#001 「三回忌」
序章 聖痕の少女 第一話
「勇、帰るぞ」
後ろから父さんの声がする。静かに諭すような声だった。
「うん」
母さんの遺影の前で首を垂れ、畳に頭を擦りつけ続けていた僕はその言葉に振り返り、掠れた声で返事をした
今日でもう3年になるのか。ぐずった鼻をかみながら、埃のたまった窓の奥の夕暮れの空を見上げる。
3年前のあの日、母さんは交通事故でこの世を去った。あの時のことを忘れることは決してない。友達にからかわれて母さんと仲良くするのが恥ずかしいなんて思って反抗して、あの朝もそうだったんだ。
仏前の座布団の側に畳んでおいた、喪服代わりのブレザーに手を通す。すぐ行くことを父さんに伝えて、立ち上がった
◇◇◇◇
仏間から出て座談室に入り親戚たちと挨拶をする。母さんの弟である和彦叔父さんの目は未だに見れないままだ。葬式の日に叔父さんに強く叱咤されて落ち込み、それから人の表情を伺いながら、いい奴を取り繕って話すようになってしまった僕にとって、叔父さんは極力会いたくない人だった。
叔父さんは奥の方に座っており、まだこちらには気付いていないようだった
「父さん、僕ちょっと寄りたい所があるから1人で帰る。ゆっくり話しててよ」
少し経って、僕は父さんにそう言った。集まった親戚たちの顔を伺って喋ることに疲れた僕に、父さんは何も言わずにビジネスバッグから鍵を取り出すと渡し、大きな手で頭を撫でた。
帰り際、叔父さんがこちらを向いたような気がした。居心地の悪さを覚えて、そそくさと逃げるように部屋を後にした
「寒くなってきたなあ」
冬の匂いを感じる風に吹かれながら、納骨堂の前の大通りを夕日側に進んでいく。充電が切れかけのワイヤレスイヤホンで、お気に入りの曲を2.3か口ずさみながら歩いていくと、広場や遊具のある公園の前に来た。幼い頃に母さんと過ごした思い出の場所であるここでは、今日も親子連れが散見される。
ベンチに腰掛け、自販機で買ったおしるこの缶を開けてぐっと飲む。肌寒い風に肩を震わせていると、ふと視界の端に、見慣れない赤い鳥居が現れた。
(あれ?あんなの前からあったっけ)
いつの間にできたんだろう、と鳥居に近づく。不思議なことに建立の日付が擦り切れて見えなくなっており、永くここに佇んでいたかのように感じさせられた。
一礼してからくぐると、石段の先に本宮があるのが見えた。何かに引き寄せられるかのように登っていくと、少し開けた空間に古ぼけた神社があった。しかし決して廃墟ではなく、清潔にされており、凛とした雰囲気を感じさせる。
財布を取りだし、小銭入れを開く。10円玉4枚に5円玉1枚が、チャリチャリと寂しげに音を立てていた。
「45円か…40円だけ持っていても仕方ないしなあ」
「これも何かの縁かも知れないし、全部入れとこ」
小銭入れの全額を賽銭箱に入れ、うろ覚えの参拝をする。
「ご縁がありますように」
と祈って境内を見て回ると、腰をかけることが出来る椅子を見つけた。風避けの板張りもあり、幾らか暖かい。
(ちょっとくらい、いいよな。すぐそこ公園だし、誰か来るだろ)
ブレザーを布団替わりに寝転がり、スマホのタイマーを30分にして目を閉じる。そのまま少し待っていれば、風が木々を揺らす音が僕を夢の中へと連れていってくれた。
◇◇◇◇
「あれ……?」
タイマーの音で起き上がると、外が明るくなっていた。小鳥の声が朝の暖かな風と共に神社に響く
「んん?おかしいな、時間は……?」
デフォルト設定のアラーム音を止めるためにスマホを確認すると、そこには寝転がった時から20分しか進んでいない時刻が表示されていた。右上を見れば電波マークの上からバツがついている。公園からそんなに距離があるわけでもないのに、どうしてだろう?
