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ゥオットゥォウスゥワァーン、ドワヨッ!  作者: 空原海
番外編 あの人は今
9/9

美容師さんが我が家にやって来た




 もう間もなく臨月に入る、という日のこと。

 美容師さんが我が家にやって来た。

 (たかし)さんを通じて、充さんの幼馴染みである美容師さんの勤める美容院に予約し、出向こうとしたら、いつの間にか自宅に来てくれることになっていた。



「美容院より、自宅の方が色々と都合がいいでしょ? 大丈夫。切り落とした髪は、床に撒き散らしたりしないし、『使える』姿見もあるって結城(ゆうき)から聞いてたからさ。

「あっ! そうだ。あとでマッサージもしたげる。体中いろいろ浮腫んで、ツラくない?」


「そこまでしていただくと、なんてお礼をしていいのか……」



 一度顔を合わせたことはあるけれど、あたしと美容師さんは、お互いにほとんど何も知らない他人同士だ。

 「こんにちは」の挨拶を交わしたことしかない。


 初めて会ったときには、根本の黒から毛先の赤へ、グラデーションカラーだった髪。今は、淡い黄緑色。

 光を浴びた柔らかな若葉のようで、とても綺麗。


 意志の強そうな、キリッとカッコいい美容師さん。

 その目尻で跳ね上がるアイラインが、フニャっと垂れ下がった。


 可愛い。


 そんな言葉が胸に浮かぶ。



「ホラ、結婚祝い、まだだったでしょ? だって結城(ゆうき)のヤツ、結婚したって知らせるの遅すぎだし。薄情者!」



 首だけ後ろを振り返って、充さんにイーッとしている横顔が、あたしの目の前の姿見に映る。

 そして彼女はすぐにこちらを向き、にっこりと笑った。


 姿見越しに映る充さんは、眉をくいっと上げて目玉を回し、下くちびるを突き出している。

 しっかりと男らしい顎に、梅干しジワが出来るのが可愛い。


 充さんの、この表情がとても好き。

 可愛くて、愛しくて、たまらない。


 ニヤニヤと気味悪い、あたしのニヤケ顔。

 充さんと鏡越しに目が合う。

 気の緩んだような、気負いのない微笑みが向けられて、ドキドキする。

 出会ってから、それなりの時間を過ごしてきたけど、いつまで経っても、充さんにドキドキして、ときめく。


 充さんも、あたしにそうだったらいいな。

 見下ろした足の爪先すら見えないくらい、大きくなったお腹。

 色気は何も感じないかもしれないけど。

 


