彼女はヒロインではない
藤宮ちえり。それが彼女の名だ。
藤宮ちえりは俺のクラスメイトである。友達というほど親しい間柄ではないが、挨拶程度なら毎日交わす。
教室でも二人の女友達と楽しく話しているのも何度か目撃している。一言で彼女のことを説明するならば『普通』だ。
授業で指名された時は正解だったり間違えたりで成績は普通。運動神経も評判を聞く限りでは可もなく不可もなく。容姿も俺の主観だが普通、よりちょっと上と言ってあげたい。
特筆する物もなくかといって文句もない。良い意味でも悪い意味でも普通。
勿論、俺は友達でも何でもないから藤宮の良い所を知らないだけだろうが、俺がそう見えているのなら悠斗もそう見ているという事になる。
いや、悠斗はそもそも藤宮の事を知らない。クラスメイトの俺だから存在を認知しているが、悠斗は別のクラスだ。だから悠斗はこの学校に藤宮ちえりがという女の子がいることを分かっていないのだろう。
そんな彼女が悠斗に恋をしている。普通なら気にも止めなくていいのだろうが、彼女の事を顔見知り程度には知ってしまっている俺の立場としては叶わない恋に突撃して木っ端微塵に砕け散る藤宮の姿を見るのは、忍びない。
ギャルゲで例えるなら藤宮はメインヒロインでもサブヒロインでもない。いわゆるモブキャラ。
攻略対象外のサブヒロイン以下のキャラよりも下なのだ。絵がないというのだろうか。悪く言えば背景の一部に後ろ姿が登場する程度の存在。
妙な人気が出て、移植版やらファンディスクやらで攻略対象に昇格する可能性すらない。
そんな彼女がメインヒロインの青葉やサブヒロインの峰岸に敵う見込みは万にひとつもない。
「はぁ……」
ドアノブに手を掛けたところで、ため息が出た。別に藤宮に恋をしている訳でもないが気分が重い。
俺は、モブキャラの藤宮に妙な親近感を覚えてしまっていたのだ。
◇◇◇
「なぁ、悠斗」
「うん? どうしたの珪? 珪も食べたい?」
「いや、いいよ。そもそもそれは青葉がお前の為に作った弁当だし」
「珪は細かいね。そんな遠慮しなくたっていいのに。そういえば青葉は珪にもお弁当作ってたのに何で最近は作るの止めちゃったのかな?」
「ああ、それは俺が悪いんだ。気にしないでくれ」
学食でそんな会話をしながら俺は昔のことを思い出した。
◇◇◇
青葉は半年前は、俺にも手作りのお弁当を作ってくれていた。もちろん悠斗のついでという扱いだったが。
そんな青葉がなぜ、俺に弁当を作ってくれなくなったのかというと俺の一言がキッカケだったからだ。
「青葉、ハッキリ言って不味いぞ。お前の弁当」
「え?」
俺は卵焼きを口に入れてすぐにその一言を口走った。デリカシーがないと周りには言われるのだろうがここで美味しいなんて無責任に言っても彼女の為にもならない。
第一、俺は嘘が嫌いだ。子供の頃に嘘を付いて悠斗に迷惑をかけてしまったからだ。
「珪、そういう事はオブラートに包んであげなきゃ」
アハハと苦笑いで答える悠斗。悠斗の場合は優しすぎるから他人に厳しい言葉を言えないんだな。それが悠斗の人間性だと俺は知っているから汚れ役は俺が背負うと決めているのだ。
「ひ、酷いよ。私は珪の為を思ってお弁当作ってきたのに」
「本当に思っているならもうちょいお勉強が必須だな。つーかここで美味しいなんて嘘っぱちを言っても困るのは青葉だぞ? 近い将来彼氏が出来て不味い弁当なんて食ってほしくないだろ?」
そこで二人に気づかれないように一瞬だけ青葉から悠斗に目線を移した。
なっ? 悠斗。俺はお前の為を想って言ってんだぜ? 悠斗だって青葉に料理上手くなってほしいだろ。そんな感情を込めて悠斗を見たが別に気づいてくれなくても構わない。これは個人的な気遣いだからな。
「うぅ……。なんか頑張りを全て否定された気がして胸が痛いよ」
ガクッと肩を落として、あからさまに泣き顔を作る青葉から目を背けた。俺はそんな青葉の顔を見たくない。
