村人の格好の男 3
考え事をしていたせいか、彼女は路地裏に来てしまっていた。路地裏とは言っても、太陽の光はある程度入ってきていて昼でも真っ暗と言うわけでもなかった。彼女はそんな場所には用はないので、そこから出ようとしていた。来た方向に振り返り、メインの通りに帰ろうとしたところ、路地の横に道から誰かが彼女がいる方向に曲がってきた。彼女のいる場所は路地とは言っても、路地にしては道幅が広くなっている道だ。路地の横の道から来た人物はそこに人がいるとは思っていなかったようで、少し驚いているように見えた。
路地に入ってきた人物は男性だった。それもその男の見た目はサクラも見たことあるものだ。会話したことはないが、その見た目を知っているのだ。薄汚れたような白いシャツにこげ茶のベスト。足のシルエットが見えるぴっちりとした緑のパンツ。靴は膝下ほどまでの長さのブーツのようなものだ。狩りをするような格好だが、武器は持っていない。町中だからと言えば、当然なのだが、森で彼に会った時も武器を持っていなかった。
「君は……。町中で煌びやかな服で戦っていましたね。町を守ってくれたこと、お礼を言います。ありがとう」
森の中で会った時は無口で話しかけにくいイメージを受けていた。しかし、戦闘でもなければ、彼は穏やかな人らしい。声もそうだが、今の彼が持つ雰囲気は話しかけやすいというか、落ち着いていて穏やかだ。
「あ、はい。この町が好きなんです」
サクラは彼の言葉に返事をしてそのまま自己紹介することにした。
「私は、サクラと言います。この町では冒険者をしてします。よろしくお願いします」
「ああ、宜しくね。私はオフィウクスと言う者だ。そうだな、仕事と言う仕事はしていないのだが、研究者と言うのが一番近いだろうか。金銭などは貰っていないのだが」
男はそう言いながらも、何かを考えているような瞳で、彼女を見つめていた。しかし、その視線が彼女を映しているわけではないようだ。
「君のような幼い少女がこんな場所に来てはいけないよ。表通りはあれだけ明るい場所だが、暗い場所には悪いものが集まりやすい。誰も見ていないという状況に、人は欲を抑えられなくなるのですから」
まるで路地の悪事を見てきたかのような言い方をした。その経験があるというような言い方だ。しかし、サクラはなぜか、その言葉に少し反発したくなってしまった。それはの飲み込める程度の物だ。だが、何故かその言葉は口から出てしまった。
「今、戻ろうとしていたところです」
彼女は思ったよりも反抗的な声色になってしまったことに焦りを覚えて、相手の顔から視線を逸らした。顔を見ることが出来ない。何か、いや、謝らないと。そう思っているのに、それが口からでることはない。荒れ狂う思考の波の中で、彼女はオフィウクスに助けられた記憶を思い出す。お礼をまだ言っていなかった。彼女の思考を超えて、それが口を突いて出る。
「あの、森の中で助けてもらったことがあるんです。あなたに。その時はありがとうございました。あなたを見つけられなくて、お礼も言えなくて、ごめんなさい。い、今も、ごめんなさい」
口から出る言葉は徐々に小さくなっていく。最後の方は彼に聞こえていないのではないかと思えるほど声の大きさが小さい。しかし、路地の中では外の喧騒も聞こえないのだ。静かなところでは小さな声でも相手に届く。
「森の中の私を見ていたのか。そうか。森の中の魔獣の生息地がおかしくなっていたのを解決したのも君らだということか。それなら、お礼を言うのはこちらだろう。助かったよ、ありがとう。おかげで、流通が最後まで滞ることなく、この町には商品がちゃんと入ってきているよ」
オフィウクスは穏やかに微笑む。彼の笑顔を見て、ようやくサクラの頭も落ち着いてくる。しかし、彼の戦闘能力ならあのスライムを倒すことも出来そうだと思った。冒険者を守るほどの力を持っているのだ。冒険者に任せずとも、彼自身がどうにでもできたことだろう。
「買いかぶりすぎですよ。私の友は皆、そう言っていた。だが、そこまで強いわけではないんだ。それに争いごとは嫌いでね。私自身が傷ついてでも町を守るなんて、そこまでの自己犠牲の精神なんて持っていないのだよ。そんな私だから、路地を通り道にしているんだ」
サクラはなぜ、路地にと思ったが、目の前の男は自身を自己犠牲を自身に強いてまで町を守る気はないと言った。そして、路地には悪いものが集まるとも。自己犠牲で町を守れないことが悪いことだと言っているのだろうか。だとするなら。
「そう思えるなら、大丈夫なんじゃないでしょうか。表を歩いても、買い物をしても。それを悪いことだと思える人が、あなたの言う悪いものが集まる場所にいる必要はない、と思います」
「……そうだろうか。例えば、この自制心がどこで途切れるかわからない。人は魔が差したなんていい方をするが、そうではない。どうあがいても、知性ある物は自身の欲に抗えない時がある。そう言う欲はどこで顔を出すかわからない。物を傷つけ、人を傷つけ、町を崩壊させる。君のように誰もが綺麗な欲だけを持っているわけではないんだ。だから、その綺麗な欲だけを守るために、私は……」
彼はサクラがいることも忘れたように、彼女とすれ違い、路地の奥へと消えていく。サクラは茫然として、彼の背中を見送る。




