決勝戦-延長戦②-
延長9回表。
今日三度目となる3番からの攻撃。
タイブレークの走者として、二塁には光、一塁には天見さんがいた。
そして3イニング目に突入しても、前橋さんがマウンドに立っていた。
光は、この回で勝負を決めようと思っていた。
かなり危険だと分かっていても、ここで動かなければ負ける。
そう判断し、初球から単独スチールを試みた。
花蓮もある程度は警戒していた。
それでも、光は初球から思い切りよくスタートを切った。
「走った!!」
樫本さんは光が走ったことをいち早く察知し、大声でキャッチャーへ呼びかけた。
ボールは右打者のアウトコース低め。
バッターは捕手の送球を邪魔するため、アシストスイング。
そのスイングをものともせず、捕手は三塁へ矢のような送球を見せた。
「セーーフ!!!」
「くっ……。盗塁も上手いのか……」
タイミングはかなり際どかった。
だが、光の無茶とも言える三盗は成功。
ノーアウト一、三塁。
1点を取るには、これ以上ないほどのチャンスが訪れた。
内野ゴロでもいい。
スクイズでもいい。
とにかくフェアゾーンへボールを転がせば、光は本塁へ突っ込んでくるだろう。
そして、城西が選択した作戦は――。
「一塁ランナーの天見さんがスタート! ただ、かなりスタートが遅いぞー! キャッチャーが二塁へ送球! 三塁ランナーの東奈さん、それを見てホームへ……いや! 突っ込む振りだけで三塁へ戻ります!」
一塁走者を囮にして、三塁走者を本塁へ突入させるトリックプレー。
だが、1点が何より重要な場面。
さすがに花蓮が簡単に引っかかるはずもなかった。
「ボール。フォアボール」
花蓮女学院は満塁策を選択した。
スクイズを警戒するなら、満塁にした方が守りやすい。
二、三塁なら、本塁はタッチプレー。
だが満塁なら、捕手はボールを持ってホームベースを踏むだけでアウトにできる。
ほんのわずかな差。
それでもスクイズの成功率には大きく影響する。
「投手交代のお知らせをします。ピッチャー前橋美里さんに代わりまして、ピッチャー藤沢美智瑠さん」
ここで、ようやく来たか。
抑えの藤沢さんが、ノーアウト満塁という最大のピンチで登板してきた。
三塁ランナーの光は、実際にマウンドへ上がった藤沢さんの投球練習をじっと見ていた。
カーブ。
スライダー。
フォーク。
チェンジアップ。
ストレート。
ストレート。
横から見ている限りでは、先発の武石さんとそこまで大きく変わるようには見えない。
それなのに、空振り率は花蓮投手陣の中で圧倒的に高い。
理由は、ボールにキレがあるから。
本当にそうなのだろうか。
「キレねぇ……。こればっかりは打席に立ってみないと分かんないし、1年生たちに期待しようかねぇ」
満塁になったことで、スクイズはかなり仕掛けにくくなった。
4番ショートの川越さんは、スクイズをせず強攻策に出た。
かなり極端なスクイズ警戒シフトを敷かれている。
スクイズは、ほぼ成功しないと思ってもいい。
藤沢さんは縦に曲がるスライダー。
横へ滑るスライダー。
そして最後は、外角いっぱいへ123キロのストレート。
「ストライク! バッターアウト!」
空振り三振。
ワンアウト満塁。
5番バッターは、ワンボール・ワンストライクから一か八かスクイズを仕掛けた。
光はピッチャーが牽制してくる様子がないことを確認し、ホームスチールに近いタイミングでスタートした。
パシィン!