――だって俺は青葉が。
「わかった! もう珪には作ってあげないもん! なんか弁解の言葉は!」
「ああ、そうだな。言わしてもらうなら」
「喋らないで!」
「理不尽だな! おい!」
そんな経緯があって今の状況に至っていた。悠斗の雰囲気からしてどうやら青葉の料理の腕は上達したみたいだ。めでたしめでたしだ。
◇◇◇
「ふーん、そっか」
悠斗は俺に深く追及せずポツリと呟くと再び弁当に目線を落とし、箸を手に持った。
こういう所も悠斗の人間性だ。人の嫌な事や痛い所を突いてきたりしない。恋愛には疎いくせに、こんなところばかりは鋭いのだ。あらゆる意味で優しい。そんな悠斗に幾分か俺の気持ちも軽くなった。
「さっき言いかけたのは弁当じゃなくて、もっと大事な話だよ」
「大事な話?」
「おう、こしょばゆい話なんだけどな。……お前って今好きな人がいるのかな? って」
訊ねながら、俺は視線を横に傾けた。隣のテーブルで女子三人組が固まって昼食を食べていた。その中には藤宮ちえりもいる。
昨日と比べて距離が縮まっているのは偶然なのか、はたまた意図して藤宮がそこを選んだのかは定かではない。だがその位置なら俺達の会話も聞こえている筈だ。
その証拠に横目で藤宮を見た瞬間に藤宮と目があったのを逃さなかった。藤宮はすぐに視線を目の前に戻していたが今も表情は固まっている。
「好きな子? 珪とか?」
「なんで一番手に俺がきちゃうんだよ。異性だ異性」
さすがにギャルゲは許してもボーイズラブはお断りだからな。
別に悠斗の事が嫌いな訳ではない。むしろ好きだ。笑顔もかわいいし優しいし母性本能的なものをくすぐられるし。
それに悠斗に好きだと言われてちょっと嬉しいと思ってしまった自分に、ちょっと戸惑いを覚えて。
閑話休題。
「いない、かな? 分かんないや。恋愛とかそういうの僕には」
「まあ確かに悠斗には少し早すぎたかもな。でも困ったら俺に相談しろよ? いつでも力になるからさ」
ニコッと笑い「うん」と力強く頷いた悠斗に笑顔を返しながらも俺の気持ちは浮き沈んでいた。
いや、そうじゃない。悠斗いるんだよ。お前には心の底から好きな女の子が。お前が好きな女の子の名前は、青島青葉だ。
青葉はとびっきりかわいい笑顔を悠斗にしか見せない。だがその逆もまたしかりで悠斗も特別な笑顔を青葉にしか見せない。二人の幼馴染の俺だから、それは痛い程に分かってしまう。
悠斗にとってのメインヒロインは青葉だ。悠斗を主人公にした物語のメインヒロインは青島青葉以外にはありえないのだ。どれだけ美少女に囲まれても、悠斗が最後に選ぶのは青葉なのだ。
けれど、悠斗は自分の気持ちに気づいていない。だから藤宮にも可能性はある。
俺から藤宮に諦めろ、お前にチャンスはない。なんて口が裂けても言えない。けれど今の状況から考えて藤宮が悠斗を得るのはどう考えても不可能。
「珪、そろそろ時間だし行こっか」
「ん? あぁ、もうこんな時間か。ボチボチ行くか?」
悠斗が席を立ち、俺も席を立つ。午後の授業時間が迫っていた。俺達も気持ち早足で教室へと向かい、先に悠斗が自クラスへと入った。
その瞬間
「おっと!」
不意に後ろから軽く袖を摘ままれてバランスを崩す。慌てて後ろを振り向くと少し気まずそうに床に顔を向けている藤宮がいた。後ろからつけていたらしい。
「藤宮か? どうした?」
「あの、その、ですね」
つたない舌使いで呂律が回ってないのか非常に聞き取りにくい。怪訝な顔で藤宮を見下ろす俺に藤宮は決意した様子で顔を上げた。
「放課後、屋上で待ってます」
その目は真剣そのものだった。俺は藤宮の言葉に呆気に取られて何も言えなかった。
「必ず来てください。わたし、待ってますから」
藤宮は俺の言葉を待ってくれなかった。逃げるように教室へと入ってしまい一人取り残された俺は。衝撃のあまり立ち尽くし、ボケッと突っ立っていた所を後ろから美人で自堕落な月島先生に頭を叩かれたのだった。