#003 「亜麻色の黄昏」
序章 第3話
※今回は少し長めです
月日が経つのは早いもので、村に到着してからもう10日になる。たったそれだけの時間で、この場所が異世界だということを嫌という程実感させられた。
ユクさんに助けられた後、僕は夜まで眠っていたらしい。多分緊張の糸が切れたんだと思ったけど、それ以上に気になることがあった。村に着いたのは夕暮れ時だったのに、相当疲れていたはずなのに、夜までしか眠らなかった。
「まさか昼が3倍近く長いなんて……」
10日というのは僕が便宜上そう呼んでいるだけで、実際は二か月近く滞在している。空に浮かぶ太陽……これも名前を知らないからそう呼んでいるだけだけだけど。コタンに着いた次の日に観測したところ、太陽が昇ってまた沈むまで、腕時計の短針は5周していた。
初めてそれに気づいた時は狼狽えたけど、人というものは慣れるもので、僕もまた村での生活を始めていた。元の世界に帰りたいけど、方法もわからないし、なによりまずは恩返しをするのが先だと思ったからだ。
「イサム、ご飯にしましょう」
「分かりました、すぐ行きます」
辞書を閉じ、ルーズリーフを片付けて席を立つ。不思議なことに、ユクさんに言語を教えて貰いだしてから、メキメキと成長するようになり、今では日本語と同じくらい流暢に話せるようになった。
囲炉裏から来る香ばしい匂いに、思わずお腹が鳴りそうになるのをぐっと堪えて歩く。
ここでの生活はある信仰の元送られているようで、昼夜でやることが大きく異なっていた。例えば食事。米に似た穀物に青菜を加えた雑炊と酸味のある新鮮な果物、そして朝起きて直ぐに山へ取りに行った湧き水。これを日中に3回。
日が落ちてからは昼の間に採取したトゥレプ――粘性のある茎で、それをすりつぶした後煎餅状にして数日間乾燥させたものを井戸水でふやかした物と干し肉や漬物を食べる。夜間は寝る時間もあるので2回と、以上1日当たり5回の食事をとる。
ユクさんによれば、昼は生者の、夜は死者の時間であるらしかった。だから通常夜間は外を出歩いてはいけないのだ。死者だと勘違いされ、連れていかれてしまうからだそうだ。
そしてその境目である夕暮れ、黄昏時は最も神聖な時間だとされている。なんでも、生死の境界を越えた存在が現れるからだそう。夜に出歩けない為、その時間は言語習得に充てるのが僕の日常だ。
しかし年に一度だけ、夜に出歩ける期間が存在する。
「イサム、3つ後の暮れに鎮魂祭があるから、一緒に行きましょう。この村にも慣れてきたでしょうし、あなたに見せたいものがあるの」
「ありがとうございます、ユクさん。ではそれまでに村長さんからのお仕事を終わらせておきますね」
鎮魂祭。その名の通り死者を鎮め、安寧の中に送るための祭り……ではなく死者と交流し、近況を伝えるための儀式なのだそうだ。最初に説明を聞いたときは面食らったが、その後にユクさんが見せた光景によって信じざるを得なくなった。
「ええ、お願いね。さて……<主よ、炎をお返しします>」
これだ。祭について話を聞いていた時もそうだった。ユクさんが何かを呟きながら祈ると、さっきまで爛々と揺れていた囲炉裏の炎が消えた。熱は残らず、すぐに薪に触って片づけることもできた。
魔法。この世界の住人は生まれながらに魔力を持っており、それをさっきのような祝詞に乗せて行使するらしかった。残念ながら、外から来た僕には使えなかったけど。
この魔法のおかげで、死者と直接対話できるそうで、祭りの時期になると村人は浮足立っていた。ユクさんも家族に会いに行くことを楽しみにしていて、生前に旦那さんが好きだった服や帽子を修繕しているのをこの頃よく見かけた。
「ごちそうさま」
御座を片付け、食器や包丁を荷車に乗せる。村には水道が通っていないため、共用の井戸まで行く必要があった。二人分なので大した量でもない。
「さーて行くか……ん、あれ?なんか重いような」
荷車を引こうとするが、どうにも重たい。まさかと思いながら振り返ると、やっぱり。雨除けとして被せた布の中から、ふかふかの尻尾がはみ出している。
「こら、セッタにチカ。勝手に荷台に乗らないでっていつも言っているじゃないか」
「う、うわ!どうして分かったの!?今回こそ成功したはずなのに!」
「あー!セッタ、あんたまた隠し損ねてるじゃない!もう、ドジね」
「なんだよ!チカだってほら、抜け毛が散らばっているじゃないか!」
「まあまあ、二人とも落ち着いて。乗ってていいから、落ちないよう気を付けてね」
「ほんと?やったあ!」
セッタとチカ。ユクさんの家のお隣にある長屋に住んでいる子供たちで、僕が洗い物しようとすると、こうやってこっそり付いてくる仲良しコンビだ。彼らの両親は衣服を織っているため、食事とお手伝いの時間以外二人は暇で仕方ないらしい。
