無名の男 1
サクラの目の前に現れた男は、薄汚れた白い無地のシャツを着ていて、その上からこげ茶色のベストを着用していた。パンツはぴっちりとした緑色の物で、ブーツを履いている。見た目は農民だ。サクラを襲った魔獣は既に近くにはいない。目の前の男が助けてくれたのだろう。彼女はそれ以外にどうにかなる方法を知らない。
「こんなにへとへとになるまで、森の中にいるなんて危ないな。早く町に戻りなさい」
サクラはその男に立たされた。彼女は戸惑いながらも、お礼を彼に言って、森から抜ける道を進む。男はサクラを見送っている。サクラは結局、男に何も聞かないまま、男から遠ざかった。それ以降は何にも襲われることもなく、森を抜けることが出来た。町に戻ろうとしているところで、町の入り口辺りにメイトがいた。彼はサクラを見つけると彼女に駆け寄っていく。顔に疲れが出ているということ以外には特に怪我をしているというわけでもないとわかると、彼は安堵したように息を一つ吐いた。
「スライムと戦ってるっていうから、心配したんだ。でも、サクラなら勝てたか。とにかく無事でよかった」
体に傷がないというだけで、疲労困憊の彼女を無事と言っていいのか、怪しいところではあるが、死んだり、動けないほどの大怪我を負っているというわけではないというところで、無事だともいえるだろう。
「本当なら、私は死んでいたかもしれません。森の中で、男の人に助けてもらったんです。あの人がいなければ、私は魔獣の餌になっていたと思います。もう、魔法も使えないし、変身もできないんですから」
「男の人? それはどんな人だったんだ? って、いや、今はゆっくり休むべきだな」
メイトはサクラを横抱きで抱き上げると、彼女を家まで送っていった。サクラはメイトの腕の中で、うとうとしていた。家まで送ってもらった後は、すぐに布団を用意してぐっすりと眠っていた。
「あれが、ミラクルガールか。まだまだ幼いというのに、人のために自らの強力な力を使う。まぁ、あの力があれば、何にも負けないかもしれないけれど、彼女の身に負担がかかりすぎているね。まぁ、私が言えたことではないのだが」
森の中、サクラを助けた男はサクラを見送った後、森の中で一人そんなことを呟きながら、町の脅威になるであろう魔獣を簡単に殺して回っていた。そこら中に、魔獣の死骸があるが、その死骸は地面に引き込まれるようにして、地面の中に入っていった。その部分から草が生えたり、木が生えたりして森を形成していく。
「しかし、少し迷惑な奴がいるみたいだ。こんな魔獣が町の近くの森の中にいると、少し困る。町に商人がこれなくなれば、それだけ商品が減る。商品が減ると、争奪戦になる。人が持っている物の方が欲しくなる。また、欲に溺れた馬鹿どもが生まれるかもしれないね。その時、君たちはどうするんだろうな」
独り言をぶつぶつと、言葉が途切れないようにして呟いている。時たま、空をみたり、近くの草木に触れながら誰かが見ていると不振だと思ってしまうような動きをしていた。
「そうなる前に、私が終わらせられるといいのだが……」
男は見た目こそ農民のようだが、その能力は普通ではないだろう。ミラクルガールのように変身しなくとも、素手で魔獣を簡単に倒し、魔法を詠唱なしで使う。確かに変身していなくとも、詠唱なしで魔法を使える人は少なくはない。世界中を探せば、珍しいというわけでもないだろう。しかし、その魔法が気づけば発動が終わっているなんてことはまずない。魔法の出が速すぎるのだ。恰好こそ普通であるが、魔法使いとしては優秀すぎる。サクラと戦えば、いい勝負をするだろう。もしかすると、サクラに勝つ可能性すらある。そして、フローでは敵わないだろう。もし、彼の超能力が強力な物であれば、今のサクラでは全く勝てる相手ではなくなる。
「またか。これだけ危ないとわかっていて、なぜ森の中に入ってくるんだろうな。冒険者って人達は」
彼は草をかき分け、冒険者が強い魔獣に襲われて、叫んでいる声のする方へと歩いていく。男はどれだけ魔法を使っても、疲れている様子はなかった。彼は颯爽と現れ、勝手に人を掬っては森の中に消えていく。その男を町の中で見ることはない。お礼をしようとしても、意図的に彼に会うというのは不可能だった。そして、男は冒険者ギルドで、無名の魔術師として有名になっていた。
誰もが彼に感謝しながらも彼に会い、お礼を言うのを諦めていたのだが、一人だけはそれを諦めていなかった。サクラは、なんとしても彼に再び会い、彼の助けになりたいと思っていた。人を助ける人に悪い人はいないのだ。




