょう」
そう言って、彼はフィムストたちを囲んでいた魔獣が氷漬けになった。それは一瞬のことで、誰も何も言えなかった。男はサクラと同等か、それ以上の魔法の実力を持っているというわけだ。冒険者たちが何も言えずにいると、男は自己紹介もせずに、森を移動して姿を消したのだった。