初日の夜、目覚めた後に村でどうやって過ごしていいか分からなかった際、新顔が珍しかったのか積極的に絡みに来てくれた時からの付き合いになる。
セッタはユクさんと同じ二足歩行の犬といった感じで、チカは背中に羽を持ち、足は鍵爪で手が羽の付け根から生えていた。鳥人というものなんだろう。
セッタは中学の友達が飼っていたヨークシャーテリアに似ていて、見るだけで懐かしさがこみあげてくる。
「うん。じゃあ出発しんこー」
「あ、そうだ。今日、ちょっと先に村長さんの家に行くから、用事が終わるまで荷台にいてね」
◇◇◇◇
「いやあ、いつも悪いな。イサムが運んでくれるおかげで、ユクさんも祭りに専念出来てるみたいで助かるよ。」
「ええ、僕も嬉しいです。役に立てているようで何よりですよ。」
村長さん、山羊の獣人でユクさんと同じく人間のような姿をしたお爺さんで、円を描くように曲がった白い角が特徴だ。コタンの皆に好かれていて、物腰柔らかな紳士といった雰囲気を感じさせる。僕のような余所者も優しく受け入れてくれた。
「そういえば、村長さん、お聞きしたいことが」
「……マクタエカシでいいと言っているだろう。」
「すみません。ユクさんがいつも、そう呼んでいるので」
マクタエカシ。村長さんの名前だ。村長さんは名前で呼んでもらいたがるが、いかんせん発音が難しいため皆村長さんと呼んでしまう。
「まあいい、それで何かね。今日は何が知りたいのかな?」
「ありがとうございます。鎮魂祭についてなんですが、僕に出来ることは他にありませんか?もっとユクさんの力になれればと思いまして」
「イサムは優しい子だな。だがね、今お願いしてる経典の書写だけで十分だよ。君は字が上手いし、村の皆よりもずっと早いから」
経典は、言わばコタンを含めた地域一帯での信仰上の規律に当たる。もちろん、僕がさっき食べた食事についても記されている。しかしそれよりもっと重要なことは、死者に捧げる舞踊とそれを鎮めるための呪文の詠唱方法だ。
舞踊は巫女さんが単独で行うらしく、不可侵なものとされている。反対に詠唱は魔法の扱いをある程度学んだ者であれば誰でも執り行える。
ユクさんはその後者に当たる。で、僕は詠唱しやすいように、読みやすいように経典を綺麗な字で書き写す作業を任されたというわけだった。最初は真似して読み上げてみたけど、何も起こらなかった為直ぐに辞めさせられてしまった。
そして巫女さん。僕はこの村に来てから一度も見たことがなかったし、あまり話題にも上がらないので外部から派遣されるのかな、なんて勝手に思っている。だとしたら変に現実感あって夢がないけど。
「分かりました。それでは、失礼します。洗い物に行かなくちゃならないですから」
「もうそんな時間か。ふふ、そうじゃな。おチビ達も待ちきれない様子だよ、ほら」
村長さんが指差した先には、まだかまだかとこちらをじーっと見つめる二人がいた。僕の視線に気づくと、尻尾や羽をバタバタさせて、やっと難しい話が終わって遊べる!と喜んでいるようだった。可愛い子たちだ。
「お恥ずかしい。それでは、また明日持ってきます。」
駄賃を受け取ってペコリと頭を下げ、出口に向かう。その入れ違いに、コタンの自警団の青年が入ってきた。何か急ぎの用事があるようなので先に通し、後から外に出た。
大声でしゃべってはいるが、早口過ぎて会話を所々しか拾えなかった為、途中で聞くのはやめた。
荷車に腰を掛けると、待ってましたとばかりにセッタは定位置に座り、まるで貴族が御者に言うように出発を催促してきた。
◇◇◇◇
村長さんの家から井戸までは15分ほど。カラカラと小気味良く回る車輪の音を聞きながら歩いていくと、途中で十字路にぶつかる。このまま直進すれば家の方向だ。
右に行けば井戸と広場があり、今回の目的地はそこになる。チカに頼んで少し高く飛んでもらい、井戸の込み具合を確認する。
「あちゃあ、お話し中みたいね」
「あらら。どうしよっか」
どこの世界でも奥様方はおしゃべりが大好きなようで、不運にも井戸の周りは作業そっちのけで談笑する村の女性たちで占拠されていた。
これ自体はよくあることで、普段なら謝りつつ割り込んで洗い物をするところなのだが、今日は予定が早く終わったのと、洗い物が少ないために時間を潰して待つことにした。
「二人とも、混んでるから日陰で休んでよっか」
「わーい!お昼寝しよ、イサム!」
「いいね。また外のお話してあげるよ」
「聞きたい聞きたい!今日も海のお話して!」
「わかった、わかった。じゃあサメについての続きしよっか」
僕にとって当たり前だったことが、二人にとっては新発見の連続であることにちょっとだけ優越感を抱く。それにしてもカムイに海はないのかな、ユクさんは何故か話してくれない。