「おーい。お二人さん! 悪いけど、ここにもう一人いるんだよね! 妙な空気作んないで!」



 斜め後方。姿見に映り込む場所。テーブルとは逆向きにして、回転チェアに座る充さん。

 首元にタオルを巻いて、白いカットクロスに腕を通して姿見に向かい合うあたし。

 その、充さんとあたしを繋ぐ見えない線を遮るように、美容師さんが大きく手を振った。



「結城のニヤケ顔とか、マジでキモい。あんた、そういうキャラだったっけ?」


「うるせぇな。自分んちで自分の奥さんとイチャつくのに、なんの問題があんだよ」


「今、ここには他人もいるんですー! しかもその他人は、現在独り身なんですー! ちょっとは気ぃ遣え!」



 充さんの幼馴染みの莉奈(りな)さんは、美容師さん。

 そして息子さんが一人いる。シングルマザーだそう。



「そんなん知らねぇよ。俺に当たるんだったら、男でも何でも作っとけ」


「あ~やだやだ。自分が幸せだからって。男を作ったら幸せ? んなわけないでしょ!」


「だから、おまえの事情なんざ知らねぇよ。おまえの見る目がなかっただけだろ」


「くっそ。結城、ホントにくっそ。絶対あんたに君江ちゃん勿体ないっ!」


「おまえがどう思うかなんざ、知るか」



 ハッと、短く息を吐き捨てると、充さんはでろでろに甘い声で、あたしに聞いた。「君江。どう思う?」と。


 うん。

 これはあたしも、さすがに人前でやることじゃないと思うなぁ……。

 嬉しいし、幸せだけどね。


 それに、わかってる。

 これがパフォーマンスだってことも、ちゃんとわかってる。

 あたしが不安にならないように。嫉妬してつらくならないように。普段より過剰に愛情表現して、溺愛演技しているのもわかってる。


 莉奈さんは充さんの何人目かの女性だ。


 そんなことは、聞くまでもなくそうだろうな、と思っていたけど、莉奈さんに髪を切ってもらいたい、と充さんにお願いしたときに聞かされた。

 「だからあいつに切ってもらうのは、やめとけよ」って。



「クラブで君江のこと紹介してから、俺も莉奈と連絡取ってねぇし。これから先、連絡を取るつもりもなかった。お互い、そういう感情がないとはいえ、幼馴染で過去も知ってる。そんな女、嫌だろ?」



 だからやめとけ、と言う充さんに、あたしは胸を張った。



「残念でしたー! むしろ充さんの過去を知っているなら、仲良くなりたい。充さんの、昔のいろんな悪さを聞き出したい」


「そんなん、俺がなんだって答えるからさぁ……。君江に嘘ついたこと、ねぇだろ?」



 弱りきったように眉を下げる充さんが可愛くて、可哀想で、「そうだね。じゃあやめとく」とつい、言いそうになる。

 だけど。



「充さんが正直なのは知ってるよ。でもそうじゃなくて、他の人から見た充さんが、どんなだったか知りたい。充さんはそういうの、ないの?」



 「ない」と言われたら、少なからずショックだけど。

 充さんは額に手を当ててぼそりと呟いた。



「そんなん、あるに決まってんだろ。……くそ。だから君江の伯母さん。あの人、すげぇ苦手だったけど、話したくなるんじゃん……」



 伯母さんのこと、苦手だったのか。それは知らなかった。

 だって充さん、伯母さんと会うってとき、いつも「俺も同席したい」って言うから。てっきり慕ってるのかと思っていたのに。


 それにしても。

 生前、あれだけ可愛がってくれた伯母さんに、「すげぇ苦手」呼ばわり。

 伯母さんのことだから、「アポロンくんはいつまで経っても、失言の絶えない子ね」って、今夜にでも充さんの枕元に立ちそう。


 いいな。それ、いいな。

 伯母さん、ついでにあたしの枕元にも寄り道してくれないかな。

 あたし結婚したんだよ、相手は『アポロンくん』だよって、それから赤ちゃん、今お腹にいるんだよって報告もしたい。たぶん女の子だよって。

 いや、それはともかく。



「もうこれは、充さんが莉奈さんのお仕事について、うっかり口を滑らせてしまったことが悪い。そう思う。でしょ?」


「わーった! わかったよ!」



 両手を力なく挙げ、充さんは大きくため息をついた。

 あたしはすかさず、その場で莉奈さんに連絡して、ヘアカットの予約を取ってくれるよう頼んだ。だって充さんが、莉奈さんの勤務先である美容室がどこか、覚えていなかったから。


