プロローグ
僕がこの私立十色高校の文芸部に入部してから三ヶ月たったが、どうしてこんな部活に入ってしまったのだろうかと今さら後悔していた。
なにせこの文芸部の部員は僕と部長の渋谷先輩の二人しかいないのだ。
今すぐにでもいいからこんな部活やめたい。
だけど秋葉原先輩の頼みを無下にするのも男としてカッコ悪いような気がするし、それに僕が文芸部をやめてしまったらこの部活は廃部になってしまうのだ。
それは僕の良心が痛む。
どうやら僕はどうしようもないほどのお人好しらしい。
まあ肝心の渋谷充先輩は別に廃部になってもいいと思っているみたいだが。
おい、アンタ部長だろ?もう少し真面目に考えてくれよ。
なんてことをあの人に言っても無駄なので僕は何も言わないけど。
しかし僕は一体何をやっているのだろかと非常に思う。あと少しで夏休みが始まると言うに、こんなところで時間を無駄にして。彼女がいたら僕の青春はもう少しまともだったのだろうけど、そんな存在なんて僕にはいない。
僕の青春はあまりにも冴えなくって地味だった。
あー彼女欲しい。
そう思いながら僕は片手にコンビニ袋をぶら下げた状態で文芸部の部室に向かう。
文芸部の部室は東棟校舎の四階にある。運動不足の僕にとって、一階から四階まで上がるのは中々の重労働であった。学校にもエレベーターかエスカレーターをつけてほしいと心の底から願う。
そんなことを思っているとようやく部室の前まできた。
僕は部室のドアを開ける。
「渋谷先輩、ブラックコーヒー買ってきましたよ」
「うん、そこに置いてくれ」
渋谷先輩はパソコンの画面を睨みながらそう言った。
本名は渋谷充。この文芸部の部長であり、他の生徒からは《十色高校の影》と呼ばれている。容姿は羨ましいと思うくらいの高身長で黒縁の眼鏡をかけ、いつも陰湿な妖気を漂わせている。そしてプライドだけは超一流で、リア充を天敵とみなし、リア充を倒そうとするためにラノベ作家を目指している。
この文芸部の部室の壁にも。
『打倒!リア充』
と達筆な文字でそんな紙が貼られている。
この文芸部は一体何を目指しているのだろうか?
まあ僕もリア充は嫌いなのでいいんだけど。
リア充は爆発しろと毎日のように思っているけど。
そんなことを思いながらコンビニ袋からブラックコーヒーを取り出し、渋谷先輩にテーブルに置く。渋谷先輩はしばらく無言でパソコンの画面を睨んでいたのだがアイデアが思い浮かばないみたいで、ブラックコーヒーを手に取る。
そして渋谷先輩は缶を振りプルタブを開けて、ブラックコーヒーを何食わない顔で飲み始める。
こんな苦い飲み物よく飲めるなと感心しながら僕は先輩の正面の席に座り、コンビニ袋から牛乳を取り出し飲む。
するとそんな僕を見て渋谷先輩は唐突に聞いてくる。
「お前、いつも牛乳を飲んでるが好きなのか?」
「いえ違いますよ。身長を伸ばすために飲んでるんです。中一の頃から全然、伸びてくれないんですよね」
「牛乳を飲んで身長を伸ばそうとするなんて安易だな。それと牛乳を飲んでも骨が丈夫になるだけで身長は伸びないぞ」
「マジですか!」
その情報、最も早く知りたかった。
僕が今まで飲んできた牛乳は一体何だったんだろうか……。
「それにお前が身長を伸ばしたところで女からは絶対にモテないからな。俺が断言してやろう」
「勝手に断言しないでください。万が一てことが……」
「ない。俺が女から告白されるのと同じくらい」
「……」
完全否定されてしまった。
確かにそんなのと比べられてしまったら、僕が身長を伸ばしたとしても女子からモテるはずがなかった。
しかしだとしても少しぐらい後輩に夢を見せてくれたっていいのではないだろうか。
相変わらず陰湿で嫌な人である。
そんなんだから友達一人もいねえーだよ。
「例えそうだとしても僕はこれからも牛乳を飲んでやりますよ」
健康に良い飲み物だということは変わりはない。
そんな風にひねくれながら言って僕は再び牛乳を口にする。うん、美味い。
渋谷先輩は「なら勝手しろ」と言ってパソコンの画面に視線をやる。
「また新作を書いているんですか?つい此間、コンクールに応募したばかりじゃないですか。相変わらず執筆速度だけは早いですね」
「だけとはなんだ。だけとは」
「事実じゃないですか。執筆速度が速くっても内容が面白くなければ意味がないんですよ」
「……本当、お前は生意気な後輩だな」
自覚はあるようでそれ以上何も言わなかった。
まあ百回以上、コンクールに応募して一回も受賞したことがなければ自覚があって当然だろう。
「それで今回は何を書いてるんですか?前回コンクールに応募したのは異世界モノでしたが、また異世界モノを書くつもりですか?それとも先輩が好きなミステリーですか?」
「いや、ラブコメだ」
「ぶはぁ!」
予想外の回答に飲んだ牛乳を吐き出した。
「汚ねえーな!パソコンにかかったじゃねーか!」
「ゲホゲホ……っす、すいません」
部室にある雑巾を使って吐き出した牛乳を慌てて拭く。幸いにも先輩のパソコンは無事だった。
だいたい拭き終わると僕は一応念のため聞いてみる。
「ラブコメを書くって冗談ですよね」
「冗談じゃない。俺は本気だ」
そう言って僕を睨む。
どうやら本当にラブコメを書こうとしているらしい。
いや先輩が何を書こうしてもそれは先輩の自由だが、しかし恋愛不要論をいつも唱えているあの渋谷先輩がラブコメを書こうとしているのは驚愕だった。
ブラックコーヒーの飲み過ぎで頭がおかしくなってしまったのだろうか?
まあさすがにそんなことはないと思うが。
「それでどのぐらい書けたんですか?」
そう言って僕は渋谷先輩の背後に回り、パソコン画面を覗く。
だけどその画面は真っ白だった。
「一行も書けてないじゃないですか」
「納得がいくものが書けなくってな。書いては消したりを繰り返しちまってる」
「渋谷先輩がそんな風になるなんて珍しくですね。もしかしてスランプですか?」
「別にスランプじゃない。後、なんでお前そんなに嬉しそうなんだ?」
「えっ?いやそんことないですよ」
いかんいかん、つい顔がにやけてしまった。
だけど、いつもクールぶっている先輩が困っているなんて実に面白いものである。
僕は興味半分で渋谷先輩に聞く。
「タイトルは決まっているですか?」
「ああ決まっている」
渋谷先輩はそう言うと画面をスクロールさせ、まだ何も書かれていない小説のタイトルを見せた。
そのタイトルにはこう書かれていた。
『ジミーズ! 冴えない僕らの青春ラブコメ』