あれだけ世界の資料を持っているのだから、何か知ってても良さそうなものだけど。
草っぱらに寝ころぶと、青い草と土のにおいが鼻をくすぐる。姿勢を変え、二人に話を始めた。今日は台風に乗ってきたサメの話でもするとしよう。
「台風ってなあに?教えて教え……あれ?あの子誰だろ?」
チカが後ろを向いて言葉を切った。鳥だから仕方ないことではあるけど、首が180度回転する光景は毎回驚く。昔見たホラー映画を思い出してしまうからだ。
そんなことはさておき、僕もチカの見ている方に視線を動かすと、先程の十字路の反対側、つまり左に曲がる方の道の先から誰かが歩いてくる。
見たことのない位綺麗な女の子だった。太陽のように明るく輝く亜麻色の長い髪を風に揺らし、きょろきょろと辺りを見渡している。こちらに気づいていないようで、どんどんと近づいてくる。
「あ、あの!」
あまりに無防備に歩いていたから、咄嗟に声をかけてしまった。声に気づき、はっと僕の方を向いた。先程は見えなかったその髪の下から、快晴の空のように透き通った青色の目が現れた。驚いた顔で瑞々しい桜色の唇を閉じ、距離をとるように後退りをした。口元を抑えた手には、上質そうな白い手袋をしていた。
「あ、えーっと、あの……」
声をかけた方の僕もその美貌に魅了され、うまく言葉を紡げずにいた。対する女の子も手をばたばたさせて何か言いたそうにしている。動け、僕の口!早く何か喋らないと変な人だって思われるよ!
「あ、あの!」
「あの、あなた……」
「「はっ」」
被った。なんてことだ、やってしまった。しっかりしろよ僕……。
「あの、あなた……私が怖くないの?」
「え?いや、怖くないですけど……むしろ可愛いと思います」
何を言ってるんだ僕は!これじゃただの恥ずかしい奴じゃないか。それにしても、怖いってどういうことなんだろう。この子はセッタやチカと違って、ユクさんとも違う。どちらかといえば僕に近い容姿の特徴を持っている。それにどうしてだろうか、一緒にいると安心するような気さえしてくる。
……僕、こんなに惚れっぽかったっけ?
「あなた、不思議。村のみんなも、お義父さんでさえ私を怖がるのに。」
「後ろの子たちも、怖がってるわ」
その言葉を聞いて振り返ると、いつの間にかチカはセッタを抱えて空を飛びながら女の子を威嚇するように牙を剥いていた。こんなチカは見たことがない。いつもは言葉が少しきついだけの優しい子のはずなのに。セッタはおびえた表情でキューンキューンと鳴いており、一定の距離を保ち続けているようだった。
「君は……何者なの?なんで皆こんな怯えて……」
「ミスラ」
「え?ミス……ラ?」
「そう。それが私の名前。それしか覚えてないの。私が何者かなんて、私自身も知らないのよ」
「あなた、なんていうの?」
「……僕はイサム。」
「イサム……ふふ、イサム、ね。ねえ、イサム。あなたも鎮魂祭に参加するの?」
「え、うん。するけど……」
「そ。じゃあまた会えるわね、嬉しいわ。もっと沢山お話ししたいけど、見つかっちゃったみたい」
「見つかっちゃったって……どういうこと?」
ミスラがそう言うのと同時に、村長が若い衆を連れて走ってきた。手に棒を持ち、警戒心を隠そうとしない若い屈強な男たちにミスラは取り囲まれた。僕が制止する間もなく、ミスラは箱にいれられ、窓を閉められた。
立ち尽くす僕に、村長さんが近寄ってきた。体に異常がないことを確認すると、驚いた顔をしてじっと僕を見た。
セッタとチカは騒ぎを聞きつけた井戸周りにいた大人たちによって目を塞がれ、まるで化け物から守るかのようにミスラから遠ざけられていた。
「イサム、君は一体何者なんだ。あの子の穢れも、祝福も感じないとは……。」
「まさかユクが……器……を?いや、彼女はそんな愚かではない。では、なぜ……。」
穢れ?祝福?器?どういう事なんだろう、いくつもの知らない単語を呟いた後、村長さんは僕の肩をしっかりと掴んだ。
「いいか、今日のことは誰にも言ってはならんぞ、イサム。あの子の事は忘れなさい、いいね!」
村長は僕の目を見て、真面目な顔でそう言った。村長さんの、マクタエカシさんのこんな顔を見るのは初めてだった。君にだけは知らないでいて欲しかった、私の監視が甘かったせいだ、申し訳ない。そうして続けられる謝罪を、どこか他人事のように聞き流していた。頭を下げる村長さんの、その後方。無機質な金属製の箱が、揺れながら運ばれていく。
ミスラ。マクタエカシさんとも、セッタともチカとも、そしてユクさんとも違う。どこか遠い世界の名前のように感じられた。
僕の横を、温い風が通り抜けていった。振り返った先の山は、今まさに太陽を呑み込もうとしていた。
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