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第1話 早暁 (1)

シリーズ最終編になります。

楽しんで頂けるよう頑張りますので、最後までお付き合い宜しくお願いします。

「夏樹さん」


年末まであと二週間という平日の夜、食事を終えて後は眠るだけという久しぶりにゆっくりと過ごしていた一時。ホットカーペットからの温もりが身体にじわりと染み込む私の正面で、夏樹さんは買ったばかりの文庫本を読んでいた。ベッドに身体を預けながらそんな彼女を何となく眺めていた私は、ずっと考えていた事を言うために彼女に呼びかけた。


「何?綾乃ちゃん」


読んでいた本から顔を上げて、彼女が私を見る。艶やかな黒髪、整った顔立ち、綺麗な立ち振舞い、私を見る優しい眼差し…

毎日一緒に過ごして見慣れている筈の彼女の顔にやっぱり見とれてしまう自分は、もう、どうしようもない位この恋に溺れてしまっているのだろう。

これから彼女に話す内容の緊張感から逃げ出すようにそんな事を考えながら、それでも表情に出さず何気ない口調を意識して、さりげなく続けた。


「夏樹さんの年末の予定はないんだよね?」

「ええ、図書館も閉館だしね」


彼女が司書として勤務する図書館も公共機関として当然の様に年末年始の長期休暇があり、「以前過酷な環境で働いていた会社とは大違いだ」と話していた夏樹さんは初めて会った頃の寂しげで儚い笑い顔とは違い、幸せそうな笑顔を浮かべる。

その笑顔の一因に自分の存在があると自惚れても良いのだろうか。


「それならさ…」


落ち着け、私。心の中でそう言い聞かせて自分の弱気に負けないように笑って見せた。


「お正月は私の実家で過ごさない?」


「…久しぶりの帰省じゃない。家族水入らずで過ごしておいでよ」


夏樹さんは、何かを堪えるように少しだけ苦しげに笑った。そんな彼女の返答を予想していたけど、やっぱり目の当たりにすると胸が痛む。


「夏樹さんも何度か家に行っているから、別に気にしなくて良いじゃない?」

「そういう訳にはいかないよ…」

「だって、夏樹さんはお正月いつも一人で過ごしているじゃない」

「私には家族はいないから…」


そう言って笑う夏樹さんの表情は硬い。これ以上は無理だと判断して話を打ち切ることにした。私が実家に帰らないという選択肢もあるが、夏樹さんが私に気を遣うことは間違いないので辞めておくしかない。


「じゃあ、直ぐに帰ってくるから、待っていてくれる?」

「私に気を使わなくてもゆっくりで良いよ」


夏樹さんは自分がどんな表情をしているかきっと分からないのだろう…無理矢理の笑顔を見せる彼女の傍に寄り添うと、夏樹さんの手から読んでいた本を離して、細い指を絡めながら彼女を見つめた。


「折角二人とも休みなんだから、私が夏樹さんと過ごしたいの。だから、ね?」

「ふふ、分かった」


いつものおどけた調子に彼女が明らかにほっとするのが分かり、そんな夏樹さんが悲しくてそっと抱き寄せると、柔らかな身体が腕の中に収まる。彼女の首元に顔を埋めると夏樹さんの優しい香りに包まれた。白い肌にそっと唇を当てると、腕の中の夏樹さんがびくっと身体を震わせる。


「あ、綾乃、ちゃん…」


夏樹さんの強ばった身体と恥じらう声に自分の中の欲望が出てきそうになるのを押し込めて、ゆっくりと身体を離す。


「…」


何も言わない夏樹さんは、戸惑った様に私を見つめている。普段ならこのまま押し倒されて…という展開なのに、私が何もしなかった事が意外だったらしい。

付き合ってもう2年以上経つし、お互いの身体なんて知り尽くしていると言っても過言じゃない。抱いてほしいならそう言ってくれても良いのに、恥ずかしがりやの夏樹さんは未だにその手の事に慣れないみたいだ。


「どうしたの?夏樹さん」


彼女が言い出せないのを良いことに、にっこり笑って見せると、さっと頬に朱が差した。彼女も私がわざと言っている事を分かってはいるのだ。そんな夏樹さんの表情にますますぞくぞくしながら顔に出さず、先程読んでいた本を手に取ると、テーブルの上に見覚えのある羽の形をした栞があるのが、ふと目に留まった。付き合う前初めてプレゼントした栞を彼女は今も大切に使ってくれていたらしい。自分の感情が今にも爆発しそうなのを静かに落ち着ける。

やっぱり私は夏樹さんが好きだ―この胸の痛みですら幸せに感じてしまうのだから。


「ごめんね。もう邪魔しないから、ゆっくり読んで?

