モノクロの希望 5
パイシスの超能力は超高速移動。その速度は、スコルピオの分体より遥かに速い。その速度を出して、体を意のままに操るのは難しい。しかし、彼はそれをコントロールできるほどに鍛錬を積んでいた。そのため、スコルピオの分体の攻撃を避けてから、さらにその分体に攻撃を加えるなんてことは簡単だった。
相手の注射器の攻撃をを後ろに引いて回避して、注射針が下に向いたところで、超能力を使って一瞬前に出る。その勢いのまま、一番小さい分体の胴に蹴りを入れる。分体は地面にいてもその小ささと軽さゆえに、その場に留まることなどできない。さらに超能力を使って加速しているため、分体はかなり吹っ飛んで、路地の壁にぶつかった。壁に多少ひびが入って、分体は壁から地面に落ちた。その分体のことは無視して、二体目の分体とオリジナルが彼に向かって走って近づいている。分体の方が素早さがあり、先に彼に到達する。しかし、接近することはなく、少し距離を空けて、水の流れを魔法で作り出していた。水の帯のような物が出現して、それは彼を囲むように移動している。そして、それは角度を変えて、何重にも輪を作り彼を取り囲む。その間に、オリジナルがその輪の中に注射器を入れて中身を注入した。その瞬間、透き通る水の色が一瞬で変わる。禍々しい濁った灰色のような汚い色になる。そして、その魔法は維持しようとしなくても消えることはなくなるようで、分体から魔気の放出が無くなった。
「どうかな。これで君は死を待つだけだけど」
その水に触れると魔気が吸収される。そうでなくとも、輪の中にある魔気がその魔法によって消費され続ける。つまりは、窒息する可能性があるということだ。その状況を理解しているのかいないのか、パイシスは周りの輪を眺めて、納得しているよな感心しているような態度を取っている。その程度では余裕はなくならない。
「この程度ですか。どんな状況柄でも油断しないことですよ」
彼がそう言いながら、スコルピオの方を見ている。そして、その台詞を言い終わると同時に、一瞬でスコルピオの視界からいなくなった。そして、目の前の水の輪がはじけ飛んで、分体がふっとばされる。二体目の分体が飛ばされた時よりも、さらに勢いの乗った蹴り。それを受けて、一体目の分体が吹っ飛び、すぐ後ろにあった壁にぶつかる。壁に大きなひびが出来ている。その壁が少し崩しながら、一体目の分体も地面に落ちた。スコルピオは分体を回収する。しかし、パイシスは目の前にいる。回収している間に、スコルピオは分体と同じように蹴りでふっとばされる。彼女だけは壁に叩きつけられず、路地の中を転がり続ける。何度回転したかわからない程、回転してようやく止まる。倒れた状態で、彼女は自身に回復薬を投与する。再び体力、魔気共に全快して立ち上がる。しかし、彼女が正面を見る前に彼女の体が後ろに吹っ飛んだ。
「う、くっ」
思わず口から空気が漏れるほどの威力。それもそのはずで、パイシスが放ったのはただの蹴りではなく、ドロップキックだ。超高速移動することによって、体を地面と平行にしても、地面に落ちることはない。スコルピオに蹴りを当てたことで、その勢いが止まる。空中でくるりと周って、彼は地面に降り立った。その体には一つの傷も、埃すらも付いていない。彼は多少乱れた服装を軽く直した。
「なんだ、その力。君はそんなに強くなかったはずだ。それだけの努力をした問うことなのか」
彼女は既に立ち上がっていた。蹴りを食らった時点で、吹っ飛びながらも自身に投薬したのだ。そして、吹っ飛びながら分体を出現させていた。その分体は今、彼を拘束している。超高速移動は距離があれば強いが、加速する距離が無ければ超能力がないのと同じだ。
「これまでの、返すよ!」
スコルピの前に赤い球体が出現した。それは火の魔法。爆発などはしないが、その球に触れ続ける限り、その球体の持つ高温にやられ続けるという物だ。その魔法単体であれば、速度がゆっくりで回避するのは難しくはない。だが、風の魔法を同時に使えるとなれば、話は別だ。違う属性の魔法を使うと、どちらもある程度は魔法の損失が出るのだが、ゾディアックシグナルの力があれば、魔法に込められた魔気の量は多少損失したところで大したものではないのだ。赤い球体の周りに風が舞う。球体が彼女の手の近くから放たれ、彼女に近づいていく。最初こそ、その速度はゆっくりだが、すぐに加速する。パイシスは両手足と両手を分体によって拘束されているというのに、全く焦りを見せない。諦めている様子もなく、余裕そうなのは変わらない。