06 オトウサン ダヨ!
「タカシ、うるさいわよ。未来ちゃん、やっとお昼寝したところなのに。いったいなにを叫ん……え?」
「ふたりとも、どうしたんだい。なかなか戻ってこないから気になっ……え?」
庭先での騒ぎに気がついてか、もしくはなかなか家に戻らないあたし達を心配してか。家から出てきたお義母さんと叔父さん。
お義母さんはあ然として、充さんそっくりの金髪碧眼の外国人男性を食い入るように見つめている。
そしてそんなお義母さんを、甘くてとろけるような、情熱的なまなざしで見つめ返す外国人男性。
ジーンズのポケットに手を突っ込んだだけの、誰でもよくやるポーズが、ラブコメ映画のハリウッドスターみたい。
肩を軽く引くようにゆすって、小さく頷くと、口角がぐっと上がる。
それから愛しくてたまらない、といったタイプの、あの目。目尻にたくさんのしわを刻んだ、優しい微笑み。
うわぁ。
ますますラブストーリーでの感動的な再会シーン。バックで雰囲気のある温かな音楽が流れていそうな。
音楽の代わりにメジロがさえずっている。スターには野鳥までサービスするらしい。
我が家に梅の木はないから、ムードミュージックを奏でるメジロは、きっとお隣さんの梅の木にいるのだろう。
丁寧な接ぎ木で繁殖させたのだと聞いた。
いや、今、お隣さんの梅の木のことはいい。
即席ムービー、ジャンルはおそらくラブコメ。そのメインヒーローの声色が変わる。
これまでの、どこかからかうような調子とは違う。バターのように滑らかで深みのある声。
「Hi, Ran! My orchid, you've become beautiful!
「So, have yon ever seen our movie, "Hold On To Glory"?」
「John! Why are you here now?」
「ランさん……? この方はもしかして……」
これ以上ないほど血の気の失せた顔で、今にも魂が抜けて倒れてしまいそうな叔父さん。
一方で、逞しくも麗しい、生命力に満ち溢れた外国人男性が、こちらを見る。
青い目がキラリと光る。口元がほころび、白い歯もキラリ。
ニッコリ。スマイル。
そして充さんとそっくりな顔を充さんに向け、充さんを見つめる、青い瞳。
「ッタクワァスィ! ゥオットゥォウスゥワァーン、ドワヨッ!」
――タカシ! オトウサン ダヨ!
それが、充さんの血の繋がったお父さん、そしてアメリカの人気ロックバンドのギタリスト。ロックスター、ジョン・バーガーさんとの、初めての顔合わせだった。
充さんが獣のように唸った。
「アンタはもう、黙ってろ!」
家の中から、昼寝から目覚めた赤ん坊、未来の泣き叫ぶ声がした。
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『だってさ。タカシが全然連絡してこないから。てっきりあの曲を贈ったらすぐ、何か動きがあると思ったんだけど。俺のクレジットは記さずにエリックに託したけど、すぐに気がつくはずだってね。そうだろ?
『そうそう。タカシに贈った曲は映画では使ってないよ。あれはタカシのものだ。それからもちろん、ランに』
バーガーさん――お義父さんと呼ぶべきだろうか――は、一息つくと、ゆっくりとその響きを味わうかのように、お義母さんの名前を口にした。
そして振り返る。
ソファーから少し離れたダイニングテーブルに、お義母さんと叔父さん。そしてその対面にエリックさん。
お義母さんは呆れたように、諦めたように天井を仰いでいる。
『ランはもう聞いた? タカシは歌ってくれた? メリッサは呆れてたけど、俺はいい曲だと思う。俺が作ったんだし、ランみたいな素敵な女性を想って書いたんだから、当然だよね。
『まだ聞いていないんなら、あとでタカシと二人で披露してあげる。タカシはギターを持ってるだろ? ギターは俺が弾く。歌はタカシが歌うんだ。タカシが一緒に歌いたいっていうんなら、もちろん歌うよ!』
『誰が!』
充さんが何かを吠えた。
その鋭い声に、膝の上に座っていた未来が、ビクリと体を震わせ、泣き出しそうになる。
慌てて未来を抱き上げ、ソファーから立ち上がる。背中をとんとんと軽くたたいて、未来をあやしていると、充さんも立ち上がった。
「ごめんな。びっくりさせちまったな。父さんは怒ってないぞー」
頬や腕、胸に感じる未来の体温と匂い。額をかすめる充さんの吐息の温かさと匂い。
自然と口元がゆるむ。
未来の頭越しに見えた充さんの顔。未来を覗き込んでいる。
きっとあたしも、充さんと同じような顔をしているんだろう。
『父親役は、タカシから学ぶことにしよう』