花蓮バッテリーはスクイズを読んでいた。
大きくボールを外す。
スクイズ失敗。
だが、三塁ランナーの光は戻らない。
そのまま本塁へ突っ込んできた。
スクイズというより、完全にホームスチールへ切り替えた形になった。
キャッチャーは、三塁へ戻ろうとしない光を見て、外した位置から急いで本塁へ飛び込むようにタッチへ向かった。
光はそれを視界に捉えながらも、猛然とホームへ突っ込む。
「…………」
「ア、アウトォォォーー!!!」
本当に、セーフでもアウトでもおかしくないタイミングだった。
角度によっては、セーフにも見えた。
だが、高校野球にはプロのようなリクエスト制度はない。
一度アウトと宣告されれば、判定が覆ることはほとんどない。
光にしては珍しく、少し土の被ったホームベースをじっと見つめ、その場から動かなかった。
「せ、先輩……」
「あ、ごめんごめん。失敗しちゃったね。気合いでホームランでも打ってきて!」
そう明るく答えると、ユニフォームについた土をパタパタと落とし、バッターの尻を強めにパシッと叩いた。
光はヘルメットを脱ぎ、そのままゆっくりベンチへ戻っていった。
「ナイスガッツ!」
「まだまだ試合は終わってないぞ!」
「次の回も抑えてくれよ!」
光はこの試合、誰よりも必死に、走者として1点を取りにいく姿勢を見せていた。
投手としても、ここまで相手に一本のヒットすら許していない。
その姿に心を打たれた観客たちは、光へ大きな声援を送っていた。
「東奈先輩、惜しかったですね! あれセーフだと思いました! 疲れてないですか? 飲み物持ってきましょうか?」
「それじゃ、1杯だけもらおうかな?」
光は汗を拭きながら、スパイクの紐を一度ほどいた。
そして解けないよう、もう一度強く結び直す。
「ありがと」
結び終わるのを待っていた1年生が、光へスポーツドリンクを渡した。
それを飲みながら、光はさっきのプレーを思い返していた。
スピードを落とさないよう、その勢いのまま足からスライディング。
感覚では、相手のタッチよりほんのわずかに早くホームベースへ届いていた。
だが、勢いがありすぎた。
足で地面の土を少し蹴り上げ、自分が滑り込んだ場所へ土が被ってしまった。
ホームベースにかかった土を思い出し、光は珍しく後悔していた。
あれは、本当ならセーフだった。
それでも、ヘッドスライディングなら土を蹴り上げることもなく、もっと分かりやすくセーフ判定を取れたのではないか。
そう考えてしまう。
だが、クロスプレーで指を怪我でもしたら、それこそ本当に終わってしまう。
だからこそ、光は足からのスライディングを選んだのだった。
「ストライク! バッターアウト!」
ノーアウト満塁の大チャンス。
だが、三振。
スクイズ失敗からの本塁アウト。
そして最後も三振。
城西は、9回表も無得点に終わった。
9回裏。
光がここまでシンキングファストを投げていたことは、もう花蓮側にも伝わっている。
甘い球に見せかけてシンキングファストで内野ゴロを打たせる。
その投球を、これまで通り続けるのは難しい。
しかし、光はそれさえも読んでいた。
相手は当然、バントの構え。
城西はサードとファーストを大きく前進させた。
さらにレフトが三塁ベース付近へ入り、センターとライトも外野とは言えないほど浅い位置を守る。
超変則シフト。
光が投げるたび、一塁手、三塁手、そして光自身が猛然と前へ出る。
打者のかなり近くまで一気に前進し、バットに当たった瞬間にボールを処理できるような位置を取る。
これだけでも、打者には相当なプレッシャーがかかる。
変にフライを上げれば、すぐに捕球される。
そのまま二塁か一塁へ送球されれば、簡単にダブルプレー。
一、二塁の場合、三塁はフォースプレー。
二塁走者はかなり大きなリードを取らなければ、送りバントを決めても三塁でアウトにされる可能性が高い。
それを嫌って、バントの構えからヒッティングへ切り替えるバスターという作戦もある。
だが、そもそも本気の光の投球は、普通に構えていてもバットへ当てること自体が難しい。
そんな状態でバスターを仕掛けても、空振りやファールで簡単に追い込まれる。
ツーストライクを取られてしまえば、そこからバントへ戻ることも難しくなる。
「絶対に外野になんて飛ばさせないし、バントも成功させない」
光は、自分の持っている投球能力のすべてを使い始めた。
本当なら、女子相手にはあまり使いたくない。
バントの構えをしている打者の顔付近へ、厳しいボールを投げ込む。
ブラッシュボール。
顔付近へ140キロ前後のストレートを投げ、相手の腰を引かせたり、恐怖心を植えつけたりする。
上手く決まれば非常に有効なボール。
だが、それでも相手の顔付近へ投げる以上、危険は大きい。
一歩間違えれば、取り返しのつかないことにもなりかねない。
それを理解した上で、光たちバッテリーはブラッシュボールまで駆使して抑えにいった。
さらに右打者には、顔付近から曲げるスクリュー。
左打者には、ここまでほとんど投げてこなかったカーブ。