 ――という、そんなやり取りの末、莉奈さんが今、ここにいる。

 だから、少しだけズレた充さんの気遣いと優しさなんだけど。


 それでも。そうだとわかっていても。

 ここまでやる必要、あるかなぁ……。

 これ以上サービスしなくていいんだけどなぁ……。



「えーと。充さんのことは大好きだよ。でも――」


「でも?」



 上半身を屈めて膝に肘をつき、大きな手で口元を覆う充さんの、その鋭い眼差しに射抜かれる。

 そこで莉奈さんが、充さんとの間に、体を滑り込ませた。



「はーい、はいはい。だからそういうのは、こっちが帰ってからやってねー。あんたら一緒に住んでんだから、いくらでも時間あるでしょ!」



 莉奈さんの言葉にもっともだ、とあたしも頷く。

 首を傾げた充さんは、手のひらを上に向け、両手を軽く振った。



「結城に邪魔されまくって、話それちゃった。まぁ、だから。悪いけど、これが結婚祝いってことでさ」



 なんて贅沢。



「ありがとうございます。すごく嬉しいです」


「そ? そんならよかった。これからもよろしくね、君江ちゃん。結城の愚痴とか、いろいろ聞くからさ!」



 はい、と言おうとしたところで「莉奈に言う前に、俺に言えよ、君江」と充さんの声が背後から聞こえた。



「げえっ。愚痴くらい吐かせてやれよ、うぜーな」


「あ? うぜぇのは、おまえだよ」



 言い合いはしても険悪にはならない、気のおけない仲といったやり取りが、微笑ましくも、ちょっとだけ羨ましい。

 だけどやっぱり、幸せな気持ちになる。

 充さんには、莉奈さんという味方がちゃんといたんだなって。

 一人ぼっちではなかったんだ、と少年だった充さんの心を思って、救われるような気になる。



「はい! いつまでも進みません! というわけで、君江ちゃん、髪型どうする?」



 パンッと気持ちのいい音を立てて、莉奈さんが手を叩いた。



「あまり短くしたことはなくて。なので、そんなにバッサリ切ることは考えていなかったんですが、育児にあたっては、短い方がいいでしょうか?」



 ここは先輩ママのアドバイスが聞きたい。

 莉奈さんは腕を組んで「うーん」と顎を天井へと突き上げた。



「出産前って、たいていのママさん、髪切っちゃうんだよね。出産後ってケアに時間かけられないし、ドライヤーも出来なかったりして、濡れ髪放置すると風邪引くし、髪も傷むでしょ。

「あと、髪が長いと、赤ん坊が引っ張って遊んだりして。まぁ、それは赤ん坊、楽しそうだし、ママが痛くないならいいけどさ」



 そこまで言うと、莉奈さんは「でも」とあたしの髪を一束、手に取った。



「君江ちゃんの髪、まっすぐで綺麗だよね。これまでヘアカラーしたこと、ないんじゃない?」


「はい」


「やっぱり。ロングなのに、毛先もほとんど傷んでない。もったいないなぁって思っちゃうんだよね」



 あたしの髪から手を離した莉奈さんが「で」と鏡越しに充さんを見る。

 充さんは頬杖をついて、こちらの様子を眺めていた。

 ぱらぱらと髪がカットクロスに落ちた。



「で? あんたは長いのと短いの、どっちが好きなの? どうせ口出ししたいんでしょ」



 充さんは露骨に嫌そうな顔をした。



「莉奈。おまえ、俺のことなんだと思ってんの」


「束縛のキツイ、嫉妬深そうで自分勝手なストーカー野郎。あれこれ指図してきて、くっそウザそう」



 充さんがにっこりと笑った。



「君江がしたいように。赤ん坊産まれて、過ごしやすいようにすればいいと思う。どんな髪型したって、君江は可愛い」


「はいはい。模範解答オツ。で?」


「だからどっちだって――!」



 これは埒が明かないな、と口を出す。

 それに、充さんがどんな髪型が好みなのかも知りたい。



「あたしも、充さんがどんな髪型でも好きだよ。いつもカッコいい。でも出会った頃の髪型も懐かしいなって思う」


「自由な社風とはいえ、アレはさすがに無理だな……」



 充さんは眉をひそめ、肩をすくめた。


 そして。

 あたしのこの不用意な一言のせいで、バーガーさん――お義父さんに、充さんがますます反感を募らせることになるなんて、このときは思いもよらなかった。


 それから、莉奈さんと一緒にしつこく充さんに問いただし、口を割らせたことには。

 充さんは長い髪の方が『どちらかというと好き』ということだった。

 そしてその理由というのが。



「『出会った頃と同じだから』ねぇ……。理由が二人して同じとはね。まったくもって、仲のよろしいことで」



 呆れたように首を傾げて、莉奈さんが笑った。





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― 新着の感想 ―
[一言] 完結おめでとうございます。 叔父さんにとってまったくめでたくない展開のまま終わりましたね。(笑)いやー、絶対この後、ランさん面倒くさいことになったんでしょうね。 あと、エリックは殴られても…
[良い点] 完結おめでとうございます! イッキ読みさせていただきました( *´艸`) タイトルの意味が分かった時‧˚₊*̥(∗*⁰͈꒨⁰͈)‧˚₊*̥オォ~となりました!! 海さまの抜群なセンスよ………
2022/03/03 15:56 退会済み
管理
[良い点] あー、ついに完結!! ロスが半端ないです! [気になる点] 幼馴染の莉奈さんは、本当にクラブでちょこっと会っただけですよねー。 そして、やっぱり元カノだけど笑。 タカシが気を使ってくれる…
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