呟かれた声。その方向に目を遣れば、バーガーさん――お義父さん――ううん、やっぱりバーガーさん。そのバーガーさんが、下くちびるを突き出し、肩をすくめていた。
この表情、仕草。
充さんとお義母さんとバーガーさん。三人同じ。
外国人なら、誰でもするような表情で仕草? そうとは言い切れない、なにか。なにか通じるものを感じる。
叔父さんは物理的に可能な限界ギリギリのところまで椅子を寄せると、お義母さんにぴったりと寄り添った。
お義母さんの手を握りしめるその手は、ぶるぶると、見るも無惨に震えている。
『君たちにクレジットを捧げてもよかったけど、これまで離れていた時間が長かった。ランもタカシも、一向に連絡してこないし。冷たいよね。
『おれは、帰国してからも、ランにしばらくカードを贈ってた。それから花も。だけど、届いてないって聞かされて、やめたんだ。オフィスにまで押しつけるのはルール違反だろ? メールも送れなくなってたし。それがランの答えなんだと理解した。
『そしたらタカシがいた! 俺の息子! 驚いた! どういうこと?』
バーガーさんが同意を求めるように、お義母さんに。それからエリックさんに視線を投げる。
エリックさんは眉間にシワを寄せ、目を閉じ、口をへの字にして、「うんうん」というように頷いた。
お義母さんは深く深く、息を吐き出し、叔父さんが気遣わしげに、お義母さんの手をさする。
柔らかく目を細めたバーガーさんの声が、あの、滑らかで温かなバターのように溶けて変化する。
『だから映画は、バンドの連中に感謝を。曲は俺の家族、ランとタカシに。
『俺の人生で重要な、二つのグローリーに分け与える。そう決めた。それでいいね?』
お義母さんが力なく手を広げると、バーガーさんは笑った。
ぱっとその場が明るくなるような、心が温かくなるような、安心させられるような笑い声。粗野というほどではないけど、豪快な響き。
充さんとバーガーさん。
似ているようで、似ていない。
充さんの笑い声にも、同じように人を安心させる力があるけど、タカシさんはもう少し繊細で、穏やかだ。細やかな気遣い、その神経質さもある。
『話を戻そう。それで、もしかしたら俺が思うより、俺の息子はカンが悪いのかな、と疑念が浮かんだ。もしくは意志と勇気、その行動力がないのか。それはよくない。よくないよね!』
何を言っているのか、さっぱりわからない。
わからないけど、上に下に、右に左に。せわしなく動く手だったり、目を見開いたり、思い切りしかめたり、ぐるりと青い目玉を回したり。
肩をすくめて両手のひらを上に向けたかと思えば、唇をすぼめて鼻先で人差し指をちっちっと振る。
これだけで、なんとなくわかったような気になるから不思議。
実際は、なに一つわからない。もちろん。
『成人男性を甘やかすのはどうかと思うよ。タカシから動くまで、何もしないつもりではいたんだ。でもあまりに動きがなさすぎた。ひたすら待つなんていうのは、好きじゃない。
『会いに来てあげたよ! 嬉しいだろ? それから君、タカシのお嫁さん! 素敵なお嬢さん、君にとても逢いたかった。キミエと呼んでもいいかな? よろしくね、キミエ!』
バーガーさんは人懐っこい青い目を細め、手を差し出した。あたしは未来を左腕に抱えたまま、右手を伸ばす。
がっしりと温かく、力強い手だった。
最後に名前を呼ばれたのかなぁ、ということ以外、やっぱり何もわからない。
充さんは何か、きっとお行儀のよくない言葉を叫んだ。
バーガーさんは、鬼のような形相で詰め寄る充さんを見て、嬉しそうに目を細める。
黄色い円に点が二つに弧線。スマイリーフェイス。あれと同じ口の形がずっと続いている。
立ちふさがる充さん。そこからひょいと顔を覗かせたバーガーさん。
あたしの腕の中の未来に微笑みかける。
『こんにちは、おちびちゃん。君の名前はMickだっけ? 女の子じゃなかった? 日本では女の子につける名前なのかな? それともタカシかキミエか、誰かミック・ジャガーのファン? 俺だったら、違う名前にした。踏み込み過ぎた? 気を悪くしないでほしい。そんなつもりはないんだ。お互いの文化を知らないだけ。そうだろ?
『俺は君のおじいちゃん。これから理解し合おう。家族になるんだ』
青い目が、少年のようにイタズラっぽく光った。
「ェアァイスィッティエゥルィヨ!」
未来はぱっちりと目を開け、顔を横に向けている。
頭はもう、グラグラすることもなく、すっかりしっかり首すわり。ぐりんと、重そうな頭を自由に動かす。
そうして、充さんによく似ているようで似ていない顔立ちの、その青い目をじっと見つめていた。