その厳しい内角球を意識させた上で、アウトコース低めへのストレート。
使えるものを、すべて使う。
6番。
7番。
どちらもバントを仕掛けてきたが、連続で失敗させた。
8番はヒッティングへ切り替えてきた。
だが――。
144キロ。
インコース高めのストレート。
大きく振り遅れて三振。
花蓮も、9回裏を無得点で終えた。
そして10回表。
6番からの攻撃。
初球からバントを仕掛けたが、打球の勢いを殺すことができなかった。
藤沢さんが素早く前へ出る。
捕球。
三塁へ送球。
そして、そのまま一塁へ。
1-5-3。
ダブルプレー。
光とは逆だった。
バントそのものをさせないのではなく、あえてバントさせる。
そして、勢いを殺しにくい高めのストレートを上手く使い、強い打球を転がさせてゲッツーを取る。
次の打者もツーシームを打たされ、あっさりスリーアウトチェンジ。
10回裏。
9番、ピッチャーの藤沢さん。
バントの構えをしていた。
だが、バントを成功させようというより、光がどんな球を投げているのか興味津々といった様子だった。
ボールを見すぎて、バントを空振りする始末。
というよりも。
もしかしたら、とてつもなく打撃が苦手だから抑えにされているんじゃないか。
光は、少しだけそんなことを考えていた。
それを利用する。
藤沢さんが構えているバットを目がけるように、142キロのストレート。
コツン。
バント成功。
そう思われた。
だが、光が猛然と前へ飛び出す。
捕球。
三塁へ送球。
三塁ベースにはレフトが入っていた。
そこから一塁へ送球。
1-7-3。
ダブルプレー。
「あちゃー。こりゃ監督に怒られちゃうな」
ファーストを駆け抜けた藤沢さんは、あまり反省した様子もなく独り言を呟いていた。
延長戦に入ってから、城西バッテリーはそれまでの投球内容を大きく変えていた。
速いストレート。
ナックルカーブ。
スクリュー。
空振りを取りやすいボールを中心に組み立てている。
そして1番打者には、忘れた頃にシンキングファスト。
セカンドゴロ。
10回裏も無得点。
そして、ついに11回まで来てしまった。
8番からの攻撃。
ゲッツーさえなければ、1番の光まで打席が回ってくる。
両者ここまで0対0。
完全な投手戦。
城西は、エース東奈光が一人で10回まで投げ切っている。
花蓮女学院は、武石―白石―前橋―藤沢。
4人の投手リレーでバトンをつないでいた。
両者とも、少なからず焦っていた。
もちろん、光にも焦りはあった。
それでも、省エネピッチングのおかげで10回を投げ切って91球。
球数だけなら、まだ投げられる。
だが昨日は、準決勝で延長9回まで投げ切り119球。
昨日はとにかく三振を取り続けていた。
球数が多くなるのは仕方なかった。
さらに甲子園では、2回戦以外ほぼすべての試合を一人で投げ切っている。
さすがに疲労は溜まっていた。
それでも光が自分の疲労以上に気にしていたのは――。
キャッチャーの天見さんだった。
ここまで基本的なストレート主体のピッチングから、変化量の大きな球を混ぜた投球へ変えてきた。
この試合で初めて解禁したナックルカーブ。
ほんの少ししかキャッチング練習をしていないスライダー。
カーブ。
すべて使った。
ワンバウンドする球も増えてきた。
それでも天見さんは、一度も後ろへ逸らしていない。
すべて身体で止めていた。
「香織、疲れてない?」
「え? あ、はい。大丈夫ですよ」
返事には、あまり覇気がなかった。
やはり疲れている。
キャッチャーは、ただピッチャーの球を捕ればいいだけではない。
ベンチからのサインを確認し、それを内野や外野へ伝える。
守備位置の指示も出す。
守備の要として、ここまで光を必死にリードしてきた。
バッテリーエラーは一度もなし。
打撃ではまだチャンスで一本こそ出ていないが、準決勝ではセーフティースクイズを決めるなど、本当によくここまで頑張っていた。
「はい。これ」
光は、天見さんのためにスポーツドリンクを取ってきた。
さらに、自分のために用意してもらっていた冷たいタオルで、天見さんの腕や顔についた土を拭いてやる。
そのまま首筋へそっとタオルを置き、頭をポンポンと撫でた。
「香織はここまでよくやってるよ。勝っても負けても、再試合でも、今日はあと2回だから頑張ろう」
「私は大丈夫です。もちろん最後まで全力でプレーしますよ!」
その力強い言葉を聞き、光は満足そうに笑った。
そして自分も、打席へ入る準備を始める。
8番。
9番。
どちらも何とかランナーに出ようという気持ちは、痛いほど伝わってきた。
だが――。
「ストライク! バッターアウト!」
「ストライク! バッターアウト!」
2者連続空振り三振。
ツーアウト。
タイブレークの走者は一、二塁。
そして、光に打席が回ってきた。
「1番、ピッチャー東奈光さん」
この試合。
多分、これが最後になる打席。
光はそう思いながら、ゆっくりとバッターボックスへ向かっていった。




