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ゥオットゥォウスゥワァーン、ドワヨッ!  作者: 空原海
本編 ゥオットゥォウスゥワァーン、ドワヨッ!
2/9

01 聞いたことのない子守唄




「I ain't always thinkin' about you, ooh, no, no, not always……♪」


「その歌、よく歌ってるね」


「ん? ああ……」 



 ほんのりピンクに色づいた小さなつめ。

 そのやわらかな、ぷくぷくふくふくした指を順番につついて、腕に抱えた娘をあやしていた(たかし)さんは、あたしの言葉にはっと顔をあげ、気まずそうに言いよどんだ。



「どこかの子守唄?」


「いや。子守唄じゃねぇな。悪かった」



 赤ん坊に聞かせるには、あまり適さない歌だった?

 だとしても、謝る必要はない。そうでしょ? だってとても素敵な歌だ。


 ローテンポというほどではないけれど、優しくて温かい、どこか切ないような、郷愁にかられる、繊細でキレイな旋律。

 口ずさむときの充さんもまた、なにかを懐かしむような優しい表情をしているものだから、あたしは名も知らぬこの歌が好き。

 初めて充さんが口ずさんだときから。


 あれは娘の妊娠を知った日の夜。

 白黒のエコー写真を代わる代わる眺め、ジンジャーエール入りのグラスを乾杯した。

 安定期もまだの、心音すら聞こえないというのに、ペラペラの感熱紙に記された白い豆粒に、二人して浮かれあがって。

 テーブルに置かれたグラスに、ゆらゆらと揺れるキャンドルの炎が映り込む。淡いカラメル色の液体が、シュワシュワと陽気に泡立っていた。


 その晩、充さんが口ずさんだ歌。

 充さんの温かく大きな手がおなかにのせられ、ウトウトと夢の世界に頭半分、体半分、浸っていたとき。


 ベッドで子守唄代わりに『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』を充さんにねだることは、婚前からの習慣のようなもの。

 ねだらずとも、充さんが何の気なしに口ずさんでいることも、よくある。

 だからベッドに寝そべって、充さんの低くてかすれた、静かな歌声に包まれて眠りにつくことは、珍しいことじゃない。


 珍しいのは、口ずさんでいた歌。


 それは初めて聞く曲だった。

 充さんの好きなロックバンドの曲でもなければ、USENの最新ヒットで流れていた曲でもない。それなのに、「ららら」とか「むむむ」とか、ごまかすのでもなく、充さんの口からはしっかりとした英語の歌詞。

 英語の苦手なあたしには、はっきりと聞き取れないし、その意味もよくわからない。

 だけど、ちゃんと意味のある歌詞があることは確か。



「あたし、その歌好きだよ。だから謝らないで。子守唄にはよくない歌? そうじゃないなら、歌ってほしい」


「いや……うん。まぁ……わかった。気が向いたら」



 歯切れの悪い返事に、こりゃなにか隠してるな、とわからないはずもない。

 だけどきっと、充さんが話したくなったら、話してくれるだろう。


 ふがふがと不穏な様子を見せ始める娘。

 充さんは素早くカバーオール、ロンパース、それぞれの足と股のボタンを外した。



「オムツは濡れてねぇな」



 紙オムツのセンターラインは黄色。

 ギャザーはしっかり外側を向いて足の付け根に沿い、ズレているということもない。



「うん。これはオッパイじゃないかなぁ」



 ぽちぽちとボタンを留め直しながら答える。

 オッパイ。

 娘を産んでから、この言葉を口にするのに、まるで羞恥心がなくなった。



「そっか。腹減ったんだな、みく」



 充さんは目を細めて、未来(みく)――娘のぷっくらとした、赤いリンゴのような頬をつつく。



「母さんにたっぷり、オッパイもらえよ。今だけは、みくに貸してやるからな。そのあとは父さんのだからな」



 どこかで聞いたことのあるような台詞。

 まさかこういった種類の幸せが、あたしに。そして充さんに。二人の間に訪れるなんてなぁ。

 出会った頃には想像がつかなかったなぁ、なんてことをボンヤリ考えながら、充さんの腕の中でぐずり始めた未来に手を伸ばす。


 抱き上げると漂う、ふわっと甘い匂い。

 自分の母乳なのだとわかっていても、未来の額やお腹をぐりぐりとやりたくなる。

 この温かくて柔らかい体を腕に抱いて、匂いを嗅ぎたくなる。


 幸せが目に見えるというなら、それは未来だ。

 未来の匂い。体温。カタチ。重さ。柔らかさ。



「そんじゃ、ランさんに電話してくる」


「うん。お願い」



 未来を抱え直すと、未来はすぐさま胸元を鼻先で探り始めた。服の上からでも、オッパイの場所はちゃんとわかっている。


 充さんはスマホを手に、リビングを出ようとしたところで振り返った。



「ここで電話する? それともみくの授乳の邪魔になる?」



 充さんの瞳が揺れる。



「電話の内容なんて、全然気にならないよ。だけど充さんがあたしがそばにいる方が確認しやすいとか、そういうことなら、ここで電話して。みくは大丈夫。電話の間、抱っこしてるから」


「そっか。……そんならここで電話かける」



 充さんは気の抜けたような顔で笑った。ほっとしたように、肩から力が抜けたのがわかる。

 スマホを耳に当てた充さんは、明日の予定について通話相手と話し始めた。


 未来の柔らかな鼻息。

 まくりあげたTシャツの裾を掴む、小さな手。

 見下ろすと未来の横顔がすぐここにある。

 軽く閉じたまぶた。くるんとカールするまつげ。小さな鼻。んぐんぐと必死に吸いつく口。

 ときどき小さな舌が覗く。淡い赤色。


 未来の重みと温もりを胸に抱き、声量の抑えられた、低い充さんの声を耳に。うつらうつらと、次第に心地よい眠りへと誘われていった。




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― 新着の感想 ―
[一言] ふわ~ おかあさん描写!! かわいい!! きれい!! わたしにゃ絶対書けない!!!! ムムウ 実は、近々おかあさんシーンを書かなければいけないかもなので…空原海様へ弟子入りをお願いしたい…
[一言] また凄いタイトル来たなーと思いました。(*´ー`*) 赤ちゃんの匂いってなんでしょうね。恐ろしい魅了のパルファム。本当に四六時中世話しないと生きていけない赤子の生存戦略なのでしょうね。抱っこ…
[良い点] くーーーー!! ここみ様、恐るべし!!また一番を奪われたわっ笑!! 次話こそ!! [気になる点] う、歌ってるよ! あの歌、歌ってる!! 『Seize Glory』 いつもいつも 思い浮…
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