「ってやばい!父さん心配してるよな……早く帰らなきゃ」
一時的な故障だと思い境内に出ると、厳かな木造の本殿が迎えてくれる。一礼し、石段を降りようと公園の方に向かった時だった。
「……あれ?こんなに階段長かったっけ?」
石段の数は少なく見ても100段はあり、緩やかだが手すりがないために注意して降りなきゃなければならなさそうだ。
「いや、うん。何でもない、気のせいに決まってる。早く帰ろう」
行きはぼうっと登ってきたのだろうと自分に言い聞かせ、言い知れぬ不安を誤魔化すように下へと急いだ。
「嘘だろ……」
石段を降り終えた僕の視界に飛び込んできたのは、見渡す限りの田園風景だった。実りを迎えた稲穂が黄金色に輝いて見えている。感動的な景色ではある。しかし今の僕にとっては信じ難く、非現実的な光景だった。
「そうだ!GPSを…あーダメだ繋がんない!」
圏外を示すスマホは使い物にならず、一途の願いを込めて電話をかけるも繋がらない。しばらく途方に暮れていたが、ある考えが浮かぶ。
(そうか、これ夢だ)
夢なら色々と辻褄が合う。あの神社で寝ている間になんとも不思議な夢を見ているものだ。少しばかり体が重いのもそれのせいだろう。
「もどって寝れば覚めるかな。だとしたら早く行かなきゃ」
足早に来た道を戻るが、やはり行きよりも明らかに長くなっている。考えないようにしながら急いで登り、腰掛けに戻るやいなやブレザーを掴んで顔まで被せ、目を閉じた。
◇◇◇◇
「駄目だ…なんで寝れないんだよ…」
神社に戻ってきた後、同じ場所、同じ体勢で眠りにつこうとして早数十分が経過しようとしている。だが瞼が閉じる気配はなく、目には板張りの天井だけが映っている。ここに来て、これまで抑え込んでいた恐怖が芽生えて来た。元の世界に帰れないのではないかと震えながら、ただひたすらに時が経つのを待つしかなかった。
何時間経っただろうか、一向に眠れない僕、いつまでも変わらない空の明るさ、時折聞こえる獣のような足音。
唐突に襲いかかってきた非日常に、僕は次第に冷静さを奪い取られていった。
「怖いよ、父さん。誰でもいいから、だれか僕を助けてよ……!」
けれども泣こうが喚こうが状況は変わらない。震え続けているうちに、僕は焦りや恐怖からか次第に正常な思考が出来なくなっていった。当たり前だ。この境内には僕一人しかいないんだ。音は聞こえるが人の気配は一切なく、いつもなら騒々しく感じる車や航空機の音さえも聞こえない。全てが異常な状態にも関わらず、陽気な春の日の様な暖かな雰囲気を醸し出しているのだ。
それが恐ろしくないわけ、ないじゃないか!
カン、カララン。
頭を抱えて丸まろうと身をよじろいだ時、カバンから何かが落ち、敷石に当たって音を出す。ハッとして拾い上げると、それは法事の引き出物で貰ったドロップの缶だった。
(……そうだ。母さんが言ってたじゃないか。こういう時こそ冷静に、だよな)
歪な空間に耐えきれなくなっていく中で、しまい込んでいた記憶の中の母さんの記憶が思い起こされた。頬を叩いて起き上がり、缶を拾い上げる。相変わらず開けにくい蓋をこじ開け、鼻をくすぐる果物の香りを楽しみながら苺味を口に含む。優しい風味と砂糖の甘さによって落ち着きを取り戻し、背後に広がる山を見る。
「じたばたしても仕方ない、とりあえず尾根に登ろう。もしかしたら夢から覚めるかもしれないし」
神社の湧き水をペットボトルに詰めて登山道を探す。すると、境内の右側に古ぼけてはいるが明らかに人の手が入った道を見つける。しめたと思い、歩き出した。
「うし、着いた着いた」
野山を歩くこと2時間程度。所々に休憩を入れつつ、陸上部の長距離走で鍛えた持ち前の持久力で尾根の開けた場所に出る。お天道様はほぼ位置が変わらず、やはり少し不思議な感じがした。まるで時が止まっているようだ。
「さて風景はっと……」
顔を上げ、登ってきた方と逆向きを見る。残念ながら期待していた街の景色は無く、そこには集落が点々と立っており、その周りに所有物であろう田んぼが広がっている。呆然としてそのまま崩れ落ち、膝を着く。皿から昇る鈍痛は、僕の淡い希望が今まさに打ち砕かれたことを突き付けてきた。
「ははは……そうだよね。分かってたよ。ああもう、分かりたくなんてなかったよ!」
とっくに気付いてはいたが、信じたくなかった。境内に吹く風も、顔を洗った湧き水の温度も、登山の疲れも、たった今来た痛みも。全て現実のものであったのだ。
「うわああぁーーー!!!」
その現実を自覚した瞬間、僕の精神はついに限界を迎えた。カバンを引っ掴み、山を下へ下へと駆けていく。酷く混乱していたせいで、枝葉で傷ついたことにも、登山道から大きく外れていたことにも、見たことも無い沢に飛び込むまで気付けなかった。
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