これ、楽しみにしていたんでしょう」


本を渡して、頭を冷やそうと立ち上がった私の服を夏樹さんの手が掴んだ。再び座る私に無言のまま、赤い顔で夏樹さんが頬に手を伸ばす。


「綾乃ちゃん…」

「ん?」


あくまで分からない振りをする私に焦れたのか、夏樹さんがゆっくり唇を重ねてきた。軽く重ねただけのキスに自分の欲望が抑えきれなくなり、夏樹さんの身体に手を回して抱き締めるとキスを返した。何度も何度も繰り返してようやく離すと、潤んだ瞳の夏樹さんと視線が合う。


「好きだよ、夏樹さん」


数えきれないくらい伝えた言葉に、同じ数だけ微笑んで返してくれた彼女の手を取って、私はとりあえず、何もかも思考を放棄した。



静かに寝息を立てる彼女の身体が冷えないよう布団を掛けて起き上がる。スマホを見ると随分と時間が経った様だがまだ日付は変わっておらず、散らかした服を身につけて立ち上がった。


「綾乃ちゃん…?」


掠れた声の夏樹さんが身体を起こそうとするのを、キスで押し止める。


「寝てて良いよ。私が片付けはするから」

「…ごめん」

「おやすみ、夏樹さん」


手を繋いだまま意識を失うように眠ってしまった夏樹さんの頬に、そっとキスして離れると、すっかり冷めたコーヒーを飲み干してキッチンに向かった。



その週の日曜日、仕事帰りの夏樹さんと夜の町に繰り出した。町はクリスマスムード一色で、今年から始まった大通りのライトアップを見に行こうと同じ方向に歩く人の中を手を繋いでゆっくりと歩く。やがて見えてきた光の空間に二人とも目を奪われた。


「凄い…」

「綺麗だね…」


何千、何万もの色とりどりの光が大通りの木々に散らばり、幻想的な空間を作り出していた。所々に立ち止まりスマホを構える人々が見える中を、私達も通行の邪魔にならない様に路肩に寄ると、身体を寄せあって眺める。

光と闇のコントラストが美しくてひたすら目に焼き付けるように見つめていると、不意に手がぎゅっと握られた。夏樹さんを見ると、私と同じように前を向きながら、どこか苦しげに夜空を見つめていた。


「夏樹さん?」

「えっ、何?」

「どうしたの?」

「?」


きょとんとする彼女はどうやら無意識に私の手を掴んでいたらしい。曖昧に笑いながら繋いだ手を見せると、恥ずかしそうに笑い返した。


「そろそろ行こうか?

お腹空いたでしょう?」

「私はまだ大丈夫だよ。夏樹さんは満足した?」

「うん、また一緒に見ようね」


二人で並んで歩き出し、何を食べるか話ながら街中を歩いていた夏樹さんが、足を止めた。


「!?」

「どうしたの?」


急に止まった夏樹さんを見ると、彼女は青ざめた表情で前を見ている。視線の先を見ると、一人の女性がゆっくりとこちらに歩いてくるところだった。シンプルなスーツ姿で大きめのキャリーケースを引いている女性は、夏樹さんが驚愕する様子を気にする事なく真っ直ぐ歩き進める。女性が目の前に来た時、彼女の口から震える声が聞こえた。


「お母さん…」


その声に立ち止まった女性は夏樹さんをまじまじと見た後、まるで久しぶりの友人に会ったかの様に微笑んだ。


「あら、もしかして夏樹?

何年振りかしら、元気にしていた?」

「えっ…?」


言葉の出ない夏樹さんに代わり思わず私が驚くと、女性は私に視線を合わせ、にこりと笑う。その笑顔は夏樹さんとそっくりで思わず息をのんだ。


「夏樹の友達かしら?

初めまして。立木葉子です」

「あっ、香田綾乃です」

「綾乃ちゃん?可愛いわね」

「あ、ありがとうございます…」


言葉を失ったように何も言わない夏樹さんに構うことなく、気さくに話しかける葉子さんにたじろぎながら返事をする。


「私、今日からこの町にしばらく居るの。

機会があったら、また会いましょうね」


手を振って再び歩き出す葉子さんを見送ってから、夏樹さんに向き合う。夏樹さんの顔は真っ青で今にも倒れ込みそうだった。


「夏樹さん…?」


恐る恐る声を掛けて手を取ると、はっとした様に視線を合わせる。その瞳がみるみるうちに潤んでいくと、夏樹さんは私に抱きついた。


「夏樹さん!?」


声を上げず、だけど確かに泣いている彼女を引き離す事なんて出来なくて、私は近くのベンチに座って彼女の背中を擦り続けた。ぎゅっと回した彼女の震える腕が夏樹さんの心の中の感情を表しているようで、思わず耳元に声を掛ける。


「私がいるよ、夏樹さん」


「…綾乃、ちゃん…」


たった一言呟いた夏樹さんは、結局声を上げずにそのまま泣き続